New York七転八倒顛末記その3


日本にはないエスクローという制度

手続きが始まった。
ニューヨークが一歩一歩現実のものとなって近付いてくる。どういう使い方が一番良いのだろうか。

まだ幼い我が娘達も、将来は留学を望むかもしれない。その時の生活の場所として考えることもできる。コロンビア大学はすぐ近くだし、ニューヨーク市立大学も、地下鉄1本で通学できる。自分自身の定年後に暮らす場所として考えてもよい。いや、それよりも、今の仕事に結びつく形での活用を考えた方がいいかもしれない。
あれこれと夢は際限なく膨らんでいく。

その前に、現実に戻って、書類の手続きを進めなければならない。
まず、契約申し込みの預り金として30万円を振り込む。正式に契約するときには、この預り金は、契約金の一部に充当するという。この時点で、個人として取得するのか、それとも自分の会社を通じて投資をするのか、あるいは現地法人を設立して取得をするのかで悩むことになる。税金関係の本を読んだり、知人に聞いたりして、あれこれと調べてみた。
最終的には、ニューヨークに現地法人を設立することにした。

不動産を取得するだけでなく、ニューヨークの様々な情報を取り込んで仕事として成り立てば、家族をあげての移住も視野にはいってくる、などという甘い考えが脳裏をよぎる。しかし、現地法人を設立するとなると余分な費用も嵩んでくる。一体どの程度の資金が必要なのか見当も付かない。設立のためには、日本語で交渉できる現地の弁護士を探す必要もある。本来なら、自分でニューヨークへ行って探すのが最善の策なのだが、そんな時間的余裕も無い。

仕方なく業者に紹介をお願いする。しばらくして、ニューヨークのパークアベニューにあるM法律事務所を推薦された。一方で、売買契約書に署名して、購入価格の10%にあたる20,260USドルを、ニューヨークのエスクロー口座へ送金をする。当時のレートは122円50銭だったので、2,481,850円をドルに変換する。大蔵省へも「不動産購入」を理由とした書類を提出しなければならない。同時に、業者のコンサルティング料と称して、購入価格の3%(744,500円)を支払う。

ここで、日米の不動産取引の大きな相違点でもある「エスクロー(=Escrow)」という制度を、当時のパンフレットから引用して説明しておこう。
ご存知のように、日本では売主・買主間の直接取引や、宅地建物取引主任者の資格を有する不動産業者が双方の間に入って契約実務の代行をすることも可能である。ところが、アメリカ合衆国では、いかなる場合もエスクローという第三者的中立機関を通さずには契約行為はできない。売主・買主双方共に、エスクロー会社(州政府の認可を受けた法人)に売買代金を供託して、一定期間(通常1〜2ヶ月間)内に売主・買主の双方がそれぞれの調査・ローン等の手続きを行い、お互いに納得した上でエスクローのクロージングに入る、という手順を踏むことになる。

要するに、エスクローは、売主と買主の双方の条件が満たされるまで、売り手からは不動産譲渡証書を、買い手からは不動産の購入代金を預かってペンディングの状態にしておいて、確認後に代金を売り手に、証書を買い手に引き渡して決済をするということなのだが、日本には無い制度なので、絶対に安全だといわれても、その時は実感として何がどう安全なのかということすら、本人としては、よくわかっていなかったのである。

もうひとつ日本と違う制度に印鑑証明のことがある。
日本では何をするにも印鑑ということになるが、アメリカはすべてがサインということになるので、アメリカ大使館の領事部か、アメリカ領事館でサイン証明をする必要がある。その後、ニューヨーク州税務・財務局に「不動産譲渡所得税・質問書」を提出する際にも、アメリカ大使館において「宣誓供述書」をつくるのだが、その折りに、担当者から取引内容を理解しているかどうかを確認してくるので、最低限のことは調べて覚えておくことが大切である。といっても、とても簡単なことなので恐れるほどのことはない。

それよりも大事なことは契約書の内容の確認である。英文のかなり厚い書類なので、別の人に翻訳を頼んだりした場合などに、誤訳などが原因で失敗がないように注意したい。
私の場合は、いい加減に読んでいたために、万が一、アメリカの銀行融資が受けられなかった場合でも契約が破棄できないという条項を見逃してしまって、あとでわかったときにも自分の馬鹿さ加減を誰にも話せなくて、実際に銀行融資がOKになるまでは、寝苦しい毎日が続き、夢でうなされた記憶までもが、今でも鮮明に甦る。

本当に、今考えると、怖いもの知らずというか、空恐ろしい行為だと思うが、当時は熱病に浮かされた患者のようなもので、イケイケ状態そのもの。もう後ろを振り返ってみる余裕など、これっぽっちも持ち合わせていなかった。

こわ〜い物語は、ますますその怖さを増して、すべてがミステリアスになっていく。しかし、この物語はサスペンスでもなければ、さりとて喜劇でもなく、かといって悲劇とまではいかない。不思議な物語になっていくようだが、10年以上前の遠い過去の記憶を頼りに、思いつくままに書き連ねているので、時系列的におかしなところも出てくるがご容赦いただきたい。結末は果たしていつになるのか本人も定かではないので、気の向いた折りに、時々は覗いていただければ幸いである。



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