New York七転八倒顛末記

もうその年も暮れようとしていた。ついに、サンタクロースになりすました私は、自分へのプレゼントと称して、ニューヨークになんとアパートを衝動買いしてしまったのだ。自分への過大なプレゼントに、あとでどんなに苦しくて辛い思いが待ち受けているかも知らないで。(本文より)

99年5月28日完結しました。

************ INDEX ************

サンタが我が家にやってきた・・・のかな?

ニューヨークへ、いざ、いざ、いざ。

日本にはないエスクローという制度。

ニューヨークに自分の会社ができた!!

NYの不動産会社倒産そして日本の業者が消えた!?

羽のはえたお金はどこへ行く?

蟻地獄からの脱出へ

いよいよ最終回に突入!





サンタが我が家にやってきた・・・のかな?

1988年の秋のことだった。
もう40歳も過ぎたというのに、いまだにニューヨークに恋いこがれていた。
ニューヨークという名がつきさえすれば、ブラックバスかダボハゼの如く食らいつき、雑誌や新聞の切り抜きはもちろんのこと、ニューヨークへの旅行パンフレットも山のごとく集めていた。いつかはニューヨークで仕事をしたいと夢見ていた男が、ある朝、ふと目を留めた新聞広告からこの物語は始まる。

「時代を超えた建築美が、今、ブロードウェイに甦る。2,500万円からお求めになれます、マンハッタンの高級コープ。」
紙面に大きくニューヨークの文字が踊っている。海外不動産投資セミナーの案内広告が、ニューヨークへおいで、おいでと手をふっている。その甘い誘惑が、その後の私の人生にちょっとした悪戯をした。

ニューヨークに住みたいという白昼夢の魅力には抗しきれず、10月27日木曜日午後6時、フラフラと大阪のホテルプラザ・浪の間へと足が勝手に動き出していた。

オイ、オイ、どうするの。
買うことなど到底無理なんだからね。
ああ、わかってる、わかっているよ。
つかの間、夢を見に行くだけなら、やめた方がいいんじゃない。
ただ、
ニューヨーカーの気分に浸ってみるだけ。ただ、それだけだよ。
誰に迷惑をかけるでもないんだし。
まあ、つかの間の夢、それくらいなら許されるでしょ。
そんな軽〜い気持ちで、出かけたはずだったのに・・・。

部屋には既に50人ほどが集まっていた。何人かの若い女性の姿もある。自分たちでニューヨークに住む予定なのだろうか。
セミナーは、まずニューヨークのデベロッパーの挨拶から始まった。もちろん英語ではあるが、通訳がついている。連邦地方検事補を経て不動産業界へ転身をした新進デベロッパーというふれこみである。次に主催者が米国最新不動産投資情報と題して、おいしい話を繰り広げていく。ニューヨークの不動産管理会社の社長は、ニューヨークの賃貸市場の状況を説明をし、最後は、米国不動産法の基礎知識ということで、弁護士と会計士が概要を解説した後、個別相談会で締めくくるという内容だった。

ニューヨークの観光ガイドのようなビデオにうっとりとし、おいしいコーヒーもいただいた。まあ形ばかりの質問をしておけば問題もないだろうと、資金的な面で、現地の銀行での融資についての不明な点をいくつか尋ねて会場を後にした。
家に持ち帰った豪華な資料。こんな見せかけのごまかしには乗らないぞ、と思いながら、日曜日の昼下がりに、パンフレットの美しいニューヨークの写真を眺めながら、出るのはため息ばかり。夢は夢でしかあり得ないのに・・・。
数日後、先日のセミナーで名刺交換をしたセールスから電話がかかってきた。近く大阪へ行くので会えないかという。

セールスに対しては悪い印象はなかった。年齢も同じという親近感もあった。どんな人たちが購入を検討しているのかも興味があったし、どこかで誘惑に抗しきれない自分がいて、ここで断ってしまうのもなあ・・・という優柔不断で、未練がましい男は、とうとう、「会ってもいいですよ。でも、まず、買うのは無理ですからね」とセールスには念を押した上で会うことにした。
実際には自分への戒めの言葉でもあった。自分自身にそう言い聞かせておかないと、何を言い出すか自分でもわからない位にニューヨークという言葉の響きにのぼせあがっていた。

数日後、件のセールスとは、会社近くの喫茶店で会った。既に契約した人もいると聞いて驚いた。契約書をもらって岡山から帰る途中だという。セミナーに参加していた女性たちも検討中という。たくましい。自分が決めたことに、まっすぐ進んでいく人たちが羨ましい。いったん事を決めた後の行動は、男性よりも女性の方が肝が据わっているような気がする。
「スゴイよな。勇気がまぶしいな。若さがうらやましいな」
そんなことを思っていたら、何となく気持ちがあせってきた。もしかすると年齢的にも、もう最後のチャンスかもしれない。ニューヨークにいけるかどうか、少しの間、夢を見てみようかなという気持ちが湧き起こってきた。

資料に再度目を通す。
住民専用のプールがあるんだ。ヘルスクラブもある。ドアマンも24時間常駐だ。セントラルパークまで歩いて東へ10分ほど。西へ5分も歩くとリバーサイドパークか。ハドソン川を眺めながらの散歩なんていいなあ。
きっと井上陽水の♪♪ホテルはリバーサイド・・・♪♪なんてのが頭の中でいつまでもリフレインするに違いないだろうなあ。
WEST86丁目とブロードウェイの交差点の所に建っているんだ。フ〜ン、1890年代はブロードウェイはブルバード(=大通りの意味)と呼ばれていて、このコープの名前"THE BOULEVARD"はそこに由来しているんだ。

もう、たまらくなってきた。百聞は一見にしかずともいう。
これは見に行くしかないと、我が家の大蔵大臣というか、打ち出の小槌を持つ大黒様の妻を誘って、ニューヨークへと飛び立った。1988年12月3日のことだった。



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