New York七転八倒顛末記その6


羽のはえたお金はどこへ行く?

とりあえず状況を把握するために、日本の仲介業者の担当営業マンの自宅に電話をいれてみた。彼も寝耳に水に近い形で知らされたらしい。彼を責めてみても仕方がない。
ニューヨークのアパートは、全体でまだ3分の1は売れ残っていたはずだ。今までは、このアパートを建てたデベロッパーの関連会社である販売会社が、売り出し中の部屋の管理費を立て替えて入金をしていたが、その管理費が管理組合に入ってこなくなるのだから、果たしてこの後、アパートの管理は支障無く運営されていくのだろうか。アパート自体が倒産してしまったのでは、元も子もない。

近く、管理組合の総会が開かれると、ニューヨークのアパートの管理を委託した不動産管理会社からFAXが届いた。彼に代理出席を頼んだ。
最悪の場合、一時はガスが止まるという寸前まで追い込まれたようだが、結果的には残りの部屋をすべてシティーコープが買い取って、銀行管理のもとで、管理組合が運営されていくことが決まったと、しばらくして不動産管理会社からレポートが届いた。

一安心と思ったら、今度は日本の仲介業者が会社を清算してしまった。計画倒産ではないのだろうが、余りにもあっけなく会社が無くなってしまった。これから先、問題が起きたとき、どこが責任をとってくれるのか、不安が大きくなっていく。
日本の仲介業者は、手紙で今後の窓口となる代わりの不動産会社を紹介してきた。早速、新しい不動産会社へ電話をいれてみるが、要領を得ない。
こうなったら、自己の責任でやっていくしかないと腹をくくるものの、気持ちは徐々に追いつめられて、毎日、毎日、ため息の連続だった。まるで、その時の私は、唐突に一度の練習すらもなく、白馬のジャンプ台に連れていかれて、誰か見知らぬ人に無理矢理に背中を押し出されてしまった、無知で無謀なスキーを履いたおっさんであった。

鬱々とした毎日を過ごしていた頃、衝撃的なニュースが、またもや私を痛めつけた。アメリカの税務当局から何か訳の分からぬ税金の滞納による追徴税の請求が送られてきたのである。
加えて、1ドル90円台を割り込むという円高が、追い打ちをかけてきた。為替の変動だけで、はや、投下資金の3分の1は知らない間にどこかへ消えてしまった。毎月のアパートの管理費や、銀行への返済や、諸々の経費などで、月々200ドルほどの赤字がでている。それ以外にも現地法人の維持費などで、まるで湯水の如く、恐ろしいスピードでお金が出ていく。
いっそのこと売却してしまおうかと思い、問い合わせてみると買値より2万ドルくらい下でないと駄目との返事。こうなれば、当初の目論み通りに、最後まで頑張ってセカンド・ホームにするしかないと、やせ我慢よろしく、思い新たにするしか方法もなく、ニューヨークに見放されてしまったという悲しい気分でいっぱいだった。

その頃のニューヨークは、ツンとすまして他人行儀な、どこまでも意地の悪い性悪女のようだった。くじけそうな人間には、ますますその冷たい横顔だけを見せてくれた。あんなに恋い焦がれた街だったのに、一旦背を向けるとなかなか振り返ってもくれない。なんだか、そこいら辺に無数に転がっている、安直なドラマにでもありそうな男と女の世界のようでもあった。
しかし、しかし、しかし、人生、捨てた物じゃない。諺は正しかった。「日は又昇る」、「雨降って地固まる」、「朝の来ない夜はない」・・・。
ニューヨークでの新たなる人との出会いが、新しい扉を開いてくれた。やはり、ビッグ・アップルは囓りがいがあった。


||次のページへ||MY HEART NEW YORKへ||

ホームページに