十一. 皇帝の誘惑
叔父さんがワード氏を書斎に迎えて二言三言挨拶をしている中に、もう陸軍士官が入って来て早速その閲歴談を始めました。これから彼の地獄生活に更に一大転換が起こりかける極めて肝要の箇所であります――
さて前回は吾輩が新領土を手に入れて王位に就いたところまでお話しましたが、実際やってみると王侯たるも又難いかなで、ただの一瞬間も気を緩めることが出来ない。間断なく警戒し、間断なく緊張していないと謀反がいつ何処から勃発せぬとも限らないのです。
早い話が地獄の王様は歯を剥いている一群の猟犬に追い詰められた獲物のようなもので、ちょっとでも隙間があれば忽ち跳びかかられる。我輩はあらん限りの残忍な手段を講じて、謀反人を脅かそうと努めたが、何を試みても相手を殺すことが出来ないのであるからいかんとも仕方がない。刑罰を厳重にすればする程ますます彼等の憎しみと怨みとを増大せしむるに過ぎない。
そうする中に皇帝から使者があって、吾輩の戦勝を祝すると同時に凱旋式への出席を請求して来た。これを拒絶すれば先方を怖れることになる。これに応ずればその不在に乗じて反逆者が決起する。何れにしても余り面白くはないが、兎も角も吾輩は後者の危険を冒して皇帝の招待に応じて度胸を見せてやることに決心した。
さて部下の精鋭に護られつつ、威勢よく先方に乗り込んでみると、先方もさるもの、極度に仰々しい準備を施して吾輩を歓迎した――少なくとも歓迎するらしい振りをした。儀式というのは無論例によりて例の通り、単に空疎なる真似事に過ぎない。楽隊はさっぱり調子の合わぬ騒音を奏する。街区を飾る旗や幟(のぼり)は汚れ切って且つビリビリに裂けている。吾輩の通路に撒かれた花は萎み切って悪臭が鼻を撲(う)つ。行列の先頭を飾る少女達までが、よくよく注意して観ると、その面上には残忍と邪淫との皺が深く深く刻まれていて嘔吐を催させる。
皇帝自身出迎えの行列と出会った上で、我々は連れ立って武術の大試合に臨んだ。それが終わると今度は宮城に行って、大饗宴の席に列したが、例によって空っぽの見掛け倒し、何もかも一切嘘で固めて、本当の事と云えばただ邪悪分子があるのみである。
「時に」と皇帝はおもむろに吾輩をかえり見て言った。
「王位を占むる苦労も中々大抵ではござるまいがナ・・・」
吾輩はからからと高く笑った。
「全くでございますが、しかし陛下のお膝元に居るよりは気が休まります」
「そうかも知れん――が、間断なく警戒のし続けでは、中々大儀なことであろう。その点に於いては余とても同様じゃ。で、その気晴らしの為に余は時々地上に出かけてまいることにしておる。ここで目まぐるしい生活を送った後で地上へ出張するのは中々いい保養になる・・・」
これを聞いて吾輩の好奇心はむらむらと動き出した。
「地上へ出張と仰られますが、どうしてそんなことが出来るのでございます。一旦幽体を失った以上それは難しいかと存じますが・・・」
「まだ若い若い・・・」と彼は叫んだ。「モちと勉強せんといかんナ! ――しかし御身が現在までこれしきの事を知らずにいたとは寧ろ意外じゃよ・・・」
彼は暫く吾輩の顔を意味ありげに見つめたが、やがて言葉を続けた――
「どんな地獄の霊魂でも、若しも地上の人間と連絡を取ることさえ工夫すれば暫時の間位は仮の幽体を造るのはいと容易いことなのじゃ。上手く行けば物質的の肉体でも造れぬことはない。人間界でこちらと取引を結んでいるのは男ならば魔法使い、女ならば先ず巫女と云った連中じゃが、無論彼等に憑るのは大抵は妖精の類で、本当の地獄の悪魔が憑るようなことは滅多にない――もっとも我々が魔術者と取引関係をつけるには余程警戒はせねばならぬ。魔術者などという者は皆意思の強い奴ばかりで、うっかりするとソイツの為に絶対服従を命ぜられる」
「どうして彼等にそんな威力があるのでございます?」
「我々が部下に号令をかけるのと別に変わることはない。つまりただ意思の力によるのじゃ。で、下らぬ弱虫の霊魂は訳なく魔術者の奴隷にされる――もっとも我々のように鉄石の意思を有している者は、アベコベにその魔術者を支配して自己の奴隷にしてしまうことも出来んではない。そうなると実にしめたものじゃ・・・」
そう言って彼はツと身を起こし、
「それはそうとこれから一緒に芝居でも見物することにしようではないか?」
それっきり皇帝は魔術の件に関してはただの一言も触れなかった。しかし彼がそれまでに述べただけで吾輩の胸に強烈なる印象を与えるには充分であった。
「不思議なことが出来るものだナ! 自分も一つやってみようかしら・・・」
吾輩はこんな考えに捕えられるようになってしまった。
当時吾輩が何故この仕事の裏面に潜める危険に気が付かなかったのかは自分にも時々不思議に感ぜられることがある。皇帝がこの問題を提出したのは我輩を危地に陥れようという魂胆に相違ないのであるが、その胸底の秘密を吾輩に悟らせなかったのは矢張り先方が役者が一枚上なのかも知れない。
勿論当時の吾輩とて皇帝に好意があろうとは少しも考えてはしなかった。
「こいつァ人を地上に追い払っておいて、その不在中に謀反人の出るのを待つ計略だナ」
そこまでのことは察した。しかし吾輩は強いてそれを問題にしなかった。
「謀反人が出たら出たでいい。戻って来て叩き潰すまでのことだ・・・」
そう考えた――ところが、皇帝の方では確かにモ一つその奥まで考えていた――吾輩が地上へ降って悪事を行なえば、その罪の為にもう一段地獄の奥へ押し込められ、刃に血塗らずして楽に厄介払いが出来る・・・。
さすがの吾輩もそこまで洞察する智恵がなく、保養もしたいし、地上も懐かしいし、新しい経験も積みたいしと云った風で、とうとう地上訪問の覚悟を決めてしまった。
間もなく吾輩は自分の領地に戻ったが、果たして予期した通り、国内は内乱の進行中で、一部の謀反者がダントンを牢から引き出して王位に担ぎ上げていた。吾輩がさっさとそんな者を片付けて、一味徒党を再び監獄にぶち込んでしまったことは云うまでもない。吾輩の地上訪問はそれからの話である。
十二. 魔術者と提携
陸軍士官の告白はここに至りてますます深刻味を加えてまいります。魔術に関する裏面の消息が手に取るように漏らされて、心霊問題に携わる者の為にこよなき参考の資料を供してくれます――
それから吾輩は直ちに生前魔法使いであった者を物色し始めた。自分の領土内にも案外そんな手合いが沢山居ることは居たが、大概はちょっと魔法の一端をかじった位の者ばかりで、所謂魔法使いの大家であった者は地獄のもっと深い所へ墜とされているのであった。
が、散々探し回った後で、やっとのことで一人、かつて魔道の大家の弟子であったというのを見つけ出した。そいつは、実地の経験は少しもないが、ただ魔道の秘伝だけは生前その師匠から教わっていた。そして地上の魔術者と連絡を取る方法なるものを吾輩に伝授した。
その方法というのはつまり一つの呪文を唱えることである。地上の魔術者が唱える呪文と霊界で唱える呪文とがぴったり合うと、そこに一つの交流作用が起こって感応が出来る・・・。秘伝は単にそれだけで、やってみれば案外易しいものであった。
兎も角も吾輩が、そうして連絡を取ることになった。魔術者というのは一人のドイツ人で、プラーグの市端に住んで居る者であった。そいつは中々の魔術狂で、既に死者の霊魂――勿論幽界のヤクザ霊魂ではあるが、そんな者を呼び出す方法を心得ており、又少しは妖精類とも連絡を取っていた。が、それでは段々食い足りなくなって、近頃は本物の地獄の悪魔を呼び出しにかかっていた。待ってましたと言わんばかりに早速それに応じたのが吾輩であった。
さて例の呪文と呪文との流れの中に歩み入り、こちらの念を先方の念に結び付けてみると、不思議不思議! 自分は無限の空間を通じて地上に引っ張られるような気がして、忽然として右のドイツ人の面前に出たのであった。
神秘学研究者――そう右のドイツ人は自称しているが、成る程不思議な真似をしている男には相違なかった。先ず輪を作って自分がその中央に立つ。輪の内面には三角を二つ組み合わせて作った六角の星型がある。その周囲には五角形やらその他色々の秘密の符号が描いてある。室内の火鉢からは何やらの香料の煙が濛々と舞い上がる。
室そのものが又真っ暗で、四方の壁も床も石で畳んであるところから察すれば確かに一の穴蔵らしかった。壁に沿いてはミイラも容れた木箱やらその他二、三品並べられてあった。
吾輩の方からは先方の様子がよく見えたが、先方はまだ吾輩の来ていることに気がつかぬと見えてしきりに呪文を唱え続けた。吾輩は成るべく早く先方が気のつくようにと意念を込めた。
ふと気がついてみると、輪の外側には、少し離れて一人の婦人が恍惚状態に入っていた。
「ははァ」と吾輩は早速勘付いた。「我々はこの女の肉体から材料を抽き出して幽体を製造するのだナ」
吾輩は直ちに右の婦人に接近して幽体製造に着手すると同時に、ますます念力を込めて姿を見せることに努めた。間もなく魔術者は吾輩を認めた。吾輩の姿はまだ普通の肉眼に映ずるほど濃厚ではないのであるが、先方がいくらか霊視能力を有していたのである。
みるみる魔術者はさッと顔色を変えて恐怖の余り暫くはガタガタ震えていたが、やがて覚悟を決めたらしく、きッと身構えして叫んだ。
「命令じゃ、もっと近寄れ!」
「大きく出やがったナ」と吾輩が答えた。「吾輩は何人の命令も受けぬ。頼みたいことがあるならそれ相当の礼物を出すがいい」
吾輩の返答には奴さん少なからず面食らった。悪魔を呼び出すのには、古来紋切り型の台詞があって余程芝居気たっぷりに出来上がっている。ところが吾輩はそんな法則などを眼中に置いていないのだから、相手がマゴつくのも全く無理はない。
暫く躊躇した後で彼は再び言った――
「然らば汝の要求する礼物とは何物なるか?」
相変わらず堅苦しいことを言う。こんな場合に普通の応答としては「汝の魂を申し受ける」とか何とか言うのであろうが、吾輩別に魔術者の魂など欲しくも何ともない。さてそれなら何と返答をしようかと今度は吾輩の方で躊躇したが、漸く考え出して叫んだ――
「それならお前の方で何を寄越すか?」
「余の魂をつかわす」と早速の返答。
それを聞いて吾輩は嘲笑った――
「お前の腐った魂などを貰ったところで仕方がない。吾輩はモちと実用向きの品物が欲しい」
「然らば」と彼は一考して「汝に人間の体を与えてつかわす。それなら便利であろうが・・・」
「そんな芸当が出来るかね? 吾輩は幽体さえ有してはいない・・・」
「苦しうない。先ず汝に一個の幽体を造ってつかわす。幽体を造っておいて、次に肉体を占領するのが順序じゃ」
「そいつァ豪儀だ! 是非一つやってくれ・・・」
魔術者の言葉は決して嘘ではなかった。さすがに神秘学の研究者と名乗るだけあって、彼は中身なしの幽体の殻だの、稀薄に出来上がった妖精だのを沢山引き寄せる力量を持っていた。で、吾輩はそれ等の中から然るべき妖精を一匹選り出して吾輩の元の姿に造り替えた。それから今度は霊媒に近付き、魔術者からも手伝ってもらって、本物の物質的肉体を製造することに成功した。
吾輩は思わず歓呼の声を挙げた。一旦地獄へ落ちた身でありながら、も一度肉体を持って地上に出現することが出来たのであるから嬉しくて堪らない筈だ。
「ドーかね君、人間らしく見えるかね?」右顧左眄しながら叫んだ。
「ああ中々立派な風采じゃ!」
「外出しても差し支えないものかしら・・・」
「さァそいつは受け合われないが、兎も角も出掛けてみるがよかろう」
そこで吾輩は石段を昇って晴天白日の娑婆に出てみた――が、その結果は不思議であると同時に又頗(すこぶ)る不愉快でもあった。吾輩の体はゾロゾロと溶けて行くのである。
「ウワーッ! 大変大変!、 助け舟・・・」
急いで穴蔵に駆け込んで行って物質化のやり直しをする始末!
「君」と吾輩が言った。
「太陽の光線に当たってヘロヘロと溶けるような体は有り難くないナ。モちと何ぞマシなものを造ってくれんか?」
「仕方がなかったら」と彼は囁いた。「生きている人間に憑依することじゃ。それなら溶ける心配はない――この人造の体じゃとて、気をつけて暗闇の中ばかり歩いておればちっとも溶ける心配はないのじゃが・・・」
こんな按配で吾輩はこの魔術者とグルになってますます悪事を企むことになった。
十三. 自らが作る罪(上・中・下)
●自らが作る罪 上
吾輩とグルになった魔術者の一番好きなものは(と陸軍士官が語り続けた)一に黄金、二に権力、三に復讐――この三つが彼の生命なのである。さればと云って女色なども余り嫌いな方でもない。彼の手元にはいつも十余人の女の霊媒が飼ってある。そいつ達は彼に対して悉く絶対服従、魂と同時に肉をも捧げる。
吾輩はこの男の為には随分金儲けの手伝いもしてやった。仕掛けは極めて簡単である。我々は平気で金庫でも何でも潜り抜けることが出来る。それから内部の金貨を一旦ガス体に変えて安全地帯に持ち出しておいて更に元の金貨に戻すのである。しかしこの仕事は優しいようにみえて中々強大なる意思の力を要する。下拙な霊魂にはちょっと出来る芸でない。もっと易しいのは睡眠中の誰かを狙ってそいつの体の中に潜り込み、所謂夢遊病者にしておいて、ウンと金貨を持たせて都合の良い場所へ引っ張り出すことである。無論そいつは夢中でやっている仕事だから、翌朝眼を覚ました時に、前夜の記憶などはさっぱり持っていない。
そりゃ成る程この仕事にも時々失策はある。夢遊病者が追跡されて捕縛されたことは一度や二度に留まらない。無論そいつ達は窃盗罪に問われる――が、魔術者の方では呑気なものだ。誰も窃盗の御本尊がこんな所にあろうとは疑う者がありはしない。いわんや肉体のない我々ときては尚更平気なもので、仕事が済んだ時にただ先方の体から脱け出しさえすればそれでよい。そうすると当人の霊魂がその後へノコノコ入って来て、窃盗罪の責任を引き受けてくれる。
金儲けの為に働いたと同様に、吾輩は復讐の為にも随分働いてやったものだ。あの魔術者は一切の宗教が大嫌いで、機会さえあれば僧侶に対して復讐手段を講じようとする。
初めの中は格別念入りの悪戯もやらなかった。魔術者の手先に使われている奴は皆妖精の類でそいつ達の得意の仕事は室内の椅子を投げるとか、陶器類をぶち砕くとか、眠っている人の鼻をつまむとか大概それ位のものにすぎない。ところが、その中次第次第に魔術者の注文が悪性を帯びて来て、相手の男を梯子段から突き落とさせたり、又その家に放火をさせたりするようになった。
仕事があんまり無理になって来ると、妖精共の大半は御免を蒙(こうむ)って皆逃げてしまい、多年彼の配下に使われていた亡霊までが大人しく彼の命令に従わなくなった。もっともそいつ達は、公然反抗すれば魔術者から酷い目に遭わされるので、滅多に口には出さない。ただ不精無精に仕事をやるまでのことであった――ナニその魔術者がどんな方法で亡霊虐めをやるのかと仰るのですか? それは例の意思の力です。強い意思で亡霊達に催眠術をかけてやるのです。大概亡霊という奴は意思の薄弱な輩で、そいつ達を虐めるのは甚だ易しい。主人の魔術者から一目置かれているのは先ず吾輩位のもので、吾輩はアベコベに魔術者の牛耳を執る位にしていました。その代わり働き振りも又同日の談でない・・・。
それはそうと吾輩主人の為に働くと同時に又自分の利益を図ることも決して忘れはしなかった。自分の体を物質化して生きている時と同様に酒色その他の欲望を満足させる位は朝飯前の仕事で、そんな時の穴蔵の内部の光景と云ったら真に百鬼夜行の観があった。魔術者の使っている十人余りの女霊媒の外に、物質化せる幽霊が又十人余りもいる。そいつ等が人間並みに立ったり、座ったり、話をしたり、笑ってみたり、歌を唄ったり、又舞踏までもやらかす。とどのつまりが筆や口にはとても述べ難き狂態のあらん限りを尽くす・・・。
が、そうする中にも吾輩の幽体は間断なく補充して行く必要があった。元来が自分のものでなく、ホンの一時的の借り物なので、いかにも品質が脆弱で分解し易くてしようがない。おまけに悪事ばかり働いているから一層弱り方が激しい。いくら人間に憑依して補充してみてもそんなことでは中々追いつかない。これには吾輩もほどほど困ってしまった。
●自らが作る罪 中
その中吾輩は魔術者からある一人の男を殺してくれという注文を受けた。何でもそいつがこちらのしている仕事を感づいたので、生かしてはおけないことになったのだそうな。
「宜しい、引き受けた・・・」
吾輩は二つ返事でこれに応じた。そんな際に於ける吾輩のやり口は大抵いつも相場が決まっている。午前一時か二時かという熟睡時刻を見計らい、枕元に立って一心不乱に意念を込めるのである。
――すると吾輩の幽体が赤黒い光を放ちつつ朦朧と現れる。
更に一層念力を凝らすと、あっちにもこっちにも色々様々の妖怪変化がニョキニョキ現れて、
「この外道をやっつけろ!」
「こんな奴は八つ裂きにしてやれ!」
などと勝手次第な凄文句を喚き立てながら、間断なく凄まじい威勢で跳びかかって行く・・・。無論それは一の脅かしに過ぎない。何ぞ余程の手掛かりでもなければ、肉体のない者が容易に人体に傷をつけることは出来るものでない。けれども先方ではそんなことを知らないから本当に生命でも奪われるかと思って七転八倒する。
その弱味につけ込んで吾輩は声高く叫ぶ。
「己アンナを忘れたか? アンナの怨みを思い知れ! 我々はアンナから頼まれて汝を地獄へ連れに来たのだ!」
無論吾輩はアンナから頼まれたのでも何でもなく、又その女が果たして地獄に墜ちているかどうかも知ってはいないのである。が、聴く方の身になってみると気味は悪いに相違ない。
「許してくれっ!」と相手は悲鳴をあげる。
「こんなに年数が経っているのにまだ罪障が消えずにいるとはあんまり酷い・・・あんまり執念が深過ぎる・・・」
こちらは益々調子に乗って囃(はや)し立てる――
「アンナが呼んでいる! アンナが待っている! お早くおじゃれ! 急いでお出で!」
そう言って何回となく襲い掛かる。眠る暇などは一瞬間も与えない。翌晩もその通り、翌々晩も又同じ事――おまけに時々耳元に口を寄せてこんな脅かしを試みる――
「コラ! いい加減に死んだ方がましだ! 早く自殺せんか! 貴様の救わるる見込みは全くない! うっかりすると気が狂うぞ! 気が狂うよりか潔く自殺してしまえ! 自殺するついでに誰か二、三人殺して冥土の道連れを作れ! 折角だから忠告する・・・」
御親切な忠告もあればあったもので、これでは誰だって堪りっこはない。
「アンナアンナ! 許してくれ!」先方は呻吟する。
「俺は若気のあまりあんな真似をしたのだが全く済まなかった。堪忍しておくれ・・・」
この機を狙って一人の幽霊は早速アンナの姿に化けてベッドの裾にニューッと現れ、怨みの数々を並べ立てる。とうとう男はヤケクソになってベッドから跳び下り、鏡台の剃刀を取るより早くブツリと喉笛を掻き切ってしまう。
主人の魔術者が吾輩の大成功を見て歓んだことは一通りでない。この勢いに乗じて、もう一人、日頃憎める若年の僧をやっつけてしまおうということになった。右の僧は彼が悪魔とグルになって悪事を働いていることを看取し、公然攻撃を開始したので、我々の方から云えば当然容赦し難き代物なのである。
我々は早速彼に付き纏い、手を変え品を変えて悩ましにかかったが、先方が道心堅固なのでどうしても格別の損害を与えることが出来ない。百計尽きて吾輩は情事仕掛けで相手をひっかけてやる計画を立てた。村で一番の器量よしの少女――吾輩はそいつに憑依して、僧に対してぞっこん惚れさせることにした。彼女は何週間かに亙りて僧の後を付け回し、最後に懺悔にかこつけて僧の前に跪いて思いの丈を打ち明けた。ところが、この道にかけても案外堅い僧侶で、女の申し込みを素気無く拒否してしまった。女の方で悔し紛れに、今度は僧に対して盛んに悪評を触れ回した。
この機に乗じて我々は夜な夜な僧を襲撃し、彼の耳元で盛んにこんな嫌がらせを囁いた。「コラッ! 偽宗教の偽信者! 今に見ろ、汝の化けの皮は剥がれるぞ。汝の恥は明るみに曝け出されるぞ。それが厭(いや)なら早く自殺せい! 汝のような売僧は自殺するに限る!」
が、いかに罵ってみても彼は純潔な生活を送りつつある立派な僧で、従って我々の呪詛の言葉を聞いてもさっぱり驚かない。我々が数週間に亙りてこんなことを続けている中に、先方ではとうとう気がついてしまった。
「ああ読めた! 汝達はかの魔術者の手先に使われている悪霊共じゃな。よしよし私が今より魔術者を訪問して戒告を与えてやる・・・」
年若き層は手に十字架を携えて敢然として魔術者の住居に向かった。折りしも真っ暗な晩で、冷たい雨がポツリポツリと彼の面を打ち、時々稲光がしてゴロゴロと物凄い雷鳴が聞こえた。
吾輩は勿論僧の後に付き纏い、一生懸命彼の耳元で脅かし文句を並べた。
「汝、偽善者、見よ神は怒りて汝を滅ぼすべく電火を頭上に注ぎつつあるではないか! 見よ空は黒ずんで汝の呪はれたる運命を睨みつめているではないか! 死ね! 死んで地獄へ行け!」
しかし年若き層はビクともせず、ひたすら道を急いで魔術者の住居に辿り着き、コツコツと扉を叩いて案内を求めた。扉は内部から開かれたが、しかし暗い廊下には誰も居ない。彼は構わず奥へ進んで、第一室の扉を開きにかかったが錠が下りている。第二室も又そうであった。我々霊魂が先回りをしてこんなイタズラを試みていたのである。が、最後の室の扉だけはワザと錠を下ろしてない。
僧はそれを開けて内部に入ると魔術者は薄暗い燈火をつけて彼の来るのを待っていた。年若き層は居丈高になって室の中央に突き立ちながら言葉鋭く魔術者を面罵した――が、魔術者の方ではフンともスンとも一言も発せず、ただジッと相手の顔を睨めつけていると、次第次第に僧の言葉は途切れがちになり、何やら物に襲われそうな面持ちをして、締まりのない格好をしてボンヤリ其処に立ち竦(すく)んでしまった。
●自らが作る罪 下
俄然として魔術者が口を開いた――
「この馬鹿者! 何だってここへ来やがった? 汝はこれでいよいよ滅亡じゃ!」
そう言って何やら呪いの文句を唱えた。同時に我々悪霊が寄ってたかってこの憐れな僧に武者振りついた。
再び魔術者が叫んだ――
「明日こそいよいよ汝の罪悪の広く世間に暴かれる日じゃ! 俺の配下に二人の婦女がいる。そいつ達が、汝と出来合って、ここを密会の場所にしていたと、そう世間に自首して出る――今度こそいよいよ汝の急所を押さえた。いよいよもう逃げ道はない。生意気にも汝は俺の神聖な仕事にケチをつけ、悪魔と交通している、などと世間に言い触らした。不埒者めがッ!」
僧は血涙を絞って叫んだ――
「嘘だ嘘だ! そんな事は真っ赤な嘘だ! 拙者は何らの罪悪も犯さない。拙者は冤罪を社会に訴え併せて汝が悪魔と取引していることを公然社会に発表してやる」
「フフフフフどこにそんな戯言を信ずる馬鹿者があるものか! コレ大将もう駄目じゃ駄目じゃ! 余りじたばたせずに大人しく往生したがよかろう」
散々嘲りながら何やら重い物を僧に叩き付けたので、僧は気絶して床の上に倒れた。
「まだ殺すのは早過ぎますぜ!」と吾輩は魔術者を制止した。
「すっかり世間の信用を墜さしてからがいいです・・・」
「ナニ殺しはせぬ。こうしておいてこいつの体につけている品物を二つ三つ奪ってやるまでのことじゃ。先ず髪の毛が二、三本、それにハンカチ、時計の鎖にブラ下げている印形・・・。そんな品物を二人の婦女に渡しておけば色情関係のあったよい証拠物件になる」
「それよりは」と吾輩が入り知恵した。「この坊主と女とを実際に引っ付けてやりましょう」
「成る程そいつァ妙じゃ!」
魔術者は大喜びで吾輩の提議に賛成した――が、その瞬間にパッと満室に注ぎ入る光の洪水で何もかもオジャンになってしまった。イヤその光の熱さと言ったら肉を溶かし、骨を焦がし、いかなるものでも突き透さずにはおかない。後で判ったが、この光は僧を守護する大天使から発するところの霊光なのであった。
いつの間にやら天使は現場に近付いて、威容厳然、ラッパに似たる朗々たる声でこう述べるのが聞かれた――
「神は抵抗の力を失える人間が悪魔の誘惑にかかるのを黙認している訳には行かぬ。これまで汝をして勝手にこの人物を苦しめさせたのは彼に対する一の試練であったのじゃ。彼をして首尾よくその誘惑に打ち勝たせん為の深き情けの神の鞭であったのじゃ。されど汝の悪事もいよいよ今日きりじゃ。汝の不義不正はその頂点に達した。即刻地獄の奥深く沈め! 同時に地獄から逃れ出でたる汝悪霊、汝も又地獄に戻れ! 汝が前に墜され居たる所よりも更に一段の深さまで・・・」
そう述べる間もなく火焔は吾輩の体を焼きに焼いた。魔術者も又一とたまりもなく死んで倒れた。彼の霊魂は迅速にその肉体から分離し、そしてその幽体は烈々たる聖火の為に一瞬にして消散し去り、赤裸々の霊魂のみが一声の悲鳴を名残に、何処ともなく飛び去ってしまった。同時に吾輩も又無限の空間を通して下へ下へと計り知られぬ暗闇の裡に転落したのであった。
最後にやっとある地点に留まり着いたが、それは吾輩のかつて君臨せる王国でもなければ又かの憎悪の大都市でもないのであった。そんな所よりはもっともっと下方、殆ど地獄の最下層に達していた――が、其処でどんな目に遭ったかという話は何れ又機会を見てお話しましょう――
ワード氏はその時質問を発しました――
「ちょっとお訊ねしますが、あなたが地上に出て来る時に体の色が赤黒かったというのはありァ一体どういう訳でございます?」
「それは多分」と叔父さんが傍から言葉を出しました。「霊衣の色が赤黒かったのじゃろう。お前も知っとる通り霊衣というものはその時の感情次第で色が色々に変わる。赤黒いのは言うまでもなく憎悪の色じゃ」
「それはそうと陸軍士官さん、あなたのお話は先へ進めば進むにつれて段々途方途徹もないものになってまいりますナ」とワード氏が重ねて言いました。
「なかんずく今回の魔術者の物語ときてはいかにも飛び離れていますから、果たして世人がこれを聞いても信用するでしょうか? 近頃魔術などというものはまるで廃れてしまっていますから、恐らくこんな話を真面目に受け取る者はないでしょうな・・・」
「イヤ世人が信用するかせんかは吾輩少しも頓着せん」と陸軍士官が答えました。「吾輩の物語は一から十まで皆事実談じゃ。この話をしておかんと吾輩次の物語に移る訳にいかん。吾輩がこの魔術者とグルになったればこそあんな地獄の最下層まで落ち込むことになったので・・・」
「そうじゃとも」と叔父さんが再び言葉を挟みました。「世間の思惑を心配して事実を曲げることは面白うない――しかし今日は時間が来た。お前は早う地上へ戻るがよい・・・」
次の瞬間にワード氏は意識を失ってしまいました。
十四. 真の悪魔
これは1914年5月18日の霊夢で現れた実録です。いよいよ地獄のドン底生活の描写が始まります――
さて自分の居所が大体見当がつくと同時に吾輩は早速その辺をあちこちぶらついてみたが、イヤ驚き入ったことには、今度の境涯は以前の境涯よりも更に一段と品質が落ちる。闇の濃度が一層強く、そして一望ガランとして人っ子一人見当たらない。
が、だんだん歩き回っている中に、忽ち耳を劈(つんざ)くものは何とも形容の出来ない絶望の喚き声である。オヤ! と驚いていると忽ち闇の裡から一団の亡者共が疾風の如く駆け出して来た。そしてその直ぐ後から遮二無二追いかけて来たのが一群の本物の悪魔・・・。
悪魔にも本物と偽物とある。幽界辺でおりおり邂逅(かいこう)したのはありァ悪魔の影法師で決して本物ではない。即ち悪魔を信ずる者の想像で形成される、ただ形態だけのものである。ところが、地獄の底で出くわす悪魔と来ては、正真正銘まがいなしの悪魔で、幽界辺りのお手柔らかな代物ではない。想像から生み出された悪魔には蝙蝠(こうもり)の翼だの、裂けた蹄(ひづめ)だの、角の生えた頭だのがつきものであるが、地獄の悪魔にはそんなものはない。彼等は人間の霊魂ではなく、とても想像だも及ばない恐ろしい族、つまり一種の鬼なのである。
彼等は手に手に鞭のようなものを打ち振りながら人間の霊魂の群を自分達の前に追い立て追い立て行く。
「こらッ往生したか!」鞭で打ってはそう罵るのである。「本当の神というのは俺達より外にはない。汝達が平前神と唱えているのはただ汝等の頭脳の滓(かす)から出来た代物だ・・・」
そんなことを叫びつつ、段々こちらへ近付いて来て、鬼の一人が忽ちピシャリ! と吾輩の顔を殴りやがった。吾輩もかねて地獄のやりッ振りには慣れているので、早速ソイツに武者振りついてみた。が、どういうものか今度はさっぱり力が出ない。幾ら気張ってみても、ただ目茶目茶に殴られるばかり、さすがの吾輩も今度ばかりは往生させられてしまった。忌々しいやら口惜しいやらで胸の中は張り裂けそうだがいかんとも致し方がない。もがきながら地面にぶっ倒れると、今度は誰かが錐(きり)のようなものを吾輩の体に突き通すので思わず悲鳴をあげて夢中に跳び起きる。イヤその苦しさ! とうとう吾輩も他の亡者共と一緒に、何処をあてともなく一生懸命駆け出すことになってしまった。
これからが真の恐怖時代の始まりであった。先へ先へと我々は闇の空間を通して駆り立てられ、ただの一歩もただの一瞬間も停まることを許されない。終いには『自我』が体の内部から叩き出されるような気持がした。無論我々は逃げるのに忙しくてお互い同志言葉を聞くことも出来ない。躓く、倒れる、起きる、走る――ただそれだけである。仲間は男もあれば女もある。大抵は衣服を着ているが、どうかすると素っ裸のもある。衣服はあらゆる時代、あらゆる国土のもので、ただの一枚としてボロボロに引き千切れていないのはない。
我々は陰々たる空気を通してお互い同志の顔位は認めることが出来たが、しかし我々の通過する地方がどんな所であるかはさっぱり見当が取れない。ただ一途に鬼共の鞭から逃れたいと思うばかりで、無我夢中で闇から闇へと潜り入る。
我々の背後からは鬼共の凄文句が間断なく聞こえて来る――
「どうだい。これでもかい! これでもかい! 呵責は重く褒美は軽い。走れ走れ永久に! 汝達の前途は暗闇だ。汝達は永久に救われない。汝達の犯した罪は何時まで経っても許されない。汝達は神を拝まずして悪魔を拝んだ不届き者だ!
イヤイヤこの世に神は無い。神があるなどとは人間の拵(こしら)え上げた真っ赤な嘘だ。悪があるから善がある。悪が根元で善は影だ。この世に善人などは一人もない。キリストの話は神話に過ぎない。本当にあるものは我々ばかりだ。もがけ! 泣け! 諦めろ! 汝達の幸福の日はもう過ぎた。死後の生命などは汝達の為にはない方がよかった。地上に於いて我々は汝達に仕えた。汝達は今後我々に仕えるべき順番だ・・・」
こんな種類の悪罵嘲笑が間断なく我々の耳に聞こえて来る。無論彼等の述べるところは大抵は嘘で、言わば我々をがっかりさせる為の出鱈目に過ぎない。しかしその言葉の中には極小量の真理も含まれているので人を惑わせる魅力は充分にある。
これまでの吾輩は一目で先方の胸中を立派に洞察する力量を有していたものだが、どういうものか今度の境涯へ来てからはさっぱりそれが出来なくなってしまった。付近にいるのは何れも意思の強烈な奴ばかりで、自分の思想を堅固な城壁で囲んであるので、いかに気張ってみてもそれを透視することが出来ない。
とうとう吾輩は鬼の一人に向かって叫んだ――
「何時までもこう追われてばかりいてはとてもやり切れない。追われる代わりに追いかける役目にはなれないものかなァ?」
「訳はないさ」と彼は吾輩の顔をピシャリと叩きながら叫んだ。「もう一つ上の境涯へ行って百人の霊魂をここまで引き摺って来ることが出来さえすれば、その功労で直ぐにその役目になれる。こんな容易な仕事はない。引っ張って来た奴等には皆悪魔を拝ませる・・・」
「でも、どうして上の境涯へ行けるだろう?」
「俺達の方で案内してやるよ。が、向こうへ行ったからとて到底俺達の手から逃げられはしないぞ。ただ俺達の仕事の下働きをやるだけだぞ・・・」
とうとう吾輩は悪魔に弟子入りをすることになってしまった。
十五. 眷族(けんぞく)募集
で、他の霊魂共が、永遠に終わることなき追撃を受けつつある間に、吾輩のみただ一人後に残ることを赦されたのである。
吾輩の道案内に選び出された鬼というのは吾輩などよりずっと身長が高く、闇の中から生まれたらしいドス黒い体を有していた。が、そいつはものの二分と決して同一格好をしていない。のべつ幕なしに顔も変われば姿も変わる。初めは何やらフワフワした黒い衣服を着ていたように見えたが、見る見る内に素っ裸になった。その中又も一変して山羊みたいなものになった。オヤオヤと驚いている中に更に大蛇の姿に化けた。
その次の瞬間に彼は又もや人間の姿に立ち返ったが、実は人間というのは大負けに負けた相場で、いかに人相のよくない人間でもコイツのように醜く、憎々しい、呆れ返った容貌の者は広い世界にただの一人も居はいません。眼と云ったら長方形で、蛇の眼のように底光りがしている。鼻と来たら鷲の嘴(くちばし)のように鈎(かぎ)状を呈している。大きな口に生えた歯は何れも皆尖って象の牙のように突き出している。悪意と邪淫とが顔の隅から隅まで漲り渡り、指端はまるで爪みたいに骨っぽい。総身からは闇の雫がジメジメ浸み出るように見える。そうする中に彼の姿が又もや変わって今度は真紅な一本の火柱になったが、ただ不思議なことにはそれから少しも光線というものを放射しない。
右の火柱の中から「俺の後を付いて来い!」という声が聞こえた。そこで吾輩と動く火柱とが連れ立って進んで行った。間もなく闇の中から調子外れの賛美歌のようなものが聞こえ出した。段々近付いてみると、其処には山らしいものがあって、その山腹の穴の中に沢山の幽霊がウヨウヨしていた。吾輩の案内者はここで再び半分人間臭い姿を取って一緒に穴の中へ入り込んだ。
鐃(にょうばち=にょうはつ、法会に用いる2種の打楽器)やらラッパやらが穴の中でガチャガチャ鳴ると、それに混じりてもの凄い叫喚声やら調子外れの賛美歌やらが聞こえる。間もなく我々の前面には大きな玉座が現れ、その直ぐ傍では、猛火の凝塊と思わるる大釜が物凄い音を立てて炎々と燃えている。玉座の上に座っているのは気味の悪い面相の大怪物で、件の釜の中に投げ込まるる男女の子供達が、熱がってヒイヒイ悲鳴を挙げるのをさも満足げに見守っている。言う迄もなく地獄の猛火は尋常の火とは訳が違うが、しかしそれに炙られる感じは地上の火で炙られるのと何も変わりはない。
「どいつも皆子供の姿をしているが、実際子供なのかしら・・・」と吾輩が不審の眉をひそめた。
「そんなことがあるものか!」と案内の鬼が答えた。「あいつ等は全部皆成人なのだが、無理矢理に子供の姿に縮小されて悪魔の犠牲にされるのだ。本物の鬼というものはしょっちゅう管内を捜し歩いて、捕まえた奴は全部釜の中に放り込むのだ。本当の子供はただの一人もこんな境涯へ来ていはしない――さァ其処へ鬼が沢山やって来た!」
そう言っている中に猛烈な叫び声が付近に起こった。すると果たして一群の鬼共が穴の内部に突入して来て、吾輩をはじめ、そこいらに居た全部の者を悉(ことごと)く大釜の中に叩き込んだ。
実際それが燃ゆる火なのか、それとも鬼の念力で火のように熱いのかはよく判らないが、兎に角その時の苦痛と云ったらお話になりはしない。
漸(ようや)くのことで鬼共が何処かへ消え失せたので、我々は釜の中から這い出した。それから他の連中は最初の通り御祈祷を始めたが、吾輩はそんな事は御免を被って案内者の方に近付いた。
彼は尖った歯を剥き出して笑った――
「どうだ、中々この刑罰も楽ではなかろう。余程奮発して沢山の眷族を引き連れて来ないとまだまだこんなお手柔らかなことでは済まないぞ!」
「連れて来るよ来るよ!」とさすがの吾輩もいくらか慌てて「吾輩いくらでも連れては来るが、しかしどうしてそう沢山の眷族を欲しがるのだ? 幾ら連れて来たところでただそれを虐めるだけの話じゃないか?」
「当たり前だ。俺達には人間が憎いのだ! とても汝達には想像が出来ないほど憎いのだ! 汝達も他人を憎むことを知っているつもりだろうが、そりゃホンの真似事だ。俺達の本業は人を憎むことだ。俺達は心から人間が嫌いだ!」
そう叫んだ時に彼の全身は忽ち炎々たる火の凝塊になってしまった。彼が再び人間の姿に戻ったのはそれから暫く過ぎてからのことだった。
「さァこれからいよいよ汝の仕事だ!」
彼はそう吾輩を促し立てて大急ぎで前進した。何やら山坂でも登るような感じであったが、果たして坂があったのかどうかは勿論判りっこはない。
突然彼は吾輩を捕まえて虚空遙かに跳び上がったように感ぜられたが、ふと気がついて見ると、其処はかつて吾輩が住んでいた上の境涯なのであった。
案内者はここで吾輩に向かって厳命を下した。
「コラ汝は何時までもここに居続けることは相成らんぞ。汝の体はもうすっかり汚れ切って重量が殖えているからここに居たところで決して良い気持はしない。こんな所で行方を晦(くら)まそうなどとはせぬことだ。そんなことをすれば、直ぐにひッ捕まえて極度の刑罰に処してくれる。俺にもここは居心地がよくないから下の境涯へ戻っているが、しかし汝がここで何を考え、何を働いているか位のことはチャーンと判っているから気を付けるがいいぜ・・・」
それっきり案内役の鬼はプイと姿を消してしまった。吾輩はホッと一息つくはついたが、しかし執行猶予の期間は幾らもなかりそうなので、早速仕事に着手することにした。
段々調べてみると、この付近は所謂吝嗇(りんしょく=ケチ)国というものらしく、他所から自分の所有する黄金を奪いに来はせぬかと、ただそればかり心配している。そのくせ地獄に本物の黄金のあろう筈がない。よしあったにしたところで、地獄で黄金は何の役にも立ちはせぬ。それにもかかわらず生前から持ち越しの欲気と怖気とに悩まされ続けている。
吾輩は彼等の癖を上手く利用して自己の目的を達すべき妙計を考えた。ある奴には、悪魔を拝めばいくらでも黄金を貰えると言い聞かせた。又ある奴には、悪魔に縋(すが)れば決して所有の黄金を他人に奪われる心配はないと説明した。兎に角大車輪の活動のお陰で、吾輩はかなり優勢の眷族を糾合することに成功した。吾輩は早速そいつ達を唆(そそのか)して悪魔供養祭の執行に着手した。
最初はいくら祈願をこらしても悪魔の方で受け付けてくれる模様が見えなかったが、暫くして感応があり出した。何やら強い無形の力でグイグイ引っ張られるような感じ・・・。他の連中にはそれが何のことやらさっぱり訳が判らなかったが、吾輩は忽ち、いよいよ来たナと感づいた。この引着力は、相互の間に一の精神的連鎖が成立しつつあることの確かな証拠で、それは引力の法則と同様に次第次第に勢いを加えて行った。最後に自分達の立っている地面が足の下からズルズルズルズル下方に向かって急転直下、奈落の奥深く沈んで行った・・・。