「カラマーゾフ」創作ノート20

2014年8月

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08/01/金
8月になった。もう夏休みモードだが、大学の仕事が次々にメールで飛び込んでくる。寄付講座が月曜日に1回だけ残っているのと、学生たちの宿題が届いているはずなので、見てから採点して、成績を入力することになる。それが終わるととりあえず前期の業務はおしまいで、わたしも夏休みモードに入る。「新釈カラマーゾフ」は7月半ばに入力を終え、プリントを読み返す作業に入っている。赤字で全体が真っ赤になったページもある。かなり大幅な直しもあるが、ちょっとした言葉づかいや語句の統一で手を入れた部分もある。本日、5章を終えた。赤字が多いので入力が大変だが、入力そのものは機械的な作業なので、プリントを最後まで読み終えれば、いちおう完成したという感じがするだろう。アリョーシャが病気を治すシーンで、「許す」という言葉を使う。これは「新約聖書」でキリストが言う台詞をなぞったものだ。最後にリーザの足を治すシーンで、このことを忘れていた。それで昨日、ゼミの飲み会の直前に吉祥寺のコーヒーショップでメモにそのシーンのことを書いたのだが、これがそのまま使えるかどうかを、明日確認しなければならない。プリントを読み返す作業はピッチを上げないといけない。8月半ばまでには完了して、赤字を入力する作業に入らないといけない。それで今月末に完成、ということにしたい。長く苦しい夏になる。

08/02/土
金曜日から3連休で、本日はマッサージに出かけただけ。2年前のこの季節にスペインの孫たちが来て、そのストレスで左足が動かなくなって、役者をやっている姉の紹介で通い始めたマッサージだが、2年続いている。今年はまたスペインの孫たちが来そうになっていたのだが、長男の転勤の話などがあって立ち消えになったのは、残念な気もするがわたしの体調のためには朗報であった。孫は遠くにありて思うものだ。四日市の孫が一週間ほど来ていただけで、何とかこの夏を乗り切れそうだ。プリントのチェックは6章がもうすぐ終わる。半分のところまで来たか。まだピッチが遅い。プリントが真っ赤になるくらい手を入れているので入力作業が大変だ。8月の半ばまでにはチェックを終え、入力作業にとりかかりたい。時間との闘いだ。1500枚の作品なので、全体の細部が頭に入っているわけではない。読み返して、いいところもあるが、まずいところもある。すごくいいところも時々あって、すごい作品だという認識はあるが、不備なところもあるので修正しなければならない。今日もマッサージの最中に一つ気づいたところがあってあわてて修正した。とにかくまだ完成ではないので、集中力を持続させなければならない。

08/03/日
6章が終わった。全体は12章なので、これで半分。入力が完了してすぐにプリントのチェックにとりかかった。約半月。残りもそれくらいかかるか。8月半ばにチェックを終えて、赤字を入力すれば、8月末に完了か。すべて予定どおりか。夏休みに少し休みたいと思っていたのだが、休むひまはないか。次の仕事は決まっていないので9月に入ったら少し休みたい。次の小説のことは何も考えていない。日本の歴史小説になるだろう。ただカラマーゾフを1年やっていた。その前の「菅原道真」を書いたのはずっと前なので、小説をどんなふうに書き始めるのか、忘れてしまった。カラマーゾフもどうやって書き始めたのだろう。主人公コーリャがモスクワで列車を乗り換えるシーンが出発点なのだが、いったいなぜそこから書き始めることにしたのか、記憶がまったくない。このホームページのノートをめくると出ているのか。いま、去年の8月と9月のところを見てみたが何も書いていない。まだ「宇宙論」や「釈迦とイエス」の仕事を継続していた。どうやって書き始めたのか、結局わからないまま。たぶん『白痴』の冒頭が列車で3人の人物が出会うという設定になっているので、それをもう1度踏襲するということではないかと思う。それはうまくいっている。『罪と罰』の探偵ザミョートフが出てくると、『悪霊』では女子中学生として登場してヴェーラ・フィグネルが大人になって出てくる。過去の作品とつながりのうすいのが『白痴』なので、冒頭だけでも似せておこうということだったのかもしれない。ザミョートフは『白痴』にも出てくるので、その想い出をちらっと語るシーンは設定してある。とにかく半分のところまで来た。授業は明日の寄付講座で終わり。しかし成績の入力がある。明日で大学関係の作業はほぼ終わるはずだが、メールなどでいろいろと雑用は飛び込んでくるだろう。とにかく、残りの半分に集中したい。

08/04/月
大学は休みだが、大学開講日の海の日を休みにした寄付講座だけが残った。「古代ロマンの愉しみ」と題して平安時代までを語ったのだが、本日はオマケで鎌倉仏教の話。平安末期の源平合戦で末法思想が広がったところから新たな仏教の潮流が起こったという文脈で、平安時代が鎌倉仏教につながったというところを、空海、最澄から説き起こして、法華経や浄土三部経、禅の公案の話など、話しているうちにあっという間に90分が経ってしまった。修了式があるのでいつもより10分短く、親鸞についての時間が短かった。修了式には学長も出席なので、これはまずいかなと思いながらも、時間が来たので話を打ち切った。まあ、16回、楽しく語れたし、タイトルどおり、愉しく聞いていただけたと思う。これで前期も最終日。夕方までかかって成績を入力。パソコンで成績を入力するのは早稲田で教えていたころからなので、慣れてはいるのだが、入力して登録すると直しがきかないので、いつも緊張する。授業の感触では3年生が停滞気味だったのだが、先日の飲み会で元気が出たのか、いい作品が寄せられた。2年生もレベルが高い。いい感じで後期が迎えられそうだ。

08/05/火
ようやく夏休み。大学が休みに入ったというだけで、自分の仕事はしないといけない。しばらくは文藝家協会の仕事もないし、締切のある仕事もないので、ひたすらカラマーゾフに集中できる。と思ったら、妻と映画を見に行くことになった。切符をもらったそうで、岩波ホール、歩いて行ける。『大いなる沈黙』。フランスの山奥の修道院のドキュメント。修道院というものは旅行でいくつか見たことはあるのだが、参考になるかと思って、猛暑をついて出かけることにした。3時間は長かった。あんまり参考にならなかった。さて、7章。まだ半分を少し過ぎたところだが、もう作品は終盤にかかっている。話が終わりそうになってからイワンが出てくる。ここから大審問官の話が出てきて、女たちだけの山場があって、脇役だったコーリャが急に主役に躍り出るといった展開があるので、時間の流れが重くなる。すごい小説だなあと自分でも思うが、とにかくうまくいっているか確認しないといけない。ここまでは、前篇とのつなぎの説明の部分がややかったると点(必要な部分なので削除するわけにもいかない)を除けば、ストーリーは順調に流れていてまったく問題はない。ここから先の、大審問官のところが流れているかどうかだ。ドキドキするので、これからはじっくりと読んでいきたい。

08/06/水
本日は午前中に出発して仕事場に向かう予定だったのだが、重要な速達が届くのを待っているうちに午後になった。ようやく出発できたのは午後3時半。仕事場に到着した時は暗くなっていたが、とにかくたどりついた。パソコンをセットしてネットにつながることを確認。わたしはもう夏休みモードに入っているのだが、大学はまだ動いている。メールが大量に入っている。わたしが指示を出さないといけないものも多い。とにかく決断して指示をです。昔はこういう書類の整理を、稟議書を直接回したりしていたのだろう。いまはすべてメールで対応できる。ありがたいことだ。いまはプリントをチェックする作業に入っているのでパソコンは仕事には使わない。時々、メールを見て確認するだけだ。

08/07/木
本日は買い物に行く。妻が買い物をしている間、ショッピングモールのフードコートで生ビールを飲みながら、これからの仕事のことを考える。いまやっている「カラマーゾフ」は入力作業が終わり、プリントに赤字を入れる作業に入っている。これが終わると修正した赤字を入力して、それで完了だ。今月中にはすべての作業が終わるだろう。次の仕事としては、新書か小説か、ということになるが、まだ何も考えていない。いくつかプランを担当者に送っているのだが、8月は会議など開かれないだろうから、何か反応があるのは9月になってからだろう。このところ書籍の売り上げが低下しているし、わたしの本も昔書いたものが増刷されることはあっても、最近出したものは初版で打ち止めになることが多い。こういうことが重なると次の注文が来なくなる。何とか増刷できるようなプランを考えないといけないが、まだ頭の中カラマーゾフの亡霊たちがうろついているので、頭を空っぽにする必要があるだろう。ただワープロのデータを印刷所に渡すようになってからは、初校が出るのが早い。校正にはそれなりに時間がかかるだろうが、すぐに手元に初校の控えが送られてくるので、当分ドストエフスキーとは縁が切れないだろう。ここはしばらくは休みとして、少し遠い未来のことを考えた方がいいかもしれない。自分が40歳くらいなら、いろんな夢が思い描けたのだが……。とはいえ40歳や50歳のわたしには、「カラマーゾフの兄弟の続篇を書く……」などというのは、あまりにも途方もない夢なので、現実の計画としては考えもしなかったことだろう。実際にこの夢の実現性を考えたのは還暦を迎えた時で、その時点でも試しに『罪と罰』を書き換えてみるという、ちょっとした思いつき程度のプランだった。これが予想外にうまくいったので、「カラマーゾフ」までの4部作を実現するという計画が現実的なものに感じられるようになった。それから6年で、4つとも書いてしまったのだから、夢の実現なんてやってみれば簡単なことだという気がしないでもない。そうなってみると、まだ何かやれそうな気がしてきた。歴史小説を書き始めた時、神話の時代から近現代まで、すべて書いて、日本史を自分1人で書き換える、といったことを夢想した。これはまあ、まだ夢の段階だが、神話から平安末期まで、もう少しがんばって鎌倉末期、さらにがんばって戦国時代のちょっと前くらいまで、という期間なら、すべてを書き切ることができるのではないかと考えているのだが、読者のニーズのないところでやっているので、本がある程度売れないといけない。今回、大学で寄付講座というのをやったのも、1度、平安末期までを頭の中で整理したいという自分の都合があったからなのだが、聴衆の反応がよかったので、神話から平安末期までは充分におもしろいテーマだということは確信できた。ただわたしの話は語り口がおもしろいので、とりあえずは聞いてもらえる。観客が退屈しだしたら、ギャグを入れる、みたいなことでひっぱっていくことができるのだが、小説を書くと、それなりの文体を維持しなくてはならないので、退屈になるのかもしれない。しかし文学としての品質を維持するというのは最低限必要なことで、大衆小説みたいなものでは、まとまった仕事として評価されない。歴史を書くというのは、司馬遷のように、後々の時代の人々にも読んでもらえるものを目指すという、基本姿勢が必要だ。それが実現するかどうかはともかく、そういう姿勢だけはもっていた。そのため、自分のこれまでに書いたものも、もう1度、これでよかったのかと再検討する必要があるだろう。

08/08/金
猛暑が続いている。この仕事場を建ててくれた大工さんが来たので近くにランチを食べに行く。家の補修や管理も頼んでいるし、この地域の情報を仕入れる。農協スーパーが閉店するというのは、この夏、最も驚いたこと。この仕事場を建てたのは1981年のことで、つまり33年前のこと。その33年間、ずっとお世話になっているスーパーなのだが、考えてみればわたしたちもまず遠く離れたショッピングモールに行ってしまうので、地元スーパーが苦しくなるのも仕方がないのだろう。東京の人は、徒歩や地下鉄で移動するのだが、地方の人はどこへ行くにも車に乗る。道路もすいているので、少しくらい離れていても苦にならない。大手スーパーは自社ブランドの廉価品を売っているので、中小スーパーは対抗できない。この近くでも飲食店の閉店がいくつかあった。しかし考えてみると、33年前は農協スーパーしかなくて、コンビニも飲食店も近くにはなかった。そこからバブル的に発展して、そのままの発展が続いていたのだが、いま何かが壊れてつつあるという感じを、この地方都市に来るとひしひしと感じることになる。さて、いまこうしてノートに書き込みをしているのだが、3日ぶんくらいをまとめて入力している。パソコンを使うようになって20年くらいになるし、まだ電話線でデータを送っていたころからホームページは作っていたのだが、自宅に光ファイバーを引いてからは、仕事場ではホームページの更新をしなくなった。仕事はまだ電話線のままだったので、メールをとるくらいしかネットにつながなかった。メール用に次男が使っていた大昔のパソコンを電話線につないでいた。そのパソコンがいよいよ不便になったので、数年前に仕事場にADSLを入れた。その時点では光ファイバーはこの地域には来ていなかった。少し時間はかかるが、ネットで画像を見るのにも支障がないので、ホームページの更新もするようになったのだが、仕事場では更新をしないという習慣がついているので、時々忘れてしまう。最近は大学の仕事が忙しくて、仕事場に来ても3日ほどで帰ることが多いので、つい忘れてしまうのだ。それで今回も3日間、忘れていた。まあ、3日ほど忘れねというのは東京にいてもよくあることではあるのだが、このページを毎日見ている人がいて、1週間くらい更新をしていないと、お病気ですかというメールが来る。で、とにかくいまから更新する。

08/09/土
昨日まではまだメールで大学からの情報が入ってきたのだが、本日は土曜日なのでようやく静かになった。こちらはひたすらプリントのチェック。台風が近づいているので食料を買いに出かけたついでに、「しまむら」に寄る。東京にいる時にはそんなところには行かないのだが、この仕事場にいると、行ってみたくなる。妻が買い物するのを外で待っていたことはあるのだが、中に入るのは初めてかもしれない。意外にいいものがあって、3点も買い物をしてしまった。

08/10/日
台風が通過。高知県から兵庫県に抜けた。なぜか四日市も豪雨。昔、次男が川のそばに住んでいたことがあった。いまはマンションに住んでいるので問題ないし、さらに単身赴任で鶴岡にいる。夏休みなので家族もそっちにいるので、心配しなくていい。こちらは風が強くてよく寝られなかったが、夜中に起きて仕事をしたのでかえって作業が捗った。10章までのチェックが終わった。あと2章だ。

08/11/月
世の中は夏休みモードになっているようだ。こちらはひたすら仕事。ようやく夕方にプリントのチェックを完了。結局、入力を終えてから一ヵ月近くかかってしまった。大学が忙しかったこともある。この1週間、ようやく夏休みになって、一気に作業が進んだ。ただちに入力作業に入る。これがけっこうたいへんだ。慣れてくれば進むのか。何しろ量が多い。赤字を入れたところも多い。語句の統一、とくに3人の女性が「あたし」「わたくし」「わたし」と自称するので、チェックしたところが多い。これは一括変換ではできないので、一つ一つ入力していかないといけない。1

08/12/火
妻が買い物に出かけたので、一人で仕事。集中力が出てかなり進んだと思ったが、結局2章が終わったところ。紙が真っ赤になるくらい修正を入れているので、手間がかかる。これで最終の入力なので打ち間違いは許されない。緊張で肩が凝る。とにかく2章まで行った。1日2章のペースで行けば1週間で完了だ。この最終の入力作業だけは、何も考えない機械的な作業なので、ノルマを課せられた単純労働をしている気分になるが、入力していて初めて気づくこともあって、それなりによりよき修正ができているると思う。とにかくあと数日、ひたすらがんばるしかない。

08/13/水
仕事場に来て1週間になる。どこへも行かずひたすら仕事をしている。世の中はお盆だが、こちらは関係ない。ひたすら入力。本日は4章まで到達。どうやら1日2章というのがペースになったようだ。ただ後半になれば直しが少なくなったという手応えがあるので、明日あたりから少しペースが上がるか。体がひどく疲れた気がしたのは、しばらく入力作業をしていなかったせいか。と思っていたら、椅子の高さがよくなかったようだ。別の椅子にしたら、格段に調子がよくなった。とにかく1日2章のペースで行けば、今週末の日曜日にはゴールに到達できる。

08/14/木
この仕事場にいると朝型になる。犬がいたころの習性が残っていて夜が明けると起きてしまうからだ。で、朝から入力作業に取り組んでいるのだが、夕方になっても1章しか進まなかった。しかし夕食後、一気に次の1章を片づけた。まったく何も考えずに条件反射のように作業をこなした。書き込みが減って、ほとんど赤字が入っていないページが増えてきたせいもある。明日からは作業がもっと楽になるのではと期待している。とにかく6章まで終わった。これで半分だ。ここはドミトリーが出てきて話がおもしろくなっているところだ。まだイワンは出てきていない。8章まで活躍したザミョートフが去って、そこからイワンの主治医が登場する。そこで作品はがらっと変わって神秘の領域に沈み込んでいる。まだまだ先が楽しみだ。その部分はあまり修正が入っていないはずだ。ドストエフスキーの霊が憑依して自動的に筆が進んだ部分での、憑きものがとれてしまったいまの自分では修正のしようもない。これで乗り切るしかない。

08/15/金
ひたすら仕事。今日は3章ぶんの入力ができた。9章まで。ということは残り3章。残すは全体の4分の1ということになった。ゴールが見えてきた。順調に行けば明日には完了するだろう。9章になるとイワンと医者が登場する。イワンは原典でも最も魅力的な人物だが、わたしの作品ではさらに謎めいた人物として登場する。最初は口がきけないという設定になっていて、廃人のような状態になっている。この人物を相手にアリョーシャが大審問官について語る場面が作品の山場となる。原典にも大審問官は登場するのだが、わたしの作品では大審問官の意味がもっと具体的で恐ろしいイメージになっている。それから医者。こいつは悪魔なのかと思わせるような感じで登場する。この人物のとぼけた味わいが作品にユーモアをもたらしているはずだ。

08/16/土
夕方、作業完了。去年の9月から始めた作業なのでほぼ一年。1500枚弱の作品となった。とりあえず作業が終わったことを静かに喜びたい。

08/17/日
仕事場での最後の日。昨日、入力作業を完了させたので、1日余った。ありがたい休日。妻の運転で豊橋の古着屋に行く。ここには時々、変なものがあっておもしろいのだが、今回は何もなし。のんびりと1号線をドライブ。バイパスにある道の駅で野菜などを買う。浜名湖の入口にかかる橋を渡ったところでバイパスから下りて、昔行ったことのある料理屋で天丼を食べる。中ジョッキ一杯飲むとのんびりして、リゾート気分になる。

08/18/月
東京に戻る。新東名が工事中で、6時間半かかった。運転は妻なので、こちらは横にいただけだが、それでも疲れた。この御茶ノ水の住居に転居して1年以上経過しているのだが、まだ慣れない。仕事場への移動には大量の荷物がある。帰りにまた同様の荷物をもって帰る。マンションのエレベータは台車を入れてはいけないので、受付に行って台車と荷物用のエレベータのキーとなるカードを借りる。それで荷物用のエレベータで上がっていくのだが、ふだんと違う感じで自分のに部屋に戻るのでリアリティーがない。今回は10日ほど留守にしていたので、部屋から見る風景も知らない場所のような気がする。それでも『新釈カラマーゾフ』の原稿は完成しているので、当面の急ぐ仕事がないので、あせることはない。郵便物はストップしてあるのだが、出発した当日の郵便物が届いていて、雑誌が3つ入っていた。それから『いちご同盟』の54版が届いていた。夏休み前に53版が出たばかりだから、この夏休みの前半に売れたということだろう。ありがたいことだ。大学の先生をしているから、教え子が読んでくれたかとは思うが、何千部かは増刷しているので、知らない人が読んでくれたのだろう。感謝するしかない。NHKで長崎原爆の特集番組を放送していた。これまで、死者の数からして長崎の爆弾は小さなものだと考えていた。広島のはウラン爆弾で、長崎のはプルトニウム爆弾という程度の知識はある。ウラン爆弾は、臨界を超えるサイズの球形の爆弾を半分にしたものを用意し、これをくっつければ自然に爆発するのに対し、プルトニウム爆弾は圧縮しないと爆発しない。そのために起爆装置が複雑で、アメリカはどうしてもこの爆弾を実験的に使用する必要があった。なぜなら、ウランに必要なウラン235は自然界には微少で、爆弾の製造はきわめて困難なのに対し、プルトニウムは人工的に作ることができるので、いくらでも爆弾を増産できる。そのためにどうしてもプルトニウム爆弾の実験が必要だが、爆弾の威力そのものは広島の方が大きいと、わたしは認識していたのだが、これは誤りだったようだ。圧縮して破裂するプリトニウム爆弾からは、音速を超える衝撃波が出ることがわかっていて、いかも地上150メートルで爆発させた時に、威力が最大になることをアメリカは計算していて、そのとおりに爆発させたというのだ。これはまさに、長崎が実験台にされたということで、許しがたい人体実験というべきだろう。戦争の終結のためには広島の爆弾だけで充分だったので、平和の実現のための爆撃というアメリカに言いわけは、長崎に関してはまったく意味をなさない。このことをもっと世界に訴えるべきなのだが、日本に政府はアメリカの属国となることを受け容れているので、何も言えない。NHKはよくこういう放送をしたと思う。NHKは政府の影響下になく、独自の番組制作をしていることがこの作品からもわかる。さて、仕事場は緑に囲まれていて、気分的にはリフレッシュできた。また大手町のビル群しか見えない生活が始まった。仕事場では朝型になるのだが、東京ではやや夜型に切り替えたい。ということで、深夜まで起きている。といっても仕事がないので、のんびりと次の作品の準備をしたいと思う。まだ何をするか決めていないのだが、聖徳太子、額田女王、紫式部、親鸞といったメニューは用意している。実は神功皇后もやりたいし、青皇女とか、神話の時代には魅力的なキャラクターがある。後白河法皇もやりたい。それから近未来小説も書きたいのだが、小説を書くというのは編集者との共同作業なので、これから打ち合わせをして、具体的な計画を立てていきたい。わたしは17歳の時から小説を書き始めて、そろそろ50年になろうとしているのだが、ひたすら自分の書きたいものだけを書いてきた。それで何とかやってこれたのだが、文学作品も一種の商品なので、読者のニーズに応える必要がある。その読者のニーズというものを設定してくれるのだが編集者なのだ。しかし文藝御三家はつねにニーズを考えてシビアに企画を立てるのに対し、それ以外の出版社はこちらのプランを聞いてくれたので、そのことに甘えて書きたいものを書いてきたのだが、いまの出版事情は厳しいので、これからはそういうことが難しくなっているのかもしれない。それにしても作品社はドストエフスキー4部作を出してくれたのはすごいことだ。亀山さんがカラマーゾフの続篇を『文藝』に発表された。まだ半分で、単行本になるのは来年だろう。わたしの続篇はオーソドックスに、ロシアの19世紀を舞台にしているのに対し、亀山さんの作品は日本の20世紀末に変換して翻案のようだ。その方が読者のニーズに応えるということなのだろうが、亀山さんの作品が種火になって、わたしの本格的な続篇にも読者のニーズが波及することを期待したい。

08/19/火
床屋に行っただけ。自宅でのんびりしている。たまっていた郵便をチェック。とくに緊急の報せもない。『新釈カラマーゾフ』は昨日メールで送ったのだが、担当編集者からの返信で、今日、入稿したとのこと。今月中に控えのゲラが届くとのこと。校正者のチェックが入った校正は一ヵ月先くらいになるが、とりあえず控えのゲラが来たら、入力ミスがないか、読んでおいた方がいいだろう。校正者のチェックの入ったゲラではこちらの文字校正が疎かになる。白紙の状態で自分で校正して、校正者のチェックと付き合わせるのが最良の方法だろう。幸いまだ大学も休みだし、読む時間はあると思う。

08/20/水
本日は神保町のあたりを散歩。暑い。夏の散歩はきつい。しかし歩かないと足が痛くなったりする。1時間くらい歩いて汗を流さないといけない。神保町には出版社がいっぱいある。みんなこんな暑い日にも働いているのかな、などとも考える。大学の先生も忙しいけれども、それでも夏休みがある。文藝家協会の仕事は夏は休みだ。しかし世の中の人々は、この真夏にも働いているのだろうな。わたしもこの夏はひたすら仕事をしていたのだが、自分の仕事場とか自宅に閉じこもっていただけだ。営業で外に出るといったことがないのは、楽といえば楽だ。とはいえ、今週の金曜、土曜は、オープンキャンパスの説明会と模擬授業があるので、大学での仕事がある。蒸し暑い夏の大学は大変だが、それでも来訪される受験生と父母の方々には誠実に対応したい。学部長なので、文学部の志願者の人数が減るのはまずいので、大いに宣伝したい。文学部は楽しいぞ、というような話をすることになる。確かに文学部は楽しいのだ。文学は就職の役には立たないが、とにかく楽しい。大学は楽しくなければならないとわたしは考えている。同時に、文学は楽しくなければならないとも思っている。その割に自分の仕事は時々、苦しくなるのだが、それは能力の限界につねに挑戦しているせいで、少し余裕がないかなとも思っている。しかし人生は短い、わたしは老人だ。のんびりしているひまはないのだ。

08/21/木
医者に行く。月に1度の恒例の行事。夕方、渋谷へ。姉が出演する芝居を見る。『炎立つ』。音楽劇のような、ギリシャ悲劇のような作りで、面白い校正だった。音楽を担当した人が舞台の袖でバイオリンを弾いていて、それがなかなかよかった。役者は皆がうまかった。すごい役者がいるんだなと思った。

08/22/金
大学。学部長として学部の説明。それから模擬授業。ああ、疲れた。久しぶりの大学。キャンパスの中を歩くだけで疲れる。自宅に帰り着いた直後、宅急便が届く。まさかとは思ったがもうゲラが来た。月曜の夜にメールで送った1500枚の原稿だ。編集者が目次などの割り付けをして、入稿したのは翌日の夕方だと思う。つまり火曜入稿で、たぶん昨日の木曜日に編集部にゲラが届いて、それからこちらに宅急便で送付したのだと思う。ということは実質1日でゲラが出来たということだ。まあ、考えてみれば、データで入れているので、全文の目次、主要登場人物のページの寄りつけを処理すれば、本文は定型のレイアウトに流し込むだけだから、一瞬にして出来上がるのかもしれない。たぶんPDFの状態でプリントしたのだろうが、ルビなどの処理もいまは自動的にできるようになっているのだろう。昔はワードのルビは印刷には仕えなかったような気がするのだが。とにかく包みを開いて、全文、目次、主要登場人物のページの確認をする。いい感じだ。それからエンディングの最後のエピローグのところを見る。ここはプリントに入れた赤字を入れる過程で、直接パソコンに入力した部分で、打ち間違えがあるかと思った。タイプミスはなかったが、変換ミス1つと、勘違いを1つ発見した。ここさえ押さえておけば安心だ。あとは最初から読んでいけばいい。来週、人間ドックの予定が入っているので、胃にストレスをかけたくないので、人間ドックが終わってから読み始める。今回は文字校正に集中したい。それと校正者の校正とを付き合わせればミスは防げる。校正者のチェックが入ったゲラは、校正者の疑問に応えるということに集中しなければならないが、チェックが入ったところだけを見ていけばいいだろう。

08/23/土
大学。前日と同じ。学部の説明と模擬授業。前日と同じ話なので、語る楽しさは半減するのだが、話はスムーズになる。録音しておけばよかった。その後、教授会と学科会。教授会は珍しく長びいた。とにかく2日間のオープンキャンパスが終わった。文学部はつねに危機感をもっている。文学なんて誰も興味をもたなくなるのではないか。しかし小説を書きたいという若者は減っていない。というかむしろ増えているだろう。意欲のある学生に来てもらいたい。さて、教授会の結論が、引き続き何らかの対応が必要なものとなったので、来週はメールがとびかうことになるだろうが、行事は何もないのでしばらくは休みになる。体調を調えて来週の人間ドックに臨み、何ごともなければ、来週後半からゲラを最初から読んでいくことにしたい。

08/24/日
オープンキャンパス2日間が終わったのでほっとしている。これでしばらく大学に行かなくていい。日曜日をのんびりとすごす。ひさしぶりに長男から電話があった。長く妻と話していたが、最後に5秒くらい話をした。とくに話すこともない。息子の元気な声が聞ければいい。引越をしたそうで、新しい街に孫たちがうまくなじめるかが心配だが、スペイン人はみんな明るいので問題はないだろう。次男も去年から単身赴任なのだが、いまは夏休みなので家族と生活している。というわけでこの夏、わたしは仕事に集中できた。『新釈ドストエフスキー』が完成し、ゲラも出ている。だが、これが終わったら、次に進まないといけない。まだ書きたいもの、書かねばならないものがある。ドストエフスキーはこれで打ち止めだ。しばらくは日本史のどこかに物語を設定したいと思っている。

08/25/月
本日は何もない。明日の人間ドックに備えて体調を整える。

08/26/火
人間ドック。午前8時から午後5時まで。何も考えずただ指示されるままに動き、拷問のような業苦に耐える。やれやれ。とにかく終わった。

08/27/水
人間ドックの翌日は虚脱感で使い物にならない。ポリープを1つとったので本日は「安静」にしていなければならないらしい。散歩にも行かず酒も飲めず。世話になった人の訃報が届いたのだが、献盃することもできず。それでもゲラは読み始めた。エーッと思うような間違いがある。データを入稿したので、もちろんこちらの打ち間違い。タイプミスとかそういうことではなく、ヴォルガ河と書くべきところがドナウ河になっていたりする。ロシア民謡に「ここは遠きブルガリア、ドナウの彼方」というのがあって、子どものころ、ドナウ河はロシアの河と思い込んでいたせいだろうか。ブダペストに行ったことがあるので、ドナウ河の遊覧船に乗ったこともあるのだが。

03/28/木
大学。会議。学部長としての雑用みたいなもの。30分ほどの会議に往復1時間かけて通勤。とんぼがえりで自宅で昼食。夕刻、妻とコージーコーナーまで行ってパフェを食べる。妻の端末に友人夫妻がパフェを食べている写真が送られてきたらしい。同じくらいの年齢の知人夫妻である。老人もパフェくらい食べるだろう。わたしは喘息気味なので、冷たいものを食べると咳き込むことになる。ああ、老人になったなと思う。控えゲラを読んでいる。昨日と今日とで第1章が終わった。もっとペースを上げたい。校正の赤が入った本物のゲラは9月の半ばに届くそうで、それまでに自分なりの校正を済ませておきたい。そうすると、正ゲラとこちからチェックした控えゲラの赤字を付き合わせるだけで作業は終わる。全体が12章なので、いまのペースだと少し遅い。明日はもう少しがんばりたい。

08/29/金
昨年4月から住んでいるマンション。傾斜地に建っているので入口は3階になっているのだが、1階から下の道路に出ることもできる。それはビルの横の方なのだが、まったく反対側の、オフィスの入口の側からもマンションの住人らしい人が出てくることがあるというので探索に行ったら、確かに出ることができた。1年以上住んでいて、まったく未知の通路があることが確認できた。2階から別棟の商業施設に行く通路もあって、これはネットの書き込み欄で発見したのだが、こういう通路があることを、マンションの売り主はまったく説明しなかった。あまり人が通行してほしくない秘密の通路なのかもしれない。探せばもっと通路があるのかもしれない。さて、本日は羽田プロジェクト。高校時代の仲間で1967年の羽田デモで亡くなった山崎くんを追悼するプロジェクトだ。弁天橋に石碑を建て、50年後に集会を開き、文集も発行したいという試みで、すでに支持者も増えているし基金も順調に集まっている。10月4日に最初のイベントをやり、そういうイベントを継続させることで、目標を達成したいということだが、詩人の佐々木幹朗くん、元衆議院議員の辻恵くんらが、労を惜しまずに運営に関わっているのに対し、わたしはあまり作業に加わっていない。文藝家協会の仕事と学部長の仕事で手一杯で、それでドストエフスキーの霊が取り憑いている状態だったので、ただ寄せられるメールに反応するだけだったのだが、ドストエフスキーがあと一ヵ月で作業終了になる。それでも大学が始まれば多忙になるので、あまり協力できないだろうが、とにかくできる限りのことはやりたいと思っている。山崎くんは文学青年だったようだ。現役で京都大学に入り、これからという時にデモで倒れた。その後、学生運動のセクトは地下に潜り、テロリズムに移行していくのだが、羽田闘争は最も初期のデモで、過激なものではなかった。当時の文化人の支持もあった。不幸な事故だったと考えることもできるが、ベトナム戦争に加担したくないという、当時の若者たちのピュアな気持を忘れないためにも、このイベントを成功させたいと思っている。

08/30/土
第2章まで。2日で1章のペースを守っている。校正の座業なので無理にペースを上げることができない。まあ、あせらずにじっくりやりたい。新宿でマッサージ。とくに体調がわるいところもない。このところパソコンの作業も少ないので肩が凝っているわけでもない。のんびりとしている。

08/31/日
軽井沢に行く。久しぶり。35年前、まだ八王子の住宅地に住んでいた時、ご近所の知り合いの別荘に招かれた。互いの長男が小学1年生で知り合いになった。それから毎年のように招かれた。犬が生きていたころ、別の場所にあるもう1軒の別荘を貸してもらったこともある。3年間、その別荘を貸してもらって夏を過ごした。数多くの想い出がある。犬がいたころはよく別荘の周囲を散歩した。旧軽銀座まで犬を連れていったこともある。ここには幼かった子どもと、犬の想い出がある。で、親しい人々と飲み会をした。夫婦のカップルが4組。それに知人の長男のカップル。小学校1年生だった長男がもう40歳を過ぎているので、時の流れというものを感じる。長く付き合っている人々というのは、想い出がたくさんあるので楽しい。さて、8月も終わった。当初の予定では8月末に完成ということだったのだが、今月半ばに完成して、もうゲラが届いている。このノートは来月で21巻になる。21ヵ月、カラマーゾフのことを考え続けてきたことになる。このノートの第1巻は昨年の頭くらいだろう。実際に書き始めたのは9月からなのだが、『数式のない宇宙論』とか『釈迦とイエス 真理は一つ』を書きながらノートを書いていた。そのもっと前にもメモを書いていた。そのメモが発見されたので、この後ろにつけることにする。以下は2年前の日付になる。


2012/07/05/木
本日からこのノートを書き始める。5人の孫たちが一堂に会する日。わくわくしながら池ノ上から自宅に戻る途上で閃くものがあった。悪魔を登場させる。黙狂となったイワンの主治医がつきそっている。この医者が悪魔っぽいという設定にしよう。三つの問いの物語など、この医者の口から語らせれば話がスムーズに進んでいく。何だかわくわくしてくるような感じだ。自宅に帰ってみると誰もいなかった。まだ箱崎に迎えに行って、帰ってきていなかったのだ。四日市の次男の嫁さんと孫2人は残っているのかと思ったのだが、四日市から到着したその足で、箱崎に向かったのだろう。嫁さんは若いからタフだ。風呂に入っていると、外で声がしたのであわてて出てきた。嫁さんと四日市の孫を乗せた車が先に帰ってきた。日本男児の孫2人と久しぶりの対面。正月に浜松の仕事場で会って以来か。妻は渋滞にはまったようで、半時間ほど遅れて到着。スペインの3人娘。妻は去年、スペインに行って会っているのだが、わたしは2年半ぶり。去年はスペインの長女のコムニオンという宗教儀式があって、四日市の嫁さんと孫も加わった。そこで孫5人が全員揃った。その現場をわたしだけが見ていない。わたしにとって、5人の孫が全員集合しているのを見るのは、初めての体験だ。とにかくカラマーゾフに関して、ようやくアイデアが1つ閃いた。本日から、この創作ノートを付け始めたいと思う。

07/13/金
『カラマーゾフの兄弟』の続篇を書くにあたって、その構想の中心となるものは、三男アリョーシャがどのような《事件》を起こすのかということだ。アリョーシャが何か《事件》を起こすということは、ドストエフスキー自身が作品の前書きの部分に記述している。しかも世間から見れば、問題と感じられるような《事件》らしいということも、その筆致から感じられる。多くの研究者や評論家は、それが「皇帝暗殺」ではないかと指摘している。皇帝の暗殺未遂は、ドストエフスキーの同時代に起こっているし、当時のロシアでは、皇帝暗殺は極悪犯罪だと考えられていたから、ドストエフスキーに何らかの影響を与えたと考えるのは自然だ。しかしすでに考えられたアイデアを借用するのであれば、この作品を書く意味がない。
わたしは数年前から、腹案をもっていた。この文章はリアルタイムで公表するものではないので、ここに書き留めておいてもいいだろう。オウム真理教や人民寺院のような宗教運動と、皇帝暗殺につらなるような政治運動を合体させた、広範囲の若者を組織した運動体を想定したい。わたしはそこに、イエスと十二使徒のイメージを重ねたい。
 十二使徒のロシア名を調べてみたいが不明なものもある。
  ペテロ……ピョートル
  アンデレ……アンドレイ
  ヤコブ……ヤコフ・ゼベダエヴィッチ
  ヨハネ……イヴァン
  ピリポ……フィリプ
  バルトロマイ……バルトロメイ
  トマス……フォマ
  マタイ……マトフェイ
  アルパヨの子ヤコブ……ヤコフ・アルパヨヴィッチ
  タダイ……タダイ
  シモン……セミョーン
  ユダ……イェフダ

09/25/火
3ヵ月近くこのノートをつけていなかった。このノートの存在すら忘れていた。8月に入って『菅原道真』を書き始めた。書いている間は菅原道真のことしか考えられない。9月の末になって大学の授業も始まった。多忙になるがとにかく『菅原道真』を仕上げてから、もう一度、態勢を立て直してカラマーゾフに挑みたいと思う。

11/16/水
また2ヵ月が経過。その間、ひたすら『菅原道真』を書いていた。8月の始めから本格的に書き始めたので、3ヵ月半かかったが、いい作品になった。これで手が離れた。編集者が読んでから入稿なので、ダメだしがないとしても、ゲラが出るのはずっと先だ。そこでカラマーゾフのこともぼつぼつ考えようと思う。すっかり忘れていたのだが、出だしの部分のメモができている。一人称で書いてあるのだが、この一人称、誰が書いているのか、謎としか言いようがない。黙狂となったイワンが語っているだろうか。まあ、あせらずに、じっくりと考えていきたい。

11/23/金
先日(20日)、書評紙『読書人』の企画で亀山郁夫、清水正の両氏との鼎談に参加させていただいた。わが国における当代のドストエフスキー研究家の双璧ともいえる方々と同席させていただいて、意見を交換できたのは望外の喜びであったし、お二人とも拙著を読んでいただいていて、貴重なご意見をたまわった。ありがたいことだ。さらに『カラマーゾフ』への期待も語っていただいたので、励ましになった。来年には取りかからなければならないと決意した次第だ。

05/04/土
半年ほどこのノートのことを忘れていた。この間に、『早稲田1968』と『数式のない宇宙論』を書いた。引き続き『釈迦とイエスが伝えたかった《ただ一つ》のこと』(出版時のタイトルは「釈迦とイエス 真理は一つ」)を書くが、並行して「カラマーゾフ」もスタートさせたい。すでに出だしの草稿があるのだが、これはイワンが語るということになっている。だが、いまはコーリャがアリョーシャを訪ねるところから始めたいと思っている。

09/05/木
久しぶりにこのノートを書く。すでに書き始めているので公表しているノートにもカラマーゾフについて書いているのだが、公表できないメモをここに書いておく。歴史上の人物でテロ活動に関わった人物を出せないかと考えている。以下にリストを書く。
アレクサンドル・イリイチ・ウリヤノフ66/87……
父、物理学者、母、スウェーデン系の教育者ニジニノヴゴロド出身、ペテルブルグ大学で動物学を学ぶ。人民の意志(ナロードナヤ・ボリヤ)に参加。79年11月、クリミヤから期間する皇帝列車の爆破計画。80年冬宮殿爆破。5人の死者。81年3月、ソフィア・ベロフスカヤの指揮のもとで皇帝暗殺。
ソフィア・リボーヴナ・ペロフスカヤ53/81……
ペテルブルグ生まれ。父はペテルブルグ州知事の名門貴族。69アラルチンスキー女子大学入学。
ピョートル・アレクセイヴィッチ・クロポトギン42/1621
モスクワの名門貴族に生まれる。
ヴェーラ・ニコライエヴナ・フィグネル52/1942
カザンに生まれる。父は森林監督官。チューリッヒ大学薬学部。サラトフにて医療活動。オデッサにて皇帝爆破計画に参加。
イグナツィ・フリニェヴィエツキ……ポーランド人
アンドレイ・ジェリャーボフ

2014/08/31/日/reprise
昔の創作ノートはこれでおしまい。意外に短い。紙のノートにはもっと書き込みがあるのだが、それはいずれ抹殺する。とりあえずネットに出そうと思ってhtlm言語で書いた部分だけを上に貼り付けた。ノートの最後に記してあるのは当時の実在の人物。皇帝暗殺にまつわる歴史的な英雄たちだ。暗殺者が英雄になるというのは、その後、ロシア革命が起こったからで、いまから見るとただのテロリストということになるのかもしれない。わたしのカラマーゾフにはこうした実在の人物が登場する。すでに『新釈悪霊』にはドストエフスキーを含むロシア三大文豪が登場するし、こっそりと中学生のヴェーラ・フィグネルも出てくる。この女子中学生が魅力的だったので、今回も最後にチラッと登場させることにした。肖像画や写真が残っている歴史上の人物で、いちばんの美人だとわたしは思っている。さて、ノートは2年前の夏から始まっている。2年前の夏といえば、まだ三宿に住んでいたころで、スペインから孫3人、四日市の孫2人も来て、喧騒の中でメモを書いていた。ストレスのためか、パソコンを膝に抱いて打ち続けていたせいか、左の膝が痛くなって、歩行困難になった。いまから振り返ると遠い想い出だ。いま、すでに作品は完成してゲラになっている。今年中には本が出る。「カラマーゾフの兄弟」の続篇を書くというのは、ちらっと思うことはあっても、そんなことは誰も成し遂げられないだろうというような、夢にすぎなかった。それがもう実現しているのだから、われながらすごいことだと思っている。だが、もう作業はほとんど終わった。次の仕事のことを考えないといけない。聖徳太子、額田女王、紫式部、親鸞……。といったところを候補として考えている。まだ来月はこのノートの続きを書くが、10月からは新しいタイトルのノートとして出発したい。


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