第2部 天国霊・地獄霊からの通信の記録
第5章 後悔する犯罪者の霊
(1)ヴェルジュ――パリの大司教を殺した神父
一八五七年一月三日、パリの大司教シブールが、サンテチエンヌ・デュ・モン教会から出てきたときに、ヴェルジェという名の神父に襲われて命を落とした。ヴェルジェは、死刑の判決を受け、1月の30日に死刑が執行された。最後の瞬間まで、彼は、悔悟(かいご)も反省もせず、いっさいの感情を表さなかった。
死刑が執行された日に招霊され、次のようなメッセージを送ってきた。
――招霊します――
「まだ体の中にとどまっているみたいです」
――あなたの魂は、まだ体から完全に離脱していないのですか?
「はい――、不安です――、よく分からない――。自分を取り戻すまで待ってください――。私はまだ死んでいないのでしょう?」
――自分のやったことを後悔していますか?
「殺したのは間違いだった。しかし、あいつの侮辱(ぶじょく)に、どうしても我慢ができなかったんだ――。今日はこれで帰る」
――どうして帰ってしまうのですか?
「あいつに会うのが怖いんだ。復讐されては、かなわんからな」
――でも、もうあなたは死んでいるのですよ。殺されるのを心配することはないのです。
「何が言いたいんだ! あんたが言っていることが正しいという根拠でもあるのか?ああ、私はどこにいるんだろう?気でも狂ったのだろうか?」
――落ち着いてください。
「『落ち着け』と言ったって無理だ! 気が狂ってしまったんだから。待ってくれ――。もう少しすれば、いろいろ分かるはずだから」
――祈ってごらんなさい。そうすれば、考えがはっきりしてきますよ。
「ああ、恐ろしい。とても祈れやしない」
――祈りなさい。神の慈悲は偉大なのですから。私たちも一緒に祈りましょう。
「ああ、確かに神の慈悲は無限です。いつも、そう思ってきたんだ――」
――状況が、だいぶ、のみ込めてきたようですね。
「待って――。まわりの様子が、あまりにもすさまじくて、何が何だか、よく分からない」
――あなたの殺した人が見えますか?
「彼の声が聞えるような気がする。こんなふうに言っている『恨んではいませんよ』と。ああ、そんなことがあるはずはない――。
気が狂ってしまったんだ! だって、自分の体が向こうに見えるのだから。そばには頭が転がっている――。なのに、自分が生きているみたいに感じるんだ――。どうして、こんなことが――。地面と空のあいだにいるみたいな感じがする――。首の上に落ちてくる刃物の冷たささえ感じられる――。
ああ、死ぬのが怖い! まわりに霊がうようよいるみたいだ――。同情の目で、私を見ている――。何か話しかけてくるが、何を言っているのか、よく分からない――」
――それらの霊たちの中に、あなたの犯罪にかかわりのある霊はいますか?
「私が恐れる唯一の霊、つまり、私が殺した人の霊がいるような――」
――自分の過去世は思い出せますか?
「だめだ。頭がぼんやりしている――。まるで夢の中にいるみたいだ。何とかして、自分を取り戻さなくては」
それから3日後に。
――だいぶ様子がはっきりしてきたでしょう。
「もう地上にいないということが分かりました。そのことは納得しました。
ですが、自分が犯した罪は後悔しています。
しかし、私は、霊として、より自由になってきました。『何度も生まれ変わることで、少しずつ大事な知識を得、そして、完全になっていくのだ』ということが分かりました」
――あなたの犯した犯罪のせいで罰を受けているのですか?
「はい。自分の犯した罪を後悔し、そのことで苦しんでいます」
――どんな罰を受けているのですか?
「自分の過ちに気づき、神に許しを乞うています。それが罰です。『神を充分に信じていなかった』ということで苦しんでいます。それもまた罰なのです。また、『同胞の命を縮めるべきではなかった』ということが分かり、それで苦しんでいます。間違いを犯すことによって自分自身の向上を遅らせたために、たいへん後悔しており、それもまた罰のうちなのです。
『殺すことによっては決して目的は達せられない』と、良心が教えてくれていたにもかかわらず、慢心と嫉妬(しっと)に支配されて、あのような行為に及んでしまったわけなのです。私は間違っていたのです。そのことを悔やんでいます。人間は、常に、欲望を統御すべく努力する必要があるのに、私には、それができませんでした」
――われわれが、あなたを招霊したときに、どんな感じがしましたか?
「うれしいと同時に怖くもありました」
――なぜ、うれしく、そして怖かったのでしょうか?
「人間たちと対話ができ、私の過ちを告白することで、自分の過ちの一部にせよ、償うことができるから、うれしかったのです。
一方で、『殺人を犯した』という事実に向き合わなければならないので、怖いという気持ちが湧いたのでしょう」
――また地上に生まれたいと思いますか?
「ええ、すでにお願いしてあります。今度は、自分が殺される側に身を置き、恐怖を味わう必要を感じるからです」
シブールも招霊され、「自分を殺した男を許している」ということ、「彼が善に戻れるように祈っている」ということを告げてくれた。さらに、「彼の苦しみを、より大きなものにしないために、彼の前には姿を現さないようにしている」と言っていた。「自分に会うのを恐れているということ自体が、すでに罰になっているから」ということであった。
――(シブールの霊に対して)殺人を犯した、あの男は、今回、地上に転生することを決意したときに、殺人者になることも選んでいたのでしょうか?
「いいえ。闘争的な人生を選択した時点で、『人を殺すことになるかもしれない』ということは分かっていましたが、しかし、それを実行に移すことになるかどうかは分かっていませんでした。自分の中でも葛藤があったのです」
ヴェルジェの死の瞬間の状況は、激しい死に方をした人に、ほぼ共通するものである。魂と肉体の分離が急には行われないため、茫然自失の状態にあり、自分が死んでいるのか生きているのかさえ分からないのである。
大司教の姿はヴェルジェには見えないように取り計らわれた。すでに、充分、後悔していたからである。だが、ほとんどの場合、殺人者は犠牲者の視線に付きまとわれることになる。
重大な犯罪であったにもかかわらず、ヴェルジェは、生前、何の後悔もしていなかった。したがって、永遠とも思われる刑罰を受けても不思議ではなかったのである。
しかし、彼の場合、地上を去った瞬間に後悔が始まった。過去を深く反省し、それを償いたいと真剣に願ったのである。
苦しみのあまり、そうしたのではない。なぜなら、まだ苦しむ前に、そう思ったからである。地上にいるあいだには聞かなかった良心の声を聞いたということなのである。どうして、それが考慮されないことがあろうか?
地上にいるあいだに悔い改めれば地獄に行かないのが事実だとしたら、死後に霊界で悔い改めた場合も地獄に行かなくて住むのは、当然ではないだろうか?死ぬ前の人間に対して慈悲深い神が、どうして、死んだあとの人間に対して慈悲深くないことがあるだろうか?
最後まで悔い改めようとしなかった犯罪者が、死後、ただちに、驚くべき心境の大変化を遂げることがある。あの世に還っただけで、自分の行為がいかに間違っていたかを一瞬で悟れる者たちがいるのだ。
ただし、これは一般的に見られることではない。もし一般的に見られるのだとしたら、悪霊の存在など、ありえないからである。多くの場合、悔悟はなかなかやってこない。そして、その分、苦しみも長引くわけである。
「傲慢であるがゆえに、自分の非を認めて謝るということができず、一生、悪の中にとどまりつづける」ということは、よくあることである。
また、「肉体がヴェールのように覆いかぶさっているため、なかなか霊的な見方ができない」というのが地上の人間の限界である。このヴェールが剥ぎれ落ちれば、一瞬で光に照らされ、まるで憑(つ)きものが落ちたように正気に戻るということがあり得るのである。正しい感じ方ができるようになれば、それに応じた境涯が開かれる。
それに対して、死んだあとも強情を張りつづければ、悪霊の仲間入りをするほかない。まっとうな道に戻るには、まだまだ試練を受ける必要があるということなのである。
(2)ブノワ――僧たちを迫害した聖職者
一八六二年三月、ボルドーにて。
ある霊が、ブノワという名前を名乗って、自発的に、書記によって通信する霊媒のところにやってきた(以下、質問も霊媒がしている)。この霊は、「一七〇四年に死に、それ以来、恐るべき苦しみに襲われている」ということだった。
――生前は何をしていたのですか?
「信仰を持たない僧侶でした」
――信仰の欠如が、あなたの唯一の過ちだったのですか?
「他の人々にも、その影響が及んだのです」
――あなたの人生について、もう少し詳しく話して頂けませんか?誠実にお話頂ければ、きっと、それは評価されると思います。
「財産もなく、怠け者であった私は、使命感からではなく、単に地位を得る為だけに、聖職に就くことにしたのです。そこそこに頭がよかったので、ある地位に就いたのですが、やがて影響力を持つようになって、権力を濫用し始めました。
こうして、悪にまみれた私は、本来なら救わねばならない人々を堕落させました。そして、私を非難しようとした人々を、次々に冷酷なやり方で迫害しました。破戒僧を、終生、閉じ込める牢獄は、私に断罪された僧達で一杯になったのです。犠牲者達は、食べるものも与えられず、泣き叫ぶ者は、さらに暴行を加えられたのです。
死んで以来、私は、地獄のあらゆる拷問を受けて、罪を償ってきました。私が苦しめた者達は、地獄の火を掻き立てます。淫欲と飢餓が、絶えず私を襲い、それらは決して満たされません。私の唇は渇きに燃え、そこには一滴の水すら落ちてきません。あらゆる災厄が私を追いかけてくるのです。
どうか、私の為に祈ってください」
――死者の為の祈りはあなたにとっても効果があるのですか?
「それは、大変有益です。本来なら私が行うべきであった祈りに匹敵する位の価値を、私に対して持っているのです。私は、自分の使命を果たさなかったので、報酬を貰うことが出来ずにいるのです」
――あなたは、悔い改めはなさったのですか?
「もう随分昔のことです。しかし、それは、長く苦しんだ末のことでした。無実の犠牲者達の叫び声に耳を貸さなかったので、主も、なかなか私の叫びに耳を貸してくださいませんでした。それが正義というものです」
――あなたは、主の正義がどのようなものであるのかに気づかれたのですね。主の優しさを信頼し、助けて下さるように頼むとよいでしょう。
「悪魔達が、私よりも大きな声で叫んでいます。それに、私の叫び声は、喉のところで止まってしまうのです。彼らが、私の口一杯に、熱く焼けた豆を詰め込むからです。それは、まさに私が生前やったことなのです。ああ、か、か、か――」
(この霊は、[神]という言葉を書くことが出来ずにいる)
――あなたが受けている拷問は、実は、すべて精神的なものに過ぎないということが、分かっていないのではないですか?
「拷問を現に感じ、それに耐えているのですよ。拷問をする者達も、実際に見えるのですよ。彼らは皆、私がかつて見たことのある姿をしています。彼らの名が、私の頭の中に響き渡るのです」
――なぜ、そういうむごい仕打ちを受けるのですか?
「私に染み込んでいた悪徳の故です。私が持っていた禍々しい欲望の故です」
――そうした状況から救ってくれるように、善霊達に支援を頼んだことはあるのですか?
「私には地獄の悪魔達しか見えません」
――死後、こうなるとは思わなかったのですか?
「全く思いませんでした。『死ねば何もかも終わりだ』と思っていたからです。だから、『生きている間に、どんなことをしてでも、あらゆる快楽を味わい尽くすのだ』と思っていたのです。
私は気づいていませんでしたが、地獄を治める者達が、私に憑依していたのです。私は彼らに私の人生を捧げたのです。彼らは私に永遠に付きまとうでしょう」
――あなたの苦しみには終わりがないということですか?
「永遠には終わりがありません」
――神の慈悲には限りがありません。どんな罪でも、望みさえすれば、最後には許されますよ。
「『望むことが出来れば』の話でしょう」
――どうして、ここに来られたのですか?
「どうしてだか分かりません。でも、話がしたかったのです」
――悪魔達は邪魔しませんでしたか?
「しませんでした。でも、彼らは私の前にいて、私の言うことを聞きつつ、ニヤニヤしながら待っています。だから、これを終えたくないのです」
――こんなふうに書記による通信をするのは初めてですか?
「そうです」
――こんなふうにして霊が人間にコンタクトをとることが出来るのを知っていましたか?
「いいえ、知りませんでした」
――では、どうして、それが分かったのですか?
「分かりません」
――こうして私の側に来ることで、何か変化がありましたか?
「恐怖が和らいでいるような気がします」
――ここにいるということが、どのようにして分かったのですか?
「眠りから覚めたような感じがしたのです」
――私とコンタクトを取るのに、どうしていますか?
「よく分かりません。あなたは何か感じませんか?」
――私がどうこうではなく、あなたのことを聞いているわけです。私がこうして書いている時、あなた自身はどうしているのかを教えてください。
「あなたには、私の考えが完全に分かるのでしょう?それだけのことです」
――それでは、私に書かせようという気持ちはないのですか?
「ありません。書いているのは私です。あなたが私を通して考えているということでしょう?」
――いいですか、よく理解してくださいね。天使達が、我々を取り囲み、我々に協力して下さっているのですよ。
「何だって?地獄に天使達が来るわけがないだろう。あなたは一人なのだろう?」
――周りを見て下さい。
「私があなたを通して考えるのを助けてくれるのが感じられる――、あなたの手が、私の意のままに動き――、でも、触っていないぞ。変だ――。どうもよく分からない――」
――では、指導霊達に支援をお願いしてください。これから一緒にお祈りをしましょう。
「何だって?あなたはもう行ってしまうのか?それは困る。もっと私と一緒にいてくれ。悪魔達が、また、私を捕まえにやってくる。嫌だ! お願いだから、一緒にいてくれ! お願いだ! 」
――もうこれ以上、一緒にいることは出来ません。また明日来てください。毎日来て下さってもよいですよ。一緒に祈りましょう。天使達があなたを助けてくれるはずです。
「そうだ、私は恩寵が欲しい。どうか私の為に祈ってくれ。私には、どうしても祈れない」
霊媒の指導霊からのメッセージ:「我が子よ、頑張りなさい。あの霊には、あなたが求めたものが与えられるでしょう。
でも、償いは、まだまだ終わりません。彼が犯した数限りない罪は、あまりにも恐ろしいので、名前をつけることさえ出来ません。そして、彼は、頭もよく、教育も受けており、自分を導く光を持っていただけに、余計、その罪が深いのです。彼は、理非が分かっていたにも関わらず、罪を犯しました。だからこそ、彼の苦しみは恐るべきものになっているのです。
しかし、支援の祈りによって、その苦しみも和らぐでしょう。苦しみも、いつかは終わることが分かり、したがって、希望を持つことが出来るようになるからです。
神は、あの霊が悔い改めを始めたのをご覧になり、このような通信の機会をお与えになったのです。あの霊が、そのことによって励まされ、支えられることになるのをご存知だからです。ですから、彼のことをいつも考えてあげなさい。彼が、あなたの忠告に従って、よき決意をすることが出来るように、エネルギーを与えてあげるのです。
悔い改めをすれば、次は、『償いをしたい』という思いが出てくるでしょう。その時こそ、彼が『再び地上に生まれたい』と願い出る時なのです。そして、地上に生まれて、今度は、悪をなさずに善をなすのです。そうすることによって償いを果たすのです。
そして、彼が充分に強くなって、神がそのことに満足なされば、彼には、救いへと導く神聖な光をかいま見ることが許されるでしょう。その時に、神は、放蕩息子を迎えるように、暖かく彼を迎えてくださるのです。
信じなさい。私達も、あなたの仕事が完成するように支援しますから」
この霊は、人間の法律で裁かれることはなかったが、我々は彼を犯罪者として扱った。というのも、罪とは行為そのものに内在するものであって、人間によって裁かれるかどうかには関係がないからである。
(3)ジャック・ラトゥール――殺人の咎で死刑になった男性1
この男は、殺人の咎により、フォワの重罪院で死刑を言い渡され、一八六四年の九月に死刑が執行された。
一八六四年九月十三日、ブリュッセルにおいて、七、八人のメンバーで、ささやかな交霊会が持たれた。その際に、ある婦人が霊媒役を務めることになったのだが、まだ、いかなる招霊も行わないうちに、彼女が、ものすごい勢いで、とても大きな字で、次のように書き始めた。
「ごめんなさい! 私が悪うございました! ラトゥール」
全く予期しなかったこの通信に、我々は、すっかり面食らってしまった。というのも、出席者の殆どが、この霊のことを知らず、したがって、この霊について考えてもみなかったからである。
この霊に同情の言葉をかけ、かつ励ました上で、次のような質問をしてみた。
―― 一体、いかなる理由で、他の場所ではなく、ここにいらっしゃったのですか?というのも、私達は、あなたを招霊した覚えはないからです。
すると、書記のみならず発話も出来る、この霊媒が、はっきりした声で、次のように語り始めた。
「あなた方が、思いやりのある方々であり、私に同情してくださるだろうということが分かったからです。私を招霊してくれる、他の人々は、真の慈悲からというよりも、面白半分で招霊しているか、怖がって逃げてしまうかのどちらかなのです」
それから、名状し難い光景が展開された。おそらく30分位続いたのではないだろうか。霊媒は、単に言葉を語るだけではなく、身振りや手振り、表情まで総動員して、この霊の現状を伝えるのだった。
時折、絶望を語る言葉の調子は心を引き裂くものとなり、その苦しみを語る声音は実に悲痛なものとなった。その嘆願は、しばしば、あまりにも熱烈なものだったので、出席者全員が、深く心を動かされた。
その内の何人かは、霊媒があまりにも興奮する為に、恐怖に囚われたが、我々は、「悔い改め、哀れみを乞う、この霊の通信は、何の危険も伴わないだろう」と確信していた。
「この霊が霊媒の肉体器官を使うのは、自らの状況をより詳しく描写し、我々の興味を引こうとしているからであり、憑依霊が肉体を支配しようとするのとは異なる」ということが分かっていた。それは、彼の主張の為に許されたことであり、また、出席している者達への教育的配慮から許されたことでもあったのだ。
その通信は、以下のようなものであった。
「ああ、どうか、哀れみを! 私には哀れみが必要なのです。
あなた方には、私がどんなに苦しいか分かるはずです――。いや、分かるはずがない。あなた方には、私がどれほど苦しんでいるか理解できないでしょう――。
ああ、何という苦しみ――。ギロチンなど、今の、この苦しみに比べれば、全くなんでもありません。一瞬の苦しみに過ぎないのですから。しかし、私の体をなめる、この火ときたら、もっともっと酷いものです。それは絶えざる死なのです。その苦しみは、途切れることがないのです。その苦しみには、休息というものがないのです――、そして、終わりがないのです!
しかも、私が手にかけた者達が周りにいる――。私に傷口を見せつけ、ずっと私を見ている。ああ、私の前に、私が殺した者達がいる――。全員がいる、そう、全員です! 全員の姿が見える。逃げることが出来ない! それに、血の海が見える。血に濡れた金も見える。全てが、そこに、私の前にある。ああ、永遠に見せられるのだろうか?
あなた方には、この血のにおいが感じられますか?血、血まみれだ。ああ、可哀想な犠牲者達――。命乞いをするのに、私は、容赦なく、彼らを殺す――、匕首で突き刺し――、そして殺す。血が、私をさらに興奮させる――。
私が死ねば、全ては終わると思っていました。だから、死刑台に向かったのです。神に挑み、神を否定しました――。そして、全てが永遠に無に帰すると思っていたら、なんと! 恐ろしい目覚めがあったのです。
ああ、恐ろしい! 何ていうことだ! 私は、犠牲者の死体に取り囲まれ、彼らの恐ろしい顔を見る――。血の海を歩き――。死ぬと思っていたのに、こうして生きている!
ああ、嫌だ! 恐ろしい! 地上のどんな拷問よりも恐ろしい!
ああ、死んだらどうなるかを、知っておけばよかった。悪いことをしたらどうなるかを、知っておけばよかった。そうしたら、人なんか殺すことは絶対なかったのに!
人を殺そうと思っている者は、みんな、前もって、今、私が見、耐えていることを経験するといいのだ! そうすれば、人を殺そうとは思わなくなるだろう。こんな苦しみを味わいたいとは絶対に思わないだろうからな!
ああ、神様、こうなるのも当然です。だって、私は、彼らのことを、可哀想だなどと、これっぽっちも思わなかったのだから。助けを乞う腕を、むげに、はねつけたのだから。金を取ろうとして、彼らを容赦もなく殺したのは、この私なのだから。
ああ、私は神様を信じませんでした。神様を否定しました。神様の名を冒涜しました――。私は酒に溺れましたが、それは、神様を否定したかったからなのです――。ああ、神様、私は何という罪を犯したのでしょう! 今では、それがよく分かります。
でも、私を哀れんではくださらないのですか?あなたは神様です。神様は善意の方であり、慈悲の方であり、全能の方であるはずですよね。
神様、哀れみを! どうか、どうか哀れみを! お願いです、どうかお聞き入れください。私を、この忌わしき光景から、恐ろしい場所から、血の海から、どうぞ救って下さい。私が殺した者達の視線が、まるでナイフのように、私の心に突き刺さります。
今、私の周りで私の話を聞いてくださっている皆さん、あなた方は、よき魂であり、慈悲に溢れた魂です。そうです、私には分かるのです。私に哀れみをかけてくださいますね?私の為に祈ってくださいますね?
ああ、どうかお願いします。私を拒絶しないでください。私の目の前に広がる、この恐ろしい光景を消してくださるように、神様にお願いしてください。あなた方は、よい人達ですから、神様は、あなた方の言うことなら聞いてくださるはずです。どうかお願いです、私が他の人々を拒絶したようには、私を拒絶しないでください――。どうか、私の為に祈って下さい」
出席者は、この霊の後悔の言葉に打たれて、この霊を勇気づけ、励まし、そして、次のように言った。
――神は、決して、頑な方ではありません。神が罪人に求めるのは、心からの悔い改めと、自らがなした悪を償おうとする真剣な思いです。あなたは強情を張っていませんし、罪に対する許しを神に求めました。したがって、あなたが、自分の犯した罪を償いたいと思い続ければ、神は必ずあなたに慈悲を与えてくださるでしょう。
あなたが犠牲者から奪い去った命を彼らに返すことは、もう出来ません。しかし、もしあなたが熱心にお願いすれば、次の転生で、彼らと一緒に地上に降り、彼らに対して残酷であったことの償いとして、精一杯彼らに尽くすことは可能なのです。
そして、その償いが充分であると認められれば、あなたは、神の恩寵により、再び神の近くに還ることが出来るのです。
つまり、罰がどれほど長引くかは、あなたの決意一つで決まるのですよ。それを長くするのも、短くするのも、あなた次第なのです。
私達は、お祈りで、あなたを支援し、あなたの側に高級霊が来て助けてくれるようにお願いしてみましょう。私達は、あなたの為に、苦しみつつはあるが悔い改めを開始した魂達の為にお祈りをしてさしあげます
私達は、そのお祈りを、悪霊達の為にはいたしません。そして、あなたは、もはや悪霊ではないのです。というのも、あなたは、悔い改め、神様に嘆願し、悪を放棄したからです。あなたは、現在、もう悪霊ではなく、単に不幸な霊に過ぎないのです。
このお祈りが終わると、しばらく沈黙があった。それから、この霊は次のように続けた。
「ありがとうございます! 神様、ああ、ああ、ありがとうございます! 哀れみをかけてくださいましたことに、お礼を申し上げます。もう、私を見捨てないでください。天使達を私のもとに送ってください。そして、私を支えてください――。ありがとうございます! ありがとうございます! ありがとうございます! 」
この後、霊媒は、精根尽き果てて、暫くの間、気を失った。やがて、何とか気を取り戻したが、最初のうちは、混乱しており、何が起こったのか分からないようだった。しかし、徐々に、自分が、自分の意志とは無関係に発していた言葉を思い出し始めた。話をしていたのは自分ではなかったのである。
翌日、再び交霊会を開いたところ、同じ霊がやってきて、数分の間、昨日と同じような光景を繰り広げた。しかし、昨日程激しくはなかった。それから、同じ霊媒を使って、熱に浮かされたように書記を始め、次のようなメッセージを伝えてきた。
「昨日は、祈ってくださり、本当にありがとうございました。こんなにはっきりした変化が生じました。私も、神様に熱心にお祈りしたところ、神様は、暫くの間、苦しみを取り除いてくださいました。
しかし、また犠牲者達を見ることになるでしょう――。ああ! ほら! そこにいる! 彼らが、また、そこに見える! 血の海! この血の海が見えますか?」
昨晩の祈りが、また繰り返された。すると、霊はまた書記を続けた。
「お手を患わせてすみませんでした。お陰さまで、大分楽になりました。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません。でも、ここにこうしてやってくる必要があったのです。あなた方だけが――。
ありがとう。ありがとうございます。また少し楽になりました。
でも、試練が終わったわけではないのですね。私が殺した人々が、また再び戻ってきます。これが罰なのです。自業自得ですから、仕方がありません。でも、神様、どうか寛容にお願いします。
皆さん、どうか私の為にお祈りをしてください。私を哀れんでください」
この時一緒にお祈りをしたパリ霊実在主義協会のメンバーの一人が、その後、この霊を再び招霊し、次のようなメッセージを受け取った。
「死の直後に、二度、メッセージをお伝えしましたが、その後は招霊に応ずることが出来ませんでした。しかし、たくさんのいたずら霊が、私の名を騙って嘘のメッセージを降ろしたようです。ブリュッセルにおいては、パリ霊実在主義協会の会長がいらしたので、高級霊達の許可の下に、私はコンタクトを取ることが出来たのです。
私は、今後もパリ霊実在主義協会の集いにやってきて、色々と霊示を降ろすつもりですが、それは私の償いということになるでしょう。出来れば、そのメッセージを犯罪者達に読んでもらって、教訓を得てもらいたいし、私の苦しみをよく知って、色々と考えてもらいたいのです。
地獄の苦しみについて語っても、犯罪者達の多くは、まともに聞きません。というのも、彼らは、そうした話を子供騙しだと考えているからです。大罪を犯す者達は、その殆どが、ふてぶてしいので、地獄の劫罰の話などには心を動かされないのです。それよりも、むしろ警察の方が心配でしょう。
しかし、私の語ることは、推測ではなくて、真実なのです。おそらく、『私はあなたの語る内容を実際に見ました。地獄の苦しみを目撃したことがあります』と言える神父は一人もいないはずです。
私は、次のように言う為に、ここに来ました。
(4)ジャック・ラトゥール――殺人の咎で死刑になった男性2
『私の体が死んだ後に、こういうことが起こったのです。私が思っていたのとは違って、私は死んでも死ななかったのですよ。ようやく苦しみが終わると思っていたところが、実際には、筆舌に尽くし難い苦しみが、まさにその時から始まったのです』
これを聞いて、崖から落ちる前に止まる人も出てくるでしょう。こんなふうにして、誰かが犯罪を犯すのを防げば、それが私にとっては一つの功徳となり、罪を償ったことになるのです。
こんなふうにして、悪から善が生じ、神の善が、あらゆるところに――地上においても、霊界においても――出現することになるのです。
こうして、あなた方とコンタクトを取っている間は、私は、自分が殺した人々の姿を見ずにいられます。しかし、これが終われば、また再び彼らの姿を見なければなりません。そのことを考えるだけでも、言いようのない苦悩に襲われます。こうして招霊して頂くと、その間だけでも地獄から逃れ出ることが出来るので、幸せなのです。
いつも私の為にお祈りをしてください。私が犠牲者達の姿を見ないで済むように、どうか神様にお願いしてください。
はい、一緒に祈りましょう。お祈りの効果は本当に素晴らしいものです。とても楽になります。私を押し潰そうとする重い荷物が軽く感じられるようになるのです。私の目に希望の光が宿り、悔い改めの気持ちが強くなるのです。そして、私は次のように叫ぶのです。『神の手に祝福あれ! 神の願いが成就されますように! 』と」
――殺した人々を見なくても済むようにお願いするのではなく、「彼らの姿を見るという償いに耐えられるだけの力を与えてください」と、一緒に祈りましょう。
「犠牲者の姿を見ないで済ませられたら、やはり、そちらの方がよいのです。私が、そのことで、どれ位苦しんでいるか分かりますか?どれほど鈍感な人間でも、私の魂の苦しみが、私の表情に刻まれている様を見れば、心を打たれることでしょう。
でも、私はあなたが忠告してくださった通りにしましょう。『その方が、過ちを早く償うことになる』ということが分かるからです。それは、病んだ体を健康にする為に、苦しい手術を受けるようなものです。
ああ、もしも地上の罪人達が私の姿を見られたならば! そうすれば、彼らは、その犯罪の結果として、どれほど恐ろしいことが待っているかが分かるでしょうに!
人間の目はごまかせても、神様の目は絶対にごまかせないのです。無知ほど恐ろしいものはありません!
霊実在主義協会の教室で学ぶことを拒否する人々は、一体どのようにして責任を負うのでしょうか?彼らは、警察と法律さえあれば、犯罪は防げると思っているのです。何という思い違いでしょうか! 」
「私が被っている苦しみは、本当に恐ろしいものです。でも、あなたがお祈りしてくださって以来、私は天使達の援助を受け、『希望を持つように』と励まされています。あなたが忠告してくれた英雄的な方法が効果的であることを、私は理解しましたので、神様に、償いに耐える力を与えてくださるようにお願いしています。
私は、もう、自分が犯した重罪に対して、言い訳をしようとは思いません。
神父達は、神に見放された者達が感じることになる苦しみについて、さも恐ろしげに語りますが、愛と慈悲に満ちた神の法を犯した子供達に対して、神が正義に基づいて科すことになる真の苦しみについては、殆ど何も理解していないように思われます。
理性を少しでも備えた者ならば、『魂という、物質ではない何ものかが、火という物質のせいで苦しむ』などということは、到底信じられるものではありません。そんなこと実に馬鹿げています。だからこそ、殆どの犯罪者は、『地獄など、おとぎ話に過ぎない』と言って鼻先で笑うのです。
しかし、肉体的な死の後で魂が被ることになる精神的な苦しみについては、同列に扱うわけにはいきません。
どうか、『絶望にのみ込まれないように』と、私の為に祈ってください」
「到達すべき目標をかいま見せてくださったことに、お礼申し上げます。『私の浄化が進めば、この栄えある目標に到達出来る』という確信を持つことが出来ました。
私は今非常に苦しんでいますが、それでも、この苦しみが和らいできていることは事実です。霊界では、苦しみに慣れたからといって、苦しみが和らぐとは思われません。そんなことはないのです。あなたのお祈りが、私の力を強くしてくれました。苦しみが同じだとしても、私の力が強くなったので、苦しみが、その分だけ弱くなったように感じられるのでしょう。
私の考えは、直前の転生のことに向かいます。『私が、祈ることを知っていたならば、多くの過ちを避けることが出来たであろうに』と思うのです。ようやく祈りの力を理解することが出来るようになりました。
また、『誠実で敬虔な女性こそが強い』ということも分かるようになりました。彼女達は、肉体的にはか弱いのですが、信仰あるが故に、精神的には非常に強いのです。地上の似非学者達が理解出来ない、この神秘が、私には分かるようになったのです。
ああ、信仰! この言葉を聞いただけで、反抗的な似非学者達は、あざ笑います。けれども、彼らが、いずれ霊界に還ってきて、彼らに真理を見えなくしていたヴェールを剥がれた時に、馬鹿にしていた永遠なる神の前に跪くのは彼らなのです。彼らは、自らの小さな罪と大いなる罪を、謙虚に白状せざるを得なくなるでしょう。その時に、祈りの力というものを知るのです。
祈り、それは愛することです。愛、それは祈りです。したがって、彼らは主を愛し、主に対して愛と感謝の祈りを捧げるでしょう。
苦しみを通して再生し――というのも、必ず苦しむことになるからですが――、私と同じように、『償いと苦しみに耐える力を与えたまえ』と祈ることになるでしょう。そして、苦しみを通り抜けた暁には、許してくださった主に対して――彼らは、その時には、素直さと諦念によって、許しを受けるに相応しい霊となっているはずですが――、感謝の祈りを捧げることになるのです。
一緒に祈ってください、兄弟よ。私をもっと強くしてほしいのです。
ああ、ありがとう、兄弟よ。温かい心を本当にありがとう。私はやっと許されました。神は、ついに犠牲者達を見なくても済むようにしてくださいました。
ああ、神よ、私にお与えくださった恩寵ゆえに、あなたが永遠に祝福されますように!
ああ、神よ、私は自分のとてつもない罪深さを感じ、全能なるあなたの前で消え入りそうです。
主よ、私はあなたを全身全霊で愛しております。あなたが再び私を地上に送り出してくださる時は、『私が、安らぎと思いやりの使節として、あなたの御名を敬愛の心と共に唱えることを、子供達に教える』という使命をお与えください。
ああ、ああ、ありがとうございます。ありがとうございます、神よ! 私はようやく悔い改めることが出来ました。心より悔い改めたのです。神よ、私はあなたを愛しています。あれ程汚れていた私の心も、あなたの神聖さから発せられる、この純粋な思いを、理解出来るようになりました。
兄弟よ、一緒に祈りましょう。私の心は感謝で一杯です。鎖を断ち切って、私はついに自由になりました! もう神から見放された者ではありません。まだ苦しんではいますが、でも、悔い改めています。
この私の例を見て、犯罪を犯そうとして振り上げられた手が静かに下ろされるのであれば、どんなに嬉しいことでしょうか。兄弟達よ、悪いことは止めなさい! 犯罪を行ってはなりません。というのも、その後の償いは非常に過酷なものとなるからです。神は、罪人の祈りをそれ程すぐには聞いてくれません。何世紀も拷問に苦しむことになるのですよ」
霊媒の指導霊からのメッセージ:「あなたには、この霊の言うことが、よく分からなかったようですね。彼の感情と、主への感謝の気持ちを、理解してあげるようにしなさい。彼は、『これから犯罪を犯そうと思っている者達に、犯罪を思い留まらせること以上に、神への感謝の思いを表す方法はない』と思っているのです。彼は、自分の言葉が、犯罪の手前にいる人々に届くことを願っています。
そして、これは、彼自身もまだ知らないので、あなたにも言いませんでしたが、彼が、人々に償いを促す使命を開始することが許されたのです。彼は、これから、共犯者達の所に行き、彼らが悔い改められるようにとインスピレーションを与え、彼らの心の中に悔悟の種を蒔こうとしています。
地上では、時々、誰からも正直だと思われていた人が、司祭のもとに罪を告白しにやってくることがあります。これは、悔悟の思いにとらわれたからです。
もし、霊界とあなた方を隔てているヴェールが取り払われたなら、地上では犯罪者だった者達の霊が、しばしば地上に戻ってきて、丁度、ラトゥールの霊が、これからするであろうように、自らの罪を償う為に、地上に生きている人々に悔悟の念を吹き込もうとしているのが、見えるはずなのです」
ラトゥールの最初のメッセージを受け取ったブリュッセルの霊媒が、暫く後に、また次のメッセージを受け取った。
「私のことは、もう何も心配しないでください。大分落ち着いてきましたから。
でも、まだ苦しんでいるのは事実です。神は、私が悔い改めているのをご覧になって、私に哀れみをかけてくださいました。現在では、私は、悔い改めの結果気づいた自分の罪の重大さ故に苦しんでいます。
私が、もし、地上において、もっとしっかり教育されていれば、あのような犯罪を犯さずに済んだかもしれません。しかし、実際には、私は本能を抑えることが出来ず、あのようなことをしてしまいました。もし、地上の人間達が、もっと神のことを思えば、或は、少なくとも神を信じさえすれば、もっと犯罪は少なくなるはずなのです。
しかし、人間心による正義は上手く機能していません。
過ちを犯すと――時として、それが軽いものであっても――牢獄に入れられます。ところが、牢獄が、実は邪悪の横行する破滅の場所なのです。そこから出てくる時には、悪しき忠告と悪しき例によって、完全に理性を失っているのです。
芯が強いおかげで、そうした悪に染まらずに牢獄から出てこられたとしても、あらゆる扉は閉ざされており、あらゆる手は引っ込められるのです。全うな人々は彼を拒絶します。そんな人間に何が出来るでしょうか?あるのは、軽蔑、悲惨のみ。仮に、『善に戻ろう』と決心したところで、人々から打ち捨てられ、絶望するしかないのです。
悲惨な人間は、どんなことでもするでしょう。彼自身、人々を軽蔑し、憎み、そして、善悪を区別する心を失っていくのです。折角、真っ当な人間になろうとしたのに、皆から拒絶されたのですから、それも当然と言えるでしょう。生きる為に、彼は、盗み、時には人を殺しさえします。そして、ギロチン送りです!
神よ、私が再び幻覚に襲われそうになると、あなたの御手が私の方に差し伸べられます。あなたの思いやりが私を包み込み、そして、私は守られるのです。ああ、神よ、ありがとうございます。
次の転生の時には、私は、知性と財産を使って、人生に敗北した不幸な人々を救い、彼らを転落から守ろうと思います。
兄弟よ、ありがとう。あなたは快く私の通信を受け取ってくれました。もう心配しないでください。もう私は悪から解放されました。これから私のことを思ってくださる時は、どうか、凶悪な顔をした私ではなく、あなたの寛大さに感謝し、恐縮している私を思い浮かべて頂きたいものです。
では、これで。また招霊してください。そして、私の為に神に祈ってください」
この通信に収められた言葉のうち、あるものに関しては、その深さと広がりを充分に捉え切れないかもしれない。この通信は、厳罰を受けている霊達の世界の一端をかいま見せてくれるが、それ以上に、神の深い思いやりを感じさせてくれる。
この霊が立ち直っていく速さには、いささか、戸惑いを感じる程である。他の霊でも見たように、傲慢な霊、或は偽善的な霊よりも、荒々しい霊の方が可能性を秘めているということだろうか。この素早い立ち直りを見ると、この霊は、邪悪というよりも、野性的だったにすぎず、正しい方向付けが欠けていただけだったということがよく分かる。
この霊の言葉遣いと、「光による懲罰」というテーマで次に登場する犯罪者の言葉遣いを比べてみれば、教育も、育った環境も異なる二人のうち、どちらが精神的に進んでいるかは、直ちに分かるだろう。
前者は、獰猛な本能、一種の狂熱に従っただけであるのに対し、後者は、落ち着いて、極めて冷静に犯罪を遂行しているのであって、死んだ後も、傲慢に対する罰を平然として拒否している。苦しんでいるにもかかわらず、改心しようとしないのだ。どちらが長い間苦しむことになるかは一目瞭然であろう。
「私は、悔い改めの結果気づいた自分の罪の重大さ故に苦しんでいます」とラトゥールは言っているが、ここには深い思いが窺われる。霊は、悔い改めを始めるまでは、自分の犯した罪の重大さを理解することは出来ない。悔い改めは、苦悩に満ちた悔悟の情を呼び起こし、そのことによって、霊は、悪から善へ、心の病から心の健康へと至れるわけである。
しかし、丁度、病人が、自分を治してくれるはずの治療を拒むことがあるように、よこしまな霊が、良心の声に、頑に抵抗することがある。「そのことこそが悔悟を遅らせる」ということが分からないのだ。そうして、幻想を作り上げ、自らを欺いて、悪の中に留まり続けることになる。
ラトゥールの場合、頑な態度がようやく終わりを見せ、悔悟の思いが心の中に生じたのである。悔い改めが可能となり、自分のなした悪の意味を理解するに至る。自らのおぞましさに気がつき、そのことで苦しむ。だからこそ、「自分の罪の重大さ故に苦しんでいます」と言ったわけである。
今回の転生の前の転生では、彼は、もっと酷い生き方をしたに違いない。もし、その時、今日のような悔い改めが出来ていれば、彼の人生は、もっとマシなものになっていたはずだからである。
このたび決意したことによって、彼の未来の転生は、大きな影響を受けるだろう。その意味では、今回の、おぞましいとも言える彼の人生は、進化へのワン・ステップになっているわけである。
「過去世で自分がどんな人間だったのか、何をしたのかを思い出せない以上、そうした過去世から教訓を引き出すことは、出来ないではないか」と言う人は多い。
しかし、この問題は、次のように考えればよいのである。
我々が犯した悪が、既に消し去られ、心の中に、いかなる痕跡も残っていない場合には、それは、既に解決したということなのだから、思い出す必要もなければ、それに取り組む必要もない。もし、完全に解決していない問題があるのであれば、それは、我々の現在の心の傾向性として表れているはずである。とすれば、全ての意識をそこに投入して、それを改善しようとすればよいわけである。
我々がどんな人間であったかを知る必要はない。我々がどんな人間であるかを知れば充分なのである。
「一つの生涯だけでは、過去世で犯した罪の償いが、なかなか終了しない」ということ、また、「その罪が、どれほどの非難の的になるか」ということを考えるならば、神が、その過去にヴェールをかけてくださるというのは、実は大変ありがたいことなのである。
もし、ラトゥールの過去世での行いが、社会に対して明らかにされていたとすれば、彼が有罪になろうと無罪になろうと、いずれにしても、社会から締め出されていただろう。仮に彼が悔い改めたとしても、人々は、密かに彼を許さずにいたはずである。
彼が、現在、霊として表明している気持ちを見れば、彼は、次の転生では、きっと、正直な人間として、みんなから尊敬されるようになるだろうと考えられる。しかし、その時に、彼が直前の転生で大犯罪人のラトゥールであったということが明らかにされたとすれば、人々は彼を非難するに違いない。
したがって、過去に被せられたヴェールが、むしろ、彼に立ち直りの扉を開くことになるのである。過去が隠されているからこそ、彼は、最も正直な人間と一緒にいても恥を感じずに済むのである。
人生の忌まわしい数年間を消し去りたいと思っている人は、どれ程いることだろうか!
こうした考え方以上に、神の正義と善意に適う理論はあるだろうか?
しかも、これは単なる机上の空論ではない。確かな観察から導き出されたものであって、我々が勝手に作り上げたものではないのである。霊が招霊に応じて語ってくれた、様々な状況を、詳細に観察し、それをいかにすれば合理的に説明出来るかを考えた結果、その説明が理論としてまとめられたものなのである。
それを認めるのは、それが事実から周到に導き出されたものであるからに他ならないし、死後の魂の行き先に関して、これ以上、合理的な考え方は見つからないからなのである。
霊界通信には、高い内容の教えが含まれていることが多い。通信を送ってきた霊達は、思考の進め方や、それをどう表現するかといった点に関し、高級霊達の支援を受けている。しかし、その場合でも、高級霊達は、あくまでも形式面で援助しているにすぎず、内容にまでは立ち入っていない。未熟な霊達に、自分の考えではないことを言わせたりはしないのである。
ラトゥールの例でも、高級霊達は、悔い改めの様子を「詩的に」表現するのを手伝ったかもしれないが、「彼がそうしたくもないのに、悔い改めを強制した」という事実はない。人間と同様、霊にも自由意志があるからである。
彼らは、ラトゥールの心の中に、よき感情の芽生えがあるのを見て取り、彼に、それを表現するように促した。そうすることによって、その感情が育つのを助け、そして同時に、彼に同情の念が集まるようにしたのである。
自らの罪を悔い改め、絶望と後悔を表明する大犯罪人以上に、心を揺さぶる姿があるだろうか?これ以上に、教訓となる、印象的な例があるだろうか?自らが殺めた人々の視線に刺し貫かれ、拷問に苦しむ中、彼は、思いを神の方に向け、神の慈悲を乞うたのである。これほど、罪人の希望となる例があるだろうか?
我々には彼の苦悩の性質が分かる。それは、合理的なものであり、恐ろしく、かつまた単純であって、そこには何の演出も施されていない。
人は、ラトゥールのような人間に、あれほど大きな変化が生じたことに、驚くかもしれない。だが、どうして、もっと早く彼は悔い改めることが出来なかったのか?彼には心の琴線はないのだろうか?罪を犯したら、ずっと悪に留まる他ないのだろうか?光が心に射してくる瞬間はないのだろうか?その瞬間は、ラトゥールには、やってきた。これこそが、まさに霊界通信が持つ教訓的な側面なのである。
彼は、自分の置かれた状況を見事に理解した。そして、後悔し、償いの計画を立てた。これは実に教訓的なことである。
死ぬ前に彼が素直に悔い改めた方がよかったのだろうか?死んでから言ったことを、生前に言った方が素晴らしかったのだろうか?だが、そんな例なら、いくらでもある。
死を前にして悔い改める姿は、凶悪な犯罪者達にとっては、弱さの表れとしか見えないはずである。それに対し、死後の声は、何が彼らを待っているかをはっきりと示す。「私の例は、地獄の火を見るよりも、死刑台を見るよりも、罪人を改心させる力を持っているだろう」とラトゥールが言う時、この言葉には真実がこもっている。
ならば、牢獄にいる罪人達に、この例を知らせるべきではないだろうか?この話を聞いて、既に、何人もの人間が実際に改心しているのである。
だが、「死ねば、全てはおしまい」と考えている人間に、どうして死者の言葉が信じられるだろうか?もっとも、遅かれ早かれ、人は、必ず死後の世界を知ることになっている。そして、「死後の世界からこの世に、メッセージを携えて戻ることも出来る」ということを知るのである。
この霊界通信からは、他にも重要な教訓を引き出すことが出来る。
それは、「単に悔い改めただけでは、高い世界には還れない」という、永遠の正義の原理である。悔い改めは、神の慈悲を呼び寄せることの出来る、回復に向けての第一歩にすぎないということである。許しへの前奏曲、苦しみの短縮への前奏曲にすぎないのだ。しかも、神が、故なくして許すということは有り得ない。神に許されるには、償い、すなわち罪滅ぼしが必要なのである。
これをラトゥールは理解し、そして、それに備えた。