飯沢 匡 いいざわ・ただす(1909—1994)


 

本名=伊澤 紀(いざわ・ただす)
明治42年7月23日—平成6年10月9日 
享年85歳 ❖東京都豊島区南池袋4丁目25–1 雑司ヶ谷霊園1種14号12側




劇作家・小説家。和歌山県生。文化学院卒。朝日新聞社に勤務、アサヒグラフの編集長をつとめる傍ら社会風刺のきいた喜劇を次々と発表。昭和29年に退社、『二号』で岸田演劇賞、43年『五人のモヨノ』で読売文学賞受賞。『ヤン坊ニン坊トン坊』などの放送番組でも活躍した。戯曲『夜の笑い』のほか『コメディの復讐』『権力と笑のはざ間で』などの著書がある。







 

 ひと頃は能楽と狂言は主人と従者のごとき感があった。今は対等になってきた。本来、対等のものであるが、ひと頃の習慣によって、そんな間違った考えが一般的であったのだ。それが狂言への蔑視につながっていたのであるが、最近の狂言の評価はいささか逆輸入の感がないでもない。
 一九五七年、パリの国際演劇祭に日本から能と狂言が参加したことがある。その時、私もパリにいて、はっきりとこの目で観客の反応を見たのであったが、何といっても能楽より狂言の方が人気があったのだ。それはそのはずで、能楽というものは実に立派なものに違いないが大変特殊であり、簡単に能の象徴主義などといって済まされるていのものではない。私はあれは憧憬劇というものだと考えている。中世のばさら(荒々しい)の武士の時代に、生残りの平安貴族たちの影響を受けた新興階級の武士たちが、あれを保護したもので、平安回帰、それも本当の回帰ではなく成上り者たちのみみっちいイメージで憧開閉した世界だと思っている。常に前提に最盛期の平安朝の貴族文化がある。舞台に展開するのは決して平安そのものではない。ただ憧れのイメージで豪華さを出すために、中国からの舶来品の唐物をふんだんに使ったりした。こういう日本独特のもので先入観に非常にたよっているものだ。それを西洋人に理解させようとしても無理である。パリの新聞は能の囃方の懸声を夜のジャングルで聞かれる野獣たちの吠声になぞらえたり、幽玄なんてどこを押したら出るのかといっていたりしたのであった。そこへいくと、狂言は世界共通の人間性を持っている。狂言が扱う人間の弱さ、強欲、見栄、我利、臆病などは世界共通のものである。その点、狂言は写実的であり俗であるから、端的に人の心に入ってくる。前提になる教養はほとんど必要がないのだ。


                                               
(外国人の狂言)

 


 

 父は台湾総督、東京市長なども歴任した官僚政治家の伊澤多喜男、作家色川武大の同族であった母とくの次男として当時父が拝命していた和歌山県知事の官舎で、気温三十度を超す蒸し暑い真夏日の明治42年7月23日午後2時15分過ぎに生まれた飯沢匡。アサヒグラフの編集長として在任しながらラジオドラマや短編などを次々と発表。社会風刺のきいた乾いた笑いで数々の演劇賞も受賞した。一世を風靡した放送劇『ヤン坊ニン坊トン坊』では個性的だったがゆえに不遇であった黒柳徹子を「君のその個性が欲しい」と抜擢してその才能を開花させた。以来、長い師弟関係を築いていったのだが、平成6年10月9日午後7時7分、呼吸不全で亡くなった飯沢の死によって四十年以上続いたその関係にも終止符が打たれた。



 

 祥月命日もまもなくという文月の朝、ようやく明るみはじめたばかりの霊園の夏目漱石墓所の近く、手入れのされないまま喜々として生い茂る熊笹が墓域全体を覆って、入り口を塞いでしまっている伊澤家の墓所。どこからどう侵入して良いものかと思案しても拉致があかないので思い切って大股で乗り越えてみた。正面には父伊澤多喜男の墓がある。左前方、横型二段にわけられ、上段に「伊澤家」、下段に「飯沢匡之墓」と彫られた墓碑が東の方を向いている。熊笹に埋もれたその碑面に新しい朝の陽光が届くのは今暫し待たなければならないだろうが、遠い昔、飯沢が生まれた日のように今日もきっと暑い暑い日になるのであろう。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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