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がんを明るく生きる-前立腺癌の末期から生還した伊藤勇のサイトのホーム

末期癌より生還した伊藤勇の闘病と生き方の物語

(4) 葬儀の準備をし遺産相続を決める…尊厳死、献体の手続きも

何よりも優先すべき公的整理に2ヶ月を要しましたが、目途が付いたらすっかり肩の荷も下り軽くなりました。一番短い余命の最後まで残り1ヶ月です。残された時間は我が身の後始末に使おうと私的整理を始めました。
私の妻はパーキンソン病ですでに亡くなっています。その月経に来られる浄土真宗のお坊さんに「お医者さんにあと3ヶ月か1年といわれてます。そのときにはご住職、またお願いしますわ」と言いましたら、「先に法名つくったらどうや」と言われたのです。たいてい本人はどんな法名がついたのか知らないでいますから、生きているうちに知っとくのもいいな、と思いまして、頼みましたら、一週間くらいして届けてくれました。

法名ができたら写真が要ります。写真はいっぱいありますが、最期に使うのはおめかししてと思って、床屋へいってから写真館へ行きました。
それから、葬祭業者に電話しました。「ちょっと見積もりしてほしいんですわ」と。業者は「はいはい」と、30分もたたないうちに飛んできました。玄関を入ってきた業者が「仏様はどこですか?」って言うんです。「わたしなんですわ」と言ったら、目をくりくりっとさせましたけど、こういうふうに言われているので見積もりしてほしいんですわ、と言ったらしてくれました。
お墓は作りませんでした。二人の娘は長男のところに行ってますので、墓守りしていく人がいずれいなくなります。だから京都のお寺の納骨堂に収めてもらって、永代経を上げてもらうことにしました。あとは、忌中の手紙の発送先などの一覧表を作りました。

遺産相続もきちんとしておかないといけません。娘と婿を両方呼んで、これでどうや、といって決めました。私は子供達にはいつまでも仲良くやってほしいと常に願っております。弁護士や裁判所を中へ入れることは悲しいことです。そんな風にならないようにと、二人の娘夫婦の前で、ほぼ平等に細部までオープンに取り決めました。いまでも二人の娘達家族はとても仲良く、何事もオープンで話し合いをしています。
尊厳死協会へも加入しました。植物状態になった際、3ヶ月目に人工呼吸器を法的に取り外せるよう、子供、孫、連名で弁護士事務所に登録しました。また不老会への登録手続きもすませました。葬儀終了後、私の身体は大学の医学研究のため献体されます。
こうしてあわだだしく残された1ヶ月を使い果たしたのです。

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