第2部 天国霊・地獄霊からの通信の記録
第3章 苦しんでいる霊
(1)オーギュスト・ミッシェル――金持ちの青年
ル・アーブルにて、一八六三年。
オーギュストはお金持ちの青年で、物質的な生活を、ただそれだけを、大いに楽しんだ。頭は良かったのだが、まじめなことがらにまったく関心がなかった。よこしまなところはなく、むしろ善人といってもよかったので、遊び友達からは愛されていた。社交界での付き合いに生きたと言ってよいであろう。悪を犯すこともなかった代わりに、善を行うこともなかった。
ある日、乗っていた馬車が崖(がけ)から転落して、あっけなく命を失った。
死後、数日してから、間接的に彼のことを知っていた霊媒によって初めて招霊され、それから徐々に日を追って、次のようなメッセージを降ろしてくれた。
三月八日
「まだ完全に体から離れていません。それに――まだうまく話すことができません。馬車がいきなり転落して私の体が死んだのですが、そのおかげで私の――霊はひどく混乱しました。これからどうなるのかが分らず、そのために不安で――不安でしかたありません――。死の瞬間に私の体が味わった恐るべき痛みも、いま私が感じている苦痛に比べれば、何ほどのこともなかったのです。
神が私を許してくださるように、どうか祈ってください――。ああ、何という苦しみ!
ああ、神様、ご慈悲を! ああ、苦しい! それではさようなら」
三月十八日
「先日、来ましたが、そのときは、うまく話せませんでした。いまでも、まだ、通信するのには困難があります。
あなたしか、お願いできる霊媒がいないので、どうか、神様が、現在の混乱から私を救ってくださるように、私のために祈ってください。
もう肉体は苦しんでいないのに、どうして、私はまだこんなに苦しいのでしょうか?この恐ろしい苦しみ、耐えがたい苦悩は、どうして、これほど長く続くのでしょうか?祈ってください。神様が私に休息をくださるように、どうか祈っていただきたいのです。
ああ、何という不安でしょう。私はまだ体から離れられずにいます。どこに行けばいいのか、よく分りません。私の体がそこに見えます。ああ、どうして、いつまでもこんなところにいるのだろう?
私の遺体に向かって祈ってください。そうすれば、私は体から離れることができるかもしれません。神様は、きっと、私を許してくださるだろうと信じています。
あなたがたのまわりに霊たちがいるのが見えます。私は、彼らのおがげで、あなたがたに話ができるのです。
ああ、どうか、私のために祈ってください」
四月六日
「あなたがたに祈っていただきたくて、こうしてまた舞い戻ってまいりました。私の遺体があるところに行って、私の苦悩が安らぐよう、全能なる神に祈っていただきたかったのです。
ああ、苦しい! ああ、何という苦しみ! どうか、どうか、遺体のある場所に行ってください。そうして、私を許してくださるよう、神様に祈ってください。そうすれば、心が安らぐと思います。しかし、いまのところは、かつて私を葬(ほうむ)った場所に、絶えず戻らざるを得ないのです」
オーギュストの霊が、どうして「墓の前に行って祈ってくれ」と言うのかが分らなかったので、この霊媒はそうしなかった。しかし、あまりにも繰り返し懇願(こんがん)されるので、ようやくそうすることにした。すると、墓の前で次のメッセージを受け取った。
五月十一日
「あなたを待っていました。私の霊が体に縛りつけられている場所にあなたが来てくださり、寛大な神様に祈ってくださるのを待っていたのです。
どうか、私の苦悩を和らげてくださるよう、神に祈ってください。あなたのお祈りによって、私はとても楽になるのです。早く、早く、祈ってください。お願いです。
私の人生がどれほど本来の姿からずれていたかが、いまではよく分ります。私の犯した過ちが何であるかも、よく分ります。
私は地上で無用な存在として生きてしまいました。自分の能力を人のためにまったく生かさなかったからです。私は、財産を、自分のためだけに、つまり、自分の欲望を満たし、自分に贅沢(ぜいたく)をさせ、虚栄心を満足させるためだけに使ってしまいました。体が喜ぶことだけをして、魂が喜ぶことを何もしませんでした。
地上で犯した過ちゆえに、いまだに苦しむ私の魂の上に、はたして神様は慈悲の光を降ろしてくださるのでしょうか?
神様が私を許してくださるように、どうか祈ってください。そうすれば、いま感じているこの苦しみから解放されると思います。
私のために、ここまで祈りに来てくださったことに心から感謝します」
六月八日
「私が、神の許しを得て、こうしてあなたがたに話ができることを、感謝しております。私は、自分の過ちに気がつきました。どうか神様が許してくださいますように。どうか、あなたは信仰に従って生きてください。そうすれば、私がいまだに手に入れていない安らぎを、必ず手に入れることができるはずです。
祈ってくださって、本当にありがとうございました。それでは、さようなら」
「墓の前に行って祈ってくれるように」との、霊の執拗(しつよう)な依頼は、まことに不思議なものであったが、この霊が、生前、まったく物質的な生活を送ったために、死んでから、霊と肉体との結びつきが極めて強く、霊子線がなかなか切れず、分離が非常に困難であったということを思えば、理解することが可能である。
遺体の近くで祈ることによって、遺体に幽体のレベルで働きかけることとなり、その結果、分離を容易にするということであったのだ。
亡くなった人の遺体のそばで祈るということが広く見られるが、これは、人々が、無意識のうちに、そうした効果を感じているからではないだろうか。この場合、祈りの効果は、精神と物質の両方のレベルで表れるわけである。
(2)ウラン王太子――ロシアの貴族
一八六二年、ボルドーにて。
苦しんでいる霊が、「自分はウランというロシアの貴族である」と言って、以下のメッセージを伝えてきた。
――現在の状況を教えて頂けますか?
「『ああ、心貧しき者達は幸いなり。天国は彼らのものである! 』
どうか私の為に祈ってください。心貧しき人々は幸いです。なぜなら、試練に立ち向かう時に、謙虚な姿勢で臨むからです。
あなた方、つまり、地上にいた時に幸福であった人々を羨望の眼差しで見ていたあなた方には、彼らが、その後どうなったかは、分からないでしょう。彼らが、頭の上に、燃え盛る石炭を積まれているのを知らないでしょう。富を自分の楽しみの為だけに使った者が、その後、どのような犠牲を払うことになるか、あなた方には見当もつかないでしょう。
傲慢な暴君であった私は、圧政を敷いて人々を散々痛めつけました。私が傲慢によって犯したこれらの罪を、神の許可によって償うことが出来たなら!
ああ、傲慢! この言葉を繰り返し言って、忘れないようにしてください。傲慢こそが、人間を襲うあらゆる苦悩の原因なのです。
ああ、私は、権力を濫用し、私に与えられていた恩寵を濫用しました。私は、家臣達に対し、冷たく、残酷で、彼らを、私のあらゆる気まぐれに従わせました。そうして、私はあらゆる邪悪な欲望を満たしたのです。
私は、威厳、栄誉、財産を求めたが、それらをあまりに多く得すぎた為に、その重さに耐えられずに潰れたのです」
人生に失敗した霊達は、殆ど例外なく、「自分が失敗したのは、重過ぎる荷物を負わされたからだ」と言う。これは、彼らなりの言い訳なのであろうが、そこには、まだ傲慢さが残っている。彼らは、「自分が悪かった為に失敗した」と認められないのである。
神は、どんな人に対しても、負える以上の荷物を負わせることはない。また、その人が与えることの出来るものより多くのものを要求することもない。種から芽を出したばかりの幼い苗に、「大木と同じだけの果実をならせよ」とは言わないのである。
神は霊達に自由を与えておられる。彼らに欠けているのは意志のみである。そして、意志は、彼ら自身が持つ他ないものであって、誰かが強制的に持たせることは出来ない。意志さえあれば、克服出来ない欠点はない。だが、ある欠点を持っていることに満足している限り、それを克服しようと努力することは有り得ない。
したがって、いかなる結果が出ようとも、全て自分に責任があるのである。他者や環境を責めるべきではない。
――あなたは、ご自分の過ちを自覚しておられます。それこそが、向上への第一歩ではないでしょうか?
「この自覚は、まだ苦悩を呼ぶのみです。多くの霊にとって、苦悩とは、物質的な側面に原因があるのです。というのも、未だに物質的なものにこだわっているので、精神的な側面が見えてこないからです。私の霊は肉体から離脱しましたが、肉体が感じていた恐るべき感覚が、そのまま霊に引き継がれているのです」
――あなたの苦しみがいつ頃終わるか、見当はつきますか?
「それが永遠に続くものでないことは分かります。しかし、それがいつ終わるのかは、全く分かりません。その前に、試練を受ける必要があるのでしょう」
――試練は、もうすぐ始まると思いますか?
「よく分かりません」
――あなたは、ご自分の過去世の記憶を持っていますか?これは、教育的な見地からお聞きしているわけですが。
「ええ。それに、あなたの指導霊達は、全て知っているはずです。
私は、マルクス・アウレリウスの時代にも生きていました。その時も、私は権力者であり、傲慢であり、傲慢ゆえに失敗しました。傲慢こそが、あらゆる転落のもとであります。
その後、何世紀にもわたって霊界で修行した後、私は、無名の人間として目立たない人生を送ることにしました。貧しい学生として、私は物乞いして生きました。しかし、傲慢さはなくなりませんでした。知識はたくさん身につけましたが、温かい心は得られませんでした。野心家の学者として、私は、最も高く買ってくれた悪魔に魂を売り、復讐と憎悪に生きたのです。まずいとは感じましたが、名誉と富への渇望が、良心の叫びを押し殺してしまったのです。その時も、償いは、長く、厳しいものでした。
そして、今回の転生でも、私は、贅沢と権力に満たされた生活を再び選んだのです。自分で『暗礁』を避けることが出来ると思って、人の意見には耳を貸しませんでした。またしても、傲慢さから、自分の考えだけを重んじたのです。私を見守って忠告してくれる友人達もいたのに、彼らの言うことにも耳を傾けませんでした。その結果がどうなったかは、あなたがよく知っているとおりです。
今日、ようやく事態がのみ込めました。主の慈悲に期待することにします。打ち砕かれた私の思い上がりを、神の足元に置き、私の肩に、最も重い謙譲の荷物を置いてくださるよう、お願いしてみましょう。神の恩寵のおかげで、この荷物は、より軽く感じられることでしょう。
私と一緒に、そして私の為に、祈ってください。そして、あなた方を神の方に高めていく本能を悪魔が破壊しないようにと祈ってください。
苦しみの中にある兄弟達が、私の例を見て気がつきますように。『傲慢とは幸福の敵であり、人類に襲いかかる全ての悪は傲慢から生じる』ということ、そして、『この悪は霊界までもついていく』ということを、どうか決して忘れないでください」
霊媒の指導霊からのメッセージ:「あなたは、この霊に対して、いぶかしい感じを持ちました。というのも、彼の洗練された言葉遣いが、現在の彼の苦しみに満ちた境涯から、あまりにも、かけ離れているように思われたからです。でも、心配は無用です。あなたは非常に大切な教えを得たのです。この霊は、大変な苦しみの中にあるとはいえ、知性が相当高いので、あのように優れた言葉遣いで話すことが出来たのです。
彼に欠けているのは謙虚さだけです。そして、この謙虚さがないと、人、そして霊は、神のもとに決して至ることが出来ないのです。彼は、ようやく、この謙虚さを得ることが出来ました。
我々は、忍耐強く、彼が新たなる試練に勝利することを願い続けましょう。
我らの父なる神は、智慧と正義の神です。神は、人間が、自らの悪しき本能を制御しようとして払う努力を、きちんと評価してくださいます。
あなた方が収める一つひとつの勝利は、進化の階梯の一段一段に相当します。この階梯の一番下の段は地上界に接しており、一番上の段は神の足元に至っているのです。ですから、勇敢に、この階梯を上りなさい。強い意志を持った者には、この階梯は楽なのです。いつも上の方を見て、勇気を奮い起こしなさい。
途中で止まり、引き返す者は不幸です。彼らは目がくらんだのでしょう。空虚が彼らを取り囲み、恐れさせるものです。彼らは力を失い、こう言います。
『もっと上ろうとしても無駄だ。たったこれだけしか進んでいないのだから』
いいえ! 友人達よ、決して後戻りしてはなりません。傲慢は人間には特有のものですが、その傲慢を上手に使って、この階梯を上り続ける為の力と勇気に変えることも出来るのです。弱さを制御する為にこそ傲慢さを使い、永遠の高峰の頂上を極めるのです! 」
(3)フェルディナン・ベルタン――海難事故の犠牲者
ル・アーブルに住む、ある霊媒が、生前、知り合いだった、ある人の霊を招霊したところ、この霊は次のように言った。
「私はコミュニケーションをとりたいのですが、私達の間に障害があって、つまり悪霊がいて、それを追い払うことが出来ません。この苦しむ霊が、まず、あなた方にコンタクトを取りたがっていますので、彼に順番を譲ろうと思います」
そして、霊媒は次のような自発的なメッセージを受け取った。
フェルディナン・ベルタンからのメッセージ:「私は今、恐るべき深淵の中にいます。どうか助けてください――。
ああ、神様、誰が私をこの深い淵から救ってくれるのでしょう?海にのみ込まれた、この不幸な人間に、誰が救いの手を差し伸べてくれるのでしょうか?
夜の闇が、あまりにも深くて、私は恐怖にさいなまれています――。波のとどろきが、辺りに満ちて、もうすぐ死ぬというのに、私を慰め、助けてくれる友人の声が、全く聞こえません。この深い闇の中で、すさまじい恐怖の中で、死んでいかねばならないとは! 嫌だ、死にたくない!
――ああ、神様、私はこれから死ぬのでしょうか?それとも、もう死んでいるのでしょうか?愛する者達と永遠に別れるのでしょうか?
私の体が見えます。
そして、死の瞬間に感じたのは、とてつもない苦しみでした。私を哀れんでください。あなた方には私の苦しみが分かるはずです。私の為に祈ってください。
あの忌むべき夜から、ずっとそうなのですが、もうこれ以上、あの引き裂かれるような苦しみを繰り返し体験するのは嫌です。でも、それが私に対する罰であることも分かっています。死ぬ前から感じてはいました――。どうか、どうか、私の為に祈ってください――。
ああ、海に、冷たい海にのみ込まれる! 助けてくれ! ああ、哀れみを! どうか、――どうか助けて下さい。ああ、息が苦しい! 波にのまれる! ああっ! ――もう、家族は私の姿を二度と見ることが出来ないのか――。
おや、私の体が落ち着いてきたぞ。お母さんのお祈りが聞き届けられたんだ! ああ、お母さん、息子が今現実にどうなっているかが分かったら、もっと熱心に祈ってくれるでしょうに! だが、お母さんは、私がこんなふうに死ぬことで、過去が償われると思い込んでいる。お母さんは、私が犠牲になったと思っており、不幸ではないと思っている。だが、実際には、こうして酷い処罰を受けている!
ああ、あなた方には事情が分かるはずだ。どうか――、どうか――、私の為に祈ってください――」
フェルディナン・ベルタンという名前は、霊媒には全く未知のもので、この名前に関して、いかなる記憶もなかった。この霊は、きっと、遭難で亡くなった不幸な人の霊であり、今まで何度も経験しているように、向こうから自発的にメッセージを送ってきたのだろうと思った。
やがて、しばらくして、彼が、ル・アーブルの沖合で一八六三年十二月二日に起こった大惨事の犠牲者の一人であることが確認された。メッセージは、同月8日、すなわち、惨劇の6日後に送られてきたことになる。フェルディナンは、乗組員を助けようとして、前代未聞の努力をし、ようやく「救える」と確信した瞬間に命を落とした。
フェルディナンは、霊媒を知っていなかったし、霊媒と、いかなる親戚関係にもなかった。どうして、家族の他のメンバーのところに現れずに、この霊媒のところに現れたのだろうか?
それは、霊達は、霊能力を持った、ある特定の人間にしか、コンタクトをとれないからなのである。しかも、混乱状態にあったので、他の選択肢がなかったのであろう。おそらく、本能的に引きつけられて、この種の自発的なコミュニケーションの為の特殊な能力を備えた、この霊媒に、コンタクトを取ってきたものと思われる。今まで自発的にコンタクトを取ってきた霊達と同様に、この霊媒から特別の共感能力を感じ取ったのだろう。
霊実在論を知らず、おそらく、その種の考え方に反感を持っていたはずの家族にコンタクトを取ろうとしても、きっと拒絶されたことと思われる。
既に、死後数日経っていたにもかかわらず、霊は、まだ、死の時の苦悩から抜け出せていない。自分の置かれた状況が、まだはっきりと分かっていないようである。まだ、生きており、波と闘っているつもりでいる。だが、一方で、自分の体から分離しているのにも気づいている。救いを求め、「死にたくない」と言っている一方で、自分の死の原因が処罰であるようだとも言っている。
こうした混乱は、横死を迎えた霊達に特有の現象である。
2ヶ月後の一八六四年二月二日、この霊は、同じ霊媒に再び自発的にコンタクトをとり、次のようなメッセージを伝えてきた。
「私のあの凄まじい苦しみに対して、あなた方が同情してくださったお陰で、大分助かりました。今では、『希望』ということが分かるようになりました。過ちに対する処罰の後で、許しをかいま見ることが出来るようになりました。
まだ苦しんではいますが、ほんのしばらくの間であれ、私が、この苦しみの終わりをかいま見ることが出来るのは、あなた方が私の状況に同情してくださって、思いやりと共に祈ってくださったお陰です。ありがとうございます。
ああ、希望とは、空の輝きです! 私の魂のうちに生まれてきた希望を私は祝福しましょう。
ああ、だが、一方で、深淵が口を開き、恐怖と苦しみが慈悲の思い出を消し去ろうとする。ああ、暗い、真っ暗闇の夜だ! 海にのみ込まれる! ああっ! 波が私の体を翻弄する――。だが、それも、もはや、微かな思い出でしかない。
あなた方の側に来ると、楽になります。恐ろしい秘密でも、友人に打ち明けることが出来れば、胸の内が軽くなりますが、それと同じように、私の悲惨な状況に同情してくださる皆さんのお陰で、私の苦しみは安らぎ、私の霊体は楽になります。あなた方のお祈りのお陰で、大変助かりました。
どうか、お祈りすることを拒否しないでください。また、あの恐ろしい悪夢の中に戻りたくないからです。どうか、これからも、度々私の通信を書き取ってください。そうして頂けると、とても助かるのです」
この日から数日後に、パリにおける集いで、この同じ霊が招霊された。その際に、次のような一連の質問がなされたが、それに対して、後に掲げるような答がなされた。
質問
――最初に自発的な霊示を送ってきた時は、誰かに導かれて霊媒のところにやってきたのですか?
――その時、死んでから、どれくらい時間が経っていましたか?
――あなたが初めて通信を送ってきた時は、死んでいるのか生きているのか分からない状態で、しかも、死んだ時の凄まじい苦しみを感じているようでした。現在では、自分が置かれた状況は、前よりも分かってきているのでしょうか?
――あなたは、自分の死が償いであるとおっしゃっていました。何に対する償いなのですか?それを教えていただければ、私達には貴重な学びになりますし、あなたにとっては心の解放になることと思います。誠実に打ち明けてくださることで、神の慈悲が臨むだろうと思うのです。私達もお祈りで支援しましょう。
答え
「まず、『人間があんなに苦しむことは、それほどないだろう』と言っておきましょう。ああ、荒れ狂った波に翻弄され、氷のような冷たさに、晒され続けるのですよ。
しかし、いつまでも、そんなことを話していても、仕方ありません。まず、私の苦しみに対して、あのように同情してくださった皆様に、感謝申し上げねばなりません。
さて、『私の死後どれくらい経ってからコンタクトを取ったのか』とのお尋ねでした。それにお答えすることは簡単ではありません。未だに私がどれほど大変な状況にいるか、考えて頂きたいのです。
とはいえ、自分のものではない、ある意志によって、霊媒のもとに導かれたように思います。そして、これは信じ難いことなのですが、丁度、今、この瞬間に行っているように、あなたの腕をまるで自分の腕であるかのように使って容易に文字を書くことが出来たのです! しかも、そうして文字を綴っている間は苦しみが軽減され、大変楽しく感じられたのです。
しかし、ああ、神よ、私はある告白をせねばなりません。私には、その力が残っているでしょうか?」
(我々の励ましを受けて、やがて霊は付け加えた)
「――私は非常に重い罪を犯したのです。その為に苦しみを経験しなければなりませんでした。私は――、それ以前の転生で――、何人もの人間を袋に詰め込んで――、海に沈めたことがあるのです! ああ、私の為に祈ってください! 」
この通信に関して、聖ルイから次のようなメッセージを頂いた。
「この告白をしたお陰で、この霊は大いなる心の安らぎを得ました。そう、彼は大変な罪を犯していたのです。
しかし、今回の人生は立派なものでした。彼は、目上の者達に愛され、評価されました。それは、彼が、地上に生まれ変わる前に、しっかりと悔い改め、決意をしたお陰です。今回の転生では、過去世を償う為に、人間的に生きようと決心したのです。
彼が最後に果たした自己犠牲は、確かに償いとなりました。しかし、それではまだ足りず、死の瞬間に味わうことになった、凄まじい苦しみによって、過去の過ちを償う必要があったのです。『自分が他者に味わわせた拷問のような苦しみを、自分自身でも味わうことによって、浄化を果たしたい』と、自ら望んだのです。
そして、それ以来、彼は償いの道から名誉回復の道へと進んだのです。
あなた方のお祈りは、彼を大いに助けました。あなた方のお祈りのお陰で、彼は、名誉回復の道を、より確かな足取りで、しっかりと歩み始めることが可能となったのです」
(4)フランソワ・リキエ――けちくさい独身の中年
フランソワ・リキエは、どこにでもいるような、けちくさい独身の中年で、一八五七年にC――で亡くなったが、死後に、相当の財産を傍系血族に残した。
彼は、ある婦人に家を貸していたことがあったが、この婦人は、それ以来、家主のことはすっかり忘れており、彼が生きているのか死んでいるのかさえ知らなかった。
一八六二年、この婦人の娘が、強硬症の発作に襲われ、その後、催眠状態に陥り、書記霊媒としての能力を発揮し始めた。
そして、ある時、睡眠中に、リキエ氏が夢の中に現れ、彼女の母親にコンタクトをとりたいと言ってきた。
数日後に、次のようなやり取りがなされた。
――私達に何をお望みですか?
「やつらは、俺の金を奪い取り、みんなで分け合った。俺の農場を売り、家を売り、全てを売って、分け合った。俺の財産を全て横領したのだ。何とかしてほしい。奴らには、俺の声は聞こえないし、俺も、あんな卑しい奴らの面を見るのは嫌だ。俺を高利貸しだと言っておきながら、その金を取りやがったのだ。金の貯め方に文句を言っておきながら、その金を取って、返そうともしないのだ」
――でも、あなたは、もう死んでいるのですよ。あなたには、もうお金は必要ないのです。今回の強欲な人生を償う為に、神様に、次の転生では慎ましい人生を送らせてくださるよう、お願いしたらいかがですか?
「馬鹿なことを言うな。そんなことは絶対に嫌だ! 貧乏人なんかにはなりたくない。俺が生きるのには、どうしても金が要るんだ。
それに、また生まれ変わる必要なんかない。現在ただいま、ちゃんと生きているんだからな! 」
――(この霊を現実に引き戻す為に)今苦しいですか?
「ああ、苦しいとも! どんな酷い病気にかかっているよりも苦しい。だって、苦しんでいるのは、俺の魂なんだからな!
俺の生き方は、多くの奴らに嫌われたが、その酷い生き方に、ずっと直面させられているんだ。俺は、同情にさえ値しない哀れな人間なのだ。苦しくて仕方がない。どうか、この辛い状態から、俺を救ってくれ」
――あなたの為に祈りましょう。
「それは有り難い。俺が地上の富への執着から離れられるように祈ってくれ。とにかく、そうしないと、悔い改めが始まらない。
それでは、有り難うよ。シャリテ通り14番、フランソワ・リキエ」
この霊は、生きている人間のように、地上の住所を言ってから帰った。霊媒となったくだんの娘が、事実関係を調べる為に、その番地に行ってみると、はたして、そこはフランソワ・リキエ氏が最後に住んでいた家であった。
そのように、死後5年経った今でも、彼は、自分が死んでいるとは思っていないのである。
そして、これは、ケチな人間にとっては耐え難いことであるが、自分の財産が地上で相続人達によって分断されるのを見ているのである。
この招霊は、高級霊の意志によって行われたに違いないのだが、こうして、我々と話をすることによって、彼が、現在、自分が置かれた状況を理解し、悔悟する気になることを、我々も、高級霊と共に望みたい。
(5)クレール――極端なエゴイスト
一八六一年、パリ霊実在主義協会にて。
以下のメッセージを送ってきたのは、ある女性の霊である。
霊媒が、生前のこの女性を知っていたのだが、彼女の性格と振る舞いからすれば、現在、彼女がさらされている激しい苦しみは、あまりにも当然のことのように思われる。彼女は極端なエゴイストであったし、また、三番目のメッセージから窺われるような、相当酷い性格を備えていた。さらに、「自分の面倒だけ見て欲しい」と霊媒に望むところにも、彼女の問題がよく表れている。
以下のメッセージは、何度かにわたって送られてきたものであるが、後半の三つのメッセージには、大分心境の進展が窺われる。これも、ひとえに、霊媒が教育的配慮をもって辛抱強く彼女に接し続けた結果であろう。
(一)「私は、不幸な女クレールよ。一体私から何を学びたいというの?
『苦しみを和らげる方法がある』ですって! ふん、空々しい! 一体どこに勇気や希望があるというの?
あんたみたいに頭の悪い人間に、絶対終わらない一日というものが、どれほど恐ろしいか、分かるもんですか! 一日、一年、一世紀、どれも同じこと。時間なんて、はっきりしないし、季節もない。永遠に淀んだ時間、全く進まない一日。ああ、嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! のろのろした重苦しい時間が、鉛みたいにのしかかる。
ああ苦しい! もういや! 周りにいるのは亡霊だけ。押し黙った、何にも関心のない影ばかりだわ。ああ、嫌だ!
でも、こうした悲惨のはるか彼方に神がいることは分かる。父にして主。全てが、そちらの方に向かっているのだわ。神のことを考えたい。神にお願いしてみたい!
私はもがいている。道の上を這い回っている、まるで芋虫みたいに。
どんな力が私をあんたの方に引き寄せたのかしら?もしかして、あんたが私を救ってくれるの?あんたと会ったら、心が少し安らいだし、心が少し温かくなったわ。寒さに震える年寄りを太陽の光が暖めるように、私の凍り付いた魂を、あんたの命が暖めてくれたのよ」
(二)「不幸が、毎日、大きくなっていくわ。永遠ということが分かるようになるにつれて、ますます不幸の感覚が鋭くなる。
ああ、嫌だ! 罪にまみれた時間、エゴイズムと恩知らずの時間、思いやりや献身なんて、馬鹿にしきって、自分の楽しみのことだけ考えていた時間! ああ、そうした時間が呪わしい! 人間界のしがらみ、物質への虚しい執着。ああ、嫌だ! それらのおかげで、盲目になり、私は破滅した。虚しく流れ去った、地上での時間よ! ああ、私は何てことをしてしまったのだろう!
あんたに何て言ってあげればいいのかしら?自分の心を絶えず見つめ、自分よりも人を愛しなさい。よいことをするのをためらわないように。体のことばかり気にして、魂の世話を忘れては駄目。イエスが弟子に言ったように、いつも目覚めていなければいけないの。
私の忠告にお礼を言う必要はないわ。
そんなことは、頭では分かっていたけど、ハートでは分かっていなかった。
ああ、不安で仕方がない。まるで、打ちのめされた犬みたいな気分よ。私はまだ、本当に自由な愛を知らないの。聖なる愛の夜明けは、まだ来ないみたい。
どうか、私の、渇き切った、可哀想な魂の為に祈って! 」
(三)「あんたが私のことを忘れているので、こうして捜してやってきたわ。ごくたまに私の名前を唱えて祈れば、それで私の苦しみが安らぐとでも思っているの?いいえ、そんなことはないわ! 苦しいのよ! 分かる?ねえ! 私は、ずっと彷徨っているの。休むことも出来ず、逃げることも出来ず、希望もなく。永遠の懲罰にこづきまわされ、私の魂はますます反抗的になる。
あんた達が嘆き、打ちひしがれるのを見ると、笑ってやりたくなる。あんた達の苦しみ、涙、悩みなんて、どうってことないわ! いい?私は眠ることさえ出来ないのよ!
ねえ、聞いて! あんたの哲学談義なんて、どうでもいいの! それよりも、私の世話をしてちょうだい! 他の人達にも私の世話をさせてちょうだい!
ああ、この苦しみは、どう表現すればいいのか分からない。とにかく時間が流れないのよ! それがどんなに苦しいか分かる?
ほんの微かでも希望があるとすれば、それは、あんたが与えてくれる希望だわ。だから、私から離れないで! 」
聖ルイからのメッセージ:「これは、まさしく真実そのものです。ここには、いささかも誇張はありません。
『ここまで酷い境涯に落ちるとは、一体、この女性は何をしたのだろうか』と、あなた方は不審に思うかもしれません。彼女は何か恐るべき罪を犯したのでしょうか?盗みでも働いたのでしょうか?殺人を犯したのでしょうか?
いえ。彼女は、法に触れるようなことは、一切していません。むしろ、彼女は、地上の幸福といわれるものを余すところなく満喫していたのです。美貌、財産、快楽、追従、それら全てを手に入れ、何一つ欠けるものはありませんでした。人々は、彼女を見て、『なんと幸福な女性だろう! 』と思い、羨んだものです。
では、彼女は何をしたのでしょうか?いや、彼女は何かをしでかしたのではなく、単にエゴイストだったに過ぎません。彼女は全てを手に入れたのです。たった一つ、善良な心を除いては。
彼女は、人間のつくった法律は犯しませんでしたが、神の法に反したのです。つまり、彼女は、徳のうちの最初のものである思いやりを忘れていたのです。彼女が愛したのは自分自身だけでした。そして今は誰からも愛されていません。彼女は誰にも何も与えなかったので、今、誰からも何も与えられません。彼女は、孤立し、見捨てられ、打ち捨てられ、誰も彼女を構ってくれない、誰も彼女の世話をしてくれない空間の中を彷徨っています。それこそが彼女の苦しみなのです。
彼女は浮き世の楽しみにしか興味がなかったわけですが、霊界には、浮き世の楽しみは、一切存在しません。ですから、空虚が彼女の周りを取り囲んでいるだけなのです。彼女には虚無しか見えません。そして、この虚無は、彼女にとっては永遠に続くのです。
彼女は肉体的な拷問を受けているわけではありません。悪魔達が彼女を虐めにやってくるわけでもありません。そんなことは必要ないのです。彼女は自分自身で苦しんでおり、その方が恐ろしいのです。虐めるというのは、少なくとも、その対象に関心があるわけであって、今や、彼女は、誰からも、虐めてさえもらえないのです。彼女に関心を寄せる者は、ただの一人もいません。
エゴイズムは、地上では多くの喜びをもたらすでしょう。しかし、それが霊界までついてきた時、それは、真の悪魔として、その人に付きまとい、その人の心を責めさいなむのです」
(四)「私は、これから、あなた方に、神聖な道徳と人間の道徳の違いについて語りましょう。
神聖な道徳は、打ち捨てられた不義の女を助け、罪人達に対して、こう言います。
『悔い改めなさい。そうすれば、天国への門が開かれます』
神聖な道徳は、全ての悔い改めを受け入れ、全ての罪の告白を受け入れます。
それに対して、人間の道徳は、罪の告白を拒絶し、しかも、一方で、微笑みながら、隠された罪を半ば許されたものとして見逃すのです。
一方には許しの恩寵があり、一方には偽善があるばかりです。
真理のあくなき探求者達よ、さあ、選ぶのです。次の二つのうち、一つを選ぶのです。一つは、悔い改めに対して開かれた天国の門、いま一つは、エゴイズムとごまかしを許しておきながら、一方で心からの告解と悔悟を拒絶する寛容さです。
さあ、罪を犯した者達よ、悔い改めなさい。悪を拒絶し、醜さを覆い隠す偽善を拒絶するのです。そして、お互いに都合のいいように取り繕い合う為の、偽りの笑みを浮かべた仮面を、投げ捨てるのです」
(五)「私はいま安らぎに満たされており、自分の犯した過ちを償おうとしております。
悪は全て私の内にあり、私の他にはありません。したがって、変わらなければならないのは、外の世界ではなくて、私自身なのです。天国も地獄も自分の中にあるのであって、霊界へ還れば、良心に刻み込まれた自分の過ちの全てに直面せざるを得ません。こうして、私達は、自らの判事となるのです。魂の状態を見れば、自分が天国に行くのか、地獄の墜ちるのか、おのずと明白になります。
つまり、こういうことなのです。過ちのせいで汚れて重くなった霊は、天国へ昇っていくことを、望むことも、考えることも出来ません。
これは本当です。様々な生物が、自分に適した環境に住み分けるように、霊達も、自らの境涯に従って、自分に最も適した環境を選んで、そこに住むのです。
変化し、進化して、自分の悪しき傾向性を克服し、罪の繭から脱出することが可能となった魂は、唯一の目標であり願いでもある神に向かって、まっしぐらに飛んでいこうとするものです。
ああ、私はまだ、ぐずぐずしておりますが、神聖な愛をもたらす、筆舌に尽くしがたい幸福を、もう憎んではおりませんし、それを心に描くことも出来るようになりました。希望に満たされ、待ち望んでいる私の為に、どうか、いつもお祈りをしてください」
次のメッセージで、クレールは夫のことに言及している。生前、どれほど夫の為に苦しんだかということ、そして、現在、彼が霊界のどのような界層にいるかということを語っている。
しかし、苦しくなって、最後まで話を続けることが出来なかったので、途中で霊媒の指導霊が引き取っている。
(六)「あなたが私のことを長い間忘れているので、再び、こうして、やってきました。でも、今では、私は耐えることを学び、もはや絶望してはいません。
あなたは、私の夫のフェリックスが今どうしているかを知りたいようですね。あの人は、今、すさまじい欠乏感にさいなまれながら、暗闇の中を彷徨っています。軽薄かつ表面的な生き方をし、快楽ばかり追求したあの人は、愛と友情には無縁の人でした。情熱さえも、そのほの暗い明かりで彼を照らすことはありませんでした。
今、あの人は、丁度、生きる術を知らない不器用な子供が、あらゆる助けを奪われた状態にあるのと、全く同じだと言えましょう。彼が、今、恐怖と共に彷徨っている世界は――(中断)」
霊媒の指導霊ジョルジュからのメッセージ:「クレールは、夫の苦しみを語ると、彼女もまた、その苦しみを感じることになるので、途中で続けられなくなりました。そこで、私が代わりに語ることにいたします。
感じ方においても考え方においても表面的であったフェリックスは、冷酷であるがゆえに女性をなぶり、意志薄弱であるがゆえに放埒な生活を送りました。そして、地上において、肉体的に剥き出しであった為に、霊界では、精神的に剥き出しの世界に還ったのです。地上に生まれたにもかかわらず、そこで何も得なかった為に、全てをやり直さなければなりません。
長い夢から覚め、夢の中での神経の興奮がいかに虚しいものであったかに気づく男のように、フェリックスは、地上の混乱から脱出し、自分の人生が、悪夢に支配された、とてつもない過ちであったことに気づいたのです。
現実を抱きしめていたつもりが、実は空虚を抱きしめていたに過ぎなかったことに気づき、自分が陥っていた唯物主義を呪うのです。そして、『死後の生命など単なるおとぎ話に過ぎない』と自分に思わせていた実証主義を呪うのです。
彼にとっては、死後の生命への憧れは単なる狂気に過ぎず、神への信仰は弱さの証でしかなかったのです。この不幸な男は、自分がそのように馬鹿にしていた事柄が、まさしく本当であったということに気がつき、自分が真実とは全く逆のことをしていたこと、すなわち、影を追っていただけだったということを認めざるを得なくなったのです。彼が現実だと思っていたことが幻想で、彼が幻想だと思っていたことか現実だったのです」
クレールのメッセージが与える教訓
クレールのメッセージは、人生の本当にありふれた側面、つまり、誰もが持っているエゴイズムについて明らかにしているので、我々には非常にためになる。そこにあるのは、人々をおののかせるような重大な犯罪ではなく、人々に尊敬され、羨ましがられるような、社交界にならどこにでもいるような人間達のケースだからである。
彼らは、うわべを取り繕うのが巧みなので、この世の法に触れるようなことは決してしなかった。そして、霊界でも、我々を戦慄させるような、例外的な厳しい懲罰を受けるわけではなく、地上での生き方、そして、魂のありように応じた、ごく単純で、当たり前の結果を引き受けるのみなのである。すなわち、遺棄、孤立、断絶が、地上で自分自身の為だけに生きた人間を待っている処遇なのである。
既に見たように、クレールは、知的には大変優れていたが、心は冷たい女性であった。地上においては、彼女の社会的地位、財産、美貌は、人々の賞賛を集め、それが彼女の虚栄心を満たし、彼女は、そのことで、すっかり満足していた。
だが、霊界で彼女が出会ったのは、完全な無関心であり、空虚であった。これは、苦しみよりも、さらに辛い処罰となる。というのも、苦しみなら、まだ周囲の哀れみや同情を引くことが出来るが、完全な無関心に取り囲まれた時、そこには哀れみさえも存在しないからである。
彼女の三番目のメッセージは、恐ろしい程の真実に満ちている。そこでは、悪しき状態に陥った、ある種の霊が見せる強情さが、見事なまでに浮き彫りにされているからである。善霊達が享受している幸福に対し、あそこまで無感覚になれるものかと驚く。それは、まさに、腐敗しきった人間が、汚濁の中で、そして、粗雑な性的快楽の中で、喜んでいる姿そのものである。
それはそれで、ある意味では居心地がよいのかもしれない。というのも、彼らには、繊細な喜びがどのようなものであるか分からないからである。
彼らには、光り輝く清潔な衣装よりも、悪臭を放つぼろ着のほうが、ぴったりくるのだ。その方が、寛げるからである。和やかで静かな食卓よりも、堕落したどんちゃん騒ぎの方がいいのだ。そうした生活と、あまりにも一体になっているうちに、それが第二の天性になってしまったのであろう。
彼らは、自分達の世界よりも上に行けるとは思わないので、ずっと、そこに留まり続けている。彼らのあり方に変容が生じ、考え方に変化が生じ、感覚が繊細になって、より精妙なものが感じられるようになるまで、そうした生活が続くのである。
そうした人間達が死んで、肉体が分離したとしても、すぐに繊細な感覚を取り戻すことは出来ない。ある一定の期間は、丁度物質界で社会の低層にいたように、霊界においても低い世界において生きることになるのである。進化を目の敵にしているうちは、そうした場所にい続けることになるだろう。
しかし、やがて、経験を積み、試練を経て、再び地上に転生して悲惨を経験するうちに、自分達が持っているものよりもよいものがあることに気づく瞬間がある。その時に、憧れに火がつくのである。自分に欠けているものを自覚し始め、それを獲得しようと努力を開始する。
ひとたび、こうした道に入れば、彼らは相当なスピードでその道を進むことになるだろう。というのも、自分には無縁だと思っていた満足感を得ることが出来るし、その道にいると、粗雑な感覚を持っている者達に違和感を持つようになるからである。
聖ルイとの問答
――苦しんでいる、ある種の霊達が陥ることになる闇とは、一体何なのでしょうか?聖書の中でしばしば触れられている闇と同じものなのですか?
「その闇は、イエスや予言者達が、意地悪な人間に対する罰として語っている闇と同じものです。しかし、その当時、人々は、霊的な形での罰ということを理解出来なかったので、そうした人々の物質的な感覚に訴えるような形でしか説かれなかったのです。
ある種の霊達は闇の中に沈みますが、それは、愚かな人間が閉じ込められることになる、『魂の夜』としての闇なのです。魂が狂ったからそうなるのではなく、魂が自分自身を自覚しない為、すなわち暗愚である為に、そうなるのです。
それは、特に、自らの死後の生を否定した者達の運命なのです。彼らは虚無を信じていたのです。その為に、その虚無が闇となって現実化して、彼らの前に現れて彼らを苦しめるというわけなのです。
それは、彼らが魂としての自覚を取り戻し、そのエネルギーでもって、自らを覆っている苛立ちの網を吹き飛ばすまで続くのです。丁度、悪夢に閉じ込められている人間が、ある時、あらゆる力を使って、自分を支配している恐怖と闘い始めるのと同じです。
魂が虚無と自己を同一化した時に感じる、この恐怖は、到底想像出来るものではありません。その強制された活動停止状態、自分の存在が無意味であるとの自覚、どうしていいか分からない不確実感、こうしたものが、まさに拷問となるのです。その時の、どうしようもない倦怠感こそが、最も恐るべき罰となるのです。
なぜなら、そうした状態では、周りに、物も、生き物も、とにかく何も見つけることが出来ないからなのです。まさしく真の闇だと言ってよいでしょう」
クレールからのメッセージ:「クレールです。闇についてのご質問に、私も答えることが出来ると思います。というのも、私は、長い間、その闇の中を彷徨い、苦しんできたからです。
そこには嘆きと悲惨しかありません。
聖書に描かれている闇は確かにあります。罪を犯し、無知なままで地上の生命を終えた不幸な人間、自分の本質も知らず、死後の生命についても何も知らない人間は、死んだ後、冷たい闇の領域に沈んでいくのです。彼らは、そうした状況が永遠に続くと信じ込んでいます。
この闇は、完全に空虚である場合もあるし、また、慰めも、愛情も、いかなる救いもなく、あてどなく彷徨い歩く、青白い亡霊達で一杯の場合もあります。とはいっても、一体誰に話しかければよいのでしょう?彼らは永遠の空虚に押し潰されており、周りに一切関心を払うことなく、卑しい欲望を満たそうとして虚しく過ごした地上の時間を思い出しては、後悔し、戦慄しているだけなのです。
地上にいた時は、それでもまだよかった。なぜならば、一日の終わりには必ず夜が来て、一時的にではあれ、夢の中に休息することが出来たからです。しかし、霊界では眠ることすら出来ないのです!
闇とは、霊にとって、無知、空虚、恐怖――、ああ、もうこれ以上、続けられません――」
この闇については、また別の霊から次のような説明を受けた。
「霊体は、本来、魂がその活動を通じて獲得する能力によって、さらに輝きを増すことになる、いわば光の特性とも呼べる性質を備えているのです。魂が活動すればするほど、霊体は光を増しますが、それは、燐を摩擦すればするほど強く発光するのと同じです。霊が純粋になればなるほど、光を強く発するようになります。霊にほんの少しでも染みがあれば、光には、陰りが生じ、光が弱まります。
したがって、霊が進化すればする程、悟りが高くなればなる程、その光は強くなるのです。霊は、いわばカンテラのようなものなので、その光の強さによって、見える範囲が決まってきます。
だからこそ、光を発しない者は、闇の中で生きることになるのです」
この理論は、高級霊の光り輝く霊体に関しては、完全に正しいし、また、観察の結果とも一致する。
しかし、闇に関する説明としては、唯一絶対のものであるとは必ずしも言えないようだ。なぜなら、
1全ての未熟霊が闇の中にいるわけではない
2同じ霊であっても、交互に、闇の中に身を置いたり、光の中に身を置いたりすることがある。
3ある種の未熟な霊達にとっては、光が罰にもなり得るからである。
もし、こうした霊達が陥っている闇の状態が、普遍的なものであるとするならば、全ての悪霊達や未熟な霊達が、闇の中に置かれるはずである。しかし、実際にはそうではない。この上なく邪悪な霊であっても、周りが見える場合はいくらでもあるし、また、全く邪悪さを持っていない霊であっても、闇の中に置かれることがあるからである。
したがって、この闇の原因は他にあると考えざるを得ない。すなわち、「ある特定の罪を犯した者達に対して神が与える、特別の処罰である」と考えざるを得ないのである。