本名=秋山 駿(あきやま・しゅん)
昭和5年4月23日—平成25年10月2日
享年83歳(駿法院向誉思石文照居士)
長野県須坂市井上町2618 淨運寺(浄土宗)
評論家。東京都生。早稲田大学卒。「内向の世代」を代表する文芸評論家で、人間の内面を凝視するエッセイ『想像する自由』で認められる。『人生の検証』で伊藤整文学賞、『信長』で毎日出版文化賞および野間文芸賞受賞。ほかに評論『小林秀雄』『舗石の思想』などがある。

……私が双の掌でひねくりまわしているこの石塊は、それがここにあるためには、まず拾われねばならぬ。私はそれを戸外で拾ってきた。しかし拾うためには、それは何処かになければならぬ。ではそれは、わずかほど前、なんのためか私がそこを通りかかるその傍らに、在ったものだ。ここに一つの石塊がある。私がそこを通りかかる。ここの石塊は、何故あるのか。
この石塊は私のためにある、といえようか、否。私が美しいからある、といえようか、否。私がそこを通りかかるそのためにある、といえようか、否。この小さな平凡な石塊とは何か。
それでは、この石塊のために、私は在るのであろうか、否。その傍らを通りすぎるために、私は在るのか、否。石塊が己れを知られるために、また何かのために、私を必要としたのか、否。私とは何か。それでは、私は私自身のために、石塊はまたこういう疑問の総体として、在るのであろうか、否。何故なら、それは拾われ、私はそれを拾ったのであるから。
(私は一つの石塊を拾った……)
文芸評論家秋山駿の原点は「石」である。道端で拾ってきた「石」を目の前において考える。「石」はなぜ道端にあったのか。生きているということは何か。私とは何か。平凡な日常の何でもないものの意味を考える。〈街の風情や、往き交う人の有様や表情を、薄らぼんやりと〉眺めながら、特別の意味もなく、何でもないものの輝きを愛した。評論の中では輝かくことのない〈ただ生きることを喜び、その喜びを深くするために、愉しんで書いている〉文章を愛した。ただそれだけのことだが、〈楽しく書くそこから、命の声が静かに聞こえる〉と感じられずにはいられなかった〈石ころ評論家〉秋山駿は平成25年10月2日22時29分、食道ガンのため緊急入院していた田無病院で妻や妹に見守られながら静かに去って逝った。
毎年夏に開かれていた『無明塾』という講座の講師として秋山駿や水上勉を父に持つ美術評論家で「無言館」館主の窪島誠一郎氏らとともに参加していた中野孝次の墓もある長野県須坂市の淨運寺。八百年の歴史を誇るこの寺は秋山の母の生家である。
見晴らしの良い高台に新しく造成された墓地の「秋山家之墓」、側面に平成二十年十二月/秋山駿/秋山法子建之とある。〈言葉は社会性だけじゃないよ。自問自答の、自分一人だけの言葉があるんだ。一人で死んでいくときにも言葉がいるだろう〉と語った秋山の「生」の終着点。〈墓は先祖に話しかけるものだ。先祖を通して永遠とか無限とかいったものに話しかけるものだ。一個人の思想を遙かに超えた深さがあるのだ〉とや。

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