10月31日 再びモスクワへ

7:30頃 この日はふたりとも寝坊せずに起きる。昨晩の深夜宴会もあり、すこし眠い。窓の外は今日も天気がよく、朝焼けがうっすらと残っている。旅も今日を入れて残り2日になってしまった。こまっちゃのメンバーと一緒にロシアにいられる時間も残り少ないなぁ、と思いながら荷物を持ってロビーへ。ホテルの外観の写真を撮っていて、このホテルがロシアホテルという名前だという事をはじめて知った。すっかり喉がやられてしまい、声の出ない多田さん。マスクの上にバンダナという重装備で喉の保護をしていたが「テロリストに間違えられるといけないから」という周囲からの意見で駅についたらマスクのみにする事に。発熱をしているわけでもなく、ゼイゼイとしているのでしゃべりたいのにしゃべる事のできない、かわいそうな状態である。
 

8:32 再びシベリア鉄道に乗車。オーガナイザーがとても親切で一緒に荷物の運び込みを手伝ってくれた。そして、昨日のコンサートがとてもよかった、と何度もおっしゃってくれて、お別れの時を過ごした。今回は私と多田さんが別のコンパートメントに入り、残りの6人が一つの部屋へ。コンパートメントにはお菓子とお水が用意されていた。が、ガス入りの水で多田さんはかわいそうに喉にしみて飲む事ができない。列車は順調に走り出し、各自休息。私はシベリア鉄道の中ではコップと茶葉があればお湯をもらう事ができる、と本で読んできたので、さっそくお茶セットを取り出す。久しぶりのほうじ茶がおいしい。多田さんも紅茶を持って給湯室へ。本来ならカップの貸し出しはないようなのだが、言葉のわからない強みでいただけてしまった。お茶で喉が潤ってくるとお腹がすいてくる。Svetaは食糧を買ってくれたのになぁ、セルゲイはウォッカは買ってくれるけどさー、とぼんやり考えていたのだが、ふと思い出した。来るときの電車が途中の駅で15分ほど停車したのだ。多田さんに「途中で停車しますよね、食料買いに降りられないかな。」と提案すると、廊下に時刻表があるのを関島さんが見ていた、というのでさっそく確認。ちょうどよいことに11:21から20分間停車の予定になっている。セルゲイを呼び出し『この間に降りて、食べるものを買いたいから一緒に行こうねー』と言うと『うんうん、行こう』と快く引き受けてくれた。モスクワ到着は14時ごろ。それまで朝から何も食べないというのは耐えられない。

11:20 列車は駅で停車。梅津さんたちに事情を説明し、3人で降りた。パンと何か暖かいものを、とホーム内の売店に入ったが、とても美形の猫はいたのだが食べるものはスナック菓子のみ。駅の構内へと再度向かうと売店がいくつかある。私がパンを購入する事にし、多田さんとセルゲイにお惣菜をお願いする。とてもラッキーな事に多田さんたちの前に並んだ人がペリメニを買い、ペリメニが売っている事を発見。暖かい食べ物。それも食べたかったペリメニだ。食べるものを手に入れたうれしさから、ニコニコして車内へ。6人がけコンパートメントの肘掛を上げ、テューバ越しに8人で食卓を囲んだ。パンはピロシキがお肉・キャベツ・卵と数種類。あとで読んだ本によると、ピロシキは具入りのパンの事であげていないものの方が主流らしい。あとはソーセージ入りパン・少し甘いパンなどどれを食べてもおいしい。少しずつちぎりながら、全種類をいただいた。そして、ペリメニ。売店で買ったとは思えない味で、皮もしっかりとしていてとてもおいしい。ロシアに来てはじめてお目にかかったペリメニだったので、写真を撮ろうとフォークを関島さんに持ってもらったところ、とてもうれしそうにポーズをとってくれた。関島さんも「ペリメニは一度食べたいですねぇ。」とおっしゃっていたので、うれしく思ってくれたのだろう。関島さんに「ティーパックを持っていくと、お茶を入れてもらえますよ。」とお伝えすると「せっかくシベリア鉄道だから、それもやってみたかったんだよねー。」と嬉しそうに出て行かれた。食後にはお腹も満たされて皆満足顔。各自席に戻って残り1時間半の列車の旅を楽しんだ。


私と多田さんの同室の方は4名。1名は荷物をたくさん持ったおばあさん。静かに座っている。もう一組の3人連れは女性二人は仕事の打ち合わせをしている様子なのだが、残りの青年がよくわからない。サービスで出されているお菓子を食べているかと思うと、イヤフォンのTVモニターの音を最大にしたのを肩にたらしたまま、自分は眠りこけている。おばあさんが注意してくれたが、なおらない。おばさんと言葉はわからないながら、顔を見合わせてお互いに『あきれたわね』と顔で会話してしまった。多田さんとこの3人連れの関係予想をしてみたのだが、なぞのままだった。が、この列車の中で私と多田さんはずっと顔が2/3ほど隠れるマスクをしたまま。話をする時だけ、マスクをこそっとあごへとはずす。むこうからしてみれば、十分怪しい東洋人だったろう。

 列車はロシア人が夏の家、ダーチャのある風景の中を進む。ロシアの家庭の多くは自家菜園と粗末ながらも夏の家を持っていて、夏になるとそこで毎週末野菜作りに励み、冬の保存食作りをするのだそうだ。ソ連時代の物がない中で、国民が生き延びたのは、このダーチャのおかげだ、と本にはあった。ダーチャは別荘らしいものから、掘っ立て小屋までピンからキリまであるらしい。一度お邪魔してみたいなぁ、と思いながらおばさんの荷物越しに車窓を眺めた。


13:50 モスクワ着。快適な列車の旅も終了。迎えに来てくれているDOMおじさんの車に乗り、ホテルへと向かう。相変わらずの渋滞、そして排気ガス。多田さんだけでなく、他の方たちの喉も心配である。車の中でホテル到着後の予定について話す。列車の中ではどこかにおいしいものを食べに行こう、ということになっていたのだが、連日の移動でみんなも結構疲れているし、多田さんも休養をとったほうがよい、という判断で、この日は初日に入ったラウンジのようなところで食事をする事に。時間を決めて、それまでを自由行動とすることにした。

 ホテルに到着。またしても手間のかかるチェックインタイム。その間、ロビーで待ちながらパン売りのおばさんと遊んでいたら、気がついたらセルゲイがチェックインを済ませてくれていて、あっさりと帰ってしまった。わたしはとても残念な事に、セルゲイときちんと挨拶ができないままにお別れになってしまった。セルゲイくん、本当に人のよい笑顔で、遠くにいても目が合うと長身の腰の横辺りで小刻みに手を振ってくれる、その様子がかわいかった。(後日、ビデオを見ていたら、客席でビデオに向かって手を振る彼を発見。お茶目な方だ。)

彼を見送った後、各自部屋へ。夕飯の集合は19時となった。今回は女性部屋を禁煙・喫煙で分けることになり多田さんと私が同室。妙に大きなキーホルダーがついた鍵をもらって、各自部屋に分かれた。この鍵のキーホルダーだが、バスタブに栓がなく不思議とこのキーホルダーがちょうどよい具合に栓の役目をするのだ。お風呂といえばお湯をためたい日本人にとっては必需品である。

部屋に入って一段楽したところで、多田さんがなにやら調べ物を始めた。明日になってもこのゼイゼイがとれない様なら、せっかく保険にも入ってきたし、病院に行こうかと思う、というのだ。確かに飛行機の中で気圧が変わったら、呼吸はもっとつらくなるだろう。ガイドブックをチェックし、ある程度病院のめぼしをつけた上で、先日のDOM公演に来てくださっていた日本大使館の方に連絡をする事にした。この方達とは明日の夜に会食の約束をしていただいている。電話は勤務中ということもあり、なかなかつながらなかったが、ガイドブックにあったSOS(緊急病院)に連絡がとれた。明日は診察してもらえることを確認。その後大使館の方ともお話しをしたところ、よい病院なので、安心してかかってよいと言うコメントをいただいた。少し安心したら、今度はおなかがすいてきた。多田さんが梅津さんのマッサージを受けている間に、売店に売っていたカップラーメンを作る。多田さんと梅津さんが同じヌードルのようなもの、わたしがボルシチ風のを選んだのだが、このボルシチ風がとても薬品臭い。結局食べる事ができず、トイレに流してしまった。

張さんたちの誘いを受け、ホテル周囲のお店を見にいくことに。ロビーに下りたところで、関島さんが帰ってきた。先日のお土産マーケットに行ってきたそうなのだが、開いているお店が少なく、なんとも当てが外れた状態だったらしい。周囲にあるお店を見にいくところだと告げ、関島さんも伴って4人で出かける事にした。ホテルの脇に立っている、一見テント風の建物。中に入ってみると靴屋・帽子屋・洋服屋・化粧品・ブライダルなどなど小さなお店が円形にぐるっとたくさん入っている。そして一階の中心部ではお惣菜や果物を売っている。どれも見るからにおいしそうなのだ。フライはかりっと揚がっていそうだし、ピクルスはつややかに深い色に漬かっている。果物は輸入物もあるようだが、わりとみずみずしそうで、魅力的。そして西洋風のパンの他に、ナンに良くにた味のするグルジアのパンが大量に積まれている。この、グルジアパンはとても安価で素朴だけれどいろんな料理に合うおいしいパンなのだ。何店舗か見たのち、こまっちゃの食料大臣と呼ばれる張さんと松井さんのセレクトで今晩の宴会用おつまみが調達された。普段の友人達と行く旅行では、私は食料大臣となり、いろいろと調達するのだが、このお二人の選択眼と買いっぷりには脱帽。「で、何か欲しいものある?」と聞いていただいたが、もうすべて選んでいただいたものの中に入っていた。乳製品も充実しており、ケフィアを買ってみることに。心残りはチェブラーシカアイス。アイスのショーケースは鍵がかかっており、混雑した店内であけてもらう事は難しかったのだ。
   



その後もホテルに沿うように立てられた売店をいくつか冷やかし、ひときわ集客率がよく、なおかつ値段も高めのお店をチェック。梅津さんが「中華もいいなぁ。」と言っていたので、中華のお店もチェックしたが、閉店していた。日本食料理店をのぞいたら、ナイフとフォークでステーキを食べている客を目撃。んー、日本の食卓さながら雑多な献立のようである。やはり今日はラウンジで食事である。

部屋に戻り、多田さんの様子を見る。梅津マッサージ師の施術がよかったのか、少し落ち着いた様子。少し前まで夕焼けがとても綺麗だった、と教えてくれた。19階のこの部屋からは街の眺めが一望できる。今日は出かけずに、ホテルに残ってゆったりしたのは正解だったなぁ、と私もしばらく窓の外を眺めていた。


19:00 ロビーに集合して、いざレストランへ。7名で入っていくと前回のウェイター・アレクセイ君が出迎えてくれた。『あぁ、また来ちゃったんだねー。』という顔をしながら、メニューを出してくれる。多少ではあるが、メニューが見られるようになったこと、そして3冊の会話本を駆使してオーダー。前回おいしかったスープとキエフ風カツレツははずせない。そこまで頼んだところで、後は会話本を指差し。『ペリメニ?』『あるよ。』『ピロシキ?』『ないよ。』『つぼ焼きシチュー?』『あるよ。』『ステーキは?』『メニューだとこれかな。』といった具合ですべてアレクセイ君にメニューを指差してもらい、値段をチェックしながらオーダーを進める。少し時間を経て料理が到着。私が頼んだきのこサラダはなめこの塩茹でで、ドレッシングもなし。不思議な食感だった。出てくる料理すべてを「おいしい!」とみんなで絶賛しながら食事。梅津さんも「ここ、いいよねぇ、安いしおいしいよ!ロシアでレストランにいろいろ入ったけど、レベル高いよね。」とご満悦。列車の中よりもさらにおいしいペリメニを食べ、多田さんもキエフ風カツレツに「そうそう、これこれ!」と満足気。概しておいしくないホテルの食事だが、ここは例外であった。話題は明日の予定に。私と関島さんは事前に仕入れていた情報を元にアルバート通りで口琴を探したい、と申し出た。大使館の方たちとの待ち合わせが、そのそばにある本屋さんなので、そこは最終目的地として、他には何を見に行こうか、とわいわいやっていたところ、新井田さんが「せっかくロシアに来たのだから、サーカスを見に行きたいと思って。」とおっしゃる。それでは、とガイドブックを見てみると、たいていは夕方以降のサーカスの中、火曜日の昼間公演のところを確認。場所もそれほど離れておらず、ガイドがなくても地下鉄を乗り継いでいけそうである。ロシアでサーカス!いいですねぇ、とみんなすっかりその気になる。食後はアイスクリーム。デコレーションケーキ型や怪獣型とかいろんなバリエーションのアイスが30種位載ったメニューを再度指差し確認。結局あるのは3種類らしく、全種類オーダー。皆で分け合って、満足のディナータイムとなった。

深夜、張さん・松井さんの部屋で関島さんを交え4人で歓談。ピクルスなどかじりながらお話をする。私は今回一緒に来たくてもこられなかった友人達のお土産に、とDOMで調達してきたこまっちゃの公演案内葉書を取り出し、皆にお土産として渡したいのだけど、サインをしてもらえないか、とお願いをした。「何枚いるの?」聞かれたので、指折り数えていると「あぁ、もういいよ。その持っている分全部出しなさい。たいした枚数じゃないんだから。海外ツアーだと毎晩100枚なんて時もあるんだから。」と20枚近い葉書にさらさらとサインをしてくれた。なぜかここに来て、こまっちゃに出会った頃の気持ちがよみがえり、本当にどきどきしながら、順番にサインをしてくださる3人の手元を覗き込んだ。感激。しばらく歓談したのち、おひらき。翌日の一日自由行動に備え、各自の部屋へと戻った。

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