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がんを明るく生きる-前立腺癌の末期から生還した伊藤勇のサイトのホーム

末期癌より生還した伊藤勇の闘病と生き方の物語

(5) がん患者の会に入会、全国で体験談を語る…楽しさで自己免疫力アップ

あっという間に賞味期限の余命3ヶ月は終わってしまいました。すべての身辺整理が済んだら、なんだか精神的に非常に楽になり、身体も軽く感じられ、そうすると不思議なことに体調も少しづつ良くなり始めたのです。
仕事や地位を放し、がんを受け入れ、がんと共生しようと気持を転換してからは、心にゆとりが生まれたのでしょうか。もともと「ネアカ」の私ですが、更に孤独にならないように気を付けて、無欲な明るい独居老人になろうと変身していきました。
すべてがなくなったあと、人がいろんなところに誘ってくれました。そのひとつががん患者の会です。その会に参加している人たちは、がん患者と言っても皆さんとても明るくて、元気なのです。その明るさに、これががん患者の会か?と驚きつつも例会に参加し、情報交換し合ううちに、励ましあう会の存在は実に貴重であると痛感してきました。

その会でハワイに行くという話がありました。私の人生は賞味期限も切れ、オマケの人生になったのだ、思いっきり行ってこようかと参加してみました。そうしたら元気になるんです。楽しいことをやっていると自己免疫が高まるのか、痛み止めもなんにも飲まなくても大丈夫なのです。
それがきっかけとなって、国内はじめ海外にも積極的にツアーに参加したり、一人旅などの体験旅行をしたり、無性に楽しく「生」を噛み締めるように味わいました。

そうこうしているうちに、余命はいつしかどんどん延びていきます。がん自体は転移をしていたにもかかわらず、体調についての悲壮感など微塵も感じませんでした。40年間の仕事人間からただの年寄りに変身して、がんと共生しながらのオマケの人生が始まっていたのです。
ある日、街でチラシを受け取りました。名古屋で活動している「みどりの会」という健康を考える会が開催した講演会の案内でした。この会は、50代の主婦4人がやっていまして、そのときの講師は、佐藤秀一さんという、肺がんで3回手術をして40%の肺を取っている人でした。
佐藤さんはすごく明るい人で、いっしょに講演した奥さんもとても明るく、ああこの夫婦は仲がいいのだな、と思いました。告知を受けたがんを夫婦一体で取り組んでいるのが伝わってきました。
講師の佐藤秀一さんは、三重県にある「ヤマギシの村」という共同体に暮らしていた人で、佐藤さんのお誘いを受けてヤマギシの村を訪問したりしました。そのうち、佐藤さんから、自分も受けているというヤマギシの講習会を受けてみないか、と勧められ参加しました。
それは7泊8日の合宿講習会で、先生はいなくて、みんなで生き方を考えようというものでした。講習会は楽しくよく笑いました。講習内容には、私の今までの生き方、理念とも合い通じるものを感じて大いに共鳴しました。そして、これからの生き方にも更に自信が付いて帰って来たのを覚えております。

こうしてだんだんと楽しくなると、直径7センチくらいになっていた肝臓のがんも、中期の心臓弁膜症や、右半身一過性不随の脳梗塞も、200くらいの血圧も、それぞれの状態が良い方向になってくるから不思議です。しばらくして、自分に残されたオマケの人生はボランティア活動に徹しようと思い、佐藤さんのように自分の体験談を話すようになりました。

この活動を通じて、色々な分野の人達ともお知り合いになることができ、その結果、日本全国約240ヶ所ほどで講演させていただくことになったのです。それがまた自分の生きがい、張り合いにもなってますます楽しくなっていきました。
現在、私の人生の転機となった佐藤さんは兵庫県にお住まいです。肺がんは、病院での定期検査を受けられておられましたが、5年前ついに「転移の可能性はもうないので検査に来る必要はない」とのお墨付をもらったとのことです。 現在も新たな発症はなく元気に暮らしておられ、環境関係の2つのNPO法人に属されてその活動に情熱を注いでおられます。

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