本名=三浦のり子(みうら・のりこ)
大正15年6月12日—平成18年2月17日
享年79歳
山形県鶴岡市加茂字大崩325 浄禅寺(浄土真宗)
詩人。大阪府生。帝国女子医学・薬学・理学専門学校(現・東邦大学)卒。戦後詩を代表する女性詩人。童話、随筆、脚本も書いた。昭和28年川崎洋と『櫂』を創刊。平成11年詩集『倚りかからず』を刊行、多大な反響を呼ぶ。ほかに『見えない配達夫』『鎮魂歌』『一本の茎の上に』などがある。

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳くらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しいとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふらふらと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と
(さくら)
〈このたび私 ’06年2月17日クモ膜下出血(死亡の日付と死因のみ遺族の記入)にて この世におさらばすることになりました。これは生前に書き置くものです。〉、3月初めころ、近しい人々の手元にはこんな文面の手紙が届き始めた。〈「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます。あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかなおつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸にしまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かにして下さいましたことか…。深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に代えさせて頂きます。ありがとうございました〉。
〈ほんとうの 死と 生と 共感のために〉準備することをやめなかった寂寥の詩人は密やかに去った。
かつては北前船の風待ち港として栄えた港町も、今は時を経て荒廃と静寂の中にひっそりとある。バスを降ろされた無人の辻で一息、あても知らず耳をそばだてて、寂しげな足音をききながら、潮香がまとわりつく路地という路地をさまよってみた。〈自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ〉と自身を叱った詩人も幾たびか歩いたことがあったろう。
30数年前に亡くなった夫が眠るこの町の高台にある寺、秋彼岸の陽光を正面に受け、海を見下ろす山腹に詩人の安まる「三浦家之墓」、ようやくに夫婦一緒の時が訪れたのだ。そういえば草むらから聞こえてくるこおろぎの音さえ華やいでいるような——。
〈ものすべて始まりがあれば終わりがある わたしたちは いまいったいどのあたり?〉。
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