スイス・ロマンド管弦楽団とアンセルメ

 一九一八年にエルネスト・アンセルメによって創設されたスイスロマンド管弦楽団は、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団とともにフル編成のオケとしてはスイスを代表する歴史と評価を得ているオーケストラであります。

 ディアギレフのロシア・バレエ団の指揮者としてその音楽人生のキャリアの最初を刻んだ、アンセルメは大変な大立者で、彼の創設したこのオーケストラを経て多くの指揮者を育て、多くの同時代の作曲家の音楽を世に紹介し、更に戦争や革命の為に亡命してきた音楽家たちに手を差しのべたのでした。

 彼の元から育って行った指揮者は、ベーター・マークアルミン・ジョルダンシャルル・デュトワといった現代スイスというよりも、世界的なスター指揮者となっています。
 またアンセルメが初演した音楽は、プロコフィエフの「道化師」をはじめ、ストラビンスキーの「兵士の物語」、サティの「バラード」などなど、二十世紀の音楽史において、すでに古典としての地位を確保した名作ばかりであります。
 更に、ロシア革命の騒乱から逃れて来たストラビンスキーに家を提供し、その創作活動を後押ししたのもアンセルメでありますし、ナチスを逃れて来たリパッティを保護し、ジュネーヴ音楽院に推薦し、演奏会を開かせたのも、その家を世話したのもアンセルメですし、さらに、ハスキルやアンダもそうでした。

 後にベルリン・フィルの名コンサート・マスターとして活躍したヴァイオリニストのミシェル・シュヴァルベがナチから逃れてきて、最初の職がスイス・ロマンド管のコンマスの仕事だったのです。

 その後、戦争が終わりに近づくと、(戦前から深い交流があった)フルトヴェングラーが、モントルー近郊のクラランにやって来ると、またその保護をし、本当にスイスのみならず、今世紀の音楽家がスイスに関わった時は、ほぼ確実に彼の世話になっていると言っても過言ではないのです。

 さて、そんなスイス楽壇の大立者のアンセルメが作ったのが、スイス・ロマンド管弦楽団であります。
 アンセルメはこのオーケストラを五〇年にわたって率いたのです。彼自身の理想とするオーケストラを目指したという点で、彼はこのオーケストラの専制君主でありました。そして、彼自身が支持していた当時の音楽、それはドビュッシーであり、ラヴェルであり、初期のストラビンスキーであり、オネゲルであり、マルタン等々であったのです。

 二十世紀の重要な作品の多くが、その中に含まれています。特に劇場音楽、バレエ音楽に対するセンスは、ロシア・バレエ団で培ったものなのかも知れませんが、他の追随を許さないものでありました。
 スイス・ロマンド管とのチャイコフスキーの三大バレエ音楽やストラビンスキーの三大バレエ音楽などは今も名盤として、評価できるものであります。

 中でもストラビンスキーの「兵士の物語」は、すでにベルリン・フィルのコンマスとなっていた、かつてのスイス・ロマンド管のコンマス、シュヴァルベをわざわざ呼び寄せての、こだわりの名盤と言えます。この録音についてあまり多く語られないのは不思議としか言いようがありません。曲がマイナーすぎるのでしょうかねぇ。

 更にドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲全集といったフランス近代の音楽に対するセンスの良さは、素晴らしいもので、響き、バランスに対するアンセルメの実に鋭い耳が、こういった複雑なオーケストレーションから鮮やかなサウンドを引き出しています。

 当然のことながら、サンサーンスやショーソンといった音楽もとても良い録音で、特にサンサーンスの交響曲第三番「オルガン」はベストセラーとなった名盤です。

 スイスの作曲家たちの録音では、オネゲルの交響的運動「機関車パシフィック231」が有名ですが、ジュネーヴの作曲家、マルタンの音楽もCD二枚分ステレオで録音されていて、マルタンのオーケストラ作品集としては、最高のものとなっています。

 ベートーヴェンやブラームスといった作品は、レコード会社の意向もあって、なかなか録音させてもらえなかったアンセルメとスイス・ロマンド管でありましたが、晩年、これらの全集が録音され、数年前に、限定盤ながら、日本でも再発されました。
 古典的というか、楷書でやられた演奏は、フルトヴェングラー等の演奏とは対極に位置するもので、恐らくは、ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管の演奏の先取り的な解釈で、アンセルメにとった解釈が時代を先取りしすぎていたとも言えるものでありました。

 こういった古典の録音としては、LP初期にモーツァルトの録音があったりして、決してスイス・ロマンド管にとって不慣れなレパートリーとは言えなかったはずですし、近くに住んでいた、シューリヒトが時折客演して、クーレンカンプやマイナルディといった大演奏家を従えてブラームスのドッペル・コンチェルトの素晴らしい演奏を残していたりしますし、ベーター・マークの初期の録音(デビューの頃ではないかと思いますが)のモーツァルトの二十九番の交響曲など、実に素晴らしい躍動感溢れる演奏が聞けます。

 このように、スイス・ロマンド管が、アンセルメの支配のもと、ドイツ音楽の本流の演奏を実に巧みに自らのものにしていったプロセスが見えてくると、スイス・ロマンドは近代物とロシア物というレッテルを貼ることがいかに馬鹿げたことがわかると思います。

 アンセルメとスイス・ロマンド管のメンバーによる、モーツァルトの「十三管の為のセレナード」を聞くと、このオーケストラの響きの基本は木管楽器だったんだと、理解できます。実に上手い管楽器奏者を揃えたものです。
 こういった奏者がいて、始めてああいったスイス・ロマンドの音が出来てくるのです。近代物は、弦の演奏能力も問いますが、それよりもずっと管楽器、特に木管の音色の多彩さによってオーケストレーションを施しています。
 ストラビンスキーの「春の祭典」などは、木管の扱いの巧妙さでは、音楽史の中で最も素晴らしい作品の一つです。ラヴェルのオーケストレーションの秘密もそこにありますし、アンセルメが得意にした、リムスキー=コルサコフの「シェラザード」などのオーケストレーションの特色の多くの部分は木管にありと言っても過言ではないと思います。

 そういった意味で、スイス・ロマンド管とアンセルメの録音の数々を、もう一度聞き直すとアンセルメが、こういった木管と弦の絶妙なバランスとそこから浮かび上がってくる目眩く音色感を、実に繊細に扱っていたことに気づき、その芸術的成果の高さに改めて思いを巡らせているところです。

 スイス・ロマンド管との最後の来日の折り、「日本の残響の乏しいホールでは、自分のオーケストラの良さが伝わらない。ぜひジュネーヴに来て、ヴィクトリア・ホールでスイスロマンド管の演奏を聞いてほしい」と、語っていたそうですが、このホールの響きの良さは、名ピアニストのバックハウスがわざわざベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全集をヴィクトリア・ホールで録音したことでもわかります。
 録音の調整室が無く、調理室を録音用に使うという、大変使いにくいホールにも関わらず、バックハウスがぜひにと使ったこのホールは、スイス・ロマンド管を育てた要因のひとつだったのでではないでしょうか?
 えっ?じゃあ他の要因は?…もちろん、アンセルメがいたからです!!