池波正太郎 いけなみ・しょうたろう(1923—1990)


 

本名=池波正太郎(いけなみ・しょうたろう)
大正12年1月25日—平成2年5月3日 
享年67歳(華文院釈正業)
東京都台東区西浅草1丁目6–2 西光寺(浄土真宗)



小説家・劇作家。東京府生。西町小学校卒。小学校卒業後、株屋に勤めた。戦後は都の職員として10年近く勤務。その間に戯曲など執筆、新国劇の脚本も書いた。昭和23年長谷川伸に師事、『錯乱』で35年度直木賞受賞。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』などがある。






 

 密偵・伊佐次は、まだ石川日向守屋敷の足軽長屋から、うごけなかった。
 「やはり、あの……」
 と、夜の居間にいる長谷川平蔵へ、茶を差し出しながら、久栄が、
 「やはり、伊三次は癒る見込みがないのでございましょうか?」
 いい出るのへ、平蔵はこたえず、茶碗へ手も出さずに立ちあがって、障子を開けた。
 雨気をふくんだ五月闇が、重苦しく庭にたれこめている。
 「殿さま……」
 「もう、いうな」
 「は……」
 「伊三次は、もはや、亡きものとおもえ」
 石川屋敷から、先刻、知らせがとどいた。
 飯島順道は、
 「あと、二、三日のうちには……」
 伊三次が息絶えるであろうと、いったそうな。
 平蔵は明日から、伊三次の枕頭に詰め切るつもりでいる。
                                                  
(『鬼平犯科帳』五月闇)

 


 

 会話の妙を随所にちりばめて江戸を舞台に描かれた『仕掛人・藤枝梅安』、『鬼平犯科帳』、『剣客商売』などによって時代小説の人気作家となった池波正太郎。また、美食家としても知られており、それらの小説の中にもたびたび「食」に関する場面が登場している。東京下町に生まれ下町育ち、13歳から大人の世界に入り様々な見聞を深め、〈人生の達人〉と称された作家がしばしば対話の中で語ったという言葉がある。
 〈人は死ぬために生きる〉——「死」を原点として「生」を辿っていく。本「掃苔録」、ひいては私の「生」の原型でもあるが、急性白血病のため、平成2年5月3日午前3時、東京神田・三井記念病院の一室で、池波正太郎は原点に還っていったのだった。



 

 浅草は池波正太郎の故郷である。聖天町で生まれた。関東大震災で一時、埼玉・浦和に移ったが、やがて東京に戻り浅草永住町の祖父の家で暮らした。
 そこから一キロほどの辻角に石川啄木の葬儀が行われたという等光寺がある。隣接するこの寺はマンションか何かと見紛うような建物で戸惑ったのだが、入ってすぐの細い通路を抜けると本堂裏の狭苦しい墓地に出る。
 幽かにお香の匂いが漂って、天がわずかに穿たれていた。冷気が澱んでいる石塊だけの空間に、棹石が修復された「先祖代々之墓」は、左背後からの夕陽を受け碑面を曇らせて建っている。台石に深く刻まれた「池波」の文字は暗く際だち、供えられた菊花の周りに、冬の残光がわずかな温かさを置いていった。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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