《友人から》

メールを取り次ぐ友人、制作した友人

このサイトは2000年4月13日に開設されました。
それ以来、寄せられるメールを取り次いでくれている友人がいます。私と同年代の女性ながらパソコンが達者です。寄せられるメールを私のところへファックスで送ってくれ、私が手書きしたお返事をメールにして相手の方に送ってくれています。
また、サイトを作ってくれたのも私の友人です。

柳川千恵子さんより

伊藤さんの心からのメッセージを伝える役を

伊藤勇さんとの出会いから10年、そして、HPのお手伝いをさせて頂くようになって6年が経ちました。

現在、サイトには、17万8千人の訪問があり、患者ご本人やご家族から相談のメール、叉お見舞い、励ましのお便り等が数多く寄せられて居り、伊藤さん並びに各持ち場のお手伝いをさせて頂いている私たちスタッフも大変嬉しく、毎回、心を込めて返信や更新に取り組んで居ります。

往復書簡のやり取りでは、患者さんや、お身内が、がんに対する恐怖や不安で一杯の正直なお便りに接し、その苦悩の様が目の前に浮かび、同じ境遇を経験した者として、その心情は心から理解出来るだけに、時には涙し、早く心に落ち着きを取り戻し、冷静に現実を見つめて闘病に専念して下さる様にど祈りながら、私は伊藤さんからのお返事を打っております。

私が伊藤さんに初めてお会いしたのは、友人に誘われて行った横浜の県民サポートセンターで開催された「がんを明るく生きる」という講演会でした。

会場に現れた伊藤さんは、満面の笑顔で、大きな声で「皆さんこんにちはー、今日は私の話を聞きにお集まり頂いて本当にありがとうございます!」と、なんと明るい末期がん患者さん、というのが私の受けた第一印象でした。

当時、主人を癌で亡くして3年、64歳の私の心は宙に浮いておりました。これからの余生を、どう暮らして行ったら良いやら全く先の見えない霧の中でした。

大正琴のお稽古に通ったり、好きな洋裁をやったりと、気を紛らわしながらも、これもだんだん出来なくなる歳になって行くんだなあ、という寂しさに度々襲われ、心はとても不安定な時期でした。

癌という病名だけでも、即「死」を連想してしまうわたしの思い込みは、相当深いもので、私が30代の時、癌で苦しむ父の姿を見て居ながら、どう対処してあげたらいいか解からず、毎日陰で泣きながら、母を励まし、小さい我が子を連れて病院へ通った辛い思い出がありますし、後年には、定年を真近に控えた主人は、腎臓癌になり、いろいろ手を尽くしても甲斐なく逝ってしまったりで、癌は非常に怖い病気だとイメージしていましたので、伊藤さんの底抜けに明るい語り口にはホントに驚きました。

末期がんでも、気持の持ち方で、こんなにも楽しい生活が送れるのか、と感動すると同時に、もっと多くの人達に、こんなに明るい伊藤さんを見て貰い、話を聞いて元気になって貰いたいと強く感じるようになりました。

伊藤さんの講演は、反響は大きく全国に広がって行きましたが、当時の容態は、医学的には手術の出来ない末期がん患者であり、伊藤さんも何度か身体の苦痛を味わった事はあったように後で聞きましたが、無理と思われるスケジュールにも弱音一つ吐かない伊藤さんには、本当に頭が下がる思いでした。

ホームページ作成をしてくれる友人と、返信を打ち込むお手伝いをする私が伊藤さんと3人で適材適所を自認しながらの共同作業で全国に発信し始めて私自身は、とても明るくなりました。

伊藤さんの生き方や前向きな考え方に大いに影響を受け、わたしに今出来る事を常に考え、現在は、社協主催の電話ボランティアや、デイサービスでの話し相手などさせて頂き、生きる張り合いを持って暮らせる喜びは感謝そのものです。

元来、身体の健康には自信過剰気味な私でしたが、昨年は思いがけない入院を2度も体験する目に会いましたが、現状を素直に受け入れ、穏やかな入院生活が送れたことは、伊藤さんから学び取った前向き志向のお蔭であると思っております。

勿論、伊藤さんは、会うたび、また、電話で話すたびに、僕は本当に幸せ!!と繰り返しています。

そんな伊藤さんが、これからも一日も長く元気で居られる事を願うと共に伊藤さんの生き方、考え方に、少しずつでも心の転換がなされて、病気であっても、心は健康な明るい入院生活、療養生活が送られるよう、癌患者のみなさん並びにご家族にお伝えしたいと心から願っております。
2006.9.1 柳川千恵子

サイト制作

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