井上円了 いのうえ・えんりょう(1858—1919)


 

本名=井上円了(いのうえ・えんりょう)
安政5年2月4日—大正8年6月6日 
享年61歳(甫水院釈円了)
東京都中野区江古田1丁目16―1 蓮華寺(日蓮宗)




哲学者・教育者。新潟県生。東京帝国大学卒。大学在学中に哲学会を組織し、仏教の復権を目指す。明治20年東京湯島の麟祥院の一隅に哲学館(現・東洋大学)を創立。国粋主義に共鳴し、翌年政教社の創立に加わる。迷信打破のために「妖怪学講義」をあらわし、妖怪博士といわれた。著作に『心理金針』『仏教活論』などがある。






 

 凡ソ哲學上ノ諸論ハ之ヲ歸スル二物心神三躰ノ性質關係ヲ究明スル二外ナラズ。而シテ之ヲ究明スル二當リ或ハ心界ノ外二物界ナシト云ヒ或ハ物心ノ外ニ天神ナシト云ヒ諸說 一ナラザルヲ以テ其說孰レカ眞孰レカ非ナルヤ之ヲ判定スル甚ダ難シ。若シ之ヲ判定セント欲セバ先ヅ眞理ノ標準ヲ論立セザルベカラズ。卽チ標準二合スルモノ之ヲ眞理トシ標準二合セザルモノ之ヲ非眞理トスルナリ。今學者ノ其標準ヲ論立スルヤ外界卽チ物界ノ經驗ヲ本トスルモノアリ內界卽チ心界ノ思想ヲ本トスルモノアリ內外兩界ノ適合ヲ本トスルモノアリ物外心外ノ天神ヲ本トスルモノアリト雖モ余ヲ以テ之ヲ視ルニ其第一ハ外界二僻シ第ニハ內界二僻シ第三ハ物心兩界ノ間二僻シ第四ハ物心兩界ノ外二僻スルノ難ヲ免レズ。故ニ若シ純全中正ノ標準ヲ論立セント欲セバ物心內外ノ中道ヲ取ラザルベカラズ此篇ハ其所謂中道ノ標準ヲ開示シタルモノナリ。故二之ヲ讀ムモノ亦純全中正ノ眞理ヲ了解スベシト信ズ。

(哲学一夕話)

 


 

 「諸学の基礎は哲学にあり」とは井上円了の言葉であるが、日本の近代化のためには哲学に基づく新たな物の見方や考え方が不可欠だとの信念から哲学館を創立、また東京・野方の和田山に釈迦、孔子、ソクラテス、カントの四聖を祀った哲学堂を建て、ここを拠点として哲学伝道のため、広く全国を行脚警醒に努めた。晩年は迷信による不可思議な現象をまとめ、 迷信打破のための『妖怪学講義』を著した。大正8年5月上旬より満州方面に巡回公演旅行中の6月5日、大連東本願寺別院での講演中に気分が悪くなり、別室で横臥、注射をしてもらい意識が明瞭になったのもつかの間、急性脳溢血で漸時昏睡状態に陥り、医師の来診も手当の仕方なく、翌6月6日午前2時40分ころ客死する。



 

 大正8年6月12日、大連東本願寺別院で仮葬儀が行われ、荼毘のあとに分骨された遺骨は21日に本郷駒込富士前町35番地の自宅にもどってきた。23日の東洋大学校葬のあと和田山哲学堂に運ばれ、墓標のあるここ蓮華寺に埋葬された。
 哲学堂とは目と鼻の距離にあるこの寺の山門を入って本堂前を左に進むと大きな石柱と玉垣で囲まれた内に異様な墓が見える。円了自身が生前に発意したという「井」の文字の石の上に円形の石を置き、名前を表現、円了らしいといえば円了らしい何とも奇妙な墓碑であった。円了の創立した東洋大学では毎年の祥月命日に、創立の原点に立ち返る学祖祭を開催して法要や墓参などを行っていると聞く。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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