三島市箱根路西坂・平安鎌倉古道その4 地図はこちら

「桧林をわたる風に千年の時をかみしめ・・・」という尾藤卓男氏の『平安鎌倉古道』の中の言葉が思わす浮かんで来るような景観です。
今までは薄暗い谷底のようなところばかりを歩いてきたものですから、写真のような広い道に出て、ほっとした気持ちになります。ちょっと一休みしたくなるようなところです。ここの道端にも「推定平安鎌倉古道」の石碑が建っています。

広い平らな道が終わる付近には、左手斜めに側道と思われる別の掘割状の廃道が分かれています。右の写真はその分かれ道付近を撮影したものです。ちょっと藪状になっていてわかりずらいのですが、写真の左側が廃道の側道と思われる窪地です。この側道と思われる廃道へ入ってみるとその先に更に分岐があり幾条もの掘割が確認できます。これらの側道跡はいったい何を意味するのか。

再び本路と思われる道へ戻ります。こちらはやはり幅が広いです。ここで気が付いたことは道の両側の土塁状の壁はここまで、北側(右写真の道の右側)は尾根の傾斜を利用して高く、南側は北側より低くなって造られているようなのです。この状態は元山中まで延々と続いているのです。

左の写真は今まで歩いてきた道を振り向いて撮影したものです。このようにやや傾斜のあるところでは階段状になっていますが、正直いって私の歩幅に合わず歩きずらいです。

それにしても一直線に上って行く道の感じは何処までも続いているようで、まるで天国へと上って行くような感じです。

私のサイトを訪れた方々の中には、よくもまあ道の写真ばかり飽きもせずに載せられるものだと呆れている人も居られるのではないかと思います。
写真ではわかりませんが、実際にこのような道を古道だと思って歩いてみると、実に味わい深いものがあるんです。何でもないような山道が、素晴らしい庭園の中を歩いているときと同じ感覚で、私には古道歩きは止められないものになってしまいました。

再び底が削られた道が現れました。先ほどのように崩れた壁の地層を観察すると、やはりここにも奇妙な地層が見られます。そうすると一見、奇妙と思われるこのような地層はどこににでもあるものなのかと考えてしまいます。しかし気になるのでまた撮影して載せてしまいました。

この辺りでは崩れた壁の中間に上層と下層の境目がハッキリとしています。下層部は一定した地層であるようです。上層部は黒ずんだ土で、よく見ると堆積層が確認できます。そしてこの辺りの崩れた壁には一定の高さを保ってずっとこの境目が続いています。

ここにも地層の境目部がボコッと穴状になったところが見られ、穴底と思われる部分には、やはり小石が詰められたようになっています。
気にしなければ何気なく通り過ぎてしまうところなのでしょうが、何かないかと観察している自分に、ふと可笑しくなってしまいました。べつに宝物があるわけでもないと思うのですが。何だかお金でも落ちてないかと地面を見ているようです。

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