第4章 巌舶の寺----Pura Tanah Lot, Tabanan.
ワヤンの運転するジープは、南へ進路をとった。先ほど、プナタラン・サシー寺門前のワルンで休息したおり、海が見たいと、急に美耶子が言い出したのだ。厚木とワヤンが協議し、タナーロットに決まった。そこなら、海も夕陽も寺も見られる。
タナーロットは、タバナンにある海浜の景勝地である。海に浮かぶ巌島に建つ寺院と、インド洋に沈む美しい夕陽を見に訪れる人波が絶えない。
朝方きた道を引き返し、タガスで左折すると、なだらかな下り坂が水田地帯を抜けた。木彫りを売る店の裏の田でアヒルを追う少年の姿が見えた。サカーでデンパサールと島の東部とを結ぶカランガスム街道と合流し、交通量が一気に増えた。
急カーブと起伏の多い道路に揺られ、竹籠やピンダカン鳴子で有名なスコワティ、銀細工の店が軒を連ねるチュルックを過ぎ、やがてバロンダンスで有名なバトゥブランにさしかかった。
まんじりもせず車窓から景色を眺めていた美耶子に、ワヤンが話しかけた。「バトゥブランとは、『月の石』という意味です」バトゥは「石」、ブランは「月」の意味である。
「そういえば」と、突然思い出したように厚木が言った。「バリの地名って、月とか石に因んだ名前が多いよな。バトゥアンだろ、ブラバトゥ、・・・」
そう呟きながら指を折る厚木を見ているうちに、美耶子の脳裏に一つの考えが閃いた。
「昔のバリには月が13個あったと言ったでしょう」プラ・プナタラン・サシーで見た大銅鼓にまつわる話を持ちかけた。「月の寺以外にも落下した月の名残、つまり銅鼓が残っているんじゃない」
これまでの会話から察せられるように、厚木はバリに関する知識は他を圧するが直観力は弱い。一方、美耶子は知識は無いものの直感は冴えている。自分に欠くものが彼女にあることを発見した厚木は、美耶子の直観的な意見に耳を傾け、その上で自分の知識を提供しようと努めた。
「今のところ」と、厚木は言った。「ペジェン型銅鼓は数カ所からしか発見されていない。でも、この島の発掘調査はあまり進んでいないから、今後新たに発見される可能性はあるね」
完全な形で現存するペジェン型銅鼓は、プナタラン・サシー寺の所謂「ペジェンの月」のみである。ブビトラ村など数カ所から鼓面や鼓胴の断片が発見されている。その多くは神器として寺に奉納されていた。また、ウブッド北方のマヌアバ村からペジェン型銅鼓を鋳造した石の鋳型が発見され、その製造法が失蝋法であったことが知られた。さらに、1980年代、北海岸のパチュン村から腐食したペジェン型銅鼓が発見され、科学的分析が行なわれた。
前方にバトゥブランのバスターミナルが見え出した頃、車道の左側に沿うた小川には、水浴びをする幼児や洗濯をする少女の姿があった。驚いた美耶子が再び顔を窓の方に向けたので、自然に会話が遮れた。
ギアニャルとバドゥンとの県境を抜けた辺りから渋滞がひどくなり、トーパティの交差点でついに停車した。
この交差点には、バリでは珍しく信号機がある。そのまま直進すればデンパサール市街、左折すればサヌールを経てクタやヌサ・ドゥア、空港方面へ到るハイウエーである。三人の乗った車は右折し、デンパサール北郊を抜けるバイパスを西へ走った。
ウブンでもう一度右折し、車はタバナン街道に入った。ウブン・バスターミナルは、デンパサールと西部のタバナン、ヌガラや北部のシンガラジャとを結ぶベモが発着する。
ここはまた、ジャカルタや古都ジョクジャ方面とバリとを結ぶ夜行バスの発着場でもある。ターミナル付近にはジャワ料理やパダン料理の店が軒を連ね、スピーカーからは大音量で音の割れたスンダ・ポップスが流れていた。ここは、バリの中に存在するもう一つの「外国」であった。
ウブンを過ぎ、車は水田の中を走り抜けた。ここはバリ随一の穀倉地帯であり、労作の棚田に稔った稲穂が黄金色に輝いている。道路脇に目をやると、 と大書した看板が目に飛び込んできた。
やはりカーブの多いタバナン街道を半時間ほど西進し、県邑タバナンの手前のクディリで左に折れた。「もうすぐだよ」というワヤンの声に、美耶子の胸の鼓動は高まった。
午後5時5分。タナーロットに到着した。
案の定、夕陽目当ての人たちの車で駐車場は混雑していた。土産物屋が延々と続く参道を海岸へ向かって歩いていると、バリの正装に身を包んだ厚木にカメラを向け、シャッターをきる白人観光客もあった。美耶子は心外であったが、当の厚木は平然としている。
日没まで時間があるので、二人は浜へ下りていった。干潮時には歩いて渡れるが、満潮時には絶海の孤島となってしまう巌嶼の上に寺は建っていた。
寺伝によると、16世紀にジャワの高僧ダンヒャン・ニラルタがこの地を訪れた時、ここが神々の降臨に相応しい聖なる土地であると感じ、村人に寺の建立を強く勧めたという。
正式にはプラ・パクンドゥンガンというが、プラ・タナーロットという通称の方が有名である。
浜辺から黒肌の巌島を見上げると、甲板に炭色のメルの司令塔が聳え立ち、白や赤の五色の長旗がはためきながら進水を待つ巨大な軍艦に見えた。
寺の門はすでに閉まっていた。小一時間もすれば、巌の舶(おおぶね)は海に浮かんでしまう。そろそろ浜から上がり、岸壁で落日を待とうと思い、厚木は美耶子を呼ぼうとした。その時、美耶子は島の上空を凝視していた。
「どうしたんだい」という厚木の声で我に返り、美耶子が訊ねた。
「島の上空に何か見えなかった」
「いや。別に」
「おかしいわね。お寺の上辺りにオレンジ色の光線がサーと走ったのよ」美耶子の顔は曇っていた。
「日光が雲に反射したんじゃないのか」
「いいえ。雲一つなかったわ」
潮が満ちてき、本土から徐々に切り離されつつある巌島の上空を厚木は見た。確かに美耶子の言うとおりだ。
「そうだね。で、その光線はどっちから見えたんだい」と、落ち着いて厚木は訊ねた。
美耶子は指で空中に線を描いた。ディーパックから方位磁石を取り出し、厚木は美耶子の指した方位を測定した。
「北から南か。君が本当に光を目撃したと信じよう。君の記憶が正しければ、正確に南北だ!」厚木はすでに上気だっていた。
「光線は一本だけだったかい」と、はやる心を抑え、美耶子に訊ねた。
「ええ」と、美耶子はうなずいた。「ねぇ。私が見たのは、もしかしてUFOかしら」
「僕には分からない」と、厚木はかぶりを振った。「UFOの存在は信じるが、あいにく目撃したことがないんだ」
浜から黒巌の島に続く石畳はすでに海中に没し、夕暮れが迫ってきた。急いで浜を離れ、岸壁に到る急坂を登った。
無言で歩きながら、UFOに詳しい友人から以前聞いたことを厚木は思い出していた。UFOが出現した時、テレパシーにより交信が行なわれることがあると、その友人は言った。
落日を待つ人々で岸壁は混雑していた。群衆から少し離れた場所に坐り、「その光を見ているとき何か感じなかったかい」と、厚木は訊ねた。
「そういえば」と、上目遣いに美耶子は記憶をたどった。「『お前にヒントをやろう』という声が・・・。声というか、そう聞こえたような気がしたわ。うまく言えないけれど」
「ヒントだって!?」と、厚木はつい大声を出した。「君は何か難問に取り組んでいるのか」
「いいえ。別に」美耶子にも心当たりがない。
「じゃぁ、いったい何のためのヒントだろう」厚木が首を傾げていると、美耶子が空を見上げていった。
「待って。またあの光よ!」
美耶子の指す方向を見たが、光は一瞬のうちに消えてしまったらしい。今度の光線は北東の空に走ったという。美耶子は感じたことを話した。
厚木は惘然とした。どうやら彼も関係があるらしい。「君とは今日知り合ったばかりだぜ。その僕たちがどんな問題を解くというんだ」
「分からないわ」美耶子も戸惑いを隠せない様子だ。
「まず、最初の『声』にあった『ヒント』について考えてみましょうよ」と、冷静さをやや取り戻してから美耶子が言った。「最初は南北に、その次は北東に見えた・・・。光の見えた方向に何か意味があるんじゃない」
「方位か。よし!」
左肩にかけたディーパックから地図を取り出そうとして、厚木は身体を軽くひねった。その瞬間、まるで海棲の怪物に飲み込まれるかのように、水平線に没しつつある太陽が見えた。残照がインド洋の荒波に反映し、日神の身体から流れ出す血が海を真っ赤に染めた。巌の舶は大海原に浮かび、瀕死の太陽神を乗せ、他界へと出航した。この深玄な儀式が毎日繰り返されるこの地は、文字どおり陸[タナー]と海[ロット]、すなわち現世と他界とが接する場であった。
会話は途絶えた。荘厳な日没に魅入りながら、美耶子と厚木は共通の想念を懐いていた――二人の遭遇が運命の悪戯などではなく、これこそが未知の難題に二人して取り組むことになった原点なのだ、と。
(第4章終わり)
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