隊長の手引

  • この本の長さを気にしないでいただきたい。

    スカウティングは深遠難解な科学ではなく、間違いなく理解すればむしろ楽しいゲームなのである。同時にこれは教育的で、(M−erey−あわれみ−のように)それを受けるものと同じく与えるものにも役立つことが多い。

    (訳者註:Mereyは17世紀イギリスの小鋭家ジョン・パンヤンの"天路歴程"中の寓話的人物。)

    "スカウティング"という言葉は、ゲームによって少年或は少女のために公民教育をする一つの方式、という意味を持つようになっている。

    少女は大切な人たちである、何故なら、一国の母親たちがよい公民であり、品性ある婦人であれば、その息子たちをもそういう点で欠陥がないように注意するであろうから。現在の状態では、スカウト訓練は男女両方に必要であるから、それをボーイスカウト運動、ガールガイド運動として両方に与えている。根本の主旨は大方同じである。違うのは細部においてだけである。

    A・S・M・ハッチンスンはその小説の中の一つに、青少年が必要とするものは背景であるとほのめかしている。さて我々は、スカウティングとガイディングにおいて彼らに一つの背景を与えているが、それは神がすべての者のために備えて下さった背景−野外と幸福と人の役に立つ、これである。

    実際、隊長は少年をこの背景へと案内して行くうちに、その同じ幸福さと人に役に立つことの分け前にはからずも自分もあずかるのである。隊長はこの仕事をはじめた時に恐らく予期したよりも、もっと大きな仕事をしていることに気がつくが、それほ彼が人間と神に対して生命をかけるに値する奉仕をしていることが分かるからである。

    諸君がこの本の中に、知識を完ぺきにするような一揃いのはっきりした手段を見出したいと思うなら、これほ案外な本だと思うだろう。私はただ、我々に成功すると分った方法とその理由を、示唆として述べようというのである。

    ひとはその目的を理解すると一層専心して示唆の数々を実行するものである。それで、この本の大部分はいろいろの手段の詳細というよりも、その手段のための目的として取り上げてほしい。これら手段は読む人の器用さに応じ、またその人の働いている地方の事情に応じて充足されてよいのである。

                              (隊長の手引の序文)