チューリッヒ・トーンハレ管のベートーヴェン交響曲全集 |
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チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団については前にも書きましたが、彼らのベートーヴェンの交響曲全集がやっと完結しました。 指揮はデイヴィッド・ジンマンで、アメリカの指揮者で、主にヨーロッパでキャリアを築いて来た逸材です。随分昔、アシュケナージのショパンのピアノ協奏曲第2番やバッハのピアノ(チェンバロ)協奏曲の共演での彼の指揮を聞いているのですが、その時は曲が曲だけに、なんという印象もないままに、過ごしてしまいました。 |
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しかし、今度出た、ベートーヴェンの交響曲の本格的な全集の完結に、彼の現在の進境著しい様子が聞くことができ、さらに、スイス大好き人間にとって、チューリッヒ・トーンハレ管の本格的なCD登場に、心から拍手を送りたい心境であります。 チューリッヒはチューリッヒ湖畔から流れ出すリマト川沿いに、ローマ時代には、関所が置かれ(現在のリンデンホーフの公園がその名残です)、中世にはドイツとイタリア、地中海との交易の拠点として発展し、更に近世において、国際金融都市として、発展してきた町であります。 イタリアからの文化とドイツ、ゲルマン文化との出会って出来たような所が、スイス的ですよね。 チューリッヒ・トーンハレ管の音色にはイタリアのオケのような歌への執着と響きの明るさ、軽快さが混ざっているように思えます。古楽器風の奏法での現代楽器による録音というのも、その特徴を助長していると思われますが、原典の最新の研究成果をふまえての演奏は、ベートーヴェンの指定のメトロノームの速さに近いテンポをとっているようで(今日でもベートーヴェンのメトロノームのテンポがあまりに速すぎるため、倍近いゆっくりとしたテンポを選ぶことが慣例となっている)、快調なテンポが更に、イタリア調の印象を強めています。 このようなテンポでアンサンブルが崩れないのは実際、驚異的なことであります。その爽快感はまた、スポーティーな爽快感とは似て非なるもので、実に豊かな音楽的感興を呼び起こすものとなっていることもまた、実に素晴らしいことであります。 同傾向の演奏にブリュッヒェンの指揮のものやガーディナーのものなどがありましたが、それらを凌駕する出来だと私は信じています。 ちなみにクーベリックの第九の一楽章が十六分四十九秒でジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管が十三分三十五秒、クーベリック盤の第二楽章は繰り返しなしで十一分五十七秒でありますが、全部繰り返したジンマン盤が十二分十一秒、クーベリック盤の第三楽章は十五分五十秒でジンマン盤が十一分三十一秒、終楽章はクーベリック盤が二十五分四十二秒に対してジンマン盤は二十一分四十秒と、総じてジンマンの演奏が圧倒的に速いのがよくわかる結果となっています。(クーベリック盤は一九八二年のライブ盤のタイムを参照) ゆったりとした楽章が特に速く、第五番「運命」の二楽章などはたった八分四十五秒で駆け抜けます。クーベリックがボストン交響楽団を振った全集の中の演奏では十一分二秒もかけているのにです。 「英雄」の葬送行進曲の楽章も十二分五十八秒という演奏時間ですが、フルトヴェングラーの一九四四年の歴史的名演では、十七分十七秒もかけているのですよ。クーベリック盤は更に十七分三十八秒と、ゆったりと葬送を行うのです。 第二番の交響曲などは序奏があまりゆったりしていないので、実に新鮮に音楽が流れていくのを聞くことができます。速い楽章も相対的には速いのですが、ただセカセカした演奏になっていないことは、特に強調しておきたいことです。 一番のシンフォニーの序奏でもそうですが、停滞感などというものはこの世に存在しないかの如く、実にさわやかに音楽が流れて行きます。主部に入ってのアクセントの利いた表情豊かな演奏に、この音楽が、バロックから古典の音楽に浸っていた耳には、相当センセーショナルに響いたであろうことは想像できます。 それほど新鮮で、切れば血がでるような、生き生きとした生命力に溢れた演奏なのであります。 これらの他に、原典版を使った新しい楽譜による演奏だということも特記すべきでしょう。 スイス・ロマンド管もインバルのリヒャルト・シュトラウスの録音で最近、聞くことがありましたが、スイスのオケといえば、スイス・ロマンドだけでないこと、チューリッヒ・トーンハレ管も同じくらい素晴らしいオケとして認識を新たにしたCDでありました。 いいですよ!! |
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