第11章 懸崖の寺

  ----Ubud/Denpasar/Pura Ulu Watu.



 ブラタン湖から戻った夜、美耶子は自室のテラスで日記をつけていた。旅程も終盤に向かい、明後日は帰国の途につかねばならない。奇縁で厚木と遭遇し、バリの不思議界に足を踏み入れる破目になろうとは、1週間前日本を発ったときは誰が想像しえたであろう。

 「・・・サラスワティの魂を持つ君が僕と出会うことは、昔から決定づけられていたんだ」ウブッドへ戻る車中で厚木が漏らした言葉を、美耶子は何度も反復していた。

 サラスワティとは学問と技芸の女神である。我国では弁才天、弁天として知られる。河神の娘という出自から、バリでは湖や川、稲田の神々とも結び付いている。厚木によれば、創造神ブラーマの妃とされるサラスワティは一切の神々の根源であった。

 バリ島は、西隣りのジャワ島からフィリピン群島を経て日本列島へと続く環太平洋火山帯の中に位置する。活発な火山活動はこの島に肥沃な土地をもたらした。もとより火神でもあるブラーマは火山を象徴し、水神サラスワティとともに農作物に恵みをもたらすと考えられた。

 「もちろん」と、厚木は真顔で話し続けた。「ブラーマやサラスワティに先立つ火の神や水の神がいたと思う。だが、そうした土着の神々の名は、とうの昔にバリ人の記憶から消えてしまった。ヒンドゥー教が浸透するにつれ、土着の神々が『改宗』を迫られたからだ」

 異教徒による征服や支配者の都合から、こうした出来事は世界各地で頻繁にみられる。とりわけキリスト教やイスラム教などにおいては、異端の神々に対する徹底的な破壊が行なわれたことは周知のとおりである。

 バリに伝来した仏教やヒンドゥー教においては、名を変え、姿を変えながら、多くは精霊として今なお崇拝されている。あるいは天界のパンテオンに組み込まれ、あるいは調伏(ちょうぶく)せられて邪霊、悪霊に貶められながらも、余命をながらえた。

 「だから」と、厚木は言った。「僕がサラスワティと呼ぶものは、インドの神とかバリの神とか、学問の神とか水の神とかいった特定の地域や神格を意味するのではない。僕の波動と合致する・・・、そう、女性原理とかシャクティとかに近い概念なんだよ。本当は名前はどうでもいいんだ。僕はただサラスワティという言葉の響きが好きなだけだ」

 話を聞くうち、美耶子は頭が混乱した。厚木の言う意味は理解できる。しかし、何を言いたいのかは別だ。運命やら原理やらを捏くり回しているように感じられた。話題を逸らせようと、美耶子は一計を案じた。

 「この間」と、美耶子は切り出した。「パンジ物語のことを話してくれたでしょう。紆余屈折の末、二人が結ばれたというお話だったけど、なぜ王女は王子から逃げたのかしら」

 「あれは古代の婚姻慣習の名残だと思う」と、厚木はごく常識的な回答を出した。「婚約した王子と王女が身分を隠し、放浪を演じることによって、胞族の間に二人の結婚の適性を知らしめる目的があったのだよ。二人が異性に扮するのも古代社会における成人式の一環だ」

 美耶子がこの話を急に持ちかけた理由をうすうす覚った様子で、厚木は話を続けた。「女性が恋人や夫から逃げる物語はインドネシアに多いよ。有名なラーマーヤナにしても、魔王ラーヴァナにさらわれたシーター姫をラーマ王子が捜す物語であり、・・・」

 機が熟した。「じゃあ、わたしも貴方から逃げようかな」と、美耶子は悪戯っぽく笑った。

 厚木は一瞬怯え、それから大声で笑った。



 翌朝、美耶子はデンパサールのバリ博物館を訪れた。

 当館は、1910年に時のオランダ植民地政府が創立し、その後1932年に開館した。バリ各地の代表的なプラとプリ、すなわち寺院と宮殿を模して造られた数棟の陳列館は、先史時代から現代に至るバリの歴史、生活、絵画、舞踊などの資料を展示している。

 館内を一巡するうち、美耶子は敷地の隅にある高楼に上りたい衝動に襲われた。果たして、吹き抜けの櫓の上は見晴らしが良かった。

 博物館の北隣りは、州の寺院プラ・ジャガットナタで、1960年頃、パリ・サダという宗教改革運動の中で建立された新しい寺である。境内の中央に一際高い塔がそびえている。パドマサナである。

 パドマサナは、バリの寺院内にある建造物のうち最も神聖なものとされ、必ずカジャ側、すなわちアグン山を背にして造られている。バリの宇宙観に基づく二匹の大蛇が絡まった海亀の背中にのった石塔で、最上部に太陽神スルヤ=シワの坐す椅子が設けられている。

 一般の寺では小さくほとんど目立たない存在だが、ジャガットナタ寺のパドマサナは白珊瑚を使い、10メートルを超す壮麗なもので、その頂上には黄金に輝く最高神サンヒャン・ウィディ・ワサが祀られている。

 博物館前の広場は、1906年9月20日、当時はバドゥンと呼ばれたデンパサールにオランダ軍が侵攻した際、プムチュタン宮廷の国王一家と廷臣らによる自決行進、ププタンが起きた場所で、現在は独立記念広場になっている。広場西側の大きな建物は、インドネシア国軍ウダヤナ師団の総司令部である。

 ジャガットナタ寺の境内には、先の満月の日に供えられたと思しい供物が散乱していた。ミゼット型の三輪ベモがエンジン音を轟かせて走る通りを挟み、ププタン広場には凧上げを愉しむ子供らの姿があった。

 ジュプンの花香と自動車の排ガス臭とが入り混じった熱っぽい風の吹き込む高楼の上で、美耶子は異様な気を感じ取っていた。平和で、ごく平凡な光景の中で、美耶子は血の臭いを嗅いだ。

 (もしかしたら)と、ある想念が美耶子の脳裏に宿った。(この寺は、ププタンで落命した死者の慰霊のために捧げられた寺かもしれない)。ププタンでは、女子供や老人を含め3500人ものバリ人が命を落としたという。

 バリ=baliという言葉が「供物」「奉納」を意味する梵語に由来することは、厚木から聞いて知っていた。通常の供物に飽き足らず、神々はしばしば人間の犠牲(いけにえ)を欲するという。バリの神々は、表向きの柔和な顔の裏に邪悪で残忍な顔を持っている。

 (オランダ人の姿に化身し、血に飢えた神々がバリの人々の命を奪った!)――そう思った瞬間、寺の境内に散らばる供物の残骸が累々とした死屍に変わり、パドマサナは巨大な石の火葬塔に姿を変えた。


パドマサナの写真です(JPEG/102KB/260×372Pixel)パドマサナ(JPEG/102KB)

 今日のもう一つの目的地は、バリ南隅のブキット半島の最西端にあるプラ・ウルワトゥ寺である。

 湿潤なバリでは珍しく、インド洋に突き出したブキット半島は乾燥した土地である。「丘、山」を意味するその名のとおり、なだらかな丘陵が続く。

 超高級リゾート地、ヌサ・ドゥアへ向かう道路は快適そのものであったが、途中のブアルという村で脇道に入った途端、状況が一変した。丘陵地帯の小聚落を縫うように走る狭く曲がりくねった未舗装路を車は進んだ。デンパサールから2時間近くを要し、やっとのことでプラ・ルウル・ウルワトゥの門前に辿り着いた。

 この寺は、海岸から50メートルの断崖上にある。バリ全島から参詣される六大寺院サド・カヤンガンの一つで、南ないし南南西の方位に位置づけられる。海神ルドラを祀り、バリ・ウク暦のクニンガンの10日後に大祭が行なわれる。

 ウルワトゥ寺は、10世紀、ウダヤナ王の治世にムプ・クトゥラン――別名ムプ・ラジャクルタ――により建立された。

 歴史伝説書『ウサナ・バリ』によれば、ムプ・クトゥランは、ブサキーの神やバトゥ・カルの神、ウルワトゥの神など18柱の神をマジャパイトから勧請した。古伝によると、彼は鹿に乗ってジャワから渡来し、1001年にパダン・バイ付近に上陸した。現在のシラユッティ寺がその場所である。シワ教と仏教の教義に通じ、バリ各地の寺院にメルを建立したという。ブドゥルのサムアン・ティガ寺で開催された宗教会議第10章「天湖の寺」参照において、指導的な役割を果たした。

 ちなみに、鹿はマジャパイト王国の紋章といわれ、古来ジャワでは鹿は智慧を象徴する動物でもある。ただし、彼が来島したと伝えられる11世紀初頭、ジャワ王国の首都はマジャパイトではなく、ダハすなわち現在のクディリであった。

 その後、有名なダンヒャン・ニラルタ――別名ドゥウィジェンドラ――が聖所を設け、晩年この地に隠棲したと伝えられる。

 ダンヒャン・ニラルタは、1546年に東ジャワの古都ダハ(現クディリ市)からバリに渡来したシワ教の高僧である。伝説によると、クルウィー樹の葉に乗り、海を渡ってきたという。西部のヌガラ付近に上陸し、現在のバリ=ヒンドゥー教の基礎を築いた。たびたび奇蹟を起こし、それゆえプダンダ・サクティ・ワウ・ラウーと呼ばれた。これは「最近渡来した聖者」という意味である。

 バリ各地を行脚し、寺院や祠堂を建立した。なかでも、タナーロット寺第4章「巌舶の寺」参照や、彼の頭髪が奉納されたランブット・シウィ寺が有名である。また、各地の寺院にパドマサナを導入したのも彼だという。

 ダンヒャン・ニラルタは、ウルワトゥ寺にパドマサナを建立した。現在、寺院最奥すなわち岬の最突端にある3層のメルがそれである。この地で瞑想を続け、ある日忽然と空の彼方に消え去ったという。これは、モクサ、すなわち解脱・涅槃に達したことを象徴的に表現したものである。

 それ以来、寺はプラ・ルウル・ウルワトゥと呼ばれるようになった。ルウル(luhur)は、「上昇する」という意味の動詞ングルウル(ngeluhul)からの派生語で、モクサの比喩とされる。ウルは「突端」、ワトゥはバトゥの古形で「石」を意味する。したがって、プラ・ルウル・ウルワトゥとは、「突端の石の上にある寺」もしくは「突端の石から昇天(解脱)した寺」という意味になる。

 象神ガネーシャ像を両側に配した中門をくぐり、厚木と美耶子は寺院内庭――ジェロアン――へ入った。ほのかな潮の薫りが鼻を擽ったかと思うと、断崖に砕け散る波浪の音が耳根を打った。

 ランブット・シウィ、タナーロット、ウルワトゥ――ダンヒャン・ニラルタにまつわる寺院は海辺に多い。殊のほか彼は、古来バリの人々から疎まれてきたクロッド、すなわち海の守護に尽力したように思う。

 当時、ニラルタの故郷ジャワは、山岳地帯や東端地方を除くほぼ全島がイスラム教に制圧されていた。ヒンドゥー王国の古都ダハを捨て、バリに布教の活路を求めた彼にとって、海防への関心は人一倍であったと推察できる。

 広く、静まりかえった境内を、厚木と美耶子は奥へ進んだ。寺院最奥の3層のパドマサナの入口の門には錠がかかっていた。異教徒はもとより、ヒンドゥー教徒のバリ人でさえ、特別な祭礼時以外はこれより先へは入れない。二人は、門の前に腰を降ろした。


画像ライブラリーへリンクボタンのアイコンです「懸崖の寺院」を写真でご案内します(5枚)

 「このお寺には、呪力のようなものを感じるわね」と、ハンカチで顔を扇ぎながら美耶子が言った。

 「ああ」と、厚木も額の汗を拭いながら言った。「何かを封印しているかのような力だ」

 「封印って、まさか・・・」と、扇ぐ手を休めて美耶子は言った。

 「そうだ。この寺はバリを封印しているに違いない」と、自信有り気に厚木は言った。「以前、バリ島の線図を作っただろう」と、言うや、厚木はディーパックから地図を出した。タナーロットで美耶子が不思議な光体を見た翌日、二人で作ったものである第5章「バリ線図」参照

 「でも」と、美耶子は訝った。「南のクロッド側には何もなかったのではなくて?」

 「そう」と、言ってから一呼吸置き、厚木は言った。「あれから僕たちは、『カジャ半円』上にある聖所を巡ってきた」マークした7箇所のうち、二人はウルン・ダヌ・ブラタン寺、アグン山(ブサキー寺)、チャンディ・ダサ寺を訪れた。何れも北側=山側の『カジャ半円』上にある。


カジャ半円のイメージです(GIF/17KB/400×300Pixel)カジャ半円のイメージ(GIF/17KB)

 「君の言うとおり、南側、つまり海側の『クロッド半円』上にはめぼしい聖所はなかった」と、言い、厚木は軽く咳払いをした。美耶子は、固唾を飲んで厚木を見つめている。

 「あの時、君が目撃したもう一本の光線をもとに、別の線図を描いただろう」と、厚木は地図に描かれた線を示した。

 ウルワトゥ寺(A)から真北へ直線を引くと、タナーロット寺を経てバリ第2の秀峰バトゥ・カウ山(B)に至る。バトゥ・カウ山とアグン山(C)はほぼ同緯度にあるから、バトゥ・カウ山とアグン山とを結ぶ線は線分ABに対して垂直に交わる。最後にアグン山とウルワトゥ寺とを直線で結べば、バリ南部に大三角形が現われる。これを仮に「ウルワトゥの大三角形」と呼ぼう。さらに、線分ACは、バトゥ・カウ山とヌサ・プニダ島(D)とを結ぶ「カジャ半円」の径ともほぼ直角に交わるから、ABDを結ぶ三角形は「クロッド三角形」となる。

 「バリ南部の中核域は、最初の大三角形の中にすっぽり入ってしまう」と、三角形をなぞりながら厚木は言った。

 「でも」と、なおも訝りつつ美耶子は訊ねた。「クロッド側もそうだけれど、なぜ三角ばかりなの?」

 「それなんだが」と、厚木は勿体ぶって言った。「ダンヒャン・ニラルタは、『3』という数字にこだわっているようだ」

 「そう言えば」と、美耶子は背後に目をやった。「このメルも3層ね。重要なメルは11層のものが多かったのに」

 「ニラルタが、現在のバリ=ヒンドゥー教の基礎を創ったことは知っているね」と、厚木は念を押した。美耶子がうなずくのを確認し、再び語りはじめた。

 「ヒンドゥーの教義にトリムルティという概念がある。『三神一体』という意味だが、シワとウィシュヌとブラーマの三神がシワを中心にしてセットになっていると考えている。ニラルタ以前にもこの概念はあったが、それほど厳格には行なわれていなかった。ニラルタは、ジャワの厳格なトリムルティをバリに導入し、バリのヒンドゥー教を強化しようとしたわけだ」

 現在、バリの各村落には、最低三つの寺院、すなわちプラ・デサ、プラ・プセー、プラ・ダラムがあるといわれている。各寺院の境内は、ジャバ、トゥンガー、ジェロアン(ダラム)の三つに区分されている。バリ=ヒンドゥー教の総本山プラ・ブサキーは、シワを祀る主堂伽藍と、ウィシュヌ、ブラーマ神を祀る奥院とで構成される。屋敷ごとに祖先の霊を祀るサンガーには、3柱の神祠――後述の理由により、実際には9柱――がある。そして、一神即三神の原理から、さらに三つに細分され、合計九つに区分される。こうして、ウィシュヌ−シワ−ブラーマ、シワ−ウィシュヌ−ブラーマ、シワ−ブラーマ−ウィシュヌというセットができ上がる。

 「バリ各地を巡ってみれば分かることだが」と、厚木は言った。「必ずしも厳格にトリムルティが行なわれているわけではない。屋敷ごとのサンガーを除けば、その数はむしろ少ない」

 「つまり」と、美耶子は言った。「トリムルティが厳格に行なわれている寺院は、ニラルタ以後に建立されたか、増築された、ということね」

 「ほぼ間違いないよ」と、答え、西に傾きはじめた陽射しを避けるため、厚木は美耶子を日陰に誘った。

 (果たして、ダンヒャン・ニラルタの「野望」は達せられたのだろうか?)――彼が昇天した場所と伝えられる石の前に佇みながら、一抹の思いが美耶子の脳裏をかすめた。

(第11章終わり)

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NISHIMURA Yoshinori@Pustaka Bali Pusaka,1996-2000.