「カラマーゾフ」創作ノート01

2013年1月

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01/01/火
新年。例年のごとく仕事場で新年を迎える。次男一家が来ている。大晦日に深酒をしたので朝は寝ていた。妻と嫁さんは初日の出を見てから孫の長男をつれて福袋を買いに出かけたようだ。次男とその次男は寝ていたのだが、祖母と母が出かけた直後に2歳の孫だけが目覚めて、階段を昇って(斜面の建物なので客室は下の階にある)リビングルームに来たものの誰もいないので泣き出した。それでこちらは目を覚ました。石油ストーブが燃えていて次男(孫)だけがいるという状況に、とりあえずストーブを消してエアコンに切り替える。それから3時間くらい次男と遊ぶことになった。爽やかな目覚めと幸福な新年であった。妻たちが帰ってくると昼になっていて、次男(息子)を起こして新年の祝い。今年は次男たちの近所の自然食品の店からおせちを取り寄せてある。われわれ夫婦に次男夫婦、2人の孫とともに新年を祝う。わが兄から電話がかかってきたりした。次男は仕事をかかえているようだが、一日はのんびりしている。こちらも「カラマーゾフ」の文庫を少し読んだだけ。しかし大審問官の章のあとの重要なところだ。ここがこの作品の山場だと思われる。今年は「カラマーゾフ」の続篇を書く。しかしまだ文庫本を読み返している段階ですぐには取りかかれない。とりあえず2つの仕事を進める。いずれも仮題だが(最近は作品のタイトルは営業部が決めることが多い)、「早稲田1968」と「数式のない宇宙論」。とりあえず「早稲田」「宇宙論」ということで話を進める。今月からしばらくはこの2つの作品のノートということになるが、「カラマーゾフ」の文庫本を読みながら構想を練ることになるので創作ノートのタイトルもカラマーゾフにした。1年では終わらないかもしれないので、番号を「1」ではないく「01」とした。カラマーゾフについては、続篇を書くというのがテーマだ。これまで「罪と罰」については捜査官が主人公を追い詰めるという、他者の視点から描くということで、新たな視点を提供した。同時にスヴィドリガイロフという本篇では脇役となっている人物に焦点を合わせた。「白痴」では廃棄された創作ノートのプランを復元することで、スヴィドリガイロフの後継者ともいえるもう一人の白痴の人物像を描いた。「悪霊」は前篇を描くというコンセプトだったが、前篇だけでは独立した作品にならないので、本篇まで書き直すことになり、2200枚、定価5000円のすごい本になった。いずれもプラン以上の充実した作品になったという手応えをもっている。あとは「カラマーゾフ」の続篇だけだ。これはある意味では書きやすいのだが、ドストエフスキーのファンの多くが続篇を夢想しているはずなので、その意味ではプレッシャーがある。しかしこの作品は、ドストエフスキーの書き換えというよりも、わたしのオリジナルの創作だと考えているので、プレッシャーは無視して自由に創作したい。自分のやりたいようにやる。それしかないのだ。このノートでは、現在までのプランをおりにふれて書いていきたい。当然のことだが、本篇のアリョーシャが主人公となる。この作品は「悪霊」を踏まえて書かれているはずなので、ニコライ・フセドヴォロドヴィッチ・スタヴローギンはそのままアリョーシャだと考えている。「悪霊」ではニコライは3人の友人に別々の思想を吹き込んで使嗾(しそう)したわけだが、「カラマーゾフ」の後篇ではアリョーシャは12人の弟子たちを使嗾することになる。これは原典を見ればすぐにわかることだ。アリョーシャはニコライそのものだといっていい。ところで「悪霊」の書き換えでわたしはキリーロフを視点となる主人公に設定した。アリョーシャがニコライの生き方の目撃者になるという設定だった。「カラマーゾフ」の原典にはコーリャという少年が登場する。コーリャはニコライの愛称だ。わたしの「悪霊」はアリョーシャがコーリャについて語るという物語だったが、「カラマーゾフ」はコーリャがアリョーシャについて語る物語になるというのが当初の構想だった。去年の夏ごろ、ふと思いついて、黙狂のイワンが語り手になるというプランを思いついた。これはすごいプランだが、たぶん構成に無理が出るだろう。すでにわたしは「デイドリーム・ビリーバー」という作品で黙狂が語り始めるという仕掛けを使っている。同じことはやりたくないという気持もある。いまの段階で誰が語り手になるかということは決めていない。これから少しずつプランを固めていくことになる。ちょうど文庫本の読み返しで「大審問官」の章を読んだところだ。当初のプランでは原典ではイワンが口頭でアリョーシャにプランを語るという設定なのだが、完成した叙事詩があるという設定にして、その叙事詩をどこかに挿入したいと考えていた。しかしいま「大審問官」の章を読み返して、わたしはすでに「地に火を放つ者/トマスによる第五福音書」という作品で、この問題を描いていることに気づいた。ドストエフスキーの「大審問官」に触発されて、わたしは福音書を書き換えるというとんでもない暴挙をすでに実現してしまっている。誰もキリスト教のことなど真剣に考えていないこの国では話題にもならなかったが、この作品は自分では最高の作品だと考えている。これを書いてしまっているので、「大審問官」をあえて完成させる必要はないのではないかと思うのだが、試しに実際に書いてみて、巻末付録につけるということをプランとしてもっていたい。ただ話の流れをそぐので物語の途中に挿入するのは難しいと思う。「悪霊」でも本篇では巻末につけられている「スタヴローギンの告白」の部分は物語の中に挿入できた。しかし「大審問官」の章を入れるのは難しいだろう。というように、さまざまなことを考えている。随時、その考えをこのノートに記していきたい。孫2人と正月を楽しくすごしながらそんなことを考えている。思えば去年の正月は同じ状況で「悪霊」のエンディングを書いていた。正月3日に完成したのだ。去年の正月のわたしにはドストエフスキーの霊が憑依していたのではないかと思う。それに比べれば今年のわたしは穏やかだ。菅原道真の霊も完全に抜けていて、穏やかな本来のわたしに戻っている。

01/02/水
正月の2日目。別荘地の管理棟の前のもちつきに参加したあと、妻と嫁さんが孫2人をつれて遊園地に行った。これは正月も仕事をかかえている次男のための配慮だ。こちらも便乗して仕事に集中する。テレビでは駅伝とかラグビーとかをやっていてその前で次男が仕事をしている。パソコンで報告書のようなものを作っているらしい。こちらは部屋の反対側でテレビの音声だけ聞きながら、「早稲田」を書く。全共闘運動が出てくると理屈っぽくなる。まだ出だしの段階なので理屈は排除する。説明はもっとあとでもいい。夕方、孫たちが帰ってきたのでパソコンを片づけ、「カラマーゾフ」を読む。アリョーシャがグリューシェニカに向かって「わが姉」という場面。ここはもしかしたらとても重要なところではないか。グリューシェニカは後篇でも重要人物になるはずだから。スペインの長男からはメールが届く。新しいブログを開いたとのこと。スペインでの年末のようすが写真で紹介されている。自分の20歳代後半から40歳代半ばくらいまでの20年間は、息子たちのために生きていた。その最後の頃は犬もいた。息子たちがいなくなり、やがて犬もいなくなった。人生とはそういうものだ。そのことと反比例するように自分の仕事が忙しくなった。人生というのはよくできている。今年は「カラマーゾフ」に向けての大切な時期だ。夜、遊んでいる孫を見ながら、「カラマーゾフ」を読んでいる。不思議な感じがする。正月が終わったら宇宙論についても考えてみたい。

01/03/木
孫たちはわれわれのプレゼントのレゴを組み立てている。わが息子たちもレゴで遊んだ。部品は大量に残っている。最近のレゴは精密になっていて、電気機関車の遠赤外線で操縦できる。「カラマーゾフ」読み終える。大審問官の章や、イワンが悪魔と対話するところなど、何度も読み返してきたのだが、全体を通読するのは高校以来。それだけにストーリーの細部は忘れていた。少年が登場するところなど、高校生の時は読み飛ばしてしまったようにように思う。読み終えて感じること。エンディングが際立っている。ただしここのところはエンディングとしての完成度が高い。続篇への布石として何かヒントがあるかというと、何もないように思われる。ドストエフスキーは何も考えていなかったのではないか。少年たちの名前もごく一部が書かれているだけだ。中心となるのはコーリャだ。「新釈悪霊」を書いている時、主人公ニコライの愛称を、意図的にコーリャと呼ばれておいた。主人公のキリーロフはアリョーシャと呼ばれている。「新釈悪霊」はアリョーシャがコーリャを見守るという構図だった。「新釈カラマーゾフ」では、コーリャがアリョーシャを見守ることになる。コーリャはキリストにとってのペテロのような存在だろう。

01/04/金
午前中の庭のキーウイやレモンの収穫。キーウィのつるが伸びすぎているので切る。疲れた。午後は妻と嫁さんがこの仕事場を建ててくれた大工さんのところにミカンをもらいに行った。仕事のある次男のため。こちらも仕事をさせてもらう。夜は近所の料理屋へ行く。孫2人が大食漢なので驚く。安い料理屋でよかった。

01/05/土
孫たちと新年をすごした。仕事をかかえている次男と、同じ部屋でともに仕事をした。この仕事場は屋根裏に書斎があるのだが、いまは物置になっている。有線のランを使っていて、ルーターがリビングルームにあるからだ。妻もパソコンを使うし、次男が来れば次男も嫁さんもパソコンを使う。ルーターは4人同時に使えるので、ルーターからのヒモが4本伸びることもある。ここのリビングは広くて、少し引っ込んだところがあるので、次男と2人で仕事をしていても、姿を見ずに自分の仕事に集中することができる。次男はテレビの前にいた。そうなるとわたしはテレビの画面が見えない位置にいる(音は聞こえる)。わたしの方が仕事ができたと思う。さて、本日は朝から片づけをして、まず次男一家を送り出す。わたしと妻でさらに片付けをして出発。仕事場から三宿の自宅に帰るのも一仕事だ。この仕事場は築32年。まだ八王子に自宅があったころから使っている。まだ幼児だった2人の息子から逃れるためて作った仕事場だが、息子が小学生になれば、仕事の邪魔をすることもなくなった。それ以後は、夏休みや正月をすごす別荘として使っている。いまは次男が孫をつれてくる。渋滞に巻き込まれて三宿に戻ったのは夜。家の全体が冷え込んでいる。風呂釜のマイコンが壊れているようですぐに消える。この三宿の家も築27年になる。今年は引っ越すことにしている。あちこちと問題が生じているのだが、何とか引っ越しの日までもちこたえてほしい。

01/06/日
妻と経堂まで散歩。歩いて行ったわけではない。バスで行って、経堂のあたりを散歩した。富士山がきれいに見えた。さて、本日はフットボールのプレーオフ初戦。Aカンファレンスはテキサンズがベンガルズに勝利。ベンガルスを応援していただけに残念だが、もしベンガルスが勝っていたら本命のブロンコスと次にあたることになっていたので、まあいいか。これでテキサンズはペイトリオッツとあたる。ブロンコスは明日のレイブンズとコルツの勝者とあたる。コルツが勝つと、コルツの新旧QB対決となる。Nの方はパッカーズがバイキングズに勝った。これで49ナーズの対戦相手がパッカーズということになった。強敵だ。もう1つの山は新人QB対決のシーホークスとレッドスキンズだが、こちらは少しだけレッドスキンズを応援している。どちらにしても次は今シーズン最強のファルコンズとあたることになる。スーパーボウルはブロンコスと49ナーズの対戦を見たいのだが、たぶん相手はファルコンズになるだろう。さて、明日から大学が始まる。朝1限の日々が始まる。

01/07/月
大学が始まった。月曜1限は小説論の講義。文学史に沿って話している。もう歴史の大詰めなので、自分と同世代の作家について語る。中上さんや、立松さん、もうこの世にいない作家たちだ。1限が終わると、夕方の学科会までアキ時間だが、学生の宿題を読んだり、メールのやりとりをしたり、フットボールの結果を見たりしているうちに時間が経って、自分の仕事をするひまがなかった。ワイルドカードの残り2試合、コルツが負けたので、新旧QB対決は見られなくなった。新人QB対決のシーホークスとレッドスキンズは、シーホークスの逆転勝ち。シーホークスには勢いがある。もしかしたらファルコンズに勝てるかもしれない。

01/08/火
大学。1限のあとは何もない。しかし大量のメールが来る。やらねばならぬことがたくさんあって忙殺される。夕方、メンデルスゾーン協会の新年会。さまざまなキャリアの関係者が集まって飲み会。いい気分で帰宅。何か、疲れた感じがする。正月の休みで身体がなまっている。

01/09/水
月に1度の主治医で薬をもらい、夜は編集者と飲む。同世代の編集者だ。作家としての仕事を始めた直後からつきあっている。でも、彼らも少しずつ編集の現場からリタイアしている。自分も還暦をはるかに過ぎた高齢者だが、大学の先生をしている。とにかくがんばって生きている。まあ、編集者というのは友人である。これからも長く付き合っていきたいと思う。

01/10/木
午後からの授業。3コマを終えて帰宅。本日は夜中にフットボールの放送を見ながらのんびりしたい。

01/11/金
文藝家協会常務理事会、理事会、新年会。新年会は例年、理事、評議員だけの宴会だったのだが、今年は業界の人も招くことになった。ということは著作権団体の人や、著作権を利用する業界の人ということで、わたしがふだん付き合っている人々が大挙して来場させることになった。挨拶だけで忙殺されることになる。挨拶だけするのも寂しいので、酒を飲みながらということになる。料理をとりにいくひまはないので、酒ばかり飲む。副委員長の岳真也さんがおつまみをもってきてくれた。終わってから岳さんら数人と二次会。著作権関係の人々と顔を合わせたので、今年も始まったという感じがした。大学、著作権、自分の仕事と、わたしの仕事は三極になっている。大学はすでに始まっている。著作権の仕事も始まった。自分の仕事があまり進んでいない。そろそろエンジンをかけないといけない。

01/12/土
姉の芝居を観に行く。シアターコクーン『祈りと怪物/蜷川バージョン』。やたらと長い芝居だった。まだ拍手が鳴っている時に劇場を飛び出して、うまくタクシーがつかまった。冷えた夜は老人にはきつい。

01/13/日
早朝に起きてフットボールの実況中継を観る。有料テレビには加入していないので、NHKの中継のある数少ないチャンスだ。奇蹟のように復活したペイトン・マニング率いるブロンコスが圧勝するものと思っていたのだが、一進一退の展開で何度も同点になる。それでも残り1分でブロンコスが7点リードしていたので、90パーセントは勝利を確信していたのに、相手のQBフラッコのヘイルメアリーパス(いちかばちかのロングスロー)が相手にキャッチされてしまい、延長線でレイブンズが勝ってしまった。応援するというよりも、勝つものと信じていたブロンコスが敗退した。これは楽しみの半分は消え失せた。もう1つのカンファレンスでは、ジャイアンツがプレーオフ進出を逃したので、49ナーズを応援している。こちらは実力的にはナンバー3か、開幕ではエースだったQBスミスが離脱したので、もっと弱くなったと思われているので、祈るようにスーパーボウル進出を期待している。で、スミスの代わりに入った控えQBのケイパーニックは、パスが不安定で苦しくなると走る悪いクセのある選手なので、大丈夫かと思っていた。しかし本日の試合では、ネットの映像を見たところ、パスが見違えるほど正確になっていて、しかもロングスローができる。しかもランでは新記録なる独走をして、大量得点をあげ、スーパーボウルの常連のパッカーズを撃破した。よかった。これでまだ希望がもてる。

01/14/月
祝日。大学の暦では月曜の振り替え休日は休みにならないことが多いのだが、本日は学生にとっては重要な祝日なので休みである。休みでよかった。すごい雪だ。天気予報では雨(八王子は雪という予報だった)だったので、しばらくは積雪に気づかなかった。パソコンを開けてフットボールの結果の確認。本日の2試合はわたしにとってはどうでもいいのだが、新人QBが大活躍のシーホークスに期待をかけていた。何と20点差を逆転して残り数十秒までは1点リードしていたのに、最後にロングパスを2本通されてキックで逆転されたらしい。今期絶好調のファルコンズをそこまで追い詰めたのだから、よく頑張った。最後に再逆転したファルコンズのQBライアンもすごいといえるが、これで弱点が見えた感じがする。カンファレンス決勝では49ナーズに勝ってほしい。もう1試合はペイトリオッツの圧勝。これは強い。レイブンズも歯が立たないだろう。そうするとスーパーボウルはペイトリオッツ対49ナーズになりそうだ。わたしはペイトリオッツの暗い顔つきの監督(ベリチック)が実は好きなのだが、49ナーズのハーボー監督はもっと好きだ。ブロンコスが勝つものと思っていたので、すっかり忘れていたのだが、レイブンズの監督ハーボーは、49ナーズの監督の兄なのだね。監督の兄弟対決というのは、前代未聞ではないだろうか。さて、自分の仕事をしなければならない。「早稲田の想い出」どうしても理屈っぽくなるので、文章が長く理屈っぽくなりそうなところかカットして、話題を変えることにしないといけない。カラマーゾフのことも考えてはいる。去年の夏のころに思いついたプランにいまもこだわっている。すごいプランだが、もしもそのプランで書くとすると、作品を読む人に先入観を与えるので、そのプランの内容についてはここには書けない。一種のトリックを用いることになる。正攻法ではない。正攻法で書くべきだという思いもある。まだ決める必要はないので、プランとして抱いていたい。

01/15/火
空は晴れているが昨日の雪が残っている。このところ1限のある日は妻が車で送ってくれていたのだが、本日は車が走れる状況ではないので、徒歩で駅に向かう。これが大変な作業だった。とにかく大学にたどりつく。1限を無事に終えて、研究室でしばらく作業。早めに自宅に帰り、録画しておいた49ナーズ対パッカーズの試合も見る。ネットの情報(たぶん日本テレビも)では49ナーズのQBはケイパーニックなのだが、NHKのアナウンサーおよび解説者はキャパニックと発音する。違う人みたいだ。試合開始直後にキャパニックはインターセプトという失策をするのだが、何ごともなかったように次の攻撃では自分のランで同点にする。その後はクラブツリーへのパスと、ゴアのランを適度に混ぜ、ここぞという時には自分で走る。完璧なQBだ。ファルコンズのディフェンスは研究するだろうが、キャパニックがこんなに走ったのはこの試合が初めてなので、1週間くらいでは対応できないだろう。夜中はシーホークス戦を見る。
「カラマーゾフ」について考えている。以前にも書いたが、『新釈悪霊』はアリョーシャ(キリーロフ)がコーリャ(ニコライ・スタヴローギン)について語るという構成になっている。その段階ですでにわたしの頭の中には、『新釈カラマーゾフ』は、コーリャがアリョーシャについて語る物語になるという確信があった。だがそれでいいのか。コーリャはおそらく皇帝暗殺団の首領になるはずだから。語り手というものは主役にはなりえないというのは、当初のわたしの懸念だった。だが、問題を2つに分ければいいのだと、いまのわたしは考えている。皇帝暗殺団の首領と、新宗教の教祖、というダブル・ヒーローを設定すればいいのだ。そして、作品のテーマは新宗教にあるので、皇帝暗殺団はサブストーリーにすぎず、従って暗殺団の首領はあくまでも脇役である。皇帝暗殺団というわかりやすい実行部隊に拮抗するだけの思想的な核となる新興宗教を設定しなければならない。それは埴谷さんが『死霊』の中で首猛夫に語らせる「死なう団」のようなものかもしれない。ただ全体の構想がまだ細部までイメージされていない。これからの半年はタネをまく期間だと考えている。そこで、できれば2月に1冊くらいの割で新書のようなものを書いていきたい。とりあえずは『早稲田の想い出』だ。これは自伝であると同時に、全共闘運動の総括みたいなものであり、しかし表面的には軽いエッセーになるようなものを創造したい。

01/16/水
教育NPOとの定期協議。私立中学高校での著作物の使用について、文藝家協会に使用料を払うとともに啓蒙活動も続けてくださっている見識のある教育者の皆さんの無償のボランティア活動である。対応するわたしも無償の奉仕活動をしている。こんなふうにボランティアによって日本の文化が支えられているということを、文化庁の役人は理解しようとしない。利益を求める者たちの弱肉強食の闘いがつねに展開されているという認識しかもっていないのが、現代の役人なのだ。などと愚痴を言っても仕方がない。わたしは売れない本を出してもらうことによって作家として生き延びている。これが文化なのだということを、世の人々に訴えたいと思う。純文学というのはそういうものだ。

01/17/木
木曜日は後期の15回目の授業。木曜に休日や行事がなかったせいで、日程消化が進んでいる。今年度の授業は最終段階に入ってきた。だが仕事はまだ残っている。成績をつけ、来年のシラバスを書き、文集を発行する。来年度はネット上に学生の作品を発表することも考えている。そのための準備も必要だ。いずれにしても学生たちの作品のファイルを集める仕事が残っている。とにかく、今週もこれで終わった。いや、土曜に試験監督の仕事が残っていた。これが大変だ。まだ何やかやとやるべきことがある。今週もハードな日々が続いている。

01/18/金
図書館との定期協議のための権利者の会議。少し遅れて参加すると話はもう決まっていたのだが、ついでに重要な話ができたのでよかった。わたしはいま、今後の文芸文化の発展のカギを握る重要な局面に立って、いくつかの提案をしているのだが、出版社の認識がわたしの期待よりもかなり遅れている。そのことにわたしは危惧を感じている。が、まあ、何とかなるだろうと思っている。「菅原道真」とか、「カラマーゾフ」のことを考えている時は、単なるイマジネーションの世界なのだが、著作権の仕事をする時は動いている現実を相手にしているので、結果にある程度の責任があると思っているのだが、相手は人間ではなく、出版社という一種の集合体なので、暖簾に腕押しのような絶望感を感じることがある。日本の文芸文化が滅びるならば、それも仕方のないことかもしれない。わたしとしては、できるかぎりのことをするということしかない。

01/19/土
センター試験。大学の専任をしているので、教員の1人として対応しなければならない。去年も担当するはずだったのだが、なぜか直前になって、やらなくてもいいということになった。今年はそういうわけにはいかなかった。しかも英語のリスニングのある日だ。機械の扱いをちゃんと説明しなければならない、厄介な仕事ではあったが、幸いなことに乗り切ることができた。よかった。

01/20/日
センター試験の疲れが残っている。本日はプライベートな用件で八重洲に出かける。さまざまな手続きが必要で疲れた。明日は大学。今週はまったくの休みの日がなかった。疲れが残っている。

01/21/月
朝起きてただちにネットをチェック。チャンピオンシップの試合。49ナーズが10点差で負けている。朝食のあと出がけに3点差になった。妻の運転で大学に到着。研究室に入ってただちにネット。すでに試合終了。49ナーズが逆転勝ちしていた。すごい。1限の講義を終えてもう1試合をチェック。何とレイブンズがペイトリオッツをリードしている。ケーブルTVを見ている人のツイッターで、経過がわかる。ついにレイブンズが勝ちきった。これでスーパーボウルはハーボー兄弟の監督対決になった。こんなことはフットボールだけでなく、サッカーや野球でも前例のないことではないか。ツイッターで知ったのだが、今度のスーパーボウルは、ハーボー兄弟のハーボウルというらしい。さて、夕方の教授会までにさまざまな作業がある。この時期は忙しい。教授会もいつもより長びいた。今夜は49ナーズの試合を放送するはずだが、ビデオにとって寝る。

01/22/火
今日も車で送ってもらい。1限のあと、いつもなら何もないのだが、入試課に問い合わせにいったり、来客があったり、学生たちにメールを送ったり、大学院の口頭試問があったり、それから退職される学科長の最終講義と宴会があったり、スケジュールがぎっしりだった。すべてのスケジュールがきっちりこなして自宅に帰る。今夜はレイブンズが勝った試合。これは途中で眠くなったら寝てもいい。

01/23/水
水曜日は休み。夕刻、著作権情報センターの引っ越しの披露と宴会。わたしは理事をつとめている。たまたまひまだったからで、とくに出ていく必要はなかったのだが、これからも理事会などがあるので、場所を確認しておく。このところカラマーゾフのことを書いてないので、書いておこう。カラマーゾフのことは考えている。日々、考えているといってもいい。ただまだ具体的なものは何もない。嵐をついて、誰かが誰かを訪ねる。それがオープニングだ。といったことをぼんやり考えているだけだ。誰かが誰かを訪ねる、というのでは何もわからないのだが、オープニングとはそういうものだ。

01/24/木
大学に行って入試課と打ち合わせ。それから4年ゼミの学生と飲み会。それで1日が終わる。

01/25/金
ちょっと宿酔。本日は書協で図書館関係者との定期協議会。少し発言した。

01/26/土
大学の出張で静岡へ。それだけの1日。

01/27/日
サテライト入試の試験監督。先週のセンター試験と比べれば楽。静岡は近い。約1時間で着いてしまうので、ゆっくり飲んでいるひまもない。それでも飲んだけれども。

01/28/月
大学。うっすらと雪が積もっている。妻に車で大学に送ってもらうのもこれが最後だろう。4月には引っ越しを予定している。電車だと楽に通勤できるのだが、車だとかえって遠くなる。講義の時間の最終授業。社会人の聴講生が最後に挨拶に来てくれた。ありがたいこと。ちゃんと聴いてくれる人がいる。まあ、学生たちもちゃんと聴いてくれていたようだが。1年生の入門ゼミの後期テストなどあって、本日は多忙だった。「文集」を作る担当をしているので、講師の先生にお願いして、詩、短歌、俳句、連句などを集めている。創作のメニューが充実しているところがM大学の売り物である。学科会を終えて帰ると、ドッと疲れた感じになった。サテライトの入試に関わったので、土日がつぶれたのだから仕方がない。授業は終わったが今週もハードだ。
ところでカラマーゾフについて。「誰かが誰かを訪ねる」といういいかげんなプランしかなかった。それは「嵐の夜」でなければならない。場所は僧院のようなところ。グノーシス色の強いロシアの分離派の僧院。おそらくはかなりの山奥にある。そうなると、そこにいるのはアリョーシャだろう。アリョーシャはまだ若いのだが、ゾシマ長老のような風格を宿している。そこに訪ねていくのはコーリャか。ここでいきなりコーリャを出していいのか。いいだろう。出し惜しみしても仕方がない。あとからドミトリーもイワンも出てくるのだから、コーリャは最初から出てきてもいい。これでファーストシーンのイメージが固まってきた。あとは書くだけだが、その後の展開をもう少し考えてから先に進みたい。ここで少し史実を調べておきたい。皇帝暗殺未遂の事件を押さえておきたい。『悪霊』のピョートルが、口先だけの詐欺師のような存在であったのに対して、今回のコーリャは実際にゲリラ活動を推進している。『悪霊』ではニコライ(コーリャ)がキリーロフ(アリョーシャ)を使嗾したのだが、今回は逆の立場になる。ただし、ピョートルがニコライを首謀者に祭り上げようとしたように、コーリャはアリョーシャに自分たちの指導者になってくれと頼みに来るのだ。アリョーシャはまだ隠遁者としての風貌を崩していない。そこから徐々にアリョーシャの変貌が進行していく。さて、どこでイワンを出すか。イワンに付随する精神科医が重要。ファウストに対するメフィストフェレスのような人物。この人物がアリョーシャにも関わっていく。ユダは誰か。当然、コーリャだ。あるいはコーリャは熱心党のシモンか。12使徒を設定しなければならない。するとヨハネやマグダラのマリアを設定しなければならない。マリアの役どころは当然、グリューシニカが引き受けるのだろう。リーザの役どころは何か。カテリーナは登場するのか。いろいろと考えていると楽しみだが収拾がつかなくなるのではという不安もある。大審問官の章をどうするのか。本篇ではイワンが語った構想だけのものを、実はアリョーシャが完成させているという設定にしたい。そしてイワンとアリョーシャが議論をするのだが、アリョーシャは昔のアリョーシャではない。

01/29/火
朝から『早稲田の想い出』を書く。2月末完成を目標としているが、まだ出だしを書いただけ。とにかく前進するしかない。夕方、著団協新年会。文化庁の人々との懇親会。人数が少なくて楽しい宴会だ。夜中、軽く飲みながらカラマーゾフのことを考える。ゾシマ長老が死んだあと腐臭がする。その時、アリョーシャは何を感じたのか。簡単なことだ。神はいないということ。その結果、何が起こるだろうか。ゾシマ長老が、アリョーシャの父親と同じ人間だということだ。すべての出発点はここにある。それでアリョーシャに何が起こるのか。ニヒリズムかな。たぶんそういったものだろう。希望に燃えるというわけにはいかない。そういう流れの中では、皇帝暗殺というモチベーションは生まれない。皇帝を暗殺することで何ごとかなせると考えるのは、神を信ずるに等しい楽観的な発想だろう。アリョーシャの絶望は深い。そこで想起されるのは、人民寺院とか、死なう団とか、オウム真理教だろう。絶望はアリョーシャをそういった領域に導くはずだ。ではコーリャのモチベーションは何か。社会主義を信じるというのは愚行であり、長篇の登場人物としてはキャラクター不足だ。13歳のコーリャは社会主義者だったかもしれないが、26歳のコーリャの絶望は深い。それでもコーリャは社会主義者であり続けるだろう。それしかないという虚無感があるのではないか。『早稲田の想い出』を書きながら自分の若い頃のことを回想していると、同じような絶望感を感じる。若さとは何だろうか。ただの愚かさなのか。しかし年をとったいまの自分が聡明であるとは言いがたい。肚が据わったということはいえるだろう。これから書く小説は、肚が据わった作家の揺るぎのない絶望を描くものだ。迷いも懊悩もない、ドーンと重みをもった絶望を描く。それがドストエフスキーの晩年の夢であり、わたしがドストエフスキーから引き継いだものだ。絶望を描かない小説はただの読み物だ。では『菅原道真/見果てぬ夢』はどうだったかな。先月はゲラを読んでいた作品だが、もう忘れてしまった。装丁の見本ができている。中身には自信がある。いい本になるだろう。

01/30/水
文藝家協会で打ち合わせ。ある構想の準備段階の会議。何だか難しいことに挑戦している気がしてきたが、とにかく前進するしかない。そろそろ講義要項を作らないといけないし、明日は文集の入稿をしないといけない。まだ原稿のすべてが集まっているわけではないので、取捨選択もできない。確実に掲載できる作品だけをとりあえず入稿するつもりだ。

01/31/木 もう授業は終了している。が、学生の宿題が届く。本日はまた、文集の締切。当大学は創作の教室をいくつも用意していて、現代詩、短歌、俳句、連句、児童文学などが寄せられる。わたしが担当する小説のゼミの他にも小説を書く講座があるので、そちらからも作品が届く。昨年は卒論要旨で半分ほどのページが埋まっていたのだが、わたしの提案で大学紀要の方に引っ越してもらい、文章は創作だけで編集することにした。期待どおり多様な作品が集まり、レベルの高い。残念ながら卒論小説を載せるスペースが少なくなったのだが、卒論はネット上にも掲載する予定で、そちらにはわたしのコメントもつけるので、アップしたらぜひ読んでいただきたい。
ああ、今日で1月も終わりだ。カラマーゾフは徐々にプランが見えてきたが、ここに書くと読者に先入観を与えてしまうので、オープニングの段取りが見えてきたとだけ書いておく。まだオープニングだけでそこからどうなるかは何も考えていない。『悪霊』の時は、オープニングの学生集会の場面は、この集会に主要な登場人物4人が集まるということだけを考えて、いきなり書き始めた。これは前篇を書くというコンセプトなので、とりあえず船出すれば、ゴール地点はやがて見えてくる。今回は後篇を書くということなので、着地点が見えてこない。ある程度、ゴールに到る道筋を考えておきたい。書き始めるのは半年後くらいだ。それまでにとりあえず本を3冊書きたい。2ヵ月で1冊。そうでないと生活が苦しくなる。とにかく書き続けていきたい。1月が終わったということは『早稲田の想い出』が半分できていないといけないのだが、まだ始まったばかりだ。こういうものは調子が出ればどんどん書けるし、大学の授業がなくなったので、一気にスピードアップできるだろう。



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