第2部 天国霊・地獄霊からの通信の記録

第2章 普通の心境の霊
(1)ジョゼフ・ブレ――孫娘に招霊された男性
一八四〇年に死亡。一八六二年、孫娘によって、ボルドーにおいて招霊される。「人間から見て正しい人間とは?」「神から見て正しい人間とは?」というテーマで話してくれた。

――おじいちゃん、こんにちは。霊界で、どんな生活をしていますか?あと、私たちが向上するために、どうすればよいのか、少し詳しく教えてください。

「知りたいことは何でも教えてあげよう、いとしい孫よ。いま、私は、地上時代の信仰の不足をこちらで償っているのだが、神様は本当によいお方だ。わしが置かれていた境遇を充分に考慮してくださる。

わしは、いま苦しんでおる。とはいっても、おまえたちの苦しみとは異なるがな。わしは『地上にいたときに時間を有効に使わなかった』ということを悔やんでおるのじゃ」

――「時間を有効に使わなかった」ってどういうことですか?おじいちゃんは、ずっと正しく生きていたではありませんか。」

「そう、人間の目から見て『正しい』と思われる生き方はした。じゃがな、人間の目から見て正当なのと、神様から見て正当なのとでは雲泥(うんでい)の差があるのじゃ。よいかな、しっかりと聞くのだよ。これから、その違いを説明してみよう。

地上界では、法律をしっかりと守れば正当な生き方だとされる。『人の財産を奪う』というような悪を働かなければ、いちおうは、正しい人間とされるのだ。ところが、人間と言うものは、人の名誉や幸福を奪っておきながら、それを自覚せずに平然としていることが、しばしばあるものじゃ。しかも、そうしたことは、法律でも世論でも罰せられない。

死んだときに、墓石に長々と生前の徳行を書き連ねることができれば『地上生活での〝借金〟は全部返せた』と思うのが普通じゃな。
ところが! これが違うのだ。神の前で正しくあるためには『人間の法律を破らなかった』というだけでは充分ではないのじゃ。何よりもまず、神の法にそむかぬようにせねばならぬ。

神の前で正当とされる人間とは、どんな人間であるか。それは、愛を込めて人々にひたすら尽くし、善のために全生涯を使い、同胞(どうほう)の進歩のためにすべてを捧げた人間のことじゃ。正しい目的を追求せんとする情熱に満たされ、生き生きと人生を送る者のことじゃ。みずからに課せられた物質世界での仕事をしっかりと果たす者のことでもる。というのも、同胞たちに仕事への愛を教える必要があるからなのだ。

しかも、よき仕事を一生懸命にやる必要がある。というのも、やがては、神様から『自分の時間をどう使ったか報告せよ』と言われるからなのだ。

正しい目的をしっかり追求せねばならぬ。というのも、神への愛と、隣人への愛を、身をもって示さねばならないからである。

神から見て『正しい』とされる人間になるためには、辛辣(しんらつ)な言葉を避けなければならない。辛辣な言葉には毒が含まれているために、相手を傷つけるし、また、しばしば、正しい人間を物笑いの種にしてしまうことがあるからだ。神から見て正しい人間とは、心の中に、傲慢(ごうまん)、嫉妬(しっと)、野心の、どんなに小さな種も持っていない人間のことなのだ。

自分を攻撃してくる人間に対して、忍耐強く、優しくあらねばならない。自分を侮辱した者を、努力することなしに、心の底から許さねばならない。しかも、それを決して見せびらかしてはならない。さらに、あらゆる人間を愛し、そのことを通じて神を愛さなければならない。

つまり、人間の義務に関する、次の極めて簡潔で、極めて偉大な決まりを守るということなのじゃ。

『すべてにまして神を愛し、また、隣人をみずからのごとくに愛すること』

わがいとしい孫娘よ、以上が、神の前で『正しい』とされる人間なのだよ。

それでは、私は、それらをすべて行っただろうか?とんでもない! わしは右の条件の多くを果たさなかった。

ここで正直に告白しておこう。わしは、人間として当然果たさねばならぬことを果たさなかった。神を忘れることで、神の法も忘れたのだ。人間の法律を犯すことはなかったが、だからといって、神の法を遵守(じゅんしゅ)しなかった罪を免れることができるわけではない。

そのことを知ったとき、わしは、すいぶん苦しんだが、現在は希望を持って生きている。わしの悔い改めをご覧になった神様のご慈悲(じひ)におすがりしてるわけじゃ。

よいか、孫娘よ、わしが今日話したことを、良心が麻痺している人々に、繰り返し教えてやるのだ。彼らが、みずからの過ちを善行によって覆(おお)い尽くせるように、助けてやっておくれ。そうすれば、神様は、優しいまなざしで、表面を覆う彼らの償いの数を数えて評価し、その奥に隠されている過ちは見ない振りをして、それらを、慈悲あふれた御手(みて)で、そっと消し去ってくださるのだよ」

(2)エレーヌ・ミシェル嬢――突然に死亡した女性
25歳の時に、突然、何の前触れも無く、数秒のうちに死亡したが、苦しむことはなかった。裕福だったが軽薄であったために、真面目な事柄に取り組むよりも、目先の楽しみに心を奪われて生活した。とはいっても、よこしまなところは全くなく、善良で、優しく、思いやりに溢れ、愛に満ちていた。

死の三日後に、知人によって招霊された彼女は、次のようなメッセージを送ってきた。

「自分がどこにいるのか分かりません――。混乱しています――。あなたが呼んでくださったので、来たのですけれど――。どうして自分の家にいないのでしょう――。

家では、みんなが泣いていました。私は、ちゃんといるのに。でも、私がいることに誰も気がつかないのです――。私の体は、もう私のものではありません。それがとっても冷たいのが分かります――。身体から離れたいのに離れられません。何度も何度も体に戻ってしまいます――。まるで自分が二人いるみたい――。

ああ、一体いつになったら、何が起こったのか分かるのかしら――。あちらに行かなくては――。もう一人の私は、どうなってしまうのかしら?――さようなら」

肉体と霊が完全に分離していないので、自分が二人いるように感じられているのである。あまり真面目ではなく、しかも財産に恵まれていたので、色々な気まぐれを満たすことが出来た為に、軽薄さが、傾向性として、かなり強く固定されたようである。したがって、肉体と霊の分離がそれほど速く行われないのも頷ける。死後三日経っているというのに、まだ肉体に繋ぎ止められているのである。

しかし、生前に深刻な罪を犯しておらず、心は奇麗なので、こうした状況も苦しみを引き起こすことはなく、それほど長く続くわけではない。

この日から数日して再び招霊してみると、随分変化があった。以下が、そのメッセージである。

「私の為にお祈りをしてくださって、どうもありがとうございました。優しい神様のおかげで、肉体と霊の分離に伴う苦しみと恐れがありませんでした。

お母様は、諦めがつくまでは、まだまだ苦しまれることでしょう。でも、きっと元気を取り戻すことができると思います。今回のことは、お母様にとっては耐え難い不幸と思われるでしょうが、お母様が天国のことに気づくためには、どうしても必要なことだったのです。お母様の地上での試練が終わるまで、私は、ずっとお母様のおそばにいるつもりです。そして、試練に耐えられるように助けてさしあげるつもりです。

私は不幸ではありませんが、天国できちんとした生活が出来るためには、もっともっと向上しなくてはなりません。もう一度、地上に生まれ変われるように、神様にお願いするつもりです。だって、今回の人生で無駄にした時間を償う必要があるのですもの。

皆様、信仰を大切になさってくださいね。心から発したお祈りは、本当に効果があります。神様はよき方です」

――自分を取り戻すまでには、だいぶ時間がかかったのですか?

「あなた方が祈ってくださった日に、自分が死んだということが分かりました」

――混乱している間は、苦しかったですか?

「いいえ、苦しんではいませんでした。[夢を見ている]と思っていたのです。そして、夢が覚めるのを待っていました。

勿論、私の人生に苦しみが無かったというわけではありません。でも、地上に生まれれば、みんな苦しみは味わうものです。私は神様のご意志に従いました。そして、神様はそのことをちゃんと見ていてくださいました。

祈ってくださって、本当にありがとうございます。そのおかげで、自分を取り戻すことが出来たのです。ありがとうございました。

また呼んでくだされば、いつでも喜んで降りてくるつもりです」

(3)アンナ・ベルヴィル――長く病気に苦しんだ若い母親
長い間病気に苦しんだ挙げ句、35歳で亡くなった女性。生気に溢れ、霊的で、類いまれなる知性、正しい判断力、高い精神性に恵まれていた。献身的な妻であり、母であり、大変しっかりした女性であり、どのような危機的な状況に置かれても決して挫けないだけの、精神的な強さを持っていた。彼女に辛く当たる人々に対しても、決して恨みを抱かず、機会さえあれば、そういう人々に尽くそうとした。

私は、長年の間、彼女と親しくしていたので、彼女の人生のあらゆる段階のことをよく知っており、最後の日々の出来事もつぶさに知っている。

彼女は、ある事故から、ひどく重い病気になり、3年の間、ベッドに伏せることとなった。最後の瞬間まで、ひどい痛みに苦しんだが、彼女は決して本来の陽気さを失うことなく、健気に痛みに耐えた。

魂の存在と死後の世界の存在を固く信じていたが、普段は、そうしたことをあまり気にしていなかった。常に現在を大切にし、現在に集中して生きており、死を恐れることはなかった。

物質的な喜びには関心がなく、非常に簡素な生活を送り、手に入れられないものを欲しがるようなことはなかった。だが、生まれつき、よいもの、美しいものを知っており、生活の細部に至るまで、そうしたものへの配慮を貫いていたのは事実である。

子供にとって自分が必要であることがよく分かっていたので、自分の為よりも、子供の為に、もっと長生きしたかった。彼女が生きることに固執したのは、実はその為であった。

霊実在論を知ってはいたが、詳しく勉強したことはなかった。霊実在論に興味は抱いていたのだが、それが彼女の心を占めることはなかったのである。霊実在論が真実であることは分かっていたのだが、深く探求してみようという気にはならなかったということである。

彼女は、よいことを多くなしたが、それは、自発的に、自然にそうしたまでであって、死後の報いを得たいから、或は、死後に地獄に行きたくないからということで、そうしたわけではなかった。

随分前から病勢が進んでおり、人々は、いずれ彼女が逝かねばならないものと見ていた。彼女自身もそれは自覚していた。

夫が外出していたある日、彼女は、自分がもうすぐ死ぬことを悟った。目がかすみ、意識が混濁し、魂と肉体の分離に伴うあらゆる苦しみが彼女を襲い始めた。しかし、夫が帰る前に死ぬのは辛かった。そこで、最後の力を振り絞って、「まだ死にたくありません」と言った。すると、また力が湧いてきて、何とか持ち堪えることが出来た。

ようやく夫が帰ってきた時、彼女はこう言った。
「私はもうすぐ死ななければなりません。でも、最後の瞬間に、あなたに、側にいてほしかったの。だって、あなたに言っておきたいことが、まだいくつもあるのですもの」

その後も、生と死の戦いは続き、彼女は、さらに3ヶ月、生き延びたが、それは大変な苦しみに満ちた日々であった。

死の翌日に招霊を行った。

「私のよきお友達の皆さん、私のことを気にかけてくださって、ありがとうございます。皆さんは、私にとって、よき親戚のようなものでした。

ところで、私は、現在、幸せですので、喜んでください。私の可哀想な夫を安心させてあげてください。また、子供達を見守ってあげてくださいね。この後すぐ、彼らのところにも行ってみますが――」

――あなたの様子からすると、死後の混乱は長く続かなかったようですね。

「友人の皆さん、私は、死の前に、随分苦しみました。でも、それを甘受したことは、皆さんもご存知の通りです。私にとっての試練は終了しました。私は、まだ完全に物質界から離脱したわけではありませんが、もう苦しみはありません。何という慰めでしょう。こうして根本的に癒されたのです。

でも、地上に降りてきて、あなた方と一緒にお仕事をする為には、あなた方のお祈りが必要なのです」

――あなたの長い苦しみの原因は何だったのですか?
「それは恐ろしい過去です」

――恐ろしい過去とは?
「ああ、もう思い出したくありません。本当に高く支払う必要があったのです」

死の一ヶ月後、再び招霊した。

――あなたは、既に物質界からの離脱を完全に果たしたと思いますし、自分をしっかり取り戻したと思います。そこで、前回よりも突っ込んだ形で、色々とお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?あなたの長い苦しみの原因は何だったのか、教えて頂けますか?3ヶ月の間、生と死の境で苦しまれましたね。

「私の言ったことを覚えていてくださって、お祈りしてくださったことに、心からお礼を申し上げます。お祈りは本当に私を助けてくれました。お祈りのお陰で、地上からの離脱が大分楽になったのです。でも、まだ支えて頂く必要がありますので、申し訳ありませんが、今暫くお祈りしてくださるようお願い致します。

あなた方は、お祈りがどのようなものであるか、よくご存知です。殆どの人のお祈りは、単なる決まり文句にすぎませんので、よき効果をもたらしませんが、あなた方のお祈りは、切なる心、純粋なる心から出ていますので、本当に素晴らしい効果があります。

ええ、死の直前、私は、とても苦しみました。でも、苦しんだお陰で、私は、大分償いを果たすことが出来たのです。

その為に、今では、子供達の側に頻繁に行くことが許されています。でも、あの子達と別れるのは本当に辛かった――。

あの苦しみを長引かせたのは、私自身だったのです。『子供達と少しでも長く一緒にいたい』という思いが、肉体への執着となりました。本来なら、きっぱりと肉体を脱ぎ捨てるべきだったのですが、私は、逆に頑になってしまい、いつまでも肉体にしがみついていたのです。その為に、肉体が私の苦しみの道具となってしまいました。以上が、あの3ヶ月間の苦しみの真相です。

病気と、それによる苦しみに関して言えば、あれは、私の過去のカルマの清算の意味がありました。私の過去の『借金』を支払う必要があったのです。

ああ、友人の皆様、私が、生前、皆様のお話をよく聞いていれば、現在の生活は、どれほど変わっていたか分かりません。神様の御心をもっと信頼し、流れに身を任せていたならば、最後の苦しみも、もっともっと和らいだことでしょうし、肉体と魂の分離も、もっと簡単に行われたことでしょう。でも、私を待っていた死後の世界に目を向けるよりも、目の前の現実に執着してしまったのでした。

次回、地上に転生する時には、必ず霊実在主義者になるとお誓いいたします。何という広大な科学でしょう。私は、よくあなた方の集いに参加し、そこでやり取りされる情報に耳を傾けます。地上にいる時に、そうしたことを知っていれば、私の苦悩は随分和らいだことだろうと思うのです。

しかし、時が充分に熟していなかったのでしょう。

現在では、私は、神様の優しいお心と公平さを理解することが出来ます。でも、地上のことからすっかり解放される程、悟りが進んでいるわけではありません。特に子供達のことが気になっております。あの子達を甘やかしたいのではなく、あの子達を見守り、出来れば霊実在論の教えを実践出来るようにしてあげたいのです。

そうです、お友達の皆さん、私には、まだまだいくつも気がかりがあるのです。子供達の死後の行く末については、特に気になります」

――生前のことで残念に思っていることはありますか?

「お友達の皆様、私は、ようやく全てを告白する用意が出来ました。

私は、母の苦しみを、充分、理解してあげることが出来なかったのです。母が苦しむのを見ても、同情するということがありませんでした。『自分で勝手に病気だと思い込んでいるだけだ』と思っていたのです。母が寝込むということはなかったので、『実際には苦しんでいないのだろう』と思っており、母の苦しみを本気にせず、密かに笑っていたのです。

それが、私の苦しみの原因になったのでした。神は全てを見ておられるのです」

死後6ヶ月経った時、さらに招霊を行った。

「私が地上にあった時、人々は私を善人と思っておりましたが、実際には、私は、何よりもまず自分の快適さを考える人間だったのです。生まれつき、人を思いやる心は持っておりました。でも、『可哀想な人を助ける為に自分の生活を犠牲にする』というところまでは行きませんでした。

現在では、私も大分変わりました。相変わらず、私は私ですが、でも、もうかつての私ではありません。というのも、次のことが分かったからです。それは、『見えない世界においては、心境の高さ以外に価値を測る物差しはない』ということです。したがって、金持ちだけれども傲慢な人よりも、貧乏だけれども思いやりのある善人の方が、その境涯が遥かに高いのです。

私は、現在では、両親や財産を失って不幸になった子供達や、家族に不幸があって苦しむ人々を、特別に見守るお仕事を頂いております。彼らを慰め、勇気づけるのが、私の仕事ですが、このお仕事をすることが出来て、とても幸せです」

アンナの話を聞いて、メンバーから次の重大な質問が出た。

――当人の意志いかんによって、魂と肉体の分離の時期を遅らせることは可能なのですか?

それに対して、聖ルイから次のような霊示を頂いた。

「この質問に対して、『何の制限もなく、その時期を遅らせることが出来る』と答えたとすれば、よからぬ結果を招くかもしれません。勿論、肉体に宿っている霊が、ある種の状況下において、自分の意志によって肉体の生存を長引かせることは可能です。アンナの例においても、それが見られましたし、それ以外にも、皆さんは、既に数多くの例を観察したはずです。

ただ、地上の生命を引き延ばすということは、仮にそれが許されたとしても、限定された短い間のことにすぎません。というのも、自然の法則に介入することは、人間には許されていないからです。それは、あくまでも一時的な例外にすぎません。

以上のように、可能性としては、本人の意志で地上生命を引き延ばすことは出来ますが、それを一般的な法則と考えてはなりません。『どんな場合でも、自分の思い通りに生命を引き延ばすことが出来る』と考えたら間違いになるのです。

霊に対する試練として、或は、霊にまだ果たすべき使命が残っている為に、使い古された肉体器官に生体エネルギーが注ぎ込まれ、その結果、まだしばらく地上に存在し続けることが可能になるということがあります。とはいえ、そうしたことは、あくまでも例外であって、一般的な法則ではないのです。

また、そうしたことは、神ご自身がその法の不変性を侵したということではありません。それは、人間に与えられた自由意志の問題であると考えるべきでしょう。最後を迎えつつある人間が、自らに与えられた使命を自覚し、それを、死ぬ前にどうしても果たしたいと考えた場合、そうしたことも起こり得るということなのです。

また、一方では、死後の世界を信じない者に対する罰として死期が遅れるということも、時には起こります。死期が遅れることによって、それだけ苦しむ時間が長引くことが必要になる者もいるのです」

アンナの霊が持っていた、肉体への執着の凄まじさを考えた場合、肉体からの離脱が随分素早く行われたことに驚く読者がいるかもしれない。しかし、この執着は、ひたすら子供のことを思ってのことであって、物質それ自体に執着していたわけではないことを理解しておく必要がある。「いたいけな、まだ小さな子供を残して死ぬわけにはいかない」というのが彼女の本心であった。

彼女の霊は、知性においても、精神性においても、かなり進化した霊であった。もう一段、進化すれば、非常に幸福な境涯に進めるはずの霊である。したがって、物質と自己同一化している霊に特有な、肉体と霊の結びつきの強さというものは、彼女の場合には見られなかった。

長引いた病気によって生命力が弱っていて、その為に、電子線が大分痛んでおり、辛うじて霊と肉体が繋がっているような状況であったと言えよう。アンナの霊が切りたくなかったのは、この弱くなった電子線であった。

とはいっても、彼女の霊は、子供のことを思って分離に抵抗した為に、病気に由来する痛みに苦しむことはなかったが、分離することそれ自体が彼女にとって困難だったわけではない。そういうわけで、いよいよ死ぬことになった時には、分離に伴う混乱は短時間で済んだのである。

死後、ある程度、時間が経ってからの招霊は、殆どそうであるが、この招霊のケースでも、我々は大切な事実を学ぶことが出来た。それは、「死後、時間が経つに従って、霊の心境に徐々に変化が生じてくる」という事実である。霊の心境が、段々高くなってくるのである。アンナの霊の場合、それは、「感情が、より高度なものになっていく」というよりも、「物事の評価の仕方が健全になっていく」という形で表れた。

したがって、霊界での魂の向上は、経験的に確かめられた事実なのである。こうして進化した魂が、地上生活を送ることで、その悟りを実際に試すことになるのである。地上生活は、魂の決意に対する試練であり、魂が自らを浄化していく為のるつぼであると言ってもよいだろう。

肉体の死後、魂が進化し始めるや否や、その運命は、絶えず変化し続ける。運命が決定的に固定されるということはない。というのも、既に述べたように、運命の固定は、直ちに進化の否定になるからである。運命の固定と進化は両立し得ない。事実と理性によって承認される真実のみが残るのである。