「カラマーゾフ」創作ノート03

2013年3月

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03/01/金
このノートも3冊目になったが、カラマーゾフについてはまったく前進していない。それでもいくつかのアイデアが生まれた。冒頭、コーリャが場所でアリョーシャを訪ねる。アリョーシャは廃墟となった修道院を修復しつつある。彼の周囲にはかなりの人数の信者がいる。ラキーチンが参謀か秘書のような存在になっている。グリューシェニカもいる。この教団は「ニガヨモギ党」と呼ばれている……。あんまり書いてしまうと、読者に先入観を与えてしまうので、このあたりにしておく。この作品は、ドストエフスキーが構想していた『カラマーゾフの兄弟』の続篇(第2部)を「復元」する作業ではない。「復元」ではなく、「再構築」であり、「材料を活かして創造する」試みである。これまで書いたシリーズと併せて、4作でドストエフスキーの解説書になっていると同時に、ドストエフスキーが材料だけ提示して実際は書かなかった作品を、自分なりに創作する試みといってもいい。ドストエフスキーの心意気を継いで、新たな作品を創出するということだ。物語の舞台を18世紀後半のロシアに置くことと、カラマーゾフの3兄弟はじめ、本篇に登場した人物をなるべく多く登場させることは一種の縛りとはするものの、復元の方向には向かわない。おそらく「復元」は亀山さんのような人が試みるだろうから、こちらは「復元」にはこだわらない。1つの試みとして、4作を横断して登場する人物を設定する。いまのところ、レベジャートニコフとザミョートフを考えている。
さて、3月。いま作業中の『早稲田1968』は2月末草稿完成を目指していたが、まだ完了していない。しかしゴールは見えている。週末に完成、という第2の目標に向かって作業を進めている。いまはまとめの作業に入っている。この本はエッセーだが、自伝みたいなものだ。同時に、60年代末についての評論にもなっている。ただ堅苦しいものにしたくないので、なるべく個人的な話題だけを書き、評論的な部分も、個人の感想、という感じにした。老人の昔話といったものだが、自分が若い頃、吉田健一の『東京の昔』なんかを熱心に読んでいたことを思い出して、こんなものを書いてみようと思い立った。まあ、ゴール寸前まで来ているので、完成するだろう。本日はマッサージに出かけただけでひたすら仕事。明日はラジオ出演なので早めに寝る。

03/02/土
週末だがラジオに出演。『男が泣ける歌』を出して以後、弘兼憲史さんの番組に呼ばれるようになった。今回で3回目。2時間ほど雑談をしていればいいだけの番組。ただし生放送なので、体調を調えて、その日に自分の体をラジオ局まで運んでいかないといけない。幸い花粉は目にきているだけで、鼻も喉も大丈夫。無事に放送を終えて、浜松町から京浜東北線に乗る。この電車に乗ることはめったにないのだが、快速に乗ると8分で秋葉原に着いた。引っ越し先の公的スペースの内覧会。いつもは淡路町から行くのだが(最寄りは新お茶の水)、秋葉原から歩いてもすぐだ。妻と待ち合わせて、駐車場などを確認。最近は運転するのは妻ばかりだが、車庫入れが苦手なのでどうかと心配だった。しかし全体にデパートの駐車場などより広い感じでこれならストレスはないだろう。夜中、『早稲田』の仕上げ。まだゴールに届かず。

03/03/日
昨日は風が強かった。いやな予感がしたのだが、夜中に目と鼻に花粉の症状が現れた。先週の週末は仕事場にいて、そちらは自然環境の中にある場所なので、目がやられたが、点眼薬で何とかしのいだ。今回はそのリミットを超えた。こういう場合に劇的に効く薬がある。市販薬である。医者からもらっている抗アレルギーの薬は、眠くはならないが効き方も弱い。この市販薬は劇的に効くのだが、劇的に眠くなる。ということで仕事をせずに寝てしまった。というわけで本日は朝から仕事、と思っていたのだが、雑用がいくつかあって、仕事を始めたのが夕方。ゴールに到達できず。しかしゴールが見えているところまでは来ているので、明日、研究室でプリントして、チェックの作業に入る。通読したあとでエンディングを考えればいいだろう。花粉が怖いので散歩にも出ずに自宅にこもっていた。

03/04/月
大学。入試の日。武蔵野大学は入試の日が多い。早稲田とか慶応とか、トップクラスの大学なら、1回入試をすればすむのだが、武蔵野大学のような、早慶上智でも、MARCHでも、日東駒専でも、大東亜帝国でも、関東上流江戸桜でも、中東和平でもない、マイナーな大学なので、何回も入試をして人集めをしないといけないのだ。この最後の入試は、MARCHを落ちたくらいの学生の受け皿になっていて、偏差値50より少し高い。ライバルは日東駒専。というようなことはどうでもいい。運良く試験監督は外れたのだが、そのあとで学科会があるので大学に行かないといけない。その前に、学生のインタビューが1件、それから学長から話があると言われて、面談。べつに悪い話ではないが、良い話でもない。うーん、仕方ないな、というような結論になる話。少し気分が落ち込んで、学科会に臨む。大学というところに関わっていると、組織の中で何がしかの役割を果たさなければならない。でもまあ、給料をもらっている。文藝家協会の仕事、著作権関係の仕事はすべて無償のボランティアなので、どちらを優先すべきか時々迷う。ボランティアを優先すると、お金を払ってくれる人に失礼ではないかという思いもあるが、世のため人のために尽くしていることが、わたしのネームバリューを支えているので、それが大学の先生としても役立っているはずなのだ。
さて、昼過ぎから大学にいたので、アキ時間が少しあった。まず『早稲田1968』の草稿をプリント。研究室のプリンターはレーザーなので印刷は速いのだが、熱を発してすぐにダウンする欠陥がある。そこでウチワを用意して扇いであげる。100ページほど。草稿は実はまだ完成していない。時間があったので、ワープロでさらに2ページほど書き足して、それもプリントした。102ページになった。目標は110ページなのだが、それはプリントをチェックしながら、書き漏らしたことを追加していけばすぐに埋まる。ただエンディングをどうするか、迷っていたのだが、自宅に帰って深夜の作業で、エンディングがうまくまとまった。明日からは連日、会議がある。会議の合間に、プリントをチェックする。書き漏らした項目をいくつか追加すれば、ちょうどいい分量になるだろう。あと1週間でこの仕事は完了する。次は、『宇宙論』なのだが、これは集中力を要する仕事だ。その前に、引っ越しの準備をしなければならない。書庫に大量の本がある。これの最終的な仕分けが必要だ。新居の書斎の本棚に置く本(最小限必要な本に限られる)、マンションの地下に物置みたいなところがあるので、そこに置く本(自著の保存用)、大学の研究室に運ぶ本(すでに去年、必要な本は運んであるのだが、もれた本があるので自分の車で運べる程度の本をセレクトする)、および捨てる本と、4種類に分類して箱に詰めていく。わたしの自宅は大邸宅で、冬は氷の宮殿のように寒い。少し温かくなってから作業を進めたい。ということで、『宇宙論』のスタートは少し遅れそうだ。担当の編集者さん、ごめんなさい。

03/05/火
文藝家協会で評議員会。今週は連日会議がある。が、1日1件なので楽。大学がオフシーズンなのはありがたい。昨日、プリントした原稿をチェック。この本の1ページ(原稿用紙3枚)くらいの短いエッセーをまとめたもの。ここまでで約100ページあるが、あと4本、追加したいと思っている。プリントをチェックしながら、その4本をどこに挿入するか考える。エンディングもうまくまとまった。ただチェックしてみると、文章が甘いなあ。小説ではないし、少し軽い文章を書こうと意図していたのだが、軽いのと、ゆるんでいるというのは違う。ひきしめながら先に進めたい。

03/06/水
昨日も文藝家協会に行ったのだが、今日も文藝家協会。文藝家協会へは田園都市線から直通の地下鉄半蔵門線で、池尻大橋から4つ目の永田町だから、近いのだが、永田町駅から地上に出るまでの経路がたいへんに複雑だ。最終的には南北線の出口からのエスカレーターに乗ることになる。2年前の3月11日、わたしはこの最後のエスカレーターに乗っている時に、地震に遭遇した。その日は総務省の人と文藝家協会で話をする必要があった。最初は自分が脳梗塞か何かになったと思い、次にエスカレーターが壊れたと思い、ガクンガクンと怪しい挙動をしているエスカレーターを駆け上がって外に出ると、高速道路の照明灯がチアガールのバトンのように揺れていた。あの日が近づいてくると、そのことを想い出す。さて、本日は電子書籍委員会に知的所有権委員会の委員長のわたしと副委員長の岳真也さんが追加で加わって、電子書籍の契約の問題について話し合った。出版社が以前から提案している隣接権の要求を、わたしは容認してきたのだが、経団連が新たな提案をして事態が悪化の方向に向かっている。それに先週会議を開いたマイブック変換協議会の問題が絡んでいて、状況は錯綜しているのだが、ここを通り抜ければ意外にスッキリするのではないかとわたしは楽観している。こういう問題では、わたしはつねに楽観している。とにかく前へ前へと進んでいけば、必ず事態は好転する。つねに最善を尽くしていれば後悔することはない。これは自分の仕事についても同じことだ。
自宅に帰って『早稲田1968』の最後の仕上げ。挿入すべき部分を書いていて、ほぼ出来上がった。あとはプリントしたものをチェックして、追加挿入として書いた部分をどこに挿入するかを決めればいいだけだ。ただしページが真っ赤になるほど赤字を入れているので、これの入力が大変だと思う。今週は毎日会議がある。しかし大学に行かなくていいので、何とか週末には完成ということになるだろう。

03/07/木
本日はペンクラブ。言論表現委員会(わたしもメンバー)でわたしが会長をしているマイブック変換協議会の趣旨を説明する。概ねご理解をいただけたと思う。夜中に仕事をしようと思ったのだが、テレビでワルキューレをやっていたので思わず見入ってしまった。この楽劇は傑出している。わたしが神秘主義者だからか。神さまがしだいに没落していくというこの話には異様な輝きがある。まあ、少しは仕事をした。挿入すべき原稿はすべて揃った。プリントのチェックはまだ進まず。出だしの文章が甘いのだが、途中から調子が出ているはずなので、後半はチェック箇所も減るはず。と期待をかけているのだが。次は「宇宙論」なのだが、その次は「カラマーゾフ」かなと考えている。そろそろ具体的なイメージをつきつめていかないといけない。場所の設定。出だしは、どことも知れない山奥の修道院の廃墟、と考えている。途中でどこかの街に出ていくのか。ずっと修道院のままだと、酒場で大騒ぎ、みたいなドストエフスキー的な場面が出てこなくなる。修道院の近くにも小さな村があって、そこにささやかなバーがある、というようなことにするか。ロシアが舞台だから冬には雪がつもる。ドストエフスキーの作品では『地下室』でべた雪が降っているけれども、大作はたいてい夏を描いている。今回はどうするか。これもそろそろちゃんと考えないといけない。

03/08/金
旺文社主催の全国学芸サイエンスコンクールの表彰式。毎年、この時期にホテルオークラで催される。わたしが関わるようになって何年目か。とにかく賞状を渡すだけでいいので楽な仕事だが、さまざまな賞があるので、時間がかかる。その後のパーティーも、受賞者におめでとうと言ったあとは、間がもたなくなる。わが武蔵野大学でも去年から高校生の小説の募集をしている。歴史がないのでどうかなとは思ったが、かなりのレベルの作品が集まった。何かを創りたいという意欲をもった若者がたくさんいるということを実感した。この旺文社のコンクールの場合は、学校の先生の熱心な指導があるのだろうと思う。それもまた心温まることだ。それはいいのだが、本日は風があって、また花粉にやられた。市販の薬を飲んだので眠くなりそうだ。ゴール直前まで来ているのに足踏みとなるか。

03/09/土
ようやく週末。今週は毎日会議などがあって疲れた。仕事も思ったより進まなかった。本日はひたすらプリントをチェックしたのだが、まだ全体の半分くらいだ。自宅に姉を呼んで宴会。来月引っ越すので、この家では最後の宴会になるか。27年暮らした家だが、昔は子どもがいて、その子どもが大人になっていっしょにビールなど飲むようになり、そしていなくなった。年月が経過したなと思う。いまがいちばん楽でいいかな。

03/10/日
花粉が舞っているようなので外出せず。『早稲田1968』のプリントのチェック。ようやく終わる。赤字がかなり多い。入力作業に取り組んでいるが、明け方までに完了できるか。まあ、締切が設定されているわけではないので、遅れてもどうということはないのだが、自分で決めたスケジュールが狂うので、何とか仕上げたい。

03/11/月
文藝家協会常務理事会および理事会。終わってから吉祥寺で退職される先生の送別会。思えば2年前の今日も、文藝家協会で総務省の人と会って、それから吉祥寺で送別会というスケジュールだった。交通がすべてストップして、吉祥寺へは行けず、歩いて自宅まで帰ったのだったが。あれから2年。自分はこの2年に何をしたかと考えてみると、『新釈白痴』と『菅原道真』を書いた。他にも『男が泣ける昭和の歌とメロディー』『超自分史のすすめ』『早稲田1968(仮題)』を書いた。大学の専任をつとめながらこれだけの仕事をしているのだから、よく働いている。これに加えて著作権の責任者としての仕事もしているので、いつ原稿を書いているのかと人に訊かれることもあるが、頭の中でつねに考えているので、パソコンの前に座ればドッと書けるとしか言いようがない。さて、送別会では少しお酒を飲んだけれども、自宅に帰るとすぐに仕事。草稿のプリントに赤字を入れたものは完了している。あとは入力だけだ。これがかなり手がかかる。とにかく作業を続けるしかない。

03/12/火
文藝家協会でMyBook変換協議会の打ち合わせ。自宅に戻ってひたすら仕事。夜中の2時、ついに完成。ただちに担当編集者にメールで送り、1人、祝杯をあげる。

03/13/水
本日は公用がない。まず近所の医者にいって定期検診。血を採られた。それから下北沢の銀行へ。新居のマンションの支払い。デベロッパーから送ってきた振込票を用いて振り込む。伝票に数字を書き込むだけの仕事。数字を書くだけで、現金は動いていないのに、何ごとかがなされているというのは、不思議なことだ。これはオレオレ詐偽に騙される人と同じ状況ではないかとも思う。この日のために、べつの銀行の預金を移動させる手続きを何度かして、その度に詐偽ではないかと窓口で注意された。ボケ老人に見えるのか。老人にはすべて注意することになっているだろう。本日は大手デベロッパーの振込票があったので何も言われなかった。しかし大手デベのやっていることも詐偽みたいなものではないか。狭い土地に高い建物を建てて多くの人々に売りつけて、結局、大儲けをしているのだろう。しかしまあ、貧民に住居を提供してくれるデベロッパーと建設会社は偉いと思う。一戸建ての家に住んでいると、周囲の清掃や補修など手間がかかる。そういうことを集合住宅は誰かがやってくれる。老人になったのでそういう手間が負担になり、集合住宅に引っ越すことにした。老人ホームに入るほどではないので、その前段階として、集合住宅に移ることにしたのだ。下北沢に行くのも久しぶりだ。三宿に27年住んだので、徒歩25分かかる下北沢も散歩がてらの街歩きで何度も歩いた。もしかしたら本日が最後の下北沢か。そんなこともないだろうが。下北沢の街も大改革が始まっている。今月中には小田急が地下に潜る。それから駅前に広場を作る大工事に入るのだろう。幅20メートル以上の道路が通り、おそらく高層ビルが建つことだろう。最終的には下北沢は地下駅になったが、梅ヶ丘から先は高架になった。わたしは高架反対闘争に参加していたので、引き続き、下北沢再開発に反対する人々から、情報誌を送ってもらっているのだが、今度自分が、御茶ノ水で再開発された集合住宅に引っ越すことになったので、再開発に反対する立場ではなくなった。再開発みたいなもので、駅のすぐ近くに高層の集合住宅を建ててくれるというのは、老人にはありがたいことだ。さて、『早稲田1968(仮題)』が手を離れたので、次は『宇宙論』だ。ガリレオからデカルトあたりまではすでに書いてあるので、ニュートンから語り始めることになる。わたしが書くのだから、ドラマチックに語りたい。今日は床屋にも行った。この床屋に行くのは、今日が最後だ。床屋のおやじはわたしより年上で、もうかなりよろよろしている。引っ越しということがなくても、いずれば次の床屋を考えなければならないところだ。27年間、この床屋に通っていた。それ以前の床屋に記憶がない。八王子に住んでいたころは、妻にカットしてもらった気がする。吉祥寺に住んでいたころも、床屋に行った記憶がない。まあ、どうでもいいことだ。何とかなるだろう。

03/14/木
引っ越しの準備を始める。まずは地下の書庫。大きな書庫は別棟にあるが、これはもう少し温かくなってから。地下の書庫は使用頻度の高いものや、掲載誌などをとりあえず置くところ。新居は狭いのでもっていけない。1、捨てるもの。2、大学の研究室にもっていくもの、3、引っ越し先にもっていくもの。このうち3は最小限でなければならない。結局、いまのところ歌の本だけだ。ほとんどのものを捨てると決意しているので、どんどん捨てる箱に入れる。想い出のあるものもあるが、仕方がない。3時間、ぶっ続けで作業をすると足腰が痛くなったので、本日はここまで。これで地下の書庫の半分が片付いた。別棟はここの10倍以上ある。引っ越しまでに間に合うかと心配だが、間に合わなければ、もっていくものだけをとりあえず箱に入れるということになるだろう。あー、疲れた。体は疲れたが頭はさえているので『宇宙論』に取り組む。

03/15/金
本日はペンクラブの理事会。ふだん欠席することが多いので、出られる時は出ないといけない。ペンクラブではわたしは何もしていないので、出番はほとんどないのだが、文藝家協会との関連で発言を求められることもある。今回は大きな問題はない。昨日、引っ越しの作業をしていると、仕事ができないという欲求不満がたまって、夜中にパソコンの前に座ると、急に手が動くようになった。本日はそのまま絶好調で進んで、第一部が完了した。まだ全体の章立てを考えていないのだが、第1部、第2部、まとめ、というくらいの感じでいきたいと思う。半分できたといってもいい。夜中、四日市の次男が一家で到着。結婚式に出席するとか、そんな用で来た。この三宿の家に泊まるのも最後の機会だろう。

03/16/土
週末は休み。引っ越しの荷造り2日目。地下書庫を2日がかりで片づけた。次男たちは知人の結婚式に出ていた。帰ってきてようやく孫たちと話をする。2歳の次男がしっかりと個性的になっているところが面白い。『宇宙論』は第3章の原子論の歴史に入っている。いい感じで進んでいる。

03/17/日
日曜日。孫2名がまだいる。男の子2人。次男の家族だ。わたし自身も男の子2人を育てたので、次男の家族を見ると、自分が生きてきた軌跡を思い起こす。脳天気な長男と、理知的な次男、というセットも、わたしの子どもたちと似ている。わたしの長男はピアニストになってスペインに行き、次男は研究者となって四日市の企業の研究所にいる。孫2人がどうなるのかは知らない。わたしが生きるのはあと20年くらいかなと思っている。彼らの行く末を見守ることはできないと思っている。よく葬儀のスピーチの中で、天国のお父さんも見守っていることでしょう、みたいなことが言われるけれども、誰も信じていなすはずだ。それは一種の約束事で、死んだら、肉体を構成していた原子たちが、塵に還る。それだけのことだ。わたしは2人の息子をもち、その息子たちの余りの性格の違いに、ただ驚くばかりだったのだが、長男はピアニストとしてちゃんと生活している。彼のブログによって、数日前に地元のサラゴサでコンサートを開き、地元新聞の批評で「円熟した音楽性」と評されて、「もう若くないということか」と彼はわたしたち(ブログを見ているのは両親くらいのもの)につぶやいている。長男は今年の誕生日が来れば40歳になるはず。その前にわたしが65歳になるのだが。このノートは「カラマーゾフ」の創作ノートになっているのだが、日々の雑事に追われて、カラマーゾフのことがあまり書かれていない。考えてはいるのだが、いささかプレッシャーがある。カラマーゾフの続篇というのは、ドストエフスキーのファンなら誰もが夢想しているはずだ。だからプレッシャーがあるし、自分自身、ものすごいものが書けるかどうか、やや不安に思っている。だが、これまで書いて「罪と罰」「白痴」「悪霊」は、すごいものだ。「罪と罰」は探偵を主人公にして犯人を追い詰めるということで、主人公のラスコーリニコフを批判し、同時に、本当の主人公のスヴィドリガイロフのイメージを効果的に提出することができた。「白痴」はドストエフスキー自身が採用しなかった創作ノートの初期のプランを復元するという作業で、こんなことは誰もやっていないし、今後も誰かがやるとは思われないので、まったく独創的なドストエフスキー論が書けたと思っている。そして「悪霊」は、前篇を書くだけでなく、本篇も書き換えて、原典よりスケールの大きな作品を書くことができた。わかりやすすぎて神秘性がないという批判があることは承知しているが、ロシアの三大文豪や革命家バクーニンが登場するわたしの作品の方が、本篇よりエキサイティングだと自負している。そのあとに続く「カラマーゾフ」だから、すごいものを書かないといけないと、自らプレッシャーをかけているが、とりあえず書いてみるというスタンスで臨みたいと思っている。続篇T、続篇U、続篇Vと、いろんなバージョンを死ぬまで書き続けるというのも一興ではないか。
さて、孫たちは夕方、四日市に向けて出発するはずだったが、ぐずぐずしているうちに、わたしが八王子に行く時間になった。コーラスの練習。恩師の渡辺先生がご病気だったのだが、今回は復活されるということなので、出かけていく。東横線が副都心線につながったとか、小田急線の下北沢が地下化されるとかが話題になっているが(緑の「はやぶさ」、赤い「こまち」も話題になっている。孫たちが新幹線マニアなので気にかかる)、京王線はひっそりとダイヤ改正していたのだった。明大前に行くと、橋本行きの特急などという思いがけないものが来て、その直後に高尾山口行きの準特急が来た。これが今回のダイヤ改正の目玉で、八王子行きの特急が南武線とつながる分倍河原と、高尾線に分岐する北野に停車し、いままでその2駅に停車する準特急というのは廃止されたのかと思ったら、北野から高尾山口まで各駅停車になる準特急というものがまだ残っているのだった。わたしは来月、御茶ノ水に引っ越すので、井の頭線とは縁が切れるのだが、コーラスの練習があるので、京王線とはまだつきあうことになる。御茶ノ水と北野または、めじろ台との間の往復をどうするか、まだ結論は出ていない。本日は二次会がJR西八王子の近くなので、吉祥寺経由で帰った。御茶ノ水ならそのまま一本で帰れる。というようなことを考えながら自宅に帰って、少し仕事。「宇宙論」は順調に進んでいる。

03/18/月
大学で打ち合わせ。風が強い。生温かい風。自宅に帰ってあとはひたすら仕事。

03/19/火
大学。卒業式。客員になって4年目、専任になって2年目だが、卒論ゼミを担当するのはこの学年が初めて。3年間つきあった学生たちなので、まあ、それなりの感慨がある。この大学は就職率が高い。早稲田で卒論を担当していたころは、全員フリーターという年もあった。小さな文学部なので、全員が知り合いみたいなところがあって温かい雰囲気だった。本日は仕事ができなかった。

03/20/水
友人の岳真也さん主催の歴史時代小説作家クラブの例会で、渋谷の観世能楽堂で桜間右陣さんの『当麻』を観る。桜間さんとは以前にも解説で出演したことがあるので知り合いなのだが、今回は団体の一人として参加。でも関係者に見つかって桜間会のお土産を貰ってしまった。以前、解説で出演した時は、千駄ヶ谷の国立能楽堂の舞台の上に立たせてもらったので(スーツなのに白足袋を履くという格好だったが)、能楽堂の裏手の構造はわかっているのだが、今回の公演後に舞台裏の見学をさせてもらえたので、この渋谷にある能楽堂の構造がわかって楽しかった。以前から知り合いで娘さんが能の子方をやっているというお嬢さんが小説を書き始めたというので、少しレクチャー。それから渋谷の中華料理屋で宴会。津本陽先生と居合い抜きの先生の間の席になったので、やや疲れた。とにかくこれで今月の仕事は終わった。あとは引っ越しの荷物作りと、『宇宙論』だけなので、とにかく前進できると思う。「カラマーゾフ」について。考えていても仕方がない。自分にできる「カラマーゾフ」を書くしかない。いま考えているのは、これまでの『新釈罪と罰』や『新釈悪霊』の登場人物を出演させるということで、これはこれまで3作でもやってきたことだ。ポルフィーリーとアリョーシャが対決するなんて、ぞくぞくするでしょう。でも、そこに到るまでは綿密な調整が必要だ。でも、やります。やるしかない。スヴィドリガイロフはすでに死んでいるので、登場できない。スヴィドリガイロフの精神を受け継いだザミョートフに出番を与えたい。と、この文章を打つために、わたしは固有名詞を、ひらがなキーボートの端にある「ろ」の文字を利用して、たとえばスヴィドリガイロフだったら、「ろす」と打てばスヴィドリガイロフが出るように設定していたのが、この文章の最初のスヴィドリガイロフを打つために「ろす」と入力したら、「菅原道真」が出てきた。先日まで菅原道真を書いていたので仕方がない。 たぶんザミョートフがスヴィドリガイロフの想い出を語ることになるので、「ろす」と打てばスヴィドリガイロフが出るように設定しないといけない。

03/21/木
本日から週末まで奇蹟的に公用がなくなったので仕事場に移動。来月引っ越しをするのだが、老後に備えたダウンサイジングなので、大半のものを捨てなければならない。仕事に必要な書籍は去年、すでに大学の研究室に運び込んだ。最終点検で少し追加があるだろうが、それは自分の車で運べる程度だ。今回は何やかやと仕事場に運んだが、すでに仕事場の方も満杯になっている。あとはのんびりとしたいと思っているのだが、メールを見ると次々に仕事が増えつつある。年度末の来週は過密スケジュールとなりそうだ。

03/22/金
午前中にイーブックジャパンの連載ページを仕上げて送る。この電子書籍サイトに三田誠広のホームページのサテライト版のようなものを作って、学生の作品を載せたいと思っている。それだけではサイトに申し訳ないので、とりあえず河出書房から出している既存の本の電子書籍をこのページで売ってもらうことにしたのと、高校生向けの「小説の書き方」の連載をすることにした。オープンしたらこのホームページからもリンクを貼りたい。学生の作品を何らかの形で公表し、武蔵野大学での授業の一端を公表することで、文学に興味をもつ高校生にメッセージを送りたいと思う。せっかく大学で講義をしているので、より多くの人に参加してもらいたい。入学志望者が増えれば文学部の定員を増やすこともできる。早稲田ではわたしの教室には百人くらいの学生がいた。武蔵野大学では2年生は40人だが、3年と4年は20人の定員でやっている。まだ余裕があるので、学生さんを増やしたいと思っている。ただこのサイトで連載を読んでいただき(連載はただで読めるのだがそこでは芥川賞受賞作などに言及するので必要なら電子書籍を購入していただきたい)、学生の作品とそれにつけたわたしのコメント(いずれも無料で読める)を見ていただくだけでも、大学での授業の一端が伝わるのではないかと思う。そんなふうに、大学内に閉じこもらずにネットを通じて発信することで、より多くの人に、文学というものに興味をもっていただけたらと思っている。

03/23/土
週末。何ごともなし。ひたすら仕事。キャベンディッシュの話を書く。キャベンディッシュについてはこれまでにも何度も語ってきた。これほど奇妙で面白いキャラクターはいない。この時代にしか存在しえない人物ではあるが、わたしの好きなタイプの人物だ。

03/24/日
仕事場には本日まで滞在する予定だったが、明日は午後から学科会があるため、渋滞で遅れる可能性を考えて、本日三宿に移動することにした。日曜日なので町田のあたりで渋滞に巻き込まれたが何とか帰り着いた。わずから3泊の仕事場滞在だったが、仕事に集中できた。気分的にものんびりできた。仕事をしてのんびりするというのもヘンだが、わたしの場合、仕事をしていると気が安まる。仕事はただ書けばいいというもので、それだけのことだ。他の公用は、スケジュール調整が必要だし突発的な用件もあるので気が安まらない。自分の仕事だけをしていたいという気もするのだが、そうもいかない。仕事だけしていると、かえって効率が悪くなる。寸暇を惜しんで仕事をするので集中できるのだと思う。

03/25/月
大学。学科会。来年からのカリキュラム改編について。終わってから大学の事務局と打ち合わせ。今日はちょっと寒かった。今週はハードなスケジュールなので、夜中に自分の仕事を進める。引っ越しの荷物をいつ作ればいいんだ。

03/26/火
文藝家協会で記者会見。MyBook変換協議会のビジョンを公式に発表した。来月のシンポジウムに向けていよいよスタートが切られた。「宇宙論」も進んでいる。ただし結論の部分をどう書くかは、やってみないとわからない。

03/27/水
日本点字図書館評議員会および理事会。午後1時から3時まで評議員会があって、1時間のタイムラグのあとで午後4時から理事会。ということで、ほぼ丸一日、点字図書館にへばりついている日。でも、目が見えない人って大変だな、と思う。自分にできることがあるのではないかと思い、この仕事をずっと続けている。でも、頭の中を「宇宙論」が支配していて、評議員会ではずっとノートにメモをとっていた。ぺンを持てば指が動くという「お筆先」の状態になっている。「お筆先」といっても若い人にはわからないか。オートスクリプト……といってもわからないか。とにかくどんどん書ける状態。タイムラグの時間は近くの銀座ルノアール。ここは高田馬場なのだけれど、何とも奇妙な場所。ルノアールの隣に、ルノアールの入口がある。つまり地上に面したルノアール(喫茶店)の隣のビルの地下にもルノアールがあるのだ。で、地下の店でもどんどん書いて、理事会の時間になったので点字図書館に戻る。理事会では議長に指名されていて、さすがに内職はできなかった。でも、3時間書き続けたせいで、アイデアが枯れていたので、ちょうとよかった。自宅に帰って、メールのやりとり。すると突然、ネットにつながらなくなった。ルーターを初期化しても直らない。NTTのモデムも初期化してみたがダメ。で、どうしたかというと、1時間ほど電源をオフにしておいたら、つながった。よかった。原因はわからない。とにかくつながったのだからよしとしよう。

03/28/木
引っ越し先の最終手続きの日。指定された場所で書類の受け渡しをして、部屋の鍵をなどをもらう。それから引っ越し先の部屋に出向いて、建築業者と最終確認。以前に内覧した時に細かい不具合などを指摘したのだが、ほぼ修正がなされていたので、これでオーケーということになった。ただし業者の方が発見した窓ガラスの傷があって、これは取り替えることになった。大工事だ。これはこちらが気づかなかったもので、建築業者の誠意を感じる。まあ、小さな傷から割れたりしたら、業者の責任になることもあるので、事前にチェックしたのだろう。学生時代から芥川賞をもらうまで、マンションに住んでいたことがある。その後、30年以上、一戸建ての家に住んでいたので、どんなものだろうという気がするのだが、子どものいない(昔はいたが大人になった)老夫婦だけの生活なので、老人ホームに入る一歩手前というくらいの気分でこぢんまりとした生活をしたいと思う。このマンションのいいところは、ロビーが広いことで、編集者との打ち合わせは、そのロビーや、同じ建物内にある喫茶店やバーでできること。都心なので地方に出張に出向いた時に帰りが楽だということ。それくらいかな。いまの住居は家の中に段差があって、高齢者向きではない。自分が高齢者になるなど、思いもしなかった若き日に建てた家だ。駅から遠いことも当時は苦にならなかった。まあ、よい決断だったと思っている。マンションが値上がりしそうな気配になっているので、この次期に引っ越しを決意しなければ動きがとれなくなるところだった。ただし、まだ引っ越しの準備ができていない。これからの半月が大変だ。

03/29/金
MyBook変換協議会。最初だけ出席して退席。半蔵門の写真家協会から次の私用が新宿だったので、九段下の撤去されたばかりのバカの壁(猪瀬都知事命名)のあったホームで乗り換えた。これは便利だ。もっと早く撤去すべきだった。早めに自宅に帰る。今週はハードな日々が続いたが、やって終わった。プロ野球が始まった。勝った。

03/30/土
孫たちが来た。それどころではない。部屋の整理。「宇宙論」も進んでいる。科学史みたいな領域がそろそろ終わる。これからいよいよ宇宙論に入る。ひさしぶりに歯医者に行く。ほんとは1月に行くべきだったが多忙のため予約を入れることができなかった。引っ越しが迫ってきたので土曜日の閉店間際(歯医者に閉店というのはおかしいが)にようやく予約を入れた。間があいたので悪化しているかと思ったがオーケーだった。よかった。だが、引っ越し先で歯医者を探さないといけない。それよりも床屋をどうするかだ。27年間お世話になった床屋ともお別れだ。

03/31/日
日曜日。部屋の片づけ。まだ終わらず。


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