New York七転八倒顛末記その2



ニューヨークへ、いざ、いざ、いざ。

ニューヨークは煌めいていた。
幸か不幸か、クリスマスのために、1年中でいちばんお洒落をしているニューヨークに来てしまった。エンパイアーステートビルから眺める夜景に、寒さも忘れ恍惚の人と化してしまった私。こうなると、もういけない。すっかりオノボリサンである。

「仕方ないよ、86階の展望台などは初体験。舞い上がるのは当然だよな」などと、自分でも訳の分からない言い訳などを言い出す段となっては、もう勝負は目に見えている。もっと冷静にならなければ、客観的な判断など下せるはずもなく、相手の思う壺。
でも、こんなニューヨークを見せられては、長年夢を募らせてきた、こざかしいおじさんなどは完全ノックアウト状態。結果は、「もう、ああ、ダメ〜」なことは明白で、物件が気に入らなかったらどこか別の所を探して、なにがなんでも「NYに、家、買うぞ〜!」モードに入ってしまった。

とにかく物を見ないことには話は始まらない。翌日、早速、業者に連絡を取ってみた。しかし、現地の駐在員がいない。ボストンに出張で出かけているという。
「おいおい、東京から連絡は入っていないの。大事なお客さんを逃がしかけているんだよ。せっかくニューヨークくんだりまで来てあげているのに、この扱いは何なの。余り乗り気でない妻をわざわざ誘って来たのに・・・もうどうなっても知らないよ、私は」
グチっていても仕方がないので、直接自分たちで物件を見に行くことにした。

West86丁目とブロードウェイの交差点の北西の角に、確かにTHE BOULEVARDは、まばゆいばかりに建っていた。まだ、玄関などは一部工事中で、足下にはベニヤ板が敷かれている。

しどろもどろの錆び付いた英語で、何とか受付で話が通じて、販売担当者が中を案内してくれることになった。
アメリカでは部屋のタイプは、日本のように2DKとか3LDKなどという表示ではなく、ベッドルームとバスルームの数で表す。私の希望は、とりあえず1BED/1BATHだったので、まずこちらが希望しているのと同じタイプのモデルルームを見せてもらう。

内部を見て歩いて感じたのは、共有部の廊下は中廊下になっていて、その上、すべてが間接照明なので、ホテルのようでとても気持ちが落ち着く。日本では、分譲マンションの共有部分の廊下を中廊下にすると建ぺい率に含まれるために、その制限を受けない外廊下が多いと聞いた。果たして正しい情報なのかどうかはわからない。
部屋にはいると、まず天井の高さに目がいった。部屋の大きさは679SQF(63.08平方メートル)。キッチンには自動皿洗い機、4口ガスレンジ、ガスオーブン、大型冷蔵庫などが標準で備え付けられている。バスルームはギリシア製の純白大理石による大型バスタブで贅沢さを醸し出している。部屋の窓からは、ミッドタウンの摩天楼のスカイラインが眺められる。

部屋の後に案内された2階にある住民専用のプールは22メートルで、プライベートプールとしてはニューヨーク最大だという(当時)。私が希望している階の部屋も見せて貰った。
日米同時期同価格販売で206,300ドル、当時の円の相場が124円なので日本円にすると25,581,200円ということになる。

ニューヨークのマンハッタンといえども、日本の住宅環境に比べれば、まだ尚ずいぶんと恵まれている。確かに、ペントハウスともなると、80万ドル以上するが、その豪華さや広さも半端じゃない。

でも、もし本当にこの部屋を自分のものにすることができたなら、しばらくは、きっと一日中、窓からボーッとニューヨークのスカイラインや、ブロードウエイの車の往来を眺めているに違いない。きっと、仕事どころじゃなくなるだろう。

すぐにホテルに戻る気もせず、妻とふたりで、86丁目界隈、アムステルダム街、コロンバス街など、アパートの周辺をあちこちと歩きまわった。「老いたら、また二人でここに座っていろいろな話ができるといいね」と、リバーサイドパークのベンチで、もうニューヨークの空気にどっぷりと浸かっていた。

当初の目的をとりえず果たしたので、後はお決まりの観光コースを巡り、ナイアガラまで、ずいぶんと遅い新婚旅行を楽しみ、帰りはアメリカの首都Washington.DCに立ち寄った。公園都市とも呼ばれているだけあって、ワシントンではニューヨークの興奮も鎮まって、ゆっくりと時間を過ごすことができた。

日本へ帰ってからは、まず他の業者のニューヨークの物件を調べてみた。
後で思ったのだが、せっかくニューヨークへ行ったのだから、事前にもっと調査をして現地で他のいくつかの物件を自分の目で確かめてくればよかったのに、その時はもうコレしかないと思いこんでいた。この歳になってこれなんだから、恥ずかしいことこの上ない。

欲しいとなったらもう子供みたいなもので、まるで熱に浮かされたように、明けても暮れてもニューヨーク、ニューヨーク、ニューヨーク。
まあ、駄目ならあきらめもつくと、ついにニューヨークの銀行にドル建ての借金が可能かどうか、10万ドルの融資を申し込んでみることにした。とりあえずどこの銀行に申し込みをするかの段階で、手続きの方法や、アメリカの金融事情など、事前の知識はまったくなにも無い状態だったので、どこから手をつければいいのかもわからない。前のセミナーの折りに名刺交換をしたニューヨークの不動産管理会社に適当な銀行を紹介をしてもらうことにした。

ニューヨークのファーストネーション・ワイド・バンクというところからローンの申込書が届いた。日本の銀行でお金を借りるときよりも何倍もの詳しい調査書が添付されていた。
乗っている自動車の種類、所有している絵画までも書く欄がある。この点は、個人の信用よりも、勤務先の規模や勤続年数が審査の主な対象となる日本の銀行とはだいぶ違う。
アメリカの銀行は、個人に貸すということを、銀行の融資担当者の責任で判断するシステムからして根本的に違う。とにかく、辞書をひきながら、調査書の全ての項目をなんとか埋めてニューヨークへ返送した。
はてさて、審査の結果は吉と出るか、凶と出るか、時間待ちということになった。

その間、東京の業者から何度となく電話がかかる。
たぶん融資はOKになると思うが、クロージングまで相当の時間がかかるので、そろそろ契約をとの誘いがあった。アメリカの不動産取引は日本のように業者との直接の金銭授受ではなく、第三者的中立機関のエスクローという制度で契約が進行していくので安心だとの説明もあった。

もうその年も暮れようとしていた。
ついに、サンタクロースになりすました私は、自分へのプレゼントと称して、ニューヨークになんとアパートを衝動買いしてしまったのだ。自分への過大なプレゼントに、あとでどんなに苦しくて辛い思いが待ち受けているかも知らないで。




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