10月30日 ニジニーノヴゴルド
(この日から記録日誌に時間標記忘れている。とほほ)

9:00 明け方から何度か目が覚めていたが、いったん置きだして朝の風景をビデオに撮る。目の前はヴォルガ河。湖かと思うほどの川幅で、対岸の向こうは地平線が広がっている。大地が広いのだ。張さんはまだ眠っている。私も再度ベットに転がりまどろむ。11時に張さんの携帯目覚ましがなった。20分頃に張さんに声をかけ「おはよう」とお互いに言ったところで、部屋の電話が鳴った。同時に廊下からノックの音と共に多田さんの声。「集合時間過ぎているから、早く降りてきて。楽器はいらないから! 」。え、12時集合では?と思ったのだが、二人して勘違いしていたらしい。あわてて身支度をして階下へ。もう全員がそろっている。しまった、やってしまった。昨日の夜の時点で12時の集合では遅いので、11時に、と話が変わっていたらしい。なぜか私たち二人だけが、それに気がつかずくつろいでいたのだ。

迎えの車を正面玄関に回してもらう間、ホテルのロビーに張ってあるポスターを見ていた。出演者が7人になっている。あれ?と私?と思ったらそうではなくて張さんの本名がそこにあった。ボーカル熊谷陽子・アコーディオン張紅陽となっているのだ。(後日確認したところ、やはり私の名前も載っており、ボーカルが張さんでアコーディオンが私と書かれているそうだ。)張さんは今までに一度も本名で演奏活動をした事がないそうで、記念すべき本名デビューの日である。到着した車に乗り込み、ついたところは昨日と同じビルの前。ここのレストランはこの街にビール工場をもっており、この街でのスポンサーらしい。そして同じテーブルに再度通された。昨晩頼んだおいしかったものを思い出し、各自オーダー。そしてこのレストランではパンにはバターがついて出されてきた。今日はこのあと記者会見、ほんの少し観光したら会場入りをすることになっている。明朝の列車の時間が変更された事もあり、この街も滞在時間は短いらしい。
 

     
 

13:30頃 記者会見場へ。同じフロアにある20名ほどが座れそうな少し殺風景な個室。このフロアにはステージもあり、どうやらこの部屋は控え室のようだ。TVカメラが2台とカメラマン・記者数名。梅津さんには通訳の男性が一人ついた。なぜ日本人がクレズマを?という話に始まりクレズマという音楽についてそして民族問題まで、なかなか厳しい質問が相次ぎ、梅津さんも答えていても顔があまりほころばない。私は途中から聞き取る事を断念してしまった。そのまま一時間ほど続き、終了。記者会見というよりは釈明会見のように、全員の表情が固いままであった。あとから梅津さんに聞くと、一人のインタビュアーが大変堅苦しい質問をよこし、そして通訳の方がもそもそとわかりにくい英語でそれを訳し、聞きにくいので顔を近づけると、息が臭くて閉口した、との事。なんともつらい1時間だったようである。その場を去るとき私はふと気がついた。「張さん、わたし今朝顔を洗ってない。」「ん?わしもだ」。結局この日は2人とも顔も洗わず、すっぴんのままで過ごした。
  

15:00前 レストランを後にし、ホテルへ。部屋で休むという多田さんを残し、クレムリンで30分ほど観光。城壁の中はわりと近代的な軍事関係の博物館などになっていた。ヴォルガ河の眺めが綺麗だ。
    

ホテルに戻り、楽器を持つと休む間もなく今日の会場へ。今日の会場はライブハウスではなく、街の公会堂。1000人ほどのキャパの中規模のホールだ。控え室は舞台化粧用の鏡が並ぶ、なかなか味のある空間。とてもレトロな雰囲気の中、さっそく楽器を出し、音を出し始めるメンバー。張さんが学生時代を弾き始めると、廊下で流し吹きをしていた多田さん、別室からは松井さんと梅津さんが途中からそれに加わる。なんともいえない哀愁の漂うよい雰囲気である。が、大変申し訳ないのだが、ビデオは充電中でこの間の映像が撮れなかった。悔やみつつも、自分の中の思い出として、とても大事な貴重な時間となった。
     

16:00 リハーサル開始。この日は会場中央のミキサーの横で三脚を設置して撮影をさせてもらえる事に。カメラの設置位置を確認し、ふたたび充電のために控え室へ。戻ってみるとクラリネットのケースを抱えた人のよさそうなおじさんがニコニコと立っている。漫画家の蛭子能収さんにどことなく似ている。彼はユダヤ人でこの街でライブハウスを経営しているクレズマ奏者。とても上手な奏者なのだが、街から出た事がないのだそうだ。今日のゲストとして参加してくれる。楽屋で楽器を取り出して、吹き始めた。音は少し薄いのだが、結構な勢いで超絶技巧系だ。ハバナギラでリハーサルをしたのだが、出すぎず引きすぎずとてもおもしろい演奏だった。本番が楽しみになる。リハーサルを終え、控え室へ。梅津さんはこの間もインタビュー。ここでもジューイッシュについて・クレズマについて、結構難しい質問がかわされている。日本とちがいジューイッシュの方が多いこの地では、やはり「なぜ日本人がクレズマを」という点がとても疑問に思われるのだろう。もう少しきちんとジューイッシュのことを知りたいな、と思いながら質問の難しさにその場を離れてしまった。
     

楽屋に戻ってみると、女性用の楽屋のうちの一つを蛭子奏者が使っている。えっ、と思ったがニコニコと笑顔でいるので、むげに追い出す事も出来ず、もう一つの楽屋に4人で待機。梅津さんのインタビューが終わるのを待ち、本日の曲順を確認してから充電のすんだビデオを持ってロビーへ。この日は日曜日の18時開演ということもあり、家族連れが多い。日常的にライブハウス通いをしている人たちというよりは、せっかくの街の催、日曜日だし、近所だし行ってみようかしら、と言った雰囲気。それにしてもロシアのおばちゃんたち、表情が固いのだ。笑ってくれるのだろうか?が、もちろん最初から陽気な方もいる。会場外観をビデオに収め、会場内に戻ろうとしたら「コンニチハ!」「オゲンキデスカ?」。ニコニコ笑っているおじさまだ。日本で働いた事があるそうで、上手な日本語だった。

ふたたび楽屋に戻り、ステージ前の軽食のお相伴に預かる。黒パンにチーズをのせて食べるごくシンプルなもの。子供の頃からよく絵本で見ていたような穴あきチーズが用意されている。出演者でもないのに、しっかりいただき、私もビデオ撮影に備える。


18:00 ロシア最終公演開演。
会場に7割程度のお客様。老若男女でそろい、和やかな雰囲気。この街のホストの男性がまずは舞台上でスピーチ。集まってくれたお礼、こまっちゃの紹介などをテンポよくしているようで、会場から笑いが起きている。演奏前のスピーチで観客の気持ちを和ませるのは、DOMだけでなくロシアの風習らしい。スポンサーのビール会社にも気を使い、舞台の上ビールで乾杯をして挨拶が終了。いよいよ演奏が始まった。皆さん最初からとても好意的。楽しみたい、といった雰囲気が会場にあふれている。ご年配の方々には梅津さんの英語のスピーチはわからないだろうに、MCの時もニコニコ。さすがに立ち上がって踊る方はいなかったが、方々で体を揺らしながら手拍子をして聴き入っている様子が見られる。ちらっと横目でミキサーのお二人を見ると、はやりうれしそうに笑いながら舞台を見ていた。途中の多田さん・張さんの舞台を練り歩くコミカルな動きも観客は目で追って楽しんでおり、盛大な拍手に見送られ、一部終了。

休憩時間に楽屋に戻ってみると、女性3人の部屋にえらく興奮したおば様が入り込んで写真を撮りまくっている。なに?とおもったら昼間の記者会見のときに一番辛らつな質問を飛ばしていた方。急に入ってきて『普通にしていいから!』というなり写真撮影が始まったらしい。何ショットか撮影したのを確認した後に、マネージャーを装って丁寧にお礼を述べた上でご退出いただいた。よっぽど演奏が気に入ってくれたらしい。が、3人はなんか深刻な顔をして話し込んでいる。会場が広くて観客の反応がいま一つわからないのだそうだ。「どう思う?」ときかれたので正直に「すごく受けています、前の2ヶ所と変わりませんよ。いつもと同じくらい楽しい!」とお伝えすると「日本でこれだけこまっちゃの演奏を見てきた君が言うなら、大丈夫だろう。」と安心していただけた様子。そうか、会場が大きいと言うのはこんな事もおきるのだな、と実感。
 

2部がはじまる。いつもながらグレートさんのローマンスのリコーダー演奏と松井さんソロは好評。ダンスの楽園も日本語の歌詞なのに、みんなとてもうれしそうに聴き入っている。私はと言えば三脚を構えた安心感から、舞台に完全に見入ってしまい、気がつくとカメラはソロを終えた多田さんを撮り続けていたりした。そして蛭子奏者を迎えてのハバナギラ。ニコニコとうれしそうなおじさん。梅津さんと同じ旋律を吹いているのだが、二人とも相手の2度上を取ろうとするので、メロディーはどんどん高くなっていく。そしておじさんの少しぺらんとした、味のある音がなんともいえない本場感を醸しだすのだ。そしてラストの曲アレブリダーに続きこの日もアンコールはチェブラーシカとワニのゲーナさんの歌。会場大合唱。とくにゲーナさんの歌はリコーダーの前奏に合わせて会場では合唱が始まっている。梅津さんのボーカルに続く間奏でもまったく同じ。観客の声はどんどん大きくなる。そして2番の歌詞を多田さんがロシア語で歌い始めるとどよめきそしてさらに広がる歌声。もう、なんともいえない気分で、私は涙ぐみながら舞台を、会場を撮り続けていた。暗くて映らないとわかっていても、会場内にカメラを向けずに入られなかった。

演奏が終わり帰っていく観客を撮り続ける私に、皆さんニコニコと微笑みかけてくれる。本当に楽しんでくれたのだなぁ。開演前のあの硬い表情のおばさまたちはどこに行ってしまったのだろう。一人、ちょっと寂しい表情のおばあさんが私にしきりに話しかけてくる。英語はもちろん通じないのだ。何か言いたいのだろう、聞き取って上げられない私にはお礼を言うしかできなかった。
ミキサーの人たちも本当にうれしそうに笑いながら片付けを始める。この日のミキサーのお兄さん、私にもとても優しく気を使ってくださっていたが、後から梅津さんと関島さんが舞台の上から伝えた要求をきちんと汲み取り調整をする、とても優秀な方だと絶賛していた。

この日は販売するCDの数が少なかったこともあり、開演前で完売。梅津さん、追加販売ができなかった事に後悔しきり。蛭子奏者と挨拶を交わし楽器を片付ける。みんなが楽器の片づけをしている間、私の仕事は明日の移動時用に水のペットボトルを集める事。妙に重いカバンを持って、車に乗り込む。そしてホテルに楽器を下ろし、打ち上げの会場へと向かった。

打ち上げの会場は例によって同じレストラン。ついてみると先ほどミキサー席のそばにいた方が数名その場にいらっしゃる。どうやら招待されてきていた関係者の方らしい。アルメニアから来たパーカッション奏者だ、と教えていただいた。奥様は若く、とても色っぽい。ご挨拶を交わし、お互いの席へ。気がつくと先ほどの会場から追いかけてきた、数名の若い方が写真を撮りたくて待っている。すごい、こまっちゃはロシアでも追っかけつきだ。

写真撮影を終え、今回は何を食べよう、と思っていたらいつもと違うメニューを渡された。ランチメニューとなっているが、お寿司のセットだ。まさかロシアでお寿司とは思っていなかったが、セットメニューのおもしろさにAからFくらいまであるセットを満遍なく頼んでみた。そしてセルゲイが持ち込んだ彼のお気に入りウォッカやビールで乾杯。この日の多田さんは朝からだるそうで、お酒は控えめ。気がつくとタバコもやめていた。張さんいわく「今日の多田のはかなげな声はなんともかわいかった。誰かに誘拐されたらどうしようか、と本気で心配した。力が抜けているのがいいのだよなー、たぶん。」とのこと。確かにとてもかわいらしかった。そうこうするうちに各自にお弁当箱に入った食事が到着。お味噌汁もレンゲ付きで振舞われた。お寿司は思ったよりもおいしい。セットによってはご飯でご飯を食べるような組み合わせになっているが、正統派のお寿司から、カリフォルニアロールのようなものまであり、さらに鶏のカラ揚げやてんぷらまで。どれをとってもとてもおいしいのだ。久々の日本食になんとなく胃もホッとした。


食事も終わり歓談していると、先ほどのアルメニアンパーカッション奏者が新井田さんのところへ。『今日の演奏は本当に素晴らしかった。君はとてもいいドラマーだ。どうだ?ここでちょっとやんないか?』と言うと新井田さんを誘って別のテーブルへ。そしてお箸をスティック代わりにテーブルを叩き始めた。最初は遠慮気味だった新井田さんも太鼓代わりにお弁当箱がセットされたあたりから、徐々に調子が上がってきた。その後はスティックも飛んでしまい、素手で机や周囲の柵や足踏みやら手拍子で大熱演。こんなにうれしそうな新井田さんを見たことは今までないかもしれない。長いセッションが終わって、盛大な拍手。その後もこの方は『My Brother』と語りかけながら、しばらく新井田さんとお話しをされていた。
  

セルゲイも酔っ払って突如「カズトキサーン」というなり、日本人ミュージシャンのことを熱く語り始めた。最終日なのだ、打ち上げなのだ、そして私はロシアでこうしてみんなと同じ場にいるのだなぁ、と思ったらまたしみじみとしてしまった。
 

夜もだいぶふけた頃にホテルへ。もう少し飲もうかなぁ、という新井田さんの言葉に甘えて、張さん・松井さん・関島さんとともに新井田さんのお部屋にお邪魔する。「昨日の夜寒かったんだよなぁ」と新井田さんがおっしゃるので、それならと隣の部屋のセルゲイに声をかけ、フロントから毛布を運んでもらった。そしてセルゲイを交え、再度宴会。しみじみと旅の思い出を語り合う。ふと見るとセルゲイの着ているTシャツに「DOM 家 Home」と書かれている。このとき初めて私たちはDOM(ドム)が家という意味の単語である事を知った。日本で読んでいた本ではドームと書いてあったので、もしやと思っていたが、確信はなかったのだ。DOM・家。暖かい場所。そのとおりの場所なのだな。アルコールがなくなったところでお開き。「明日は寝坊しないでね」の声に見送られて、就寝。
起きたのは遅かったけれど、長い一日だった。明日はふたたびモスクワへ。




10/30 ニジニー・ノヴドルド 会場:TYUZ シアター

一部
1. デルガズン・ニグン
2. オデッサ・ブルガリッシュ
3. 満月の華
4. JINTA
5. コンノートの靴磨き
6. ウェスタン・ピカロ
7. デル・シュトゥラー・ブルガー


二部
1. 月下の一群
2. うっちゃんた
3. バルカン・コチャック
4. グレートさんのローマンス
5. ダンスの楽園
6. ハバ・ナギラ
7. アレ・ブリダー

アンコール
・ チェブラーシカ
・ 誕生日の歌

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