少年の理解

  • 少年たちというものは、古く汚れたあひるの池のようなつまらない場所であっても、冒険心をそそられるものである。
    隊長も少年の心(boy-man)を持っていれば少年たちと同じように冒険心を持つことができる。
                              「隊長の手引」より

少年をつかむには

  • 少年たちをよい環境に引き寄せようとする人を、私は釣りをする人になぞらえたい。
    もし釣り人が自分の好きな食べ物をエサにつけたら、多くのえものはかからないだろう。そこで彼は魚の好きなエサを釣ばりにつける。

    少年の扱いも同じことだ、諸君がためになると考えることを説教しようものなら、少年たちを捉えることは出来ない。
    見るからに尤もらしい、"有難そうな"ことは、特に活溌な子供をおどかしてしまうばかりで、実はこういう少年こそ、諸君は捉えたいはずなのだ。

    唯一つの方法は彼らがほんとうに惹きつけられ、興味を持つものを差し出してやることである。スカウティングがそれだということを諸君は知っているはずである。
    そのあとで、諸君が少年たちに与えたい、知らせたいと思うもので味つけをうまくすればよいのだ。
                              「隊長の手引」より

観察と推理

(隊長の手引きより)

  • 観察と推理は、あらゆる知識の基礎である。したがって、若い人たちに対する観察と推理力の重要性は過大評価できない。
     子供たちは、すぐに観察力を身に付けると、よく言われるが、それも、大きくなるにしたがって、やがては衰えるものである。

     その主な理由は、初めて経験することには、注意を引き付けられるが、その注意を繰り返すことが、できないからである。
     観察力は事実、少年にとって習慣にすることができるものである。
     追跡は観察力を身につけるには興味深い第一歩である。

     推理力は推論を引き出し、観察Lたものから意味を引き出す技術である。
     少年が一度、観察力と推理力を習慣として身に付けたなら、人格を形成するのに、大きな第一歩を手に入れたことになる。