三島市箱根路西坂・平安鎌倉古道その9 | ![]() |
地図はこちら |
![]() |
左の写真は元山中関所跡近くにある墓地後方の土塁のような土盛りです。関所に関連したものかどうかは私にはわかりません。長く続いていた街道遺構もどうやらこの辺りで終わっているようです。ここの関所はいつ頃設けられたかは詳しくはわかっていないようですが、『吾妻鏡』に鎌倉時代承久年代には設けられていただろうとし、『豆州志稿』には天正の初期には廃せられていただろうといいます。 |
元山中は昔は山中といいましたが、元和年間に山中新田が形成され元山中(本山中)と呼ぶようなったそうです。
応永13年(1406)6月の「鎌倉円覚寺文書」に箱根山水飲関所賃料を当寺に寄らる。とあり、応永8年に(1401)2月に円覚寺は火災焼失していて、その再建費用に水飲関所の関銭があてられていたといいます。また、建武2年に中先代の乱が起こり北条時行が鎌倉を占領した時に足利尊氏は下向して、迎え撃つ時行軍と箱根水飲峠や大崩(箱根駒ヶ岳の麓)で合戦となったことが『太平記』に記されています。更に永享10年(1438)水飲の悪所な地形での戦いなどの記録が残てっいるそうです。これら水飲の地名はここ元山中付近か、或いは山中新田岱崎付近にある水飲なのか、詳しくはわかってはいないようです。 |
![]() |
『甲陽軍鑑』に永禄13年(1570)、武田信玄と北条氏政の三島付近の対陣には、北条氏政は元山中に本陣を置いていて、武田軍の別道隊が初音(東海道新幹線の谷田トンネル付近)から箱根旧街道沿いを上り後方錯乱していることが見られます。その後、山中関は廃止され、天正18年(1590)に山中城攻略の秀吉軍は箱根新道(箱根旧道)から進軍し、家康軍は元山中から荒廃した古道を箱根に上って行ったといいます。 | ![]() |
![]() |
上の写真は元山中の広い畑地から韮山辻へ向かう道で、最初に下る竹林沿いの坂道です。もうこの先は舗装された普通の道かと思っていると、坂を下る途中で突然右手に廃車が置かれていて、廃車の奥に左写真のような掘割状の廃道があるではありませんか。この廃道は元山中の関所跡付近から最短で下ってきている道跡のようです。 |
この廃道の付近をよく見てみると、北側に更に大きな掘割状の道跡が残っています。元山中関所跡付近で終わっていたと思った掘割状遺構は一旦途切れた跡もまだ続いていたのです。ここの古道の遺構の残存状況のすごさを改めて実感したのでした。 | ![]() |
![]() |
舗装路に戻って先へ進みます。舗装されてはいますが竹林の中を行く感じの良い道です。ただ残念なことに、この辺りから不法投棄が目立つようになります。ここの車が一台通れるほどの舗装路は、道路周辺の状況から、舗装される以前は掘割状の道であったのではないかと想像しながら先へと進みます。 |
右の写真の道の右側尾根上に、広くはありませんが掘割状の道跡が残っているのを上って確認しました。この道跡は尾根の絶頂部を通る道跡のようです。 舗装路はこの先カーブも少なく直線状で続いています。この道のように、尾根上で字境の直線的な道は鎌倉街道の特徴でもあります。 |
![]() |
![]() |
写真の付近で進行方向左手に斜めに下る道が合流しています。その道を下ると青少年小沢の里へ出ることができます。 いろいろ調べていくと中世の三島から箱根へ上る道は山田川の谷を挟んで北側の尾根道がこの平安鎌倉古道で箱根古道と呼び、南側尾根道が後の東海道箱根越えの道で箱根新道と呼び双方が使用されたことが窺われます。 |
やがて道は視界が開けた広い台地状を進みます。傍らで農作業をしていたおじさんにこの道が鎌倉古道であるかを念のために尋ねてみると、鎌倉古道はもっと上の方だといわれました。今まで歩いてきた道を言われたのだと思います。地元の方でもこの付近では鎌倉古道とは認識されていないようです。それもそのはず、平安鎌倉古道の石碑は元山中までしか建てられていないようです。 | ![]() |
![]() |
歩き始めの芦ノ湖高原別荘地からここまで、おおよそ7キロほどでしょうか。山を下る紹介したコースで徒歩3時間ほどだと思います。私のように写真を撮影したり街道遺構や側道跡を彼方此方と調べていれば1日は掛かってしまいます。この古道は予想外の長い街道遺構が続き、紛れも無く古道跡ではありますが、普通古道で見掛ける庚申塔や馬頭観音石塔類は等々一度もお目に掛かれませんでした。 |
この古道は江戸時代には通行禁止となっていたともいいます。 左の写真は韮山辻と呼ばれる分岐です。写真の左への道が古道の続きで三島大社へ向かう道です。右は沢地方面へ向かう道ということです。私は道なりに真っ直ぐ右手へ行ってしまい、途中で地図を見て引き返してしまいました。できればこの分岐に指導標の一つも欲しいものです。 |
![]() |
![]() |
韮山辻から約600メートルほどで小沢分岐へと出ます。ここには指導標と道しるべの石碑があります。ここからは広い整備された舗装路で古道の趣は全くありません。昔のままの道はここまでということです。このまま広い通りを西へ下っていけば約3キロほどで三島大社の東側へ出ます。途中東海道線を渡るところからやや狭い道を行き、願成寺前を通り下神川橋で大場川を渡れば三島大社はすぐそこです。 |
昔のままの鎌倉街道 | ![]() |
1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. | ![]() |
HOME |