「カラマーゾフ」創作ノート15

2014年3月

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03/01/土
3月になった。昨年の9月から本格的にスタートした「新釈カラマーゾフ」もすでに半分は越えたという実感がある。ただしまだ重要人物のイワンが出てこない。前半のストーリーを引っぱったザミョートフがここで姿を消す。そのかわりに登場するのが、ユーリイ・オブロモヴィッチという人物。これはわたしが創作した人物で、イワンの主治医という設定になっている。ただの主治医ではなく、原典でイワンの幻想の中に登場する悪魔のような人物が主治医に投影されているという設定で、ここから先はイワンが語り手となって話が進んでいく。このように語り手というか、主人公が交替するというのがこの作品の危ういところなのだが、イワンが出てくるとどうしてもイワンが主役になってしまうので、こういう設定にするしかなかった。つまり前半はコーリャとザミョートフの掛け合い漫才のような感じで進行し、後半はイワンとユーリイのコンビが活躍することになる。現在のところ、入力作業は4日目の夕刻、メモは5日目の昼、という状況。全体は7日くらいの物語なので、時間の流れとしてはもう大詰めなのだが、ここから先の時間の流れは倍くらいの密度になる。なぜならイワンが出現することによって話の内容が哲学的になる。さらにリーザを含めて女性が3人揃うことで恋愛関係がもつれていくことになる。コーリャは語り手ではなく、外部から描かれることになるが、このあたりでコーリャは大きく変貌することになる。ああ、もう3月か、と思う。構想を練り始めてから、すなわちこのノートは15ページ目ということになっているのたが、去年の1月から8月までは新書3冊を書きながら、文体をどうするか。誰が主人公になるか。導入部をどのようにして始めるか、といったことを考え、試行錯誤する期間だった。そこでじわじわと構想を固めていって、現在進行中の作品のように、冒頭のエピグラフには「一粒の麦……」という原典からの引用を入れることにした。新たにわたし自身の巻頭言を置き、さて第1章を始めるということになって、現在のような正体不明の人物が語り手となって登場するという冒頭部を試行錯誤していたのが7月、8月くらいで、そこからコーリャが登場してモスクワの駅でザミョートフと会うというところから書き始めたのが9月ということになる。それから半年が経過した。あと半年あれば草稿完成は間違いないが、できればあと4ヵ月、6月末くらいには草稿を完成させて、プリントで読み返すという作業に移行したい。この3月は貴重だ。4月になれば大学の授業が始まる。3月中にイワンとユーリイのキャラクターを確立させて草稿を書くピッチを上げていきたい。文藝家協会の仕事も増えそうなので、人生で一番忙しい時期、すなわち人生のピークがいまだ、という感じはまだ続くことになるだろうが、この作品が完成すれば少しは気分が楽になるかな、という期待をもって、この時期をきりぬけたい。
昨日の朝、鶴岡に単身赴任している次男がこちらに来て、四日市の家族と正月以来の一家団欒だった。昨日はレゴランドに行ったようだが、今日は地下鉄博物館に行った。こちらは新宿のマッサージに行く。今週は学生の研修旅行の引率で山梨の雪道を歩いた。足がパンパンに張っていると言われた。マッサージしてもらって軽くなった。夕食は自宅。去年の4月にここに転居して以来の初めての鍋。オール電荷のマンションだから電磁調理器で鍋を温める。火力が弱い感じだが三宿の家でもこれで鍋をやっていた。夜中に入力作業を少し。

03/02/日
孫たちはデパートなどへ行った。こちらは自宅でひたすら入力作業。皆が帰ってきた。山梨土産の信玄プリンを皆で食べる。それから四日市へ帰る孫たちを東京駅に送る。次男と2人で自宅に戻る。夫婦と次男だけの夕食。何か、昔に帰ったみたい。長男がブリッセルに留学し、次男はまだ大学院、という状態の時は、この3人で生活していた。それから何年経過したのか。十数年の年月が経過したのだろう。何か、あっという間に時間が流れていく。深夜、秋葉原からバスで鶴岡に戻る次男を送っていく。バスが出た直後から冷たい雨が降ってきた。妻と2人で自宅に戻る。今週は学生の旅行が2泊3日、次男一家が来て2泊3日、6日間、非日常の生活が続いた。その間もメモはとれた。「カラマーゾフ」は順調に進んでいる。

03/03/月
大学。学科会のあと、FM西東京の番組の打ち合わせ。夜中は入力作業。

03/04/火
大学。入試の待機。これで今シーズンの入試も終わり。この大学はさまざまな入試のパターンがあり、その度に学部長は入試本部に待機することになる。まあ、待機しているだけだから、仕事はできるのだが。大学の入試はこれで終わりだが、まだ大学院の入試が残っている。

03/05/水
大学。学部長会議。それだけ。数日前に、突然、マウスが反応しなくなった。無線マウスを使っていたのだが何となく使い勝手が悪かった。それで壊れたのを機会に以前に使っていた有線マウスに戻すことにした。そのマウスは大学の研究室で使っているのだが、これを抜いてパソコンに本来付いていたマウスに戻した。少しタッチが重いのだが、大学ではメールを打つ程度なのでこれで充分だ。で、帰ってそのマウスを付けてみた。このマウスはずっと使っていたものなので、慣れている。いい感じだ。壊れてから数日は妻のパソコンのマウスを使っていたのだが、何となく使いづらかった。妻のマウスもわたしが買ったもので、同じ機種の色違いのはずなのだが、微妙に使い勝手がよくない。使っている人のクセがしみついているのかもしれない。入力作業が進み、4日目の夜中になった。メモはやや不調で5日目の夕方くらい。まだノート3冊ぶんくらいの差があるのだが、時間的には近づいている。

03/06/木
毎日大学に行っているようだが本日は休み。夕刻、フリーエディターのE氏と打ち合わせ。軽く飲みながら今後のことを話す。「新釈カラマーゾフ」は予定どおりのペースで進んでいるので夏には完成するだろう。すると秋には別の仕事をしないといけない。そのための準備。新書のプランをいくつか話しておく。こうやって準備をしておかないと、昨今の出版事情ではすぐに仕事ができるわけではない。E氏の担当は主に新書の類。小説のことも考えておかなければならない。

03/07/金
本日は超ハードな日。朝、大学で判定会議。先日の入試の判定。それから教授会。卒業者リストの承認。それから臨時の学科会。途中で抜けてホテルオークラへ。旺文社主催のコンクールの表彰式。これも途中で抜けて文藝家協会協会。評議員会があったのだが、着いた時はすでに終わっていた。しかし理事長はいたので、文藝家協会が出す声明文について話し、諒承を得る。これで一日のスケジュールが終わった。綱渡りの連続だったがすべてうまくいった。

03/08/土
蒲田の大田区役所に集合して、羽田空港の近くの弁天橋周辺を回る。1968年10月8日、この弁天橋の上で人の死者が出た。ベトナム戦争に反対する学生たちが、アメリカに加担した当時の日本の首相のベトナムを訪問を阻止しようとして、この橋から空港に突入しようとして、機動隊と衝突し、その渦中で巨大生の若者が命を落とすことになった。彼はわたしの高校の同期生であった。詩人の佐々木幹朗や、いまは弁護士をしている同期生が集まって、現地を視察し、どこかに記念碑でも建てられないかという、そういう集まりだ。若い人にはわからないだろうが、当時の若者たちはこの国の未来について真剣に考えていた。単なるゲバルトとかテロリズムといったものではなく、ごくふつうの若者らしい正義感で、この国のあり方に疑問をもち、首相の行動に意義を唱えようとした。いまから50年ほども昔に、そういうことがあったのだということを、幕末の志士の石碑を築くのと同じような気持で、何らかの足跡を残したいという気持で、高齢者となった同期生が集まったのだ。まあ、単なる飲み会だったのかもしれないが、これから一つの潮流が生まれるかもしれない。同時に、自分のこれまでの人生というものも、あらためて考え直したいかな、という気分にもなった。ドストエフスキーについての考察ということを始めたのも、自分の人生を見つめるということなので、自分はいまその作業を続けるしかないのだが、できる限り時間を割いてこのムーブメントに協力したいと思っている。

03/09/日
大学。大学院の入試。筆記試験は待機。それから2名の面接。わりと早く自宅に帰れた。入力作業を進める。週末の土日がつぶれたので休みなしに次の週に入る感じがする。

03/10/月
本日は大学の退職者の方々の送別会。大学の仕事はないので会場の吉祥寺のホテルに直接出向く。思えば3年前のこの時期に、同じ集まりがあった。まさに震災の日だった。わたしは文藝家協会で総務省の人と話をしていた。正確に言えば文藝家協会に行く直前の地下鉄駅からのエスカレーターの上で揺れを感じた。エレベーターが壊れたと思ってあわてて駆け上がった。道路に出ると高速道路の街灯がダンスを踊っていた。恐怖感はなかった。何だろうかなという素朴な疑問があっただけだ。それから文藝家協会に行って総務省(たぶん下請けの人)と話をした。その間も何度か余震があったのだが、わたしも相手も話を続けていたので、協会の職員の人にあきれられた。仕事優先というのは当たり前だと思っているし、余震は大したものではないだろうと思っていたのだが、まだテレビを見ていなかったので、東北地方の被害を知らなかった。というか、まだ吉祥寺のホテルへ行けるだろうと思っていた。あの程度の揺れで首都圏の電車がすべてストップするとは考えてもいなかった。仕方なく永田町から当時住んでいた三宿まで2時間ほどかけて歩いた。いまはマンションに住んでいるので、同じ揺れが来たらどうなるのかと思うが、マンションを購入したのは震災のあとだから、実は楽観している。自宅に帰ると妻がアイパッドがネットにつながらいないと騒いでいる。そんなことを言われてもわたしはアイパッドを使っていないので何もわからない。アイポッドはネットにつながるというので無線ルーターのせいではないだろう。自分のパソコンはネットにつながるので有線ルーターは問題ない。マンションのルーターはシューズボックスの上にあって、各部屋に差し込み口がある。その一つに無線ルーターをつないでいる。パソコンは直接ケーブルを差し込んでいるので、この無線ルーターは妻のアイパッドとアイポッド(ラインのソフトが入っているのでスペインの長男と電話もできる)で使用される。自分とは関係ないのだが、とにかくこの無線ルーターの電源を抜いて初期化する。改善されない。次はアイパッドの初期化なのだが、妻は何のこと、というばかり。どうやら購入してから一度も電源を切っていないようだ。自分のパソコンでネットにつなぎ、アイパッド、初期化、で検索する。スイッチ長押しの上、出てきたスイッチの画像を指で動かす。おおっ、すごいなと思う。わたしはウィンドウズ7を使っているので画面にタッチすることはない。とにかく妻に伝えてやってみると、確かに電源が切れた感じがした。それからまたスイッチを入れる。起動するのにパスワードが設定されているのではないかと思ったのだが、そういうことはなくふつうに起動し、ネットにつなげた。再起動は正しい対応だった。

03/11/火
本日は休み。ひたすら仕事。

03/12/水
作品社の担当者と近所で飲む。『偉大な罪人の生涯/新釈カラマーゾフ』の最初の100枚ぶんくらいのプリントを渡す。8月くらいに草稿が完成すると話す。およそのスケジュールを伝えておく必要がある。全体で7日間の話のうちいまは入力が5日目の朝、メモは夕方まで進んでいる。半分は明らかに超えている。

03/13/木
朝は著作権情報センターの理事会。夕方は文藝家協会で出版社との協議会。あとは仕事。

03/14/金
文藝家協会の理事会と、電子出版権の契約システムについての声明を記者団に発表。

03/15/土
吉祥寺の高齢者施設で講演。ボランティアの人たちの慰労会みたいなもので、まあ、前向きな講演をする。自宅に帰ると岳真也から電話。いま神保町にいるとのこと。仕方がない。ビアホールで軽く飲む。

03/16/日
日曜日だが仕事がある。夕方、FM西東京へ行く。武蔵野大学と同じ西東京市で、学生たちが参加している番組もあり、以前、一度だけ出演したことがある。その時は大学からタクシーで出かけた。本日は自宅からなので武藏境からタクシー。帰りは田無から西武新宿線、東西線、都営新宿線を乗り継いで帰った。AKBの中村麻里子さんの番組。まあ、適当にしゃべった。昨日、今日と、イレギュラーな仕事で週末がつぶれた。明日から大学が3日連続するのだが、次の週末は仕事場で過ごせるはず。

03/17/月
久しぶりに大学。教授会と学科会。4月からわれわれのメンバーの一員となる漢文の先生とともにキャンパス内を一周する。中国人の先生だが、日本語は流暢でいい人みたいだ。本日から3日間は大学の行事でつぶれる。土日も仕事をしたので何となく疲れが残っている。

03/18/火
卒業式。今年から有明コロシアム。出がけに宅急便が届いたりして会場に着くのがぎりぎりになった。学部長は台の上に乗らなくてはならない。座っているだけで疲れる。本来のテニスコートなので、台は仮設のもの。ふわふわしていて軽く船酔いのような感じになった。人混みに呑まれそうになったので、反対側の出口から出て、大回りをする。喫茶店で30分ほど休む。それから有明キャンパスへ。教室が2つに分かれているので学科長と交代で挨拶をする。同じことを2回話す。武蔵野キャンパスだと自分の部屋があるのだが、ここでは教員ルームに行くしかないので、数人の先生方と雑談。それからお台場の日航ホテルまで歩く。春一番が吹いている。ガンダムの前を右折。メディアージュで映画を見ることが多いのでお台場は慣れている。他の先生方を引き連れて何とかホテルにたどりついた。2次会までつきあってようやく自宅に戻る。長い一日だ。

03/19/水
本日も長い1日。午前中に判定会。大学院の会議があって、学生とオリエンテーションキャンプの打ち合わせ。それから大学院の卒業式。その後、学科別に分かれてガイダンス。研究室で少し仕事をしてから吉祥寺のバーで、大学院の宴会。大学院の1年生たちもいてなかなかいい会だった。これで大学の3日間が終わった。明日から仕事場に移動する。

03/20/木
ひどい雨だが仕事場に移動する。運転は妻なので申し訳ない。宿酔が少しずつ回復する。仕事場はお正月以来だが、築33年の木造建築はまだ健在。ネットもちゃんとつながる。これで仕事ができる。が、少しは休みたい気がする。

03/21/金
昨夜は風が強かった。ふだんはマンションにいるので風の音を気にかけることはない。高層マンションなので風に吹かれているはずなのだが、気密性が高いので風は感じない。この仕事場は丘の上に建っている木造建築なので風をまともに浴びる。建物全体が浮き上がるような感じもする。風の音が耳についてよく眠れなかった。本日はとりあえず買い物。食べ物も酒もない。実は三宿から引っ越す時に大量のワインを仕事場に運び込んだのだが、いまはワインを飲む気にはなれない。三ヶ日のAコープに向かったのだが、道路が渋滞していたのでUターンして鷲津に向かった。スーパーで食料と酒を買う。ラーメンを食べて帰る。あとはひたすら仕事。大工さんが来て妻としゃべっていったがその間も仕事。パソコンを打ち続ける。『新釈罪と罰』の主人公ザミョートフと、今回の主人公のコーリャとの最後の対話。ここがこの作品の眼目で、『新釈罪と罰』からの四部作の要のような場面だ。ここを通過すると作品はほぼエンディングに向けて収束していくことになる。山の頂上みたいなところだ。もちろんこの先に言葉を失っていたイワンがついに最初の言葉をしゃべる場面など山場はいくつもあるのだが。このあたりからしだいにコーリャの人物像が大きくなっていく。これまではただの狂言回しとしての主人公だったのだが、ここからはしだいに本物の主人公になっていく。『偉大な罪人の生涯』というのはドストエフスキーがつけたタイトルで『カラマーゾフの兄弟』を前篇とする二部作の総合タイトルのはずなのだが、当然のことにこの偉大な罪人というのはアリョーシャのことだと思って書き始めた。しかしもしかしたらこの罪人というのはコーリャのことかもしれない。なぜなら前篇にはコーリャが鉄道線路に横たわって汽車に轢かれる場面や、馬車の車輪で鵞鳥の首を切る話など、ただの挿話にしては直接的に意味のないものが多い。コーリャが二部作の主人公になるのだと考えて初めて理解できるエピソードではないか。このあたりでようやく、この作品全体が自分の掌中に入ってきた感じがする。いよいよエンディングに向けて、坂を下っていく段階になってきた感じがする。

03/22/土
週末。ひさしぶりにのんびりできる。高校野球を見ながら仕事。夜中は酒を飲んで早く寝る。いい生活だ。

03/23/日
大工さんが昼前に来たのでいっしょに昼食。地元の人の情報は貴重でカッパ寿司がオープンしたというので行ってみる。開店直後なので混んでいたが、注文した品が新幹線に載って特急で来るところがおもしろかった。開店寿司もただ回るだけでは人が来なくなっているようだ。

03/24/月
東京に戻る。以前は三宿に帰ったのだがいまは千代田区淡路町なので、少し時間がかかる。首都高が渋滞していると、三宿だともう自宅で寛いでいただろう、などと考えてしまう。マンションに着いても荷物を運ばないといけない。一軒家ならガレージに車を入れて荷物を少しずつ運べばいいが、マンションだとエレベーターで運ぶ。まず20階ロビーのコンシェルジェのお姉さんのところに行って、台車とエレベータのキーを借りる。荷物運搬用のエレベータに乗って地下2階の駐車場に下り、荷物を積み込んでから自宅に上がる。それから台車を返しにまたロビー階に戻る。えらい手間がかかるが、まあ、仕方がない。自分の部屋に戻ると、コンパクトな間取りのいっかくに自分のデスクがあって機能的だ。仕事場には携行するパソコンをセットすればすぐに仕事ができる。

03/25/火
日本点字図書館評議員会と理事会。なぜか両方に出る。評議員会では内職で自分の仕事をする。アキ時間は近くの喫茶店で仕事。理事会は議長なので仕事はできない。やや疲れて自宅に戻る。明け方までデスクに向かって入力作業は進んでいるのだが、メモの方が伸びていない。集中力がない。脳のキャパシティーの問題で、全体が把握しきれなくなっているのか。300ページを超えている。400字換算だと900枚。そろそろプリントして読み返した方がいいかもしれない。

03/26/水
大学。学部長会議。その前に研究費の書類などの作成。会議もやたらと長かった。それから書きかけの作品をプリントする。途中で一回紙詰まり。これがやっかいだ。備品のレーザープリンター。速いのだけれどよくストップする。とくにヒートアップすることが多いのでウチワで扇いでいる。原始的だがこれがコツ。300ページはずっしりと重い。最初から読み返すと脳内にドーパミンが出てくるのがわかる。快感がある。すごいものを書いているという喜びが、先に進むモチベーションをかきたててくれる。

03/27/木
本日から週末までは休み。のんびりできる。雨が小やみになったので神保町へ散歩。あとはひたすら仕事。プリントを読み返す作業と入力の作業を並行して進める。

03/28/金
春の陽気。妻と散歩に出る。まずは神保町へ。古書のお祭。歩道に出店が並んでいる。欲しい本がいっぱいある。お金もあるが、置く場所がない。何も買わずに通りすぎる。九段下まで歩いて東西線で日本橋へ。オープンしたばかりのコレド室町2・3へ行く。2には映画館が入っている。いまのところ見たい映画がないのだが、とにかく岩波ホールは別として、自宅から一番近いのがこの映画館だろう。わたしはすでに老人料金だが、その老人料金は4月から100円アップすることになった。2の地下でジェラートを食べ、三越の地下で弁当を買って帰る。三越から歩いて帰るのは、三軒茶屋から三宿に帰る程度で、それほど負担ではない。プリントのチェックは第1章が終わった。このペースで行くと、半月くらいかかりそうで、それではペースが遅い。入力も進んでいる。新たなメモがほとんどできていないが、プリントを読み返す過程で全体のコンセプトが見えてくるだろう。それでエンディングまでの道筋が見えてくるはずだ。プロ野球が始まった。7時のニュースを少し見てからチャンネルを変えると4点負けていた。フィギュアスケート男子に変えて、少し時間が経ってから野球に戻すと大逆転していた。まあ、阪神に負けるのは悔しいので負けなくてよかった。アメリカンフットボールのない季節は野球でも見るしかない。そういえば相撲が終わって寂しい。相撲は夜中にダイジェストを見ている。鶴竜は急に強くなった。体が大きくなった。栃錦、初代若乃花も、二十代後半になって体重が急に増えて安定感が出た。鶴竜も安定した横綱になるだろう。鶴竜の顔は往年の鶴ヶ峰にそっくりだ。鶴竜の親方は鶴ヶ峰の長男で、次男が寺尾だが、この二人よりモンゴル人の鶴竜の方が鶴ヶ峰に似ている。輪廻転生みたいなものを感じる。

03/29/土
姉の女優三田和代さんを自宅に招く。久しぶり。本日は5年前に亡くなった母の命日。母を偲ぶ。

03/30/日
花見をするつもりで神田川から出発するクルーズを予約していたのだが、春の嵐で中止に。ひたすら仕事をする。

03/31/月
歴史時代作家クラブの各章の予備予選。昨年亡くなった秋山駿さんが選考委員長だった。わたしがあとを継ぐことになったが、わたしは歴史小説を書いているけれども、時代小説そのものについて見識があるわけではない。これから勉強するつもりで、とりあえず座長として行司のようなことをすればいいだろうと、引き受けることにした。その後、同クラブの九人の作家の共著『新撰組出陣』の出版記念のパーティー。ようやくこの作家クラブがクリエイティブな事業に乗り出した。いい本になっている。さて、これで3月も終わってしまった。入力は進んでいるのだが、新たなメモが伸びていない。いよいよ言葉を失った次男イワンが出てきて、少し停滞している。イワンは本作の最重要人物なので、文章のレベルを上げないといけない。


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