馬内侍 うまのないし 生没年未詳(949頃-1011頃) 別称:中宮内侍

文徳源氏。源能有の玄孫。左馬権頭(または右馬頭)源時明の娘(尊卑分脈・中古三十六歌仙伝)。実父は時明の兄致明という。
はじめ斎宮女御徽子女王に仕え、円融天皇代、堀河中宮(藤原兼通女)に仕えたらしい。のち、選子内親王・東三条院詮子に仕え、一条院后定子の立后の際、掌侍となる。伊尹・道隆・実方道長公任など、多くの貴公子と交渉を持った。晩年、出家して宇治院に住む。
中古三十六歌仙女房三十六歌仙。梨壺の五歌仙。拾遺集初出。勅撰入集三十八首。家集『馬内侍集』がある。『大斎院前の御集』(『馬内侍歌日記』とも呼ばれた)にも多くの歌を載せる。

  1首  1首  1首  9首 哀傷 1首 計13首

かへる雁をよめる

とどまらぬ心ぞみえんかへる雁花のさかりを人にかたるな(後拾遺70)

【通釈】留まろうとしない無風流な心が知られてしまうだろう。帰って行く雁よ、花の盛りのことを故郷の人に語るなよ。

【補記】雁は秋になると日本列島に飛来し、翌春、桜の花が咲く頃に北方(シベリア・カムチャッカ半島方面)へ帰って行く。『馬内侍集』には詞書「衰へはてて宇治院に住むに、雁の声を聞きて」とある。晩年の作。人生にまつわる感慨を籠めているようにも聞える。

七月七日よみ侍りける

思ひやり(あま)の河原をながむればたえまがちなる雲ぞわたれる(玉葉471)

【通釈】二星の仲を思いやり、天の川の川原を眺めると、星空は絶え間がちに、雲が広がっている。

【補記】「思ひやり」と言うのは牽牛織女が無事逢えるかどうかを思いやったのであるが、一首全体を読めば、それと共に自分の恋人との間も思い巡らしているような風情が感じられてくるところがミソである。

題しらず

ねざめして誰かきくらん此のごろの木の葉にかかる夜半(よは)のしぐれを(千載402)

【通釈】夜中に目覚めて誰が聞くのだろう。この頃の季節の、木の葉に降りかかる夜の時雨の音を。

【補記】枯れて散り残っている木の葉にあたる時雨の寂しげな音に、自らの孤独を思う。

やむごとなき人の御ふみひとたびありて、またおとづれもなければ、五月つごもりころに

とぶ蛍まことの恋にあらねども光ゆゆしきゆふやみの空(馬内侍集)

【通釈】夕闇の空を飛ぶ蛍の火は、本当の恋の火ではありませんけれども、その光はやはり恐ろしいばかり美しく感じられます。あなた様の恋もまことの恋ではないと承知しておりますが、下さったお手紙は畏れ多くも有難く拝見しました。

【補記】「こひ」は「火」を含む。時節柄蛍の光に寄せて、ひとたび手紙をくれた高貴な人への思いを綴った。

つつむことありて文なども通はぬ程かきあつめておこせたる (二首)

いかなれば知らぬにおふる浮きぬなはくるしや心人しれずのみ(馬内侍集)

【通釈】一体どういうわけで、気づかない間に浮き蓴(ぬなわ)が生えていたのだろうか。その蓴菜を「繰る」ではないが、苦しいことだ、ずっと人知れず恋しているのは。

【語釈】◇つつむこと 謹慎すべき事情。◇知らぬにおふる 知らぬ間に(沼に)生えている。「知らぬ」のヌに沼(ぬ)を掛けている。◇浮きぬなは 水面に浮いている蓴菜(じゅんさい)。ここまでは「蓴を繰(く)る(手繰って採取する)」から「くるし」を導く序詞であると同時に、自分の気づかぬうちに芽生えていた恋情を暗喩している。

【補記】謹慎すべき事情があって、手紙をやり取りすることも出来なかった頃、恋人にまとめて贈った歌々より。

【他出】後拾遺集、定家八代抄、時代不同歌合、女房三十六人歌合

【主な派生歌】
かりの世をしらぬにおふる菖蒲草けふこそいとふねをばかけつれ(寂然)
みし人をしらぬにおふる白菅のしげるや恋のこころなるらむ(藤原公重)

 

我が恋にくらべてしがな雨ふれば庭のうたかた数をかぞへて(馬内侍集)

【通釈】あなたを恋しく思う時の多さと比べてみたいよ。雨が降ると出来る庭の水たまりの泡の数をかぞえて、どちらが多いかと。

【語釈】◇庭のうたかた 庭にできた水たまりの泡。次々に現れてははかなく消えてゆくもの。用例「雨ふれば庭にうかべるうたかたの久しからぬは我身なりけり」(赤染衛門[続古今])。

左大将朝光、誓言文(ちかごとふみ)を書きて、代りおこせよと責め侍りければ、つかはしける

ちはやぶる賀茂のやしろの神もきけ君わすれずは我もわすれじ(千載909)

【通釈】賀茂社の神も聞こし召せ。あなたが私を捨てないなら、私もあなたを捨てることは決してないだろう。

【補記】詞書に「左大将朝光」とあるのは、関白太政大臣兼通の息子、藤原朝光(951-995)。朝光が神仏への誓いごとを書いた文を愛人の馬内侍のもとに寄越し、誓詞を交換したいと責めたてるので、贈った歌。恋の成就はあなた次第だ、ということであろう。

左大将朝光、ひさしう音づれ侍らで、旅なる所に来あひて、枕のなければ草をむすびてしたるに

逢ふことはこれやかぎりの旅ならむ草の枕も霜枯れにけり(新古1209)

【通釈】あなたとお逢いすることも、これが最後となる旅でしょうか。草を結んだ枕が霜で枯れたように、心も離(か)れてしまったのでした。

【補記】これも朝光に贈った歌。久しく訪れのなかった朝光が、旅先にあった作者のもとにやって来て、草を枕に「した」と言うのである。

【参考歌】道命「新古今集」
別れ道はこれや限りの旅ならむ更にいくべき心地こそせね

【主な派生歌】
しのぶべきこれやかぎりの月ならむさだめなき世の袖の別れは(*藤原基家[続古今])

月を見て、ゐなかなる男をおもひいでて、つかはしける

こよひ君いかなる里の月を見て都にたれを思ひいづらむ(拾遺792)

【通釈】今宵あなたはどちらの里の月を眺めて、都の誰を思い出しているのでしょうか。

【語釈】◇ゐなかなる男 里へ下っている男。『玄々集』によれば但馬守高階明順のこと。

【補記】『馬内侍集』には「男」の返し歌が載る。
 宿毎に寝ぬ夜の月はながむれど共に見し夜の影はせざりき

【他出】「拾遺抄」「玄々集」「馬内侍集」「後十五番歌合」「後六々撰」

【主な派生歌】
こよひ君しでの山ぢの月をみてくものうへをやおもひいづらん(西行)
こよひ君みやこにたれとながむらんなれし名残は有明の月(藤原隆信)

十月ばかりまで来たりける人の、時雨し侍りければ、たたずみ侍りけるに

かきくもれしぐるとならば(かみ)な月心そらなる人やとまると(後拾遺938)

【通釈】神無月の空よ、いっそ掻き曇り、時雨模様になってくれ。そうすれば、心ここにあらずの人も私の家に留まってくれるかと思うので。

【補記】神な月は陰暦十月で、時雨の季節。この歌、後拾遺集は雑歌として載せる。第四句を「けしき空なる」とする本もある。

題しらず

くもでさへかき絶えにけるささがにの命をいまは何にかけまし(後拾遺769)

【通釈】巣さえも架けることが絶えた蜘蛛の命は、もはや何に繋ぎ止めればよいのでしょうか(あなたからの手紙さえ途絶えた今、我が命を何にかけて繋いだら良いのでしょうか)。

【語釈】◇くもで 蜘蛛の足のように八方に伸びているもの。ここでは蜘蛛の巣を言うか。「て」には手跡(手紙)の意を掛けている。◇かき絶え かき・絶え、共に蜘蛛の縁語。巣を架けなくなってしまった・手紙を書かなくなってしまった。◇ささがにの ささがには蜘蛛の異称。蜘蛛の巣を網(い)と言うことから、「命」の枕詞となる。

【補記】蜘蛛のふるまいから夫の訪問を予知した、衣通姫の歌「我が夫子が…」を踏まえている。訪ればかりか、手紙さえ絶えた恋に悲嘆する情。

忘れじと言ひ侍りける人のかれがれになりて、枕筥とりにおこせて侍りけるに

玉くしげ身はよそよそになりぬとも二人ちぎりしことな忘れそ(後拾遺923)

【通釈】この枕箱の身と蓋が離れ離れになるように、私たちが疎遠な仲になるとしても、二人で愛し合ったことは忘れないで下さい。

【語釈】◇枕筥(まくらばこ) 箱型の枕、または枕を入れる箱。◇玉くしげ 櫛などを入れた箱。ここでは枕筥のことで、「身」の枕詞にもなっている。◇身 蓋付きの容器の、物を入れる方。蓋の対語。◇二人 「ふた(蓋)」を掛ける。くしげ・身・蓋は縁語。

哀傷

斎宮女御の許にて、先帝のかかせたまへりけるさうしを見侍りて

たづねても跡はかくても水茎のゆくへもしらぬ昔なりけり(新古806)

【通釈】亡き人の筆の跡は、探し出せばこうして見ることができますが、水草の茎が川に流されてしまうように、昔のことはゆくえも知れなくなってしまいました。

【語釈】◇先帝 村上天皇◇さうし 歌文などを書いた紙を綴じ合わせたもの。◇水茎 筆・筆跡。ここでは(川に流される)水草の茎の意を掛けているか。


最終更新日:平成16年07月11日