夏樹静子 なつき・しずこ(1938—2016)


 

本名=出光静子(いでみつ・しずこ)
昭和13年12月21日―平成28年3月19日 
享年77歳(文麗院静誉法源珠徳大姉)
福岡県宗像市石丸2丁目5―15 出光家墓所



 
小説家。東京府生。慶応義塾大学卒。大学在学中から、NHKテレビ「私だけが知っている」のシナリオを手掛けた。結婚を機に福岡に移った後、昭和48年『蒸発』で日本推理作家協会賞を受賞。社会派推理作家の地位を築いた。『Wの悲劇』がベストセラーになり映画化。『検事霞夕子』などのシリーズはテレビドラマ化された。ほかに『第三の女』『訃報は午後二時に届く』などがある。





 


 中里は最後に、深い感慨のこもる声でいい添えた。
 「女と母の迫間で、彼女もずいぶん苦しんだのでしょうな」
 その淑枝の煩悶は、摩子も理解するにちがいないと、春生には思われた。
 階段を上ってきた彼女は、途中にある踊り場で足を止めた。横長の窓枠いっぱいに、 富士山の全容が一枚の絵になって納まっていた。淡い朝靄をたたえたライトブルーの冬空の中、純白の富士があくまで爽やかに屹立して——。
 春生は息をひそめて立ちつくしながら、知らず知らず涙が滲んでいた。
 鐘平と彼女は、七時半に出発した。春生は来た時と同じバーバリ風のコートにインデアンブーツ。 ショルダーバッグを膝にのせていた。
 車が別荘地を下っていくと、木立ちの隙間から湖が徐々に姿を見せる。寒そうな深い藍色の水面は、随所に白波の形を描いたまま、いつまで凍結しているのだろうか——。
 「旭日丘の交差点で降ろして」
 湖岸の道路に出た時、春生が囁いた。車を停めて見返した鐘平に
 「摩子ちゃんを迎えに行くのは、先生お一人にお願いしますわ。それから、卒論は昨夜目を通し終えたと、伝えてくださいません? 提出期限には、まだ充分間にあうか らつて—— 」
 鐘平は無言のまま春生を凝視め、その眸を湖の先へ投げた。眩しそうに眉をひそめ て、何かに堪える書を見せながら、口許には気軽な笑いを浮かべた。
 「それじゃあ、御殿場まで送りましょうか」
 「ありがとう でもやっぱり、バスにしますわ」
 歩道橋の手前で、春生は車を降りた。雪解け水の光る路面を踏んで、彼女はバス停の屋根に向かって歩き始めた。

(Wの悲劇)



 

 東京で生まれ育って、結婚を機に福岡へ移り住んでから59年(そのうち名古屋に9年)暮らしたことになる。小説書きになって半世紀、〈日々否応なく、茶の間と書斎、そして現実とフィクションの世界とを往ったり来たりしていた〉と述懐した夏樹静子は、2回の帝王切開を含め、卵巣のう腫、腸閉塞手術と4回の開腹手術を受けた。それらの疲れ切った潜在意識が休息をもとめ、「椅子が怖い」という病気を作り出してしまうほどに精神障害を起こしてしまったこともあったが、平成28年3月19日午前3時10分、急性心不全のため死去した彼女の葬儀で直木賞作家で長年の執筆仲間だった古川薫氏は〈東京一極集中の時代に福岡に居を移し、まぶしいばかりの活躍ぶりだった〉と、社会派推理作家としての業績を悼んだ。



 

 鹿児島本線の教育大前駅を出ると東に向かって緩やかな坂の旧唐津街道赤間宿になる。百田尚樹の小説『海賊とよばれた男』の主人公となった出光興産創業者の出光佐三氏の故郷でもある。藍染の藍問屋だった出光氏の生家も残っており、後ろの方には城山という山が見える。自分が死んだら、その城山の見えるところにお墓を建ててくれと生前から言っていた通り、熊越池公園の先、城山の見える小高い丘の上に二十数基の出光一族の墓所はある。正面に「出光家代々之墓」、右列の奥に出光佐三夫妻の墓。左側2列目の一番手前に佐三の甥出光芳秀の妻となった夏樹静子の墓が見える。やわらかな春の日に墓地の上に覆いかぶさった桜の枝から花びらがひらひらと墓碑の肩に舞い落ちるさまを思い浮かべて心安らんだものだった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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文学散歩 :住まいの軌跡


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