三島市箱根路西坂・平安鎌倉古道その2 地図はこちら

右の写真は現在歩かれているところの掘割状の道です。この道は側道の跡を使用しているのではないかと思われます。何故ならば道幅が狭く掘状の窪地も浅く、そして何よりも写真の右壁を越えた所には今まで歩いてきた大きなU字谷のような地形が続いていて、そちらが本路跡ではなかったかと思われるからなのです。

上の写真の道が逆S字のように急傾斜を下りると前方が明るくなって来ました。森林帯から抜け出るものと思われます。そして森林帯を抜け出ると左の写真の林道を横断するところへ出ました。森林の中の薄暗い道から解放された感じでです。

写真の道路ミラー隣の階段を下りてから、まずは一休止とすることにします。休みながら下りて来た階段の付近を見ていると何やら奇妙なものが見られます。えっ、何が見えるのUFO、心霊写真?

ご覧頂けるでしょうか。上写真左の林道によって削られた壁面の中間から上の部分が土の色が違うのです。右側の写真はこの部分を近づいて撮影したものです。上部の黒味を帯びた土の部分は近づいて見てみると筋状に何層にも堆積した跡が認められます。これはいったい何を意味するのでしょうか。私自身は考古学というものは全く知りませんので、この壁の土の違いからどのようなことが考えられるかは何も申し上げられませんが、素人ながらも古道と関連するものかも知れないと、この写真を載せてみました。しかし、別に気に留めるほどのことでも無いのかも知れません。ただ、上部の黒味をおびた土を取り除くと綺麗な掘割状の地形になるのではないかと思えます。

林道を横断して再び森林帯の中の道になりますが、その先でまたすぐに林道脇に出て、林道の隣を並行するように進みます。この付近から右手に富士山が眺められます。ところでこの林道は現在建設中と思われ、どこからどこへ繋がっているのかは私にはわかりませんので作成した地図には書き込んでいません。
この林道の写真右側の森林帯の中に実は古道の跡と思われる窪地が幾筋も確認できます。

道は再び林道を横断します。そこから先はまたヒノキの植林の中の薄暗い道となりますが途中かっら左の写真のような、かなり広い道となります。もうこの辺りになると私の目から見ても道路遺構であることが想定されます。両側の土塁のような部分の高さが一定に保たれていて、これは自然の地形ではありません。まぎれもなく人手によって造られた地形です。

道の両側の土塁間の幅は7〜9メートルはありそうです。なんと素晴らしい街道遺構でしょうか。こんなに大きな掘割状の地形はかって見たことがありません。こんな山の中にこのような道の跡があるなっんて、これはものすごいことです。私はその迫力に圧倒されてしまいました。森林帯のために写真ではわかりませんが、ここは尾根の最上部になっています。道の両側の土塁状の外は深い谷になっているのです。上の両写真のように掘割の窪地の中央部のみが現在は歩かれているところで、その部分のみが深くえぐられています。

両側の土塁状の上に上ってみると、そこにも掘り削られた窪地が並行して走っています。側道跡の一部と思われます。このように街道遺構と思われる両脇には絶えず側道跡が見られます。
本路と思われるところの幅の広さや夥しい側道跡など、これはただの山道でないことが窺われます。

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