■FR−028■
瀬戸内海 神戸→今治→大分 別府・阿蘇・豊後竹田 大分→松山→神戸

写真 左:神戸港ターミナルビルの向こうに接岸中の<スターダイヤモンド> 右:大分港出港間際の<スターダイヤモンド>

2002年 春 ダイヤモンドフェリーで大分へ、そして別府から阿蘇山火口、豊後竹田へ

                      

●航海 往路・瀬戸内海+周防灘
@★★★★★ 往路 大阪→今治→大分 ダイヤモンドフェリー<スターダイヤモンド>特別室1右舷側 夜行便

A★★★★★ 復路 大分→松山→神戸 
ダイヤモンドフェリー<スターダイヤモンド>特別室2左舷側 夜行便
 総トン数:9,463.00 主機関:27,000 馬力 航海速力:23.0ノット 旅客定 員:942名 積載可能車両数:乗用車50台・トラック105台 就航年月日:1992.2.5

●旅程 船中ニ泊 ニ泊三日
第一日目 
@神戸港(六甲アイランドフェリー乗り場)17:50(ダイヤモンドフェリー<スターダイヤモンド>)→
第二日目 →00:30今治港01:00→06:00大分港
 西大分駅06:18(JR)→06:29別府駅08:20(バスやまなみ2号)→11:27阿蘇山西
 *阿蘇火口観光ロープウエイで往復
 阿蘇山西13:08(バスやまなみ1号)→13:40阿蘇駅14:00(JR特急あそ3号)→14:40豊後竹田駅
 *豊後竹田で岡城跡観光
 豊後竹田駅16:24(JR普通)→17:44西大分駅
       A大分港18:40(ダイヤモンドフェリー<スターダイヤモンド>)→22:10松山港22:40→
第三日目 →06:50神戸港

 

ダイヤモンドフェリーで五月晴れの九州に一日上陸、雄大な九重高原から阿蘇山へ、そして「荒城の月」の舞台となった岡城跡を巡る・・・

 そうだ、今度は南の島へ。そんな思いにかられていながらGWが過ぎてしまっていた。五月も下旬を迎えるころにはすでに今年は天候不順で五月の五月晴れが続くべきはずのこの時期にまるで梅雨時期のような日々が続いていた。
 そんな間の晴れ間を狙っていたところ、どうやらしばらくは晴れ間続きとの天気予報を見るにつけ思い立った今回の船旅は思い立っての船旅では初乗船となるダイヤモンドフェリー神戸・大分航路。今を去る三十年余り前に数度乗船したおぼろげな記憶のある航路であった。
 土曜日の午前中、ダイヤモンドフェリー予約センターへ電話で問い合わせてみると明日の神戸発17:50下りニ便、明後日の大分発18:40上りニ便は共に特別室が空いているということであった。それではと思い立った船旅を具体化しようとあれこれ思いを巡らせた。
 そして翌日、相変わらず晴れ間続きの天気予報に変わりなかった。昼過ぎにダイヤモンドフェリーの予約センターに電話を入れる。
「今日の下りニ便特別室をお願いします。」
「今日の下りニ便は特別室はありません。特等A(一人用特等室)なら空いてます。」
「えっ? そうなんですか、昨日たずねたときには空いているとのことでしたけど・・・。」
「はい。空いていません・・・。」
「そうですか・・・。明後日の大分発18:40の下りニ便は?」
「明後日の特別室は大丈夫です。」
「じゃ、それでいいです。往路は特等Aで、復路は特別室でお願いします。」
 往復の特別室は取れなかったが、まぁ、いいだろうと予約を確定した。

 

●第一日目 黄昏時に神戸港を出港

●神戸港六甲アイランドフェリー乗り場へ
 ちょっとゆとりをもって、うちを二時頃に出るとJR住吉駅前発16:35の連絡バスがあるのでちょうどいいと我が家を出た。JR住吉駅には四時過ぎに到着。改札を出て左折すると右手前方にダイヤモンドフェリーの電飾看板があった。その横から下りエスカレーターで降りると頭上に大きなダイヤモンドフェリーの広告看板があり、そこにはバス乗り場と記されていた。
 駅前に降り立つと右手にタクシー乗り場あり客待ちのタクシーが並んでいた。が、バス乗り場らしきところは見渡す限り見当たらない。右往左往の後、駅前道路を渡り向かい側の歩道を再び右往左往するが見当たらない。歩道に面したお店の人に尋ねてみるのだが分からない。案内標識らしきものも何一つ無い。充分に乗り換え時間に余裕を見ていたはずだが、やがて刻々とバスの時刻は迫ってくる。ひょっとして駅前から垣間見えるビルの向こうの国道二号線にバス乗り場あるのでは、とそちらへ向かう。建物の側を行き国道の歩道を左右見渡すと右手にバス停があった。
 バス停に近づいてみると、やっとそこにフェリー乗り場息バスのバスストップがあり見つかった。すでに十人ほどの乗船客らしき人たちが並んでいた。間もなくバスがやってきた。バスは六甲ライナーのアイランド北口駅を経由して六甲アイランドフェリー乗り場へ向かう。所要時間十五分、料金は220円、ちなみに、このバスはアイランド北口から乗れば無料である。

●六甲アイランドフェリーターミナルビル
 バスから降り立った乗船客は十人余り。久々の六甲アイランドフェリー乗り場である。ひとまずターミナルビルに入ってみると二階の待合室にはそこそこ乗船待ちの人たちが既にいる気配だがあったが混み合っているほどではない。発券窓口には、今、一緒ににバスから降り立った人たちが並んでいた。まだ出港までには小一時間あるので急ぐことも無いから一旦入ったビルを出た。
 接岸している<スターダイヤモンド>の姿と、ちょっと印象的なビルの入り口の写真を撮る。ホワイトとスカイブルーに塗り分けられた船体がターミナルビルの向こうに接岸している。ビルの入り口は何をイメージしてデザインされているのであろうか中央左右に鉄パイプの構造物が建物に覆い被さっていて、その間が入り口となっている。
 再び戻った発券窓口はすでに閑散として居てほとんど人影は無い。二階の待合室にいた様子の人たちも居ないようであった。写真を撮っている間に乗船が開始されていたらしい。
 乗船申込書に必要事項を記入し発券窓口で乗船券を購入。念のため特別室は空いていないのかと尋ねるが
「空いてません。」
 と答える。とりあえず特等A乗船券を手にした。

写真 左・中:神戸港(六甲アイランドフェリー乗り場)のフェリーターミナルビル 右:発券窓口
 思い立っての船旅の始まりとなった<ほわいとさんぽう2>での船旅はこの港から始まった。1998年のお盆であった。大混雑でターミナルビルに入るのでさえ容易でなかったあの真夏の蒸し暑い夜の光景がふと脳裏をよぎる。懐かしい港である。
 今日はそのときの光景とは大違いで、ゆったりのんびりとしたのどかな雰囲気である。
二階の乗船口へ上がると既に人影は無かった。

●乗船、そして間もなく出港
 出港三十分余り前、ターミナルビルに階から続く連絡ブリッジを通り本線から下ろされたタラップを上って<スターダイヤモンド>に乗船。乗船口にはクルーが待ち受けていて乗船券をもぎる。エスカレーターは無く、折り返しで上る階段を上がると係員が居て案内所は更に一階上だという。さらに折り返し階段を上がると目の前に広々としたレストランがあった。その右手に案内所がある。左手には売店があり、案内所の右手から後方にかけては自販機とゲーム機が並んでいた。
 案内所で乗船券を差し出しながら
「特別室は空いていませんか?」
 と、ひょっとして・・・。と思いながら尋ねてみると
「空いてますよ・・・。」
 と係のお嬢さんが微笑む。昨日は
「空いていますよ。」
 と電話の向こうでの答え。今日は昼過ぎの電話では
「空いていません。」
 窓口でも同様に
「空いていません。」
 そして今ここでは
「空いてますよ・・・。」
 どうなってるんだろう? 差額を支払いルームキーを手に、さらにまたもう一階階上へ折り返しの階段を上がる。螺旋階段ではないが折り返し階段を何度もぐるぐる上る感じである。それに通路も狭い。照明も薄暗い印象でちょっと古めかしい感じさえする。
 とにかく難なく特等A乗船券を手にしての乗船ではあったが、結局、特別室をゲットできたわけである。(笑)
 指定された船室は右舷側前方角部屋の特別室1であった。

写真 <スターダイヤモンド>特別室(帰路の特別室2)の内部

写真 <スターダイヤモンド>特別室のアメニティーセット、茶菓子のチョコレートウエハース
 特別室は狭い通路の奥まった一角にありドアを開いて入ると傍らにバストイレがあり、その前方に肘付き椅子ニ脚とテーブルの三点セットが大きなフロントビューの船窓の手前に配されている。そのテーブルの上には造花の盛り花、お湯のポット、茶器セットに煎茶のティーバッグ、茶菓子、灰皿、テレビのリモコンが置かれていた。化粧室を回り込み前方の船窓の手前一角にテレビが置かれ壁面に掛け時計、その奥まった一角にベッドが二つ。ベッドの上には浴衣が置かれていた。化粧室(バストイレ)にはバスタオルがあり、洗面台にはタオル、歯ブラシセット、石鹸、シャンプー・リンス・ボディシャンプーのセットがあった。
 小型冷蔵庫が窓際の台下の収納に置かれていて、中には酒類やソフトドリンク類、おつまみなどが入れられている。窓際に記入式の伝票が置かれていて価格が書いてあるので有料である。記入要の筆記具などは置かれた居なかったが・・・。
 そして、何故か食事メニューを記したプレートが置かれていた。ルームサービスでもしてくれるのであろうか? うっかり、今回はこの件について案内所で尋ねるのを忘れていたが、次回、乗船機会に恵まれたときには確かめてみようと思っている。

写真 <スターダイヤモンド>特別室内の表示
 船室内には他の船舶ではよく見かける案内ブックやパンフレットなどの類が何も無い。先に記したが記入式伝票の記入要の筆記具も無かった。デッキプランやTV番組案内な夜間航行時のカーテン閉鎖の注意書きなどはいずれもプレートが壁面に貼り付けられていた。ロッカーは衣服を収納するためにあるのだが、その上に救命胴衣の収納部分があるが「緊急時以外は開けるな」とコピーされた紙で封印されている。
 何とも合理的な印象の漂う何の変哲も無い、よく言えばすっきりとした、悪しく言えばまったく味気ないそっけない広い部屋に過ぎない。定期航路の船舶内でのサービスは運行会社ごとに大いに異なる。船室にその会社の考え方が漂うものである。デッキプランについては小生のような移動することより乗船すること自体に主目的を置くものにとってはぜひとも入手したいと思う一品である。案内所で有無を尋ねてみたが船客に配布できるようなものは用意されていないとのとのことであった。
 なお、この部屋残念ながらフロントビューの船窓はありません。
 このダイヤモンドフェリーは、かなり合理的な考え方に徹している様子が伺える。可も無く不可も無く、何とも味気ないが定期航路のフェリーとしては、まぁこんなものかと言った感じの印象を抱きながら勝手に納得することにした。

●定刻17:50<スターダイヤモンド>は静かに神戸港六甲アイランドフェリー乗り場の岸壁を後にした。
 フロントビューの船窓から舳先の甲板での作業を見守っていると太い鎖が巻き上げられている。錨を下ろしていたのであろうか?
 ひとまず船内探検をかねてデッキへ向かう。特別室からは狭い通路を行くと前部ではアウトサイドに特等A室、インサイドに一等室が続き後部にはニ等寝台室や二等室が続く。途中には喫煙コーナーがある。ラウンジと称するにはちょっとおこがましい感じのコーナーだが、それらしき場所もあり後部中央にはエレベーターもあるが通常は使用できないようであった。その傍らから階上最上階デッキに出る階段室があった。最上階甲板に出ると中央に船員室が並びその前方に操舵室が見える。
 外部デッキはこの最上階から次の階、その更に下の階と三層に設けられている。

写真 左:出港直後の後部甲板から眺望 中左・中右・右:出港直後の黄昏
 今時期は出港間もなく黄昏時を迎える。神戸港を背に一旦やや東へ向かう間は後方に夕日を見る。港を出るとゆっくりと右へ旋回して船首を西南西へ向ける。と、夕日は右舷前方に見える。港の近くにはこの<スターダイヤモンド>出港直後に出る阪九フェリーの一便の後に出るのであろう沖出しされている阪九フェリーのニ便の船影が見えていた。

写真 左:沖出しされている阪九フェリー<フェリーせっつ>か? 中:甲板から見送る東の空はまだ青い 右:<スターダイヤモンド>のファンネル

写真 行き交う船々 左:赤い船 中・右:沖に停泊していたモノトーンの船、貨物船か?

写真 行き交う船々

 大きく旋回した船尾後方には、まだ青空を残す東の空が広がっていた。神戸港六甲アイランドフェリー乗り場を出港すると大きく西南西に舳先を翻す辺りからは後方に大阪港を遠望できる。この辺りには次々に行き交う船舶も多い。

●船内レストランにて
 レストランへ移動する。この下りニ便<スターダイヤモンド>のレストランは乗船間もなくの17:00〜20:00迄の間、三時間も営業されている。レストランは広く二百席余りはあろうかと思われる船内唯一のゆったりとしたスペースである。しかも特等船客用には専用のスペース「オステンド」が設けられている。
 レストランは飲み物から料理、デザートやフルーツに至るまで、ずらりと色々並べられていて各自好みの品をトレーに取るカフェテラス方式で営業されている。メインディッシュは皿にメインの料理と付け合せのパスタ&ミックスベジタブルを盛り付けた見本が展示されていて注文すると、その度に盛り付け電子レンジで暖めて供される。刺身や焼き魚、唐揚げや焼き鳥、サラダ、明太子や漬物、それにご飯に味噌汁などなどと結構種類は多い。
 けれどもいずれの品も、どうも特に食指が動くというほどの代物ではなさそうだ。特にメインディッシュの料理は冷凍の食材を利用しているのだろうか贔屓目にもあまり美味しそうではない。が、選択肢が多いわけではないのでエビフライと焼肉を盛り付けたものを注文した。それに美味そうに見えたカンパチの刺身、ご飯と味噌汁、漬物のキムチ。味は見た目の感じそのままに可も無く不可も無く。まぁファミリーレストラン並といったところか特筆には値しない。美味そうに見えたカンパチの刺身も、まぁまぁと言ったところであった。
 レストランの一角に特等船客専用の「オステンド」があった。料理が並べられたカウンターから近くの一般レストランとは別室になった一角で四人がけのテーブルが五つ、それに壁際にソファ席を設けた五〜六人用の席が二つ。テーブルにはクロスも掛けられていて、確かに一応、体裁を整え独立しているので落ち着いてはいるが、これも、さして特筆に値するほどではない。

写真 船内レストランのコーヒーは注文ごとにたててくれるレギュラーコーヒー、唯一これは香り高い
 食後にはコーヒーに限る。小生の場合は特にコーヒー好きで、コーヒーなくして片時も過ごせないタチなのだが得てして定期航路の船舶のレストランでは美味しいコーヒーにありつけないのが常である。それでも食後にはとにかくコーヒーとばかりにカウンターへ行きコーヒーは何処にあるのかと尋ねると
「直ぐにおたてしますから、ちょっとお待ちください。」
 と言う。つまり、たてたてのレギュラーコーヒーを飲ませてくれるわけである。一瞬、嬉しくなった。(笑)
 しかも代金をキャッシャーで払っていると係のお嬢さんが何と
「お席にお持ちします。」
 と言ってくれる。何処の席にいるのかも尋ねることも無い。席に戻ると間もなく、お嬢さんが、自らたてたてのコーヒーを持ってきてくれた。これには感激!
 いまいちの料理、それでもゆったりと瀬戸の海を眺めながらの夕食は心地のいいものである。とりわけ期せずして香り高いコーヒーにありつけ夕食のひと時は想いのほか心地よく過ぎた。隣の席では家族連れが料理の皿をテーブルに盛り上げワイングラスを傾け合っていた。やがて行く手には明石海峡大橋が見えてきた。やがてコーヒーを飲み干す頃には明石海峡大橋を通過していた。

●再びデッキへ
 レストランを後に、売店で部屋に持ち帰るスナック菓子と飲み物を購入し、再び、まだ薄明かりの残るデッキに出た。

写真 大阪南港を出港して新門司港を目指す名門大洋フェリーが背後から併走してくる光景

写真 やがて夜の帳が降り始めると凪いだ瀬戸の海は満月の月明かりを滲ませてていた。右の画像は実は綺麗な満月なのでした!(笑)


 大阪南港フェリーターミナルを出港し新門司港を目指す名門大洋フェリーが後を追ってきた。黄昏に輝いていた瀬戸の海は満月の月明かりに照らし出され始める。

●船室に戻る
 部屋に戻り、ゆったりと入浴&シャンプー、すっきりさっぱりすると浴衣に着替え部屋の明かりを消しフロントビューの大きな船窓二つのカーテンを開く。行く手に夜の瀬戸の海の眺めが広がる。瀬戸内海は行き交う船が多いのは航路の多いことからして当然であるが、その上に好漁場にも恵まれている精で漁に勤しむ漁船も多い。静かな大海原と言うには程遠い賑やかな夜の海の光景が次々と巡ってくる。
 船旅を満喫できるときでもあり退屈などすることは無い。やがて前方に小豆島の島影が見え始める頃からは航路を横切る小豆島から高松などを行き交う航路のフェリーの船影が見受けられるようになる。小豆島を背にすると三角おにぎり方をした大槌島を前方に見る頃には本州から高松などを行き交うフェリーなどが頻繁に行く手を横断していく。
 やがて瀬戸大橋を通過すると左舷側に丸亀辺り、右舷側に本島、牛島、広島などの島影を次々に見送りながらいつしか夜がふけて行く。瀬戸の海の夜景を肴にゆったりとまどろむうちに左舷側には四国伊予西条辺りからの町並み明かりが見え始める頃。程なく前方にはしまなみ街道を遠望することができる。
 すっかり夜もふけた真夜中、間もなく今治港に入港する頃である。

 

●第二日目 大分港から別府へ、別府から阿蘇へ、そして豊後竹田を巡り・・・

●→00:30今治港01:00→06:00大分港
 ベッドに横たわり、ちょっとまどろむうちに何時しか今治港に入港していた。その後の記憶はもはや定かではない。程なく夢の中をめぐっていたようであった。
 熟睡して目覚めたたのは確か五時前頃であったが既にカーテンの隙間から見える空はすっかり夜明けを告げていた。暫くしての大分入港を告げる船内放送は定刻06:00入港を告げていた。おもむろに起き上がりカーテンを開いた船窓から眺める前方間近には既に大分港が迫っていた。
 定刻06:00大分港に垂直に直進して入港した<スターダイヤモンド>は着岸した。

写真 左:大分港に入稿した<スターダイヤモンド> 右:大分港連絡橋から別府方向を望む
 下船時に案内所で時刻表を見せてもらい日豊線の上りの時刻を確かめると西大分駅発06:18の普通列車があった。ひとまず港から徒歩四分のJR最寄駅西大分駅へ向かうことにした。

●大分港から
 港に降り立つ。とりあえず昨夜には阿蘇へ向かうにはJRで大分から豊肥線で向かうか別府からの定期観光バスに乗ろうかと迷いながらも、往路にやまなみハイウエイをめぐり帰路にJRで豊後竹田に寄ろうと何となく、ようやくにして決めていた。いずれにしても阿蘇に向かう別府からのバスまでには二時間余りも時間がある。
 ゆっくりとすがすがしい朝の空気を吸い込みながらターミナルビルを後にしてひとまず国道に出てバス停を探す。西大分駅に至る交差点に立つと右手前方にバス停が見える。信号を渡りバス停に向かう。時刻は06:10、バス停の時刻を見ると次のバスは06:40頃、まだ三十分余りもある。何も無いバス停で三十分も待つのは少々気に入らない。で、西大分駅へ向かうことにした。昔の面影をそのままに残した木造瓦葺の駅舎であった。駅舎に入り辺りを見回すが乗車券売り場跡らしきところに人影は無く営業している様子も無い。乗車券発売窓口は見当たらない。時刻表を眺めながら辺りを見渡すと改札はホームにあり、そこで乗車券を購入するようにと案内が記されていた。
 バス停に寄道していたので日豊線上りの普通列車の時刻06:18は間近に迫っていた。連絡陸橋を渡りホームに降り立つと列車が入線して来た。改札口には乗客が一人乗車券を購入していたので車内で購入すると係の人に言い改札を通過、普通列車に乗り込む。間もなく発車、途中、高崎山の下のトンネルをくぐり別大国道沿いに右手車窓に別府湾を眺めながら東走する。

●別府にて
 
東別府駅を経て十分後には別府駅に到着。バスは08:20なので、まだ二時間近くも時間がある。ひとまずバスの発車場所を確かめようと観光案内所を探すが、まだ開いてはいない。
 みどりの窓口で尋ねてみると
「そんなバスは知らない。」
 と言う。仕方ないので産交バスの電話番号をメモして電話を掛ける。電話の向こうでは留守電が
「案内所の営業は午前九時からです。」
 これまたそっけない。神戸でもそうであったが、どうも今回はバス乗車にはちょっと苦労する感がある。分からないなら自分で探すほかは無い。駅の裏側にはバス停が並んでいたので、まずそちらを見て回るが、それらしき表示は見当たらない。駅表に出てみると左手にバスターミナルがあるが市内の路線バスばかりの様子で、こちらにも見当たらない。
 そのバスの運転手さんに訪ねてみると
「北浜のトキハ百貨店の前からではないか」
 と言う。側に居たもう一人の運転手さんが、やっと知っていて教えてくれた。
「産交バスなら直ぐそこのバス停からだよ。」
 と駅前の道路を指差しながら教えてくれた。

写真 左:別府駅 中:ようやく見つけた九州横断バスの別府駅前バスストップ 右:バスストップ向かいの駅前温泉
 とりあえずバス停を確認しようと駅前の道を少し下った。バス停は直ぐに見つかった。目の前には三十年以上も前の貸すな記憶の中にあった駅前温泉があった。
 一安心して再び駅へ戻る。のんびりゆっくり朝食をと思ってのことであったがまだ時刻は午前七時前、レストランや食堂街の店は何処も準備中の看板ばかり。待合室のベンチに腰掛け缶コーヒーでモーニングブレイク。程なく向かいの喫茶店が営業をはじめた。その喫茶店へ入りモーニングセットを注文。コーヒーにトースト、ミニ野菜サラダにハムエッグ。500円也の豪華さ。(笑)
 のんびり食している間に程よい時間となる。いつも不思議に思うことなのだが旅先での乗り変え時間は二時間もあれば退屈するではないかと心配するのだが、ちょっと食事でもしてからと思うなら不案内な場所では乗り継ぎの確認をしたりちょっと辺りをきょろきょろするとかで直ぐに時が過ぎてしまうものである。ましてや今回のようにバスの場合は発着場所を確認することにも結構時間を要するもので結果的には退屈するほどの時間はなくなってくるものである。
 再び戻ったバス停ではもう二十分前となっていた。市内の路線バスが次々と通過していく。やがて向かい側の車線を長崎・熊本・別府と車腹に書いたバスが通過した。運転手が会釈している。待ち合わせていた登山姿の初老の男性と顔見知りのようであった。

●別府から、九州横断バスでやまなみハイウエイを経て阿蘇へ
 駅前のロータリーで方向を転換してきたバスが目の前に停車した。乗客はその男性と小生のみ。定刻08:20別府駅前のバス停を発車したバスは別府北浜バス停を通過、別府観光港バス停を通過。その後、九州横断道路の向かい鉄輪の温泉地獄の中を通過して山手に入り別府ロープウエイ前を通過。通過したバス停には当然に乗客は居なかった。
 城島高原を通過して由布院へ向かう。右手に由布岳を見ながら程なく前方に由布院の町を見下ろす。バスは曲がりくねる山腹の坂道を由布院の町に向かって行った。湯布院は昔は別府温泉の奥座敷と言った趣でのひなびた湯治場であった。昨今では国際的な映画祭などが催されたり様々なイベントが繰り広げられる人気の観光地と化している。訪れる人たちも昔の比ではないらしい。
 由布院では熟年のご夫婦、お元気そうなおばちゃまグループ、若い女性のグループなど十人余りの乗客が乗り込んできた。運転手さんは乗り込む乗客ごとに行き先を尋ねメモしていた。ここから乗り込んだ乗客たちはその殆どが熊本あるいは長崎への乗客であった。
 由布院の町を後にしたバスは再びは曲がりくねった山腹の道を登り峠に差し掛かる。峠の上の三叉路は右手に行くと中津へ至る国道で左手ていくとやまなみハイウエイに通じている。ばすはやまなみハイウエイに向かった。
 間もなく09:29小田の池に停車。ここでは時刻表では二分の停車時間となっているのだがコーヒーが美味しいとかで、きっと運転手さんが飲みたかったのだろうと思うのだが雄に五分間は停車していた。

写真 横断道路途中、小田の池の駐車場でのバス
 小田の池を発車したバスは左手に山下池、小田の池を見送りながら、やまなみハイウエイを一路行く。やがて長者原の里を抜け飯田高原を行く。おぼろげな記憶の中に蘇える草原の広がる風景とは少々趣が異なっている様子。さもありなん既に三十年余りを経過している。草原であったはずの辺りには背の低い樹木が茂っていた。
 程なく行く手前方左に荒涼とした硫黄山が視界に入る。やがてバスは九重登山口に停車。ここでは九重登山を牧の戸峠から目指す登山客のグループが乗車してきた。バスは再び曲がりくねった坂道を登り牧の戸峠を目指す。山肌に這うようにミヤマキリシマの赤紫の花が咲き始めていた。
 牧の戸峠を巡り登山客を下ろしたバスは、なだらかな上り下りを繰り返しながら草原地帯の広がる瀬の本に差し掛かりレストハウスでトイレ休憩。
 不思議なバスである。九州横断の定期運行の観光バスなのだがガイドは居ないワンマンカーで要所要所では録音されたガイドの音声が流される。その合間には運転手さんがガイドをかねているのか、あれこれ乗客に気遣いながらおしゃべりしてくれる。このバスは阿蘇山と熊本を経由して有明海を島原半島へフェリーで渡り長崎へ向かう長距離路線である。途中、一部熊本空港から熊本までの間を除く区間では、どの区間でも区間乗車も可能となっているので路線バスの役割も兼ねているようでもある。


写真 瀬の本を超えると間もなくバスの前方には阿蘇が見える
 瀬の本を発車したバスは程なく前方に阿蘇五山を遠望しながら上り下りを繰り返し八本松、白木山をへて外輪山を超えて行く。やがて曲がりくねった急な下り坂を巡り宮地駅前を目指す。カルデラの中に下りきったバスは程なく宮地駅バス停を客が居ないので通過、そして阿蘇駅へ。
 阿蘇駅では阿蘇山を経由して以遠へ向かう乗客たちに火口見物をすれば食事時間がなくなるために昼食の弁当予約を受けていた。運転手さんもあれこれと忙しそうだ。阿蘇駅にはバスの営業所があるので、注文を受けた弁当の数は営業所へ連絡して阿蘇山西で弁当を受け取れるように手配するらしい。
 バスは約十分の遅れで阿蘇駅を発車した。

写真 阿蘇を登るバスの車窓からの外輪山
 阿蘇駅を後にしたバスは間もなく阿蘇山噴火口に向かう登山道に入る。森を抜けると一気に視界が広がり車窓からは雄大な外輪山が一望できる。

●阿蘇山にて
 阿蘇山西(ロープウエイ乗り場)には定刻11:27着に遅れること十分余り11:40に到着。別府から阿蘇山西間バス料金4,500円。料金は大分からの路線バスやJR運賃の倍、JR特急よりもやや高い上に所要時間は倍の三時間余りを要するのだが行程の眺望はその比ではない。車窓の眺めを楽しむならこのバスに限る。
 阿蘇山西で下車すると、そこは中岳の噴火口に上るロープウエイの乗り場のあるビルであった。腕に腕章をつけたガイドのおじさんが待ち受けていて
「やまなみ2号のお客さんはこちらへ・・・。」
 と誘導しながら口早に色々と説明をはじめていた。その話に寄れば今しがたまでは噴火口の風向きの状況が悪く噴火ガスが漂っていて見学禁止となっていたのでロープウエイは運行されていなかったらしい。今、運行は再開されたばかりで上には上れるが、まだ噴火口には近寄れないとのことであった。
 しからば慌てて上に上がることはないとまずは昼食にすることにした。レストランの前のサンプルボックスの中には色々な料理があった。長崎ちゃんぽん、熊本牛の鍋焼きのようなもの、大分のだんご汁定食などなど。大分から来たのであるから、と言うわけでもなかったが小生は「だんご汁定食」を食した。大分名物のだんご汁とは豚汁に小麦粉のだんご(やせうま)を入れたものと思えばいいだろう。それにアジフライと高菜の漬物、味噌汁にご飯がセットの定食で950円。これまた可も無く不可も無く特筆には値しない。
 食して後、ロープウエイの乗り場に並ぶ人たちが行列を作っていたので乗車券売り場で尋ねてみると噴火口まで行ける状況になってきているとのことであった。早速、乗車券をゲットして行列に並ぶ。雄に百五十人くらいは並んでいたように思う。乗車は一度に百人程度らしく入り口でカウントしている。何とか小生は積み残されずに乗り込めたがすし詰め状態。上の駅までの距離858m、所要時間四分、最大乗車人員91名、四線交走式。料金は片道410円、往復820円。
 上の駅に着くと辺りには硫黄のようなきな臭い匂いが漂っていた。

写真 大阿蘇「中岳」の噴火口
 【阿蘇山】 (あそさん) 最高峰「高岳」の標高は1592m。
 熊本県と大分県にまたがるA級活火山で、安山岩からなる二重式活火山。太古より4回にわたって火砕流を九州中部一帯に流しつづけ、これによって形成されたカルデラは東西18km、南北25km、周囲90kmにもおよび、世界最大級であるといわれる。
 中央火口丘群をなす根子岳、高岳、中岳、杵島岳、烏帽子岳を阿蘇五岳と呼ぶ。中岳は有史以来、現在でも噴煙を絶やしたことがない。また最高峰の高岳山頂は岩屑が堆積していて、周囲にさえぎるもののない展望には、外輪山の連なりをはじめ四方にそれぞれの山が望める。

写真 噴火口

写真 噴火口周辺 左:柵の向こうの噴火口を見入る人たち 中左:風向を示す吹流し 中右・右:噴火口周辺の随所に設けられた避難豪
 ロープウエイの上の駅はさながら避難豪の様相を呈している趣で何ともいかめしい。避難豪の出入り口のような駅舎の出口を出ると徒歩ほんの数分で噴火口に至る。噴火口まではなだらかな幅広いスロープが舗装されて整備されているので何なく至ることができるが噴火ガスが漂っているのは明らかで異臭が鼻を突く。
 駅舎のスピーカーからは
「心臓の悪い方や気管支に障害のある方は噴火口へは近づかないように・・・。」
 と繰り返し注意をたしなめていた。最近では平成5年に噴火したそうで、それまでも幾度も噴火していて、その度に観光客に死傷者が出ているとのことであった。そのために非難豪が整備され噴火口周りの随所に設けられていた。噴火口には吹流しが掲げられていて刻々と変わる風向きも常時観測されているようであった。
 いわゆる毒ガスが漂っている上に常に噴火と言う危険性を兼ね備えた地の胎動を髣髴とさせる活火山なのである。その眺めはさすがに世界一と称するA級活火山大阿蘇にふさわしい趣で勇壮そのものである。地の胎動を間近に体感できるこんなすさまじい光景は何はともあれ確かに一見の価値はあるようだ。
 バスの運転手さんの話に寄れば、快晴でも風向きによっては近寄れないので見られないこともあり、降雨量も多くこんな快晴に恵まれる日は殆ど無いから今日噴火口を見られればかなりの幸運だと言うことであった。が、幸いにして、その幸運に恵まれた次第である。お気の毒だが同じバスで以遠へ向かう途中に噴火口を見ようと立ち寄った人たちはほんのわずかな時間差で残念ながらこの光景は眺められなかったようであった。
 小生は阿蘇は三度目、噴火口は四十年前に修学旅行で訪れいて以来二度目であったが幸いにして二度とも快晴の噴火口のすごい光景を見ることができたことになる。

写真 大阿蘇「中岳」の噴火口に至る阿蘇山西からのロープウエイのあるパノラマ

写真 阿蘇山西付近の山腹にはミヤマキリシマが咲き誇っていた。
 好天と幸運に恵まれ大阿蘇の雄姿を目の当たりに見た満足感を抱きながら、毒ガスにやられても困るから噴火口の光景は程ほどに下るバスの時刻もあるので早々に退散した。
  大阿蘇「中岳」噴火口を見上げるパノラマの中にロープウエイは通じている。阿蘇山西ロープウエイ乗り場の辺りは標高1000mを超えている。雄大な大阿蘇山腹に咲き誇るミヤマキリシマの光景は素晴らしい。下りロープウエイにも大勢の人たちが行列を作って待っていた。待つこと暫し下りのロープウエイは満杯の客を乗せ下山した。通常は十五分間書くと案内にはあったが時刻表があるわけではなく臨機応変に運行しているようであった。
 駐車場には乗車予定の13:08別府へ向かう横断バスが既に駐車していた。このバスに区間乗車し阿蘇駅に向かう。まだ少し時間に余裕があったので駐車所の端からロープウエイのあるパノラマ風景と山腹に咲き誇るミヤマキリシマをカメラに収めた。
 定刻13:08バスは乗降口に向かって来た。先に乗車してきた乗客を先に乗せたバスに最後に乗車するとバスは直ぐに発車して阿蘇山を下る。バスの車窓から、なだらかな草千里を見送り、米塚と称されるお米を盛り上げたような綺麗なな円錐形の小高い山を巡り、再び広大な外輪山の光景を車窓にめぐらせながら曲がりくねった坂道を降りて行く。間近の草原にも、ところどころに放牧されている牛たちがたむろしている。黒い毛の牛は肥後牛、茶色の毛の牛は豊後牛であるらしい。
 バスは13:35阿蘇駅着。阿蘇山西から阿蘇駅の料金は540円。

●阿蘇からの帰路はJR豊肥線で豊後竹田経由で

写真 JR阿蘇駅
 阿蘇駅はのどかな高原駅。西大分までの乗車券2.070円(乗車券は別府まで同額)と豊後竹田までの特急券600円をゲットして待つこと暫し。定刻14:00特急あそ3号に乗車。車中では車内販売でゲットしたコーヒーでひとときをくつろぎながら阿蘇を後にして車窓に迫る杉の森を巡りながら豊後竹田に向かった。
 曲がりくねった道を上り下りしながら雄大な高原地帯を巡ってきたのだが、今度は、この豊肥線では阿蘇駅を発車すると間もなく外輪山にさしかかりいくつかのトンネルを潜ると山裾を巡りながら谷間を縫っていく光景に変わる。阿蘇駅から暫くの間は雄大な阿蘇の姿が暫く眺められると期待していたのだが、この期待ははかなくも簡単に打ち砕かれていた。車窓の両側には杉木立ばかりが目立つ森の中を走行していたような感じであった。
 車内は乗客もまばらでゆったりとしているのは救いであった。

●豊後竹田にて

写真 JR豊後竹田駅 左:優雅な駅舎 中左:ホームから見上げる落門の滝 中右・右:カボスのベンチと停車中の特急あそ3号
 豊後竹田14:40到着。プラットホームに降り立つと、さすがは豊後竹田、瀧廉太郎の「荒城の月」のメロディーが流れていた。ホームからは落門の滝が頭上に迫る。豊後竹田は清流に沿って谷間に拓けた山里。確か数年前には大洪水に見舞われていた町である。古城と瀧廉太郎、近代日本画壇の巨匠田村竹田と共に水郷の町としても知られている町である。
 ホームから階段を下りると線路を潜る地下通路から改札口に至る。改札で途中下車の検印を受けコインロッカーに不要の荷物を入れ身軽になって傍らの観光案内所へ行った。窓口から覗き込むと出てきた熟年の男性が親切に色々と町の事を教えてくれる。やはり見所はまずもって古城、岡城跡だということらしい。お城までは徒歩約十五分程度、見学には三十分程度あれば大丈夫との話しであったから、帰路の普通列車まで一時間余りあるので調度ほどよい時間であるから、まずは岡城後を目指すことにした。
 ただ、地方での案内は得てして、直ぐそこだとか、近くだとか言われても一概に信じがたい一面も否めないのが経験則であった。で、ひとまずはタクシーで向かうことにした。確かにタクシーはわずかに五分余りで到着したが到底歩いて十五分程度とは思えない距離であったように思う。上り坂もあったからタクシー利用は無難であったようだ。
 タクシーを降りると目の前に入場券売り場のしゃれた小屋があった。入城料金三百円也を支払うと木の芯を有した絵巻物状カラーのパンフレットと「登城手形」と記されたしおりを手渡してくれた。それを手にお城に向かう。その通行手形を何処でチェックしているのだろうかと思いながら路を行くうちにお城に至る坂道に至った。

写真 岡城跡 左:坂道の始まり 中左:城跡から展望できる眺めを記したパノラマ解説 中右:本丸跡へ向かう石段 右:空に向かって生い茂る樹木
 【岡城】 (おかじょう)1185年(文治元年)、緒方三郎惟栄が源義経を迎えるために築城した。
 海抜325mに位置する平山城式の城。別名「臥牛城」とも言われるこの城が現在ほど有名になったのは、名曲「荒城の月」によるところが大きいと思われる。1185年(文治元年)築城から後、志賀貞朝が入城して以来十七代二百六十年間に渡り統治した。大友氏による朝鮮出兵の失敗により志賀氏は去り、代わって中川氏が明治ニ年の版籍奉還まで十三代二百七十七年の間統治。明治四年十一月から翌年春にかけて城は城壁の一部を残して取り崩された。明治二十五年、瀧廉太郎が竹田尋常小学校に転校し、好んで遊んでいた頃の岡城は荒城そのものであった。これから名曲「荒城の月」が誕生することになった。
 昭和十一年十二月十六日に、国指定史跡に指定されている。


写真 岡城跡本丸跡から九重連山の眺望

写真 左:九重連山を背にして佇む瀧廉太郎の銅像 右:石垣の縁から身を乗り出して撮影した眼下、現実には50mあろうかとも思われるすさまじい恐怖感を伴う眺め

【荒城の月】 作詞:土井晩翠 作曲:瀧廉太郎

 春高楼の花の宴 めぐる盃影さして 千代の松が枝わけいでし 昔のひかり今何処

 坂道から急な坂を登ると前方には石垣がそびえている。天に突き出している様相である。坂道は途中で急な石段に変わり、やがてお城の入り口に差し掛かる。すごい傾斜である。息を切らしながらようやく上りきると平坦な地に至った。順路標識は路傍にある。それに従い進むと、また石段がある。そしてようやく本丸跡に到達する。
 瀧廉太郎の「荒城の月」の舞台、岡城は今は荒城ながらその壮大さに驚く。山上に組み上げられた堅固な石の城壁は見事、その昔、難攻不落と称されたのも頷ける思いがする。
 さすがに城跡と言われる通り石垣ばかりの荒涼とした城砦の感であるが真新しく復元した建物が築かれているよりは印象は鮮烈である。そびえる城壁で囲まれた山上の平坦な建物跡には順路になる散策路は整備され随所に休憩所などは設けられてはいる。が、そのすさまじい城壁の石垣の上には手すりや防護壁などは何も無い。自らの身は自らで守れと言わんばかりである。
 観光開発には色々な手法はあると思うがこのように、その趣を適度に残した自然と融合した在りし日々を想像させるような保存と公開の有様にはきわめて好感を感じさせられるものがあった。
 今時期は一面が緑に囲まれた美しい芽吹き時期の光景であるが、きっと四季折々に見るものの心に共感を覚えさせる情景がめぐるであろうことを思わせる佇まいである。在りし日の瀧廉太郎がかの「荒城の月」の舞台とした頃、幾たびも彼が訪れた頃の情景は、きっと正に荒涼とした荒城そのものであったに違いなかったのであろう。と思えば、あの旋律と共に時の彼方に思いを馳せた昔のひかりの華やぎが浮かび上がってくる。
 澄み切った空の彼方に九重連山を背にした瀧廉太郎の銅像は今にもそんな思いを語りかけてくるかのようにじっと九重連山を眺望するわが身を見詰めていた。
 大阿蘇の噴火口の荒涼とした光景と、この人の手によって築き上げられ、そして朽ち果て、今にその城跡だけを残す岡城の静けさが妙に脳裏で交錯していた。
 思い立った船旅の途次で大自然のゆるぎない営みと、地と汗の滲む人々の営みの痕跡を今に残す城壁のすさまじい光景に出会った感激は何時までも永久に脳裏に焼きつき我が心に刻み込まれるに違いない。そんな思いを抱きながら来た道を戻った。

写真 岡城会館での感激のコーヒーと手作りおにぎり各300円
 難攻不落の岡城を征服してふもとに戻ってくるとひとときくつろぎコーヒータイム。岡城会館と言うレストハウスがあって二階に広々としたレストランがあった。コーヒー&おにぎりをゲット。このコーヒーが香り高くさっぱりとして美味い。どうやら竹田の名水でたてた精なのであろう。同様にと言うべきか、手作りのおにぎりがこれまたことのほか美味かった。
 おにぎりの形状が変なのは齧りさしだからなのだが、常に美味しいものを前にするとついついカメラに収める前にお腹の中に収めてしまう習性の常の結果に他ならない場合が多いのだが、今回はどうも食い気には恵まれていなかったので、齧り始めて期せずしてありつけた望外の美味さにカメラに収めることとなった次第である。
 タクシーを呼ぶと、ものの五分と要せずに迎えにきてくれた。たまたま来るときの運転手さんと同じ人だった。
「ちょっと街中を回って行ってください。」
「はい、はい。充分に間に合いますから・・・。」
 と快く頷いてくれ、武家屋敷後、瀧廉太郎記念館、廉太郎トンネル、御客屋敷などを巡り駅まで送ってくれた。

●大分経由西大分へ戻る
 豊後竹田16:24発の普通列車は二両連結のワンマンカー。入線を間近にすると「荒城の月」の旋律がホームに響く。特急車両とほぼ同様のロマンスシート席はゆったりとしていて気持ちがいい。全ての普通列車がこういうわけではあるまいが、まぁ運がよかったと言うべきであろう。
 竹田駅を発車した列車は谷間を巡りながらやがて広がる川沿いを走り、のんびり高原地帯を行く。何時しか平坦地に至った列車は大分市街地に入っていた。一時間余り豊肥線を走行して大分駅に至る。豊肥線に別れを告げ大分駅からは日豊線を別府に向かう普通列車は17:44西大分駅に到着した。

写真 JR乗車券
 乗車券は別府駅までとなっているので西大分駅では途中下車扱いとしてもらい記念に阿蘇駅、豊後竹田駅、西大分駅のスタンプを受けた乗車券は持ち帰った。こうして大分港から別府、阿蘇、豊後竹田を巡った九州上陸一日の旅は終わった。
 船内レストランの食事は期待し難かったので何か美味そうな食材を買い求めて乗船しようと西大分駅界隈でちょっと辺りを見渡してみるが何も無い。仕方なくターミナルビルに向かう。

●大分からの復路は再びダイヤモンドフェリー<スターダイヤモンド>に乗船

写真 左:大分港の<スターダイヤモンド> 右:乗船券、右は往路の乗船券で復路5割引の照明スタンプが押されている
 ターミナルビル内の売店にはみやげ物などを売ってはいるが食指の動きそうな弁当なども無いので何も買わずに船内レストランでの夕食を取ることにして発券窓口へ。
 ターミナルビルの二階にある発券窓口で往路の乗船券を示すと復路は50%割引となる。復路は特別室を予約していたので難なく特別室乗船券をゲット。記されていた船席は特別室2つまり左舷側である。
 往路と同様の<スターダイヤモンド>である。船室に落ち着くと間もなく出港した定刻18:40。一風呂浴びさっぱりしてからレストランへ夕食を仕込みに行く。鶏の唐揚げ、ビーフシチューなどをゲットして船室にも持ち帰りのんびりくつろぎながら夕食を取る。
 前方に別府湾の眺めが広がり左手に国東半島、右手には佐賀関の岬が突き出している。やがて右舷前方には四国の佐田岬が視界に入ってくる。周防灘には夜の帳が下りようとしていた。満腹になると眠気を催すのは人の常ではあるが、今日は阿蘇山を巡り、豊後竹田では期せずして難攻不落の岡城を陥落した。くたびれたぁ・・・!
 ちょっとベッドに横になろうと横たわった後、間もなく後はおぼろ。
 ふと目覚めた時には既に松山港に入港していた。定刻22:10松山港であるはずだからそれ以降の時刻であったのであろう。その後、再び間もなく何時しか夢の中に落ちていた。松山港出港は22:40であるから、それまでに再び深い眠りに就いていたに違いない。次にすっきり目覚めたのは真夜中一時過ぎであったのだろうかと思う。前方には瀬戸大橋が遠望できている頃であった。バスタブに湯を満たし真夜中の風呂にゆったりのんびり浸る。湯上りの船窓の景色の中には左舷近に瀬戸大橋を通過して間もなくの大槻島を見ていた。左舷側には高松の町並みの夜景が遠望できていた。
 ゆったりゆったりのんびりまどろむ。何時しか時が流れ午前三時過ぎ。三度、就寝。

 

●第三日目 早朝神戸港へ帰着

●→06:50神戸港

写真 <スターダイヤモンド>特別室フロントビューの船窓から間近に迫る神戸港
 次に目覚めたのは間もなく神戸入港を告げる船内放送であった。時刻は06:25、定刻は06:50だが五分早着くを告げていたから入港間近二十分前のことであった。急いで起き上がり身支度を整えあわただしく下船準備。フロントビューの船窓には神戸港が間近に迫っていた。
 案内所のお嬢さん部屋のドアをノックする。
「おはようございます。」
「はい。」
「お疲れさまでした。間もなく入港します。お部屋のキーを頂戴に伺いました。」
 キーを渡すとにこやかに微笑んでいた。
 我が<スターダイヤモンド>は船内放送の案内の通り定刻より五分早く06:45に神戸港六甲アイランドフェリー乗り場の岸壁に着岸した。昨夜は冷蔵庫の缶コーラをひとつ飲んでいた。金額は160円、伝票に記載すべきなのだろうが既に筆記具などを仕舞い込んでいた。添えつけの筆記具は無いので、まぁ、よかろうと記載しないままに下船時に案内所に立ち寄り白紙の伝票を代金を添え手差し出す。
「筆記具がありませんでしたので記入していませんがコーラーをひとついただきました。」
「そうですか、ありがとうございます。」
 相変わらず表情は穏やかなお譲さんが笑みを浮かべながら受け取る。どうやら小生は最後の下船客となっていたようである。折り返しの階段ではクリーニング部隊のおばさんたちが早くも駆け上がってきていた。それぞれに会釈を交わす。クルーをはじめとした従業員に対する接客に関する教育はかなり行き届いているように見受ける。
 ずんぐりむっくりとした船型、とりたてて華やかさもきらびやかさもなく豪華でもない何の変哲も無い船内各所に船室、それに格別にグルメチックでもないレストラン。いずれも可も無く、不可も無く何ら特筆に値すべき個性はないように見受けられる全体的な印象の船であるのだが不思議に納得できる趣が漂っていた。

●下船。連絡バスの最後乗客として乗り込みアイランド北口で下車。

写真 左・中:連絡バスのアイランド北口バスストップ 右:六甲ライナー車窓からの神戸港六甲アイランドフェリー乗り場遠望
 アイランド北口からは六甲ライナーでJR住吉駅へ向かう。バスで戻るのもいいのだがライナーなら渋滞の心配がない。アイランドから渡る鉄橋からは六甲アイランドフェリーターミナルが遠望できる。道路橋越しに乗船してきた<スターダイヤモンド>の接岸風景が遠望できる。
 好天に恵まれ航路は瀬戸の海も周防灘も殆どなぎの状態で大きな揺れを感じることは皆無の状況であった。高原を巡り阿蘇の中岳に勇壮な噴火口を見て、山裾を巡り谷間を辿った行程でも爽やかな五月晴れの清々しい風がそよぐ絶好の旅日和であった。

 こうして旅の終わりを迎えた今回の「思い立っての船旅」は、神戸を起点としたダイヤモンドフェリー神戸・大分航路往復での<スターダイヤモンド>特別室初乗船で瀬戸内海から周防灘を行く船旅となり、九州に一日上陸で別府から阿蘇、豊後竹田を巡る船中二泊三日の旅となった。

 

●余談 印象を一言で評するとすれば、それは「無難」の一言に尽きるダイヤモンドフェリー
 定期航路の船舶内でのサービスは運行会社ごとに大いに異なる。船室にその会社の考え方が漂うものである。このダイヤモンドフェリーはかなり合理的な考え方に徹している様子が伺える。可も無く不可も無く、まぁこんなものかと言った感じの印象を抱く。と上記中に記しているのだが・・・。
 ダイヤモンドフェリーで感心した印象は正に可も無く、不可も無くの無難な印象であった。同社のHPを見ていても同様の印象を受ける。移動目的の乗船客にとってはそれなりに納得できるサービスを提供しているとは思えるが、小生のように乗船目的の物にとってはちょっと物足りない感じは否めない。
 けれどもダイヤモンドフェリーは終日なら毎日ニ便は大分まで、さらに一便が今治を往復している。これは思い立っての船旅には何とも都合のいい航路である。これからもたびたびお世話になるであろう航路である。

 

■後日追記 2002年 春 5月末
 <スターダイヤモンド>特別室のベッドの印象を書き忘れていました。ベッドの高さはちょっと低めで落ち着いてとても具合がいい。某Oフェリーさんの特別室のベッドにはマットレスの上にそのまま直に白いシーツが掛けてありいつもマットレスのボタンの違和感に悩まされているのですが、こちらダイヤモンドフェリーのベッドはとても感触がよかったのでシーツをめくって覗いてみました。なんと、さすがは合理的に徹しておられるようで、こちらに別途パッドは見当たりませんでしたが、ちゃんと代替品毛布(多分不要(あえて使い古しとは申し上げません)の毛布を転用されているか?)が敷かれていました。枕もとても硬さも高さも適当で感触がよく熟睡できます。
 某Oフェリーさんの名誉のために追記しておきますが、シーツの下には何も敷きこまれていませんが予備の毛布はちゃんとロッカーに常備されているので自分でこれを敷きこめば同じ感触です。運動不足も解消します。(笑)

■後日追記 2002年 初夏 6月初旬
 上記中で「そして、何故か食事メニューを記したプレートが置かれていた。ルームサービスでもしてくれるのであろうか? うっかり、今回はこの件について案内所で尋ねるのを忘れていたが、次回、乗船機会に恵まれたときには確かめてみようと思っている。」と記しました不思議なメニュープレートの件、気がかりでしたのでダイヤモンドフェリーにメールで尋ねましたところ早速丁重に、お返事を頂戴しました。
 
「当社では、ルームサービスは行っておりません。レストラン案内の為に置かせて頂いております。」
 との、お答えでした。

 

@Aダイヤモンドフェリー  九州産交バス・九州横断観光バス  阿蘇山ロープウエイ  六甲ライナー

 

2001 H13
■FR−015■  ■FR−016■  ■FR−017■  ■FR−018■  ■FR−019■  ■FR−020■  ■FR−021■  ■BANGAI-2001■
2002 H14
■FR−022■  
■FR−023■  ■BAGAI-2002A■  ■BANGAI-2002B■ 
■ORANGE ROOM■
■FR−024■  ■FR−025■  ■FR−026■  ■FR−027■  ■FR−028■  ■FR−029■

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