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瀬戸内海 大阪→東予→新居浜・丸亀←→広島・丸亀→本島→牛島→本島→丸亀・新居浜→東予→大阪航路 付録:大阪港天保山岸壁に<Regal Princess>見物


写真 本島から丸亀へ向かう<まるがめ>船中から瀬戸大橋に差し掛かる新居浜発12:50大阪行き第二便<おれんじ7>

2002年 早春 やっぱりオレンジフェリーで新居浜へ、広島・本島・牛島巡り・・・

                      

●航海 往路・瀬戸内海 途次・広島航路&本島・牛島航路 復路・瀬戸内海
@★★★★★ 往路 大阪→東予→新居浜 四国開発フェリー=オレンジフェリー<おれんじ7>特別室左舷側420号室 夜行便
 総トン数:9,917.00 主機関:27,000馬力 航海速力:22.5ノット 旅客定員:750名 積載可能車両数:トラック139台 就航年月日:1994.3.28
A★★★★☆ 途次 丸亀→広島(江の浦) 旅客船<はつひろ> 広島汽船
 総トン数:16.00 主機関:500馬力 航海速力:17.0ノット 旅客定員:68名 就航年月日:1994.4.16
B★★★★☆ 途次 広島(江の浦)→丸亀 フェリー<びさん2> 備讃フェリー
 総トン数:299.00 主機関:950馬力 航海速力:11.0ノット 旅客定員:150名 積載可能車両数:トラック8台 就航年月日:1988.7.16
C★★★★☆ 途次 丸亀←→本島 フェリー<まるがめ> 本島汽船
 総トン数:385.00 主機関:850x2馬力 航海速力:13.5ノット 旅客定員:242名 積載可能車両数:トラック6台 就航年月日:1988.411
D★★★★☆ 途次 本島←→牛島 旅客船<ブルーオーシャン> 本島汽船
 総トン数:19.00 主機関:350x2馬力 航海速力:21.0ノット 旅客定員:70名  就航年月日:2002.1.12《新造船》
E★★★★★ 復路 新居浜→東予→大阪 四国開発フェリー=オレンジフェリー<おれんじ8>特別室左舷側121号室 夜行便
 総トン数:9,975.00 主機関:27,000 馬力  航海速力:22.5ノット  旅客定 員:750名 積載可能車両数:トラック139台  就航年月日:1999.7.27
F★★★★☆ 南港
→USJ ドリームシャトル<ベイユニバース>ベイユニバース(港通船株式会社)
G★★★★☆ USJ→天保山 <ハリウッド>海上バス(株)

●旅程 船中二泊 二泊三日
第一日目 京都→南港(大阪南港フェリーターミナル)・@大阪22:50→
第二日目 →06:10東予06:40→07:50新居浜東港→JR新居浜駅→JR丸亀駅→A丸亀港10:45→11:10矢広島・江の浦港B12:40→13:20丸亀港→丸亀城→C丸亀港15:30→16:05本島D16:27→16:32牛島16:33→16:38本島C17:10→17:40丸亀港→JR丸亀駅19:57→19:36JR多喜浜駅→新居浜東港E20:40→21:50東予22:40→
第三日目 →05:50大阪南港 船内休憩08:00迄 F08:20→08:45USJ港G09:00→09:10大阪港天保山岸壁→

 

またまたまた<おれんじ7>で新居浜へ、瀬戸の海に点在する小島めぐりが続く。今回は塩飽諸島の広島、本島、牛島へ・・・

 やっぱりオレンジフェリーで、また、ちょっと瀬戸の船旅をと、毎度のことながら思い立ち十四度目のオレンジフェリーでの船旅と相成った。新居浜一日上陸の束の間に、今回は正に行き当たりばったり思い立っての船旅を地でいくカタチで、いつもは船窓から眺めてばかりの瀬戸大橋を眺望しながら瀬戸内海を横断する広島航路、本島航路の制覇を果たした。おまけに牛島定期航路貸し切りチャーター状態の周回クルーズ? を楽しみ、さらにおまけに往路に乗船した<おれんじ7>を瀬戸大橋に見送るという幸運に恵まれる何とも楽しい船旅となった。
 帰路に南港フェリーターミナルからUSJまでのドリームシャトル<ベイユニバース>から、またさらにUSJから天保山への<ハリウッド>船上から豪華客船<Regal Princess>見物までもが一気に叶った思いがけない幸運ハプニング続きの船旅でもあった。

 

●第一日目 オレンジづいてます・・・

●往路 @大阪22:50→ いつものオレンジフェリー<おれんじ7>左舷側特別室420号室
 大阪南港フェリーターミナルへは直行し到着は午後十時を少し過ぎていた。南港ポートタウン線のフェリーターミナル駅から連絡橋を渡り出港四十分前にターミナルビル二階の待合室に辿り着いた。待合室には思いの外、乗船を待つ人々が溢れていた。発券窓口は中央の階段を下りた一階にある。乗船申込書に必要事項を記載し発券窓口の列に並ぶ。近頃のオレンジフェリーに乗船時は、どういうわけか結構混雑している日が多い。この日も祝日の前日のためであろうか、窓口に掲示された空席表にも満席表示が多く目立つ。空席のある等級にも空き少々の表示でほぼ満席に近いようであった。普段はひとつ、あるいはふたつしか開いていない窓口も三つ開けられていて多客時対応の体制かと思われる感じであった。おかげで、さほどの時間を要することもなく予約しておいた往復の乗船券を無事ゲットすることが出来た。
 二階の待合室に戻ると既に乗船は開始されていた。人の流れはゲートに向かっていて待つこともなく連絡ブリッジを進み岸壁へ降り立つ。ここ大阪南港フェリーターミナルからは、このオレンジフェリー第三便が最終便となっているため他のバースに船影はない。この時期にしては異常なくらいに暖かな日で心地よい潮風を受けながら岸壁をタラップへと進む。今夜は作業服姿のおじさんが乗船券のもぎりをやっていた。不思議に思うのだが乗船券のもぎりは過去にも連絡通路の出口での時、タラップへの登り口での時、本船の乗船口での時など様々に体験しているのだが、どうも小生にはその理由は定かではない。
 タラップから乗船口に入ると制服姿のクルーが出迎えてくれていた。この光景は何時も変わりはない。エスカレーターを上りメインロビーに至る。船内案内所で部屋のキーを受け取りまずはそのままレストランへ。
 何時も期待してのレストランだが、この日はどうしたことかアラカルトメニューの品数がいつもに比べると少なく、あまり食指を動かされる思いがしない。だがメニューには新たモノが幾つか加わっていた。今までに見かけなかった「豚トロ塩焼き
」「豚トロ丼」「うどん雑炊」や幾種類かのスパゲッティーなどがあった。「漬け物盛り合わせ」「イカの姿焼き」をトレーに取りキャッシャーで「豚トロ塩焼き」「鶏の唐揚げ」を注文。待つこと暫し、出来上がった「豚トロ塩焼き」と「鶏の唐揚げ」はパックに入れてもらい、皿に盛られていた「漬け物盛り合わせ」と「イカの姿焼き」は自ら紙コップに詰め直し部屋へテイクアウト。例により出港の夜景をのんびり楽しみながら、まずはのんびりと夕食。
 出港は十分前後遅れたようであったが、海は穏やかな様子で静かに大阪湾へ滑り出して行った。室内デッキで、のんびりくつろぎながらの食事のひとときはゆったりとした時の流れの中に身を置く実感を漂わせてくれる。足元までの大きな窓のある、この<おれんじ7>ならではの室内デッキは移ろい行く瀬戸の海の眺望を楽しむには最適である。このひととき船旅の始まりを大いに実感できるひとときでもある。いつものように心地いい充実感を味わいながら遅い夕食をゆったりと済ませた。それから徐にバスタブに湯を満たし一風呂浴びる。やっぱりオレンジフェリーの船旅はなんとも心地いい。
 が・・・、バスタブに満たした湯は何故か異常に濁っていた。湯を抜いて入れ直す。半ば満ちてきた湯はまだ濁りがあった。もう一度入れ直し、三度目の正直で何とか濁りは薄らいだ様子。完璧に澄み切った綺麗なお湯とはおせいじにも言い難いが、まぁいい。のんびりゆったりバスタブに満たした湯に浸かり汗を流す。急ぐ旅でもない、大らかにのんびゆったり例によっての行き当たりばったり思い立っての船旅は始まったのである。濁った湯の入れ替えもゆっくりとした時の流れの中での大らかにやい過ごすひとつの出来事に過ぎない。気にすることもなく、まぁいいやと風呂タイムは過ぎた。
 バスタオルで体を拭きながら浴室内を何気なく見渡すと今までは気にしたことのない入口ドアの内側上部左上に小さな丸い換気口が目に止まる。ほこりが真っ黒にこびりついていた・・・。
 明日は低気圧の影響で春一番並の突風と雨に見舞われそうな雲行きであったので天気予報がちょっと気になり、コーヒーを飲みながらTVを見てみるがなかなか天気予報にありつけない。これもまた、まぁ、いいや、雨でも風でも何でもいいとこれまた相変わらず何故か不思議に大らかになれるものであった。
 左舷側の部屋は四国側に面しているので港を後にすると間もなく紀伊水道を遠望する大阪湾の光景が広がるばかり。右舷側のようにきらびやかな阪神間の夜景のような輝きはない。その分、余計にのんびりするわけだが、やがて小一時間あまりで淡路島の島影が見え始め明石海峡大橋に差し掛かることになるはずである。ふと、そろそろ明石海峡大橋かと思い船窓の眺めを見やりながら時計を見ると既に午前0時を過ぎていた。バスタブの湯の入れ替えや天気予報探しで少々時間を費やしていた精なのだろう。既に明石海峡大橋は後方に見送ることとなっていた。ライトアップの照明は既に消灯されていて高い橋脚に点滅する閃光が徐々に遠ざかっていった。

 

●第二日目 新居浜上陸一日、塩飽諸島航路制覇!

 東予入港三十分前を知らせる案内放送に05:40目覚める。ベッドにうとうとまどろみながら程なく身を起こし窓の外を見ると眼前に東予港に接岸中の<おれんじエース>が迫っていた。鋭角に切り込んだ岸壁に接岸するため、本船は舳先をひるがえし旋回している最中であった。まもなく接岸。徐に朝風呂の準備をする。お湯は気になるほどには濁っては居なかった。のんびり湯船に浸かり朝シャンですっきり爽快。湯上がりには既に東予港を出港し新居浜東港へ向かっていた。
 コーヒーを入れ持参のパンをかじり朝食を済ませる。程なく新居浜東巻に差し掛かる。空は一面雲に覆われている。黒島を向かいにして水路のように深く切れ込んだ新居浜東港での入港は一旦岸壁付近に差し掛かるとゆっくり旋回し舳先を180度ひるがえし岸壁ににじり寄るように接近しながら微速後進で着岸する。港の入口から大した距離ではないはずなのが、このためにおよそ二〜三十分程度の時間を要するために東予から僅かな距離を一時間十分を要する。
 新居浜東港には定刻十分遅れで08:00に入港着岸した。ターミナルビルを出ると新居浜駅までの連絡バスが待ち受けていた。本来は07:55の定期路線バスなのだが、入港が遅れるときには待っていてくれるようである。とは言うもののフェリーの乗船客は当然のことながら車と共に乗船する人たちが多いわけであるから何時もがら空きの状態であって混雑することなどは殆どない。この日も小生を含め五名程度の乗客でバスは直ぐに出発した。途中のバス停で他の乗客はみんな下車してしまい他に誰も乗客はいない。優雅に貸し切りバス状態で、この日はどうしたわけか新居浜駅には08:21に早着した。
 駅の正面から見えるホームに特急列車が停車していた。てっきり新居浜08:22の「特急しおかぜ8号」と思い込み、改札を走り抜け駆け込むと間に合った。何となく丸亀へ行こうと思っていて入港が少々遅れたので乗車は無理と思っていた小生にとっては幸運であった。
 が、どうもホームの様子がおかしい。駅員や車掌が駆け足で行き交い乗客多数が乗車せずに待っている。定刻を過ぎているはずの列車に発車する気配がない。
 暫くして車内アナウンス。
「大変ご迷惑をお掛けしております。沿線架線にビニールが引っかかりその除去普及のためもう暫くお待ち下さい。只今一時間遅れです・・・。」
 何のことはない、これはもう一本前の列車であった。(笑) それから十分余りして列車は発車、とにかく多度津に一時間十五分遅れで到着し、ここで運転打ち切り。普段は多度津には停車しない高知からの特急列車「南風4号」を臨時に停車させるのでそれに乗り換えるようにとの案内アナウンス。で、一旦多度津駅で下車、そのままホームで待つこと暫し、向かいのホームに「南風4号」が入ってきた。それに乗り込み丸亀に九時半頃に到着。
 しめしめ、これなら丸亀港を10:45出港の広島航路に間に合うと、まずは丸亀駅界隈をちょっと見回り観光案内所で地図や各地の案内パンフレット類を入手した。余分な荷物をまとめてコインロッカーに納め身軽になって丸亀港に移動。ゆうゆう定刻四十分も前には港のターミナルビルに到着していた。

●途次 AB丸亀←→広島(江の浦) 所要時間:旅客船<はつひろ>25分・フェリー<びさん2>45分 乗船料片道530円
 広島:面積11.84平方km、周囲19.09km 塩飽諸島二十八島の中でその名の示すとおり最大の島。美しい瀬戸の眺望と良質の石材産地として知られる島である。


写真 左:丸亀港ターミナルビル内備讃フェリー発券窓口 中・右:丸亀港浮桟橋の<はつひろ>
 丸亀港ターミナルビルへの到着が思いの他、早かった。丸亀に行くなら広島・小手島・手島の三島を巡る航路があるのでそれを制覇しようと思っていた時刻表情報に寄れば丸亀港発10:45の便は旅客船で丸亀10:45→江の浦(広島)11:10→青木(広島)11:25→小手島11:47→11:47手島11:50→小手島12:02→青木12:12→12:25江の浦とあった。これで三島を巡り江の浦で広島に上陸し昼食をゆっくり食べてから島内を散策して江の浦発16:40の便で丸亀に戻り丸亀城見物または善通寺の涅槃桜が満開との情報を得ていたので、そちらへでもと道中には考えていた。それで、まずは広島での昼食を確保とばかりに旅館または民宿が三軒あるとのことであったので控えていた電話番号を純にダイヤルすることにした。
 以前に訪れた大島でも伊吹島でもまともな食事にありつけなかったから事前に確認するべしとの学習の結果でもあった。昼食を予約すれば美味いモノが食えるだろうと勝手に思い込んでいた。それでまずは電話をした。が、旅館は二軒とも電話が通じない。オフシーズンで休業中なのか、それともお彼岸で休業中かと思いつつ最後の頼みの民宿に電話を入れた。今度は電話は通じたモノの今日は営業していないとの返事であっけなく旨い昼食にありつく期待は消え失せた。
 しからば、まだ時間があるから階上のレストランへと思いきやこちらはどうも閉鎖されている様子でこれまた食事にはありつけない。辺りを見渡しても売店はない。自動販売機はアイスクリームと飲物販売機が数台並んでいる。が、アイスクリームは電源が切られていて要するに、ここでは飲物の他には何ら入手する手だてがない。向かいに讃岐うどんの店があるようだが、うろうろしている間に少し時間も経過してしまっていたから、うどんを食うにも時間的にはちょっと心許ない。で、仕方なく食事はあきらめ江の浦で何か昼食にありつけるであろうと微かな期待を抱く他に術は最早なかった。
 やがて来たときには閉じていた備讃フェリーの発券窓口が開いた。
「手島折り返しで江の浦までお願いします。」
「お客さん、今日はこの便は江の浦止まりですよ。」
「ええ? 手島へは行かないのですか?」
「はい、今日は木曜日でしょ。木曜日は江の浦止まりなんですよ・・・。」
「・・・。そうですか、じゃ江の浦まで・・・。」
 何だか事情がよく分からないままに江の浦までの乗船券を手にして窓口の上に掲げられた運行案内を見ると確かに木曜日の便は江の浦止まりと記されている。事前に入手していたインターネットでの情報や時刻表での情報にはそんなことは記されてはいなかった。まぁ、いいや行き当たりばったりの旅である。なるようになるだろう。
 外は遂に雨が降り始めていた。風もかなり強まっているようであった。乗船場はターミナルビルから100mほど離れた岸壁から突き出した浮き桟橋。雨の中、傘をかざして歩いて行くと行く手に木の葉の如く揺れ動く小さな旅客船に乗船客が群がっていた。お彼岸だからお墓参りに行く人たちが多いようで普段はこんなには多くない様子であった。とにかく乗り込む。既に殆どの乗船客が乗り込んでいて狭い船内の座席はほぼ満席に近い。最後部の座席に空席を認め窓際に席を取る。ゆらゆらと揺れている。窓は小さく水面が間近に迫っている。定刻10:45エンジンの唸りが高まると桟橋を離れ出港した。
 雨が一段と激しくなり遠くは見えない。波が結構高い。多分1mほどではないかと思うが16トンの船体の大きさ比すればかなりの大波である。そのうえに雨風に晒されている。程なく港を出ると一気に船は右に左に前後にと大きく揺れ始める。木の葉の如く揺れに揺れながらスピードを上げていく。と言っても最高速度は17ノットであるから大したスピードではないはずなのだが、大揺れと重なり今までに体験したことのない程のスピード感とちょっとした恐怖感を感じる。乗船客はお墓参りの里帰りなのだろうとおぼしき家族連れや買い出しか病院通いかと思われるような感じの島人とその関係者ばかりばかりの様子で観光客などは見あたらない。
 行き交う船舶の多い瀬戸内海のメイン航路を横切る航路で雨模様でなければかなりの船舶を散見できると思うのだが雨の中にはうねる波、自ら吹き上げる水しぶきの他に何も見えるモノはない。
 やがて前方に微かに島影が見え始め徐々に接近してくる。木の葉の如く散らされながらの航海にも関わらず遅れもなく定刻11:10に江の浦港に入港した。船はエンジンを掛けたまま岸壁に垂直に接岸し舳先を押しつけている。船室からデッキに出ると舳先に向かい移動して舳先から岸壁に直接よいしょと岸壁に降り立つ。この様子では、ちょっとうねりがあっても乗降は容易ではないと思われる。近頃にしては珍しく、乗降に際しても船内も段差が多く極めてバリアフルな船であった。
 ふと、丸亀駅から丸亀港まで僅かな距離を快く乗車させてくれたタクシーの運転手さんの言葉を思い出した。
「今日は船は動いてるのかなぁ・・・。」
 と怪訝そうに独り言のように確かにつぶやいていた。
 港には結構立派な鉄筋コンクリート造平屋建てのターミナルビルがある。待合室、発券窓口や事務所のある建物と渡り廊下で繋がった立派なトイレが設けられていた。雨降りしきる中ひとまず建物の中へ待避。待合室にはベンチが並び何と向かい合ったベンチの間には大きな石油ストーブがあって点火されていたのは驚きであった。この日はこの時期にしては異常に気温が高く、確か最高気温は23度にまで至っていたはずである。
 とりあえず昼食にありつかなければと近くにいた人に
「すみません。近くで食事のできるところはありますか?」
 と尋ねてみる。親切そうなおじさんは気さくに答えてくれた。
「うん、あるよ。すぐそこに・・・。」
「どこですか?」
「出て直ぐ左だな、ちょっと行くとあるよ。バスの食堂が・・・。」
「そうですか、どうも・・・。」
 島の人たちは何処でも親切に教えてくれる。ここ広島も例外ではなかったが、ちょっと気がかりであったのは直ぐ近くとは言うものの距離感が少々違うことが、ままよくある危惧であった。とにかく外に出て教えられたように左方向を見渡すと港の出口、道路は左右に通っているようで左手に行くと集落に向かうはずであった。暫し立ち止まっていると側に先ほどのおじさんが出てきていて丁寧に再び教えてくれる。どうやらほんとに直ぐ近くらしい。
 とりあえずひとまず昼食と歩き出す。道路際に「いろは石の島」と彫刻された3mばかりあろうかあと思われる大きな石碑が建っている。向かいに大きな案内看板が立っていて確かにいろはの表示が全島を巡る順々に設置されているらしい表示がある。
 教えられたとおりに左手へ進むこと直ぐに右手にそれらしきけばけばしい塗装のバス食堂。名前はあるのかないのかよく分からないが近づくと確かに間違いなくバスの面影が残っていて窓が並びその先に二つ折りの扉があった。「準備中」のプレートが下がっていたが扉を押すと内側へ開いた。
 中には数人の人影があった。
「準備中になってますが・・・いいですか?」
 と声を掛けると
「どうぞ・・・。いいですよ。」
「そうですか、準備中になってますけど営業中に裏返しておきましょうか?」
「いいえ、かまいませんよ。そのままで・・。」
「そうですか・・・。」
「食事ですか? お茶ですか?」
「食事したいのですが・・・。」
 何とも気軽な会話を交わしながら準備中のプレートはそのままに小生は車中? の人となった。

写真 左:広島・江の浦港前の唯一のバス食堂の日替わり定食700円 右:同食堂のメニュー
 窓際の席に陣取りメニューを見るが、おばちゃんは
「お食事なら今日の日替わりはサバのたつた揚げです。」
「そうですか、じゃそれをお願いします。」
 と頷いて、ひとまず昼食にありつける安堵感に煙草を燻らせる。二台のバスを並べて改装して居る様子で奥行きは一台分だが巾は二台分ある。天上の丸みがふつあるから確かにそのようであった。奥まってカウンターがあり、その向こうが厨房になっていて窓際の席の内側には十人ほどが一緒に掛けられる席が中央に陣取り、その向こうにTVや何故か数世代前の古びたパソコンが鎮座していた。その左手奥には桟敷席が設えられていた。ちゃんと急須で出したお茶を差し出してくれる。
 何とも評しがたい趣ではあるが気楽さには満ちていた。気さくに話しかけてくれる肝っ玉母ちゃん風のおばさんは厨房の中を行き来しながら揚げ物を用意しカウンターにお盆を出して小鉢や漬け物、ご飯や味噌汁を並べている。やがて程なくテーブルに運ばれてきた日替わり定食。(写真の品)
 小ぶりのサバ半身のフライに鶏の唐揚げが三個、マヨネーズがたっぷりかけられていて刻んだキャベツがそれられている。小鉢はおばちゃん手作りの「イカナゴの釘煮」白菜と胡瓜の漬け物にごはんと味噌汁。なんともボリュームたっぷり。サバのフライはかなり揚げすぎのようで黒ずんでいたが気にはしていない。充分なボリュームである。何より「イカナゴの釘煮」はありがたい。地元産の旬のグルメである。素人料理であるから売っているような飴炊きには出来ていなくて柔らかいと、おばちゃんは申し訳なさそうに言うのだが、これはなかなか旨い。味噌汁もイリコ出汁のさっぱりした味で申し分なし。
「そんなことないですよ。旨いですよ。」
「そうですか・・・。」
「やっぱり旬の地元のものですよね。旨い。美味しい。」
 と褒め称えると、おばちゃんは厨房でイカナゴをパックに入れてくれ席に持ってきてくれ、これを持って帰れと差し出してくれた。恐縮しきりながらありがたいプレゼントは遠慮なく頂戴した。半ば食べ進むうちに今度は小鉢をまた持ってきてくれた。「釜揚げ」であった。これもまたさっぱりと塩味の効いた旬の瀬戸内のグルメのひとつである。
 おばさんの話によると、ここ広島は石屋が多く、お客さんもそこに働く人たちが多いとか。確かに食事をしている間に次々にトラックがやってきて作業着姿の人たちが次々に現れてきた。誰もが常連客のようで気楽な会話を交わしながら真ん中の大きなテーブルを囲んでいた。
 食後に珈琲を注文するとちゃんとたてたてのレギュラーコーヒーが出てきた。締めてコーヒー付き日替わりランチは800円。ボリュームたっぷりの日替わり定食+釜揚げをたいらげて満腹。ゆっくりコーヒーを飲み干すと一時間あまりが経過していた。
 バス食堂を後にする頃には雨は殆ど降り止んでいた。港に戻ると海は穏やかになっていた。

写真 左:広島・江の浦港係留中の<はつひろ> 右:<はつひろ>船室
 港には往路に乗船してきた旅客船<はつひろ>が係留されていた。見るからに小さい。その向こうには新しいスマートな感じの船も係留されていた。多分、この辺りに多い海上タクシーではないかと思うが確認はしていないので定かではない。
 海面は嘘のように静まり返っていてベタ凪でまるで鏡面のようであった。ターミナルビル内には乗船客が溢れていた。発券窓口で乗船券を購入して岸壁を見渡すとフェリーに乗船するであろう車が十数台ひしめき合っていた。さすがに石の島らしく、切り出した石材を満載したトラックの多いのが印象的であった。

写真 接近してくる広島・江の浦港へ入港間近のフェリー<びさん2>

写真 左:広島・江の浦港へ入港する<びさん2> 右:<びさん2>船室
 港の入口を見ると<びさん2>が入港してきていた。<びさん2>はフェリーであるがこの船も旅客船と同様に舳先を岸壁に垂直に接岸した。程なく乗船が開始され。車が次々と乗り込んでいく。徒歩での乗船客も車載ゲートから乗船が開始され始めていた。人の列に並び乗船すると階段を上り上階に客室のある構造になっているのだが、その階段の登り口の近く手前の車載甲板と同じ一階に小さな小部屋が設えられていた。そこにも壁際にベンチが設えられていて席が設けられている。階段を昇降するに支障のあるお年寄りやハンディキャップのある人たちへの配慮であるらしい。

写真 江の浦港から丸亀へ向かう<びさん2>の船中から航跡の向こうに見送る広島
 定刻12:40、車を満載して多くの乗船客を乗せた<びさん2>は航跡をなびかせながら一路丸亀へ向かい江の浦港を後にした。広島が後方に遠ざかって行く。やがて左手後方に島影が重なる。小手島、手島が重なって見えているようであった。雨が上がりの海は穏やかさを取り戻していた。心なしか雲間には晴れ間ものぞき始めているようであった。11ノットと船足が遅い精か、デッキに出ていてもさほどのスピード感もなく風も爽やかで吹き付けるような感触ではなかった。のんびりとした船旅である。

写真 本島港航路は瀬戸大橋西側に平行して瀬戸内海航路を横断する絶景の航路
 広島航路は瀬戸大橋を通過して瀬戸内海を頻繁に行き交う大型船の多い航路を横断する。行く手には往路は小型の旅客船で激しい雨風の精もあり殆ど認められ無かった大橋を行き交い西行東行する航路に多くの船影が認められる。前方間近で接近遭遇する船も珍しくはない。そんな行き交う船の間をすり抜けるように航路を進むこと二十分あまり、早くも丸亀の街並はやがて間近に迫り来る。

写真 丸亀港に間もなく入港する<びさん2>船上から 左:京極大橋の見える丸亀港の全景 中・右:接岸中の本島航路の<まるがめ>
 ブルーのアーチが印象的な京極大橋が視界にはっきり認められる。その左手が丸亀港である。接近してくるとそこには本島航路のフェリー<まるがめ>が接岸していた。最上階操舵室があるであろう部分はユニークな円盤型をしているのが印象的な白い船体にブルーの船を巡らせた綺麗な船である。右舷に<まるがめ>を近づけながら定刻13:20に<びさん2>は丸亀港ターミナルビルの直ぐ側の岸壁に接岸した。
 雨はすっかり上がっていて僅かながらも晴れ間が見え始めていた。

●期せずして丸亀城見物
 丸亀:香川県丸亀市 瀬戸内の城下町と知られる静かに石垣の上に佇む丸亀城と潮の香り漂う港を中心に栄え金比羅街道へと続く城下町。

写真 目を見張る石垣組の頂きにそびえる丸亀城天守閣
 しからば一応丸亀見物としゃれ込んで丸亀港からぶらりぶらりと散策開始。JR丸亀駅を経由し念のために予讃線の運行状況を尋ねてみると朝方ほどの遅延はなく精々十分程度の遅れだという。十分程度の遅れであれば新居浜へ戻るにもそんなに心配することはないと勝手に決め込み本島航路制覇もこの際にと決め込んだ。本島航路の15:30出港まで二時間あまり時間がある。
 丸亀駅を後に丸亀城へ向かうことにして駅前の案内地図を見入り商店街を通り抜けお城前の公園に至る道を行く。繁華街もゆったりのどかな雰囲気の漂う落ち着いた通町商店街を通り抜けると大通りを渡り市役所横の歩道から行く手前方左手に公園が見える。その向こうに丸亀城の石垣が豪快にそそり立っていた。人工滝が中央にある綺麗な公園を対角線上に抜けると目の前はもう丸亀城である。港からのんびり歩いても精々二十分あまりの距離に過ぎない。この公園で天守閣を見上げながら一服して後、丸亀城に入る。
 城門を潜り城内に入ると坂道が続く。見上げるのみで上ることは諦め登り口にあった観光案内所へ入る。中では観光案内所と言うより丸亀名産の「うちわ工房」の様子。竹の骨組みを巧みに組み上げていく職人の実演を見学しながら色々なうちわを見ることが出きる。買い求めることもできる。真っ白の無地のうちわを幾つか買い求めた。瀬戸内の光景でも描写して、この夏には涼しげなひとときを船旅を思い浮かべながら仰ぎたいと思う。
 観光案内所の前は桜並木が続き花見の名所となっているらしい。まだほんの一部に過ぎないが今年は暖冬であった精か早くもちらほらと咲き始めていた。
 丸亀城での花見も為し得て再び丸亀港へ向かう。

写真 左:金比羅船を思わせる遊具のある児童公園 中・右:京極大橋(背後の青いアーチ橋)を背にした太助灯籠
 
商店街のアーケードを辿りながら予讃線のガードを越えると間もなく金比羅船を思わせる遊具を設置したみなと公園の一角に至る。その向かいに京極橋を背にした小さな公園に明治天皇上陸記念の碑や、海難事故で殉職した巡査を偲ぶ碑などと共に太助灯籠が鎮座している。
 一生に一度はこんぴら参りとまで、仰がれた讃岐のこんぴらさん。各地から金比羅大権現を目指す参詣道が通じていた。なかでも丸亀から琴平に至る丸亀街道は多度津街道、高松街道、伊予街道、阿波街道とともに金比羅五街道と呼ばれていた。とりわけ最も賑わったのが丸亀街道であった。江戸の世を通じ、その起点を照らし続けていたのが港の太助灯籠であった。明治期まで使用されていたらしい。元は同じモノが四つあったらしいが戦争中に金属供出の憂き目にあい今に残るはこのひとつだけとなったらしい。
 両側に船溜まりを見下ろし海側に突き出した一角で海に向かい右手東側には漁船やクルーザーとおぼしき小舟がひしめいていた。向かいには船腹に海上保安庁と記された小型船が停泊していた。左手西側には<スーパーイーグル>と船名を記した海上タクシーが係留されている。確か丸亀港脇にも海上タクシーと記された建て屋があり、その脇に数隻係留されていた。広島の江の浦でもバス食堂のおばさんのご主人は海上タクシーをやっていると話していた。島が点在する上に瀬戸大橋観光を当て込んでの思惑などもあるのだろうか、あちこちに海上タクシーの存在が目立っていた。
 太助灯籠のある小公園で一休みの後、再び丸亀港に辿り着いたのは三時前であった。

●途次 C丸亀→本島 フェリー<まるがめ> 所要時間35分 乗船料片道530円
 本島:面積6.75平方km、周囲16.40km 塩飽水軍の本拠地として知られた塩飽諸島の中心となっている島。

写真 左:丸亀港ターミナルビル内の本島汽船の乗船券発券窓口 右:本島港停泊中の<まるがめ>
 丸亀港ターミナルビル一階の本島汽船乗船券の発券窓口は乗船開始二十分前に開く。煙草を一服する間にやがて発券窓口は開いた。フェリー<まるがめ>で本島へ渡り、本島から旅客船<ブルーオーシャン>で牛島を往復して戻って来て再び<まるがめ>で丸亀に戻ると丁度いい時間割になると道すがら思い立っていた。発券窓口でひとまず本島往復乗船券をゲットしたが、牛島に渡る船の乗船券も購入できるのかと再び窓口に引き返し尋ねてみると
「牛島への乗船券はここで買えますか?」
「ええ、ここで販売していますが、今日行かれたら帰りの船はありませんよ。」
 と言う。怪訝に思い
「牛島への船は出ていないのですか?」
「いいえ、最終便はありますが・・・。」
「じゃ、その帰りはないのですか?」
「帰りはその船が直ぐに折り返しますから。」
「それでいいんですよ。」
「え? 牛島にいくのではないのですか?」
「ええ、船に乗りに来ただけですから。」
「へぇそうですか。それなら大丈夫です。」
 とようやく小生の意図を理解してくれた様子で、笑いながら乗船券を交換してくれた。そんな乗船客は先ず居ないのであろう。(笑) ま、とにかく無事乗船券をゲットして桟橋へ向かう。広島航路とは反対側の出口から出てターミナルビルを回り込んだ裏側の岸壁に<まるがめ>は接岸していた。車載ゲートから徒歩乗船。乗り口で作業服姿のおじさんが乗船券をもぎる。
 一階の甲板は車載甲板になっていて一角の小部屋にはシルバーシートと記されていている。<びさん2>と同様に上階の客室までの上り下りに支障のある人たちへの配慮なのであろう。階段を踊り場で折り返しもう一階上ると客室階であった。綺麗な船室である。最上階は外から見る限りは円形の円盤を乗せたような形状になっていたが、この客室からさらにそこへ上る階段があった。上ると後方半分が展望客室になっていて百八十度の展望が楽しめる。前方半分は操舵室になっていた。
 客室階の前方は全面ガラス張りで眺めがいい。

写真 本島へ向かう<まるがめ>船上から 左・中左:瀬戸大橋を眺望 中右:広島の眺望 右:接近する本島
 客室の最前列シートに陣取ると前方の眺めが素晴らしい。その向こう右手には瀬戸大橋が見事な雄姿を誇っている。前面のデッキ前方には双眼鏡が備えられている。瀬戸大橋を眺望できるようにとの洒落たサービスのつもりなのであろうか。
 この本島航路は瀬戸大橋西側沿いに再接近して平行している航路である。多分瀬戸大橋開通当初には見物の観光客に人気があった航路路なのであろう。行き交う船の多い瀬戸内海のメイン航路を横断する航路でもあるからこの船はそれらの船舶を右に左に避けているのであろうか、やたらに蛇行する。それがまた前方に広がる景色がパノラマのように巡るから乗船している小生のような見物観光の客側にとって好都合である。キャプテンの苦労のほどは如何かとは思うが・・・。
 やがて本島が前方にくっきりと近づいてくる。相変わらず本船は右に左に舳先をひるがえしながら航行している。本島港が前方に認められる頃、その後方右手に白亜の高層ビル、左手後方に何やら大屋根の建物が視界に浮かび上がる。後ほど上陸して島の人の話で知ることとなったのだが、高層ビルは瀬戸大橋見物の観光客を当て込んで開業したホテルであったそうで、今はもう廃業してしまい廃墟と化しているらしい。バブル期の夢の果てのひとつであろうか。小高い丘の上にそびえていた大屋根の建物は天理教の教場とか。

写真 左:本島港停泊中の<まるがめ> 右:<まるがめ>の船室
 三十五分の瀬戸大橋を巡る航海を終えるとそこはもう本島港であった。定刻16:05<まるがめ>は本島港に入港した。接岸した同じ桟橋の向かい側にする向かい側に牛島航路の船は入港してくると言うことであった。<まるがめ>乗船時に乗船券はもぎられていて何もないでちょっと牛島航路乗船時には気がかりなのだが、まぁ、いいのだろう。牛島航路の船の出港は16:27であるから二十分あまりの待ち時間がある。港の回りをちょっと散策。

写真 本島にて 左:港のバス停、と言うことはこの本島にはバスが走っているらしい。 右:讃岐うどんの店
 港の前には何とバス停がある。島内を巡るバスがあるのであろうか。ターミナルビルもあり、その裏手には讃岐うどんの店があり営業していた。
 ほんの束の間の港界隈散策での印象はどこも非常に清潔感が漂っていて爽やかな感じを受ける。小生は天理教の信者ではないが、ふと、JR天理駅周辺の清潔感を思い浮かべていた。とある新興宗教などは大違いで周辺にも清掃奉仕などで努めると伝え聞く信者のみなさんのお勤しみなどもあるのだろうかと確かめたわけではないから定かではないが、そんな思いもふと過ぎった。

途次 D本島→牛島 旅客船<ブルーオーシャン> 所要時間5分 乗船料片道240円
 牛島:面積0.81平方km、周囲4.30km かつて沈む太陽をさえ呼び戻すと、その栄華を伝えられた廻船商・丸尾五左衛門が本拠地とした島。栄枯盛衰の果てに今はその屋敷跡を残すのみ。

写真 就航2002.1.12の《新造船》<ブルーオーシャン> 左:本島港にて 中:船室 右:後部デッキ
 本島発16:27の旅客船<ブルーオーシャン>は定刻五分ほど前に入港してきた。手に手に旅行バッグを持った乗船客達が次々に連なって降りてくる。満席状態であったと思われるほどの乗客はどうやら天理教の信者の人々のようであった。桟橋に出迎えた背中に天理教と大書きされた法被を着た男性陣が出迎えていた。総ての乗船客が降り立つと桟橋には船の船員の姿がだけが残り他に人影はない。
 乗船する客は他に見あたらない。小生、堂々と乗船、紛れもなく貸し切り状態である。船は今年はじめに就航したばかりの新造船で真新しく美しい。後部デッキから乗り込むと船尾にベンチがあり船室への扉がベンチに座すると前方中央にあった。船室はリクライニングシートが左右に並んでいた。窓も広く居住性の良さそうな清潔感溢れる船室であった。船室ドア脇に可愛い浮き輪が掲げられその側に船舶表示があった。

写真 左:牛島港を見送る 右:<ブルーオーシャン>の船舶表示
 この<ブルーオーシャン>につては2002年1月11日付けの四国新聞では
「丸亀市の丸亀港―本島間の航路を運営している本島汽船(丸亀市)は十二日から、新旅客船「ブルーオーシャン2」を導入する。一九九九年に関西急行フェリーから引き継いだ旧船「ブルーオーシャン」は築二十年で、風や波に弱く欠航しがちだったため、代わりに安定性の高い新船を就航させる。新船は全長一九・二メートルで、旧船より約四メートル長い。総トン数は一九トンと同じだが、定員は八人増の七十八人。車いす対応のトイレが新たに備わっているほか、客室へのスロープもあるバリアフリー設計も。建造費は約一億円。運輸施設整備事業団との共有で、国、県、市から離島航路の補助金を受ける計画。新船は旧船を引き継ぎ、丸亀―本島間と本島―児島(倉敷市)間で、一日二往復ずつ運航。」
 と報じられている。
 牛島までの航海は僅かに五分である。岸壁を離れた<ブルーオーシャン>は舳先をひるがえしエンジンの唸りを高めると一気に加速した。まるでモーターボートのような力強い加速感である。本島の港が視界の中に遠ざかり背後に瀬戸大橋の雄姿が認められる頃早くも牛島を間近にしていた。
 前方の操舵室のドアを開き船室に来た船長さんから声がかかる。
「お客さん牛島に上陸しますか?」
「いいえ、上陸しません。この船に乗るのが目的で来ただけですから・・・。」
 船長さんはにこやかに頷いた。その会話の後、間もなく<ブルーオーシャン>は牛島港に辿り着いていた。が、本船は接岸する様子はなく暫しアイドリング状態で停船している。どうやら先ほど小生に上陸するかと尋ねたのは多分、牛島からの乗船客がない様子なので接岸せずに、このまま引き返す魂胆であったらしい。(笑) 間もなく本船は舳先をひるがえし牛島港を後にした。
 わずか十分の牛島往復? 回遊航海? は爽快そのものであった。定刻16:38<ブルーオーシャン>は本島港に帰港した。

●途次 C本島からの復路
 <ブルーオーシャン>で本島に戻ると港の前には車が溢れていた。程なく乗船開始、本島発17:10の<まるがめ>は往路乗船してきた船である。勝手知ったる船内に、まずは最上階の展望室に陣取っては見たが眺望は後方に向かっている。
 この乗船に際しては、多分、間もなく新居浜を12:50に出港した大阪行きオレンジフェリー第二便の<おれんじ7>が瀬戸大橋に接近してくるはずの昨夜乗船してきた<おれんじ7>との接近遭遇に微かな期待を抱いていた。展望室の広い視界からは向かいの牛島越しに東西を行き交う瀬戸内海航路を遠望できる。
 本船出港五分前、17:05、そろそろ<おれんじ7>の船影が遠目に認められてもいい頃である。オペラグラスを手に右舷側から牛島越しを眺望すると微かに両サイドに天空に向かって突き出した二本のファンネルが特徴的な<おれんじ7>船影が認められた。今直ぐに出港してくれれば丁度走行中に航路上で行き交うと期待するが悲しいかなそうは行くまい。追い続けていた<おれんじ7>船影は間もなく牛島の島影の向こうに一旦消えた。やがて牛島の東端から<おれんじ7>の船影が再び見え始める頃、本船はようやく間もなく出港。この様子では残念ながら接近遭遇の期待は微かに遠のいた。が、とにかく間もなく本船<まるがめ>はようやく定刻17:10本島港を出港した。
 後方展望室からの眺望では<おれんじ7>の行く手を追うことは出来ない。あわてて階下の船室に降りると幸い最前列の座席の一角が空いていた。ひとまずそこに陣取り荷物を座席に置くとデッキの前に出て望遠鏡の傍らで前方にカメラを向ける。

写真 本島港を出港した<まるがめ>から瀬戸大橋に向かい航行する<おれんじ7>
 行く手前方を瀬戸大橋に向う<おれんじ7>は
港の防波堤の先端の標識灯越しに東進する。本船は前進するが<おれんじ7>は間もなく早くも瀬戸大橋に差し掛かる。その遠望を何とかカメラに収めようることが出来たのがここに掲載のパノラマ写真である。微かに右手橋脚の手前に船影が認められる超遠望画像となった次第である。
 それにしても幾度も<おれんじ7>船上から眺めることが出来た本島から、このような好機に恵まれるとは思いも寄らぬ行き当たりばったりの思い立っての本島航路乗船の恵みであった。左前方、瀬戸大橋を背景に大阪に向かう<おれんじ7>を見送りながら丸亀への復路の航海は早くも半ばを迎えていた。
 黄昏の瀬戸内海を横断した<まるがめ>は左舷後方に瀬戸大橋を見送りながら少々遅れ気味で丸亀港を眼前にしていた。定刻に五分遅れ17:45丸亀港に入港接岸した。

 新居浜東港へ戻るには丸亀発17:57の特急で観音寺で普通列車に乗り替え多喜浜経由でが好都合であった。その特急に乗車するには降り立って後、残す時間は十二分、急ぎ足でJR丸亀駅へ向かうこと六分17:51、四分前に丸亀駅改札口にたどり着いた。
 女性の係員に
「16:57の特急に乗りますから乗車券を車内で買ってもいいですか?」
 と尋ねると
「7〜8分遅れてますから販売機で買って下さい。」
 と言う。JR職員はどうも男性より女性の方が何かとマニュアル遵守の傾向が強いようである。
「観音寺乗り替えで多喜浜まで行きたいのですが販売機でどうして買えばいいのですか?」
「じゃ、販売機の方へ行って下さい。説明しますから。」
 と堅苦しいやら親切そうでもある。まま、指示に従い販売機に行くと側の扉を開いてその女性が確かに説明してくれる。多喜浜までの乗車券を先に買い求め、次に観音寺までの特急券を買えと言うのであった。とにかく無事に乗車券と特急券をゲットして改札を通過。ホームに上がると程なく特急列車は約十分の遅れで到着した。観音寺で降車すると向かいに普通列車が待ち受けていた。多喜浜への到着は思いのほか遅れずに約五分程度の遅れで19:40頃到着した。丁度いい時間である。
 多喜浜駅から徒歩数分、タクシーの営業所へたどり着くとそこは無人。タクシーは二台あったが運転手も居ない。どうしたモノかと辺りを見回すと壁にマジックペンの殴り書き表示で開け放たれた事務所の入口に於かれた黄色い電話をするようにと記されていた。受話器を取ると直ぐに応答があり、多喜浜営業所にいると告げると直ぐに戻るとの返事であった。何とも合理的に出来ているようでもあり大らかでもあり微笑ましくも思う。
 程なくタクシーが戻ってきて無事午後八時過ぎに新居浜東港ターミナルビルに到着した。まだ<おれんじ8>は入港していなかった。ビル横手の駐車場から岸壁に出ると左手に船影が見えていた。程なく近づいてきた<おれんじ8>は接岸する岸壁の前で舳先をひるがえし百八十度方向を転換すると微速後進して接岸した。乗船ブリッジがビルの側壁に沿って船腹へゆっくりと移動する。乗船口にブリッジが渡された。

●復路 E新居浜20:40→ <おれんじ8>左舷側特別室121号室
 ターミナルビル内に入ると珍しく乗船客が溢れていた。いつもは定刻二十分前に開始される乗船が少々遅れて十分前の乗船開始となった。乗船し部屋の鍵を受け取りそのままレストランへ直行して夕食を取る。例によって定番魚フライ。それに焼きサバ、じゃこおろしをゆっくり平らげる頃にはすでに本船は新居浜東港を出港し東予へ向かっていた。
 満腹感と心地よい前進の疲れを覚えながら船室に旅装を解きくつろぎまどろむこと暫し。バスタブにたっぷり湯を満たし移りゆく瀬戸の海の静かな夜景を満喫しながら疲れを癒し湯上がりにコーヒーブレイクのひととき。程なく東予港に差し掛かっていた。
 すっかり夜は更けて行く。定刻22:40東予港を後にした本船は一路大阪へ向かう。訪れた広島、本島、牛島を真夜中に見届けたいとの思いもあるが心地よい眠気に誘われやがて思いは夢の中であった。

 

●第三日目 大阪南港から天保山へ

 午前六時半に目が覚めた。既に<おれんじ8>は大阪南港フェリーターミナルに入港接岸していた。今日は大阪港天保山埠頭に豪華客船<Regal Princess>が08:00に入港する日であった。すっきりと朝のシャワーを済ませると船内案内所で販売されている美味しい石槌の水でたてたマンデリンコーヒーとゆで卵を購入、一緒にここからUSJ港に向かうドリームシャトルのパンフレットをゲットして部屋に戻りゆったりブレックファースト。昨夜購入しておいた愛媛蜜柑のポンジュース、カマンベールチーズの豪華な朝食である。(笑)
 直ぐに飛び出せばコスモスクエア辺りからのんびり朝日を浴びながら
<Regal Princess>の入港を出迎えられるとも思っていたのだが外はどんより曇っている。雨気でもありそうな感じであったし、なによりもやっぱり<おれんじ8>の特別室でのまどろみはなんとも心地がいいモノであるから天保山埠頭へはドリームシャトルでひとまず<Regal Princess>を横目に眺めながらUSJへ、でUSJから今月末で航路廃止が決定している<ハリウッド>の乗りお納めも兼ねて再び<Regal Princess>を横目に見ながら天保山へ渡り見学に行くことにしてのんびり朝食の一時を楽しむ。いつものことながらこの<おれんじ8>での入港05:50から08:00までの船内休憩時間を設けているサービスは何とも嬉しい気持ちを抱かせてくれる。
 船内休憩時刻終了間際を告げる案内放送を聞きながら<おれんじ8>に別れを告げ岸壁に降り立った。


写真 <ドリームシャトル>乗り場に向かい通路ブリッジを歩行中出港する<サンフラワー>を見送る。
 連絡通路をUSJへ向かうドリームシャトル乗船のために中程まで進むと窓の向こうに旋回し港を出ようとする関西汽船のサンフラワーの船形が認められた。一瞬、多分08:00発の関西汽船小豆島航路の季節便の出港かと思ったが、この日の季節便の運行はない。と、すれば後続の別府からの第二便が間もなく入港してくるはずだからバースを空けるために一旦離岸したのであろうかと思うが・・・。定かではない。

写真 懐かしい<ニューかつら>も接岸していた
 連絡通路ブリッジの先端を左折すると最右端のフェリーバースに降り立つ。そこには左手に名門大洋フェリーの<フェリーきょうと>が接岸していた。右手には懐かしい(数年前に乗船したことがあったので)大阪高知特急フェリーの<ニューかつら>が接岸していた。この岸壁をかすめて右にUターンすると乗船待機用駐車場の地面に通路表示が真っ白のペンキでボーダーラインが描かれている。それに従い進むとドリームシャトル乗船場がある。

●帰路 F大阪南港フェリーターミナル→USJ ドリームシャトル<ベイユニバース>ベイユニバース(港通船株式会社) 所要時間25分 乗船料片道600円

写真 <ベイユニバース>
 先般来、USJから、ここ大阪南港フェリーターミナルまでは夜間に数度乗船したことのあるドリームシャトルだが、逆に、こちらから乗船するのは初めてである。USJのオープンに合わせ<ベイユニバース>と言う船が新たに就航したと聞いてはいたが過去数度は<ベイシティー><ベイタウン>と言ういずれも20トン足らずの小型の船舶であったが、目の前に現れた船舶は紛れもなく200トン? くらいかと思われる<ベイユニバース>であった。

写真 <ベイユニバース>船上から大阪市営港巡り船<すいと>発見!
 乗船タラップの前で乗船券を販売するおじさんが居た。代金600円也を支払うと複写式になった小さな伝票のような冊子に綴られた乗船券に日時、人数、金額などを記入してひきちぎり渡してくれるのである。その券面を持って岸壁から<ベイユニバース>に渡されたタラップから乗船することになる。
 タラップの前ではもぎりの作業服姿のおじさんがにこやかに出迎えてくれる。
「おはようございます。」
「今日は、お客さんが凄く多いんですねぇ・・・。」
「たまにはね、こんな日もないと・・・。」
 前回USJからこちらまで最終便で来たときに小生だけの貸し切りチャーター便? でお世話になったときの船長さんであった。
 心地良い爽やかな風の中、かなり満席に近いほどの乗船客に溢れていた。乗り込んだ人たちの多くは階下の客室へ降りていく。若いグループの人たちがデッキのベンチにあちこち陣取っていた。ベンチの側には灰皿がある。愛煙家の小生としてはこれ幸い。それに皿に幸いにも右舷側のベンチが空いていた。右舷は既に大阪港天保山埠頭に接岸して居るであろう<Regal Princess>を眺めるには好都合であるのだがUSJに向かう人たちには関知することではないのであろう。ゆうゆうと右舷最上席? ベンチに陣取った。それにしても、こんなに乗船客の多いドリームシャトルは初めてだ。

写真 <ベイユニバース>船上から 左:見送る大阪南港フェリーターミナル 中:迂回航路を回るとコンテナバース 右:海遊館と大観覧車の遠望

写真 <ベイユニバース>船上から大阪港天保山岸壁前を行く
 定刻08:20<ベイユニバース>は南港フェリーターミナルを後にして右へ旋回し直ぐに阪神高速湾岸線の橋を潜ると間もなく、今度は左に旋回し左舷にコンテナバースのガントリークレーン群を見ながら港大橋へ向かう。港大橋を潜り抜けると程なく右手前方に海遊館越しに大観覧車のある天保山が遠望できる。海遊館の左手に微かに小さなく<Regal Princess>の後ろ姿を認めることが出来た。再び右へ旋回するとはっきりと<Regal Princess>の後ろ姿が視界に入ってきた。天保山はもう間近である。
 USJからの最終便での航海は数度体験していたが、明るい昼間航行は初体験である。意外にバラエティーに富んだ光景が巡る航路はちょっとした港巡りの観光気分も充分に満たしてくれる。それに何と言っても天保山岸壁の真ん前を、つまり停泊している船舶の真横を過ぎりUSJに向かうのであるから天保山岸壁に停泊中の船舶見学には最適でもある。

 

●大型豪華客船<Regal Princess>巡り

 停泊中の<Regal Princess>の傍らを過ぎり通過した<ベイユニバース>船上からの光景は大観覧車との対比でその船の巨大さを実感するに充分な素晴らしくも美しい光景である。

写真 USJに向かう<ベイユニバース>船上から大阪港天保山岸壁に停泊中の<Regal Princess>
 天保山岸壁前を通過した<ベイユニバース>程なくUSJユニバーサルシティーポートに定刻08:45に入港着岸した。降り立った乗船客は総てがそのままUSJに向かったようであった。浮き桟橋には他に乗客らしき人影はない。入れ違いに出港したキャプテンラインが誇るアマゾネス軍団女性地上作業員がひとり居るだけであった。

●帰路 GUSJ→天保山 <ハリウッド> 所要時間10分 乗船料片道400円

写真 USJ港接岸中の<ハリウッド> さようなら・・・・ 2002年3月末<ハリウッド>は廃止される。
 キャプテンラインと<ハリウッド>は共にUSJと天保山を結ぶ航路にUSJのオープンを期して開始された航路であった。両者共に三十分毎の運行をしていて互いに十五分の間隔を置いているので利用者にとってはどちらでも選ぶことがなければ十五分間隔で乗船できるのでの便利であった。しかし利用客は思惑を外れ予定数を大幅に下回る状況が続いていて<ハリウッド>は残念ながら今月三月末を以て航路を廃止することを発表している。
 幸か不幸か、今し方キャプテンラインは出港したばかりで十五分後に出港するのは<ハリウッド>である。乗り納めになるであろう<ハリウッド>で天保山へ向かうことにして暫し入港を待つ。程なくUSJへ向かう乗客を乗せて<ハリウッド>が入港してきた。乗船券発券窓口は桟橋からは100m以上も離れたところにあるので買い求めには行っていなかった。何とかなるだろうと勝手に決め込んでいたからである。
 USJに向かう乗船客が全員降り立つと乗船口の係員に乗船券を購入していないのだがと話すと、現金でも構わないが小銭でお釣りの不要なように払ってくれと言うが小生のポケットに400円也の小銭はなかったやむなく千円札を差し出すと若い係員が
「私が買って来ます。」
 と、千円札を受け取ってくれ発券窓口に向かってくれた。その間にキャプテンと会話を交わす。
「今月末でお終いになってしまいますね。」
「ええ、そうなんです・・・。
「この船はどうなるのですか?」
「詳しいことは分かりませんが多分売船されるでしょうね。」
「そうです、で、あなた方は?」
「ええ、お終いですよ・・・。」
 と苦笑いの表情を浮かべていた。どうやら船は売却され従業員も解雇されると言うことであるらしい。駆け足で買い求めに行ってくれた係員は程なく引き返してきて釣り銭を戻してくれた。
 他に乗船客もなく小生が乗船すると間もなく出港。

写真 USJから天保山へ向かう<ハリウッド>船上から大阪港天保山岸壁に停泊中の<Regal Princess>
 
天保山へ向かう<ハリウッド>船上からも再び前方に迫り来る<Regal Princess>の雄姿をカメラに収めることが出来た。この航路はわずか十分の航海である。天保山海遊館前の岸壁に接岸すると牛島航路に引き続き今回二度目のまたもやの貸し切りチャーター船から降り立った。

●さようなら・・・・ 2002年3月末<ハリウッド>は廃止される。

 隔月刊「クルーズ」2002年5月号の記事によれば「USJ航路、海上バスも撤退」との見出しで
 「大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)と天保山ハーバービレッジ間でシャトル便を運行する海上バス(大阪市中央区)は3月末で、同航路を廃止する。
 昨年3月のUSJオープンとほぼ同時に、シャトル便ハリウッド(19総トン、300人乗り)を就航させたが、伝間40万人の集客予想を大きく下回り、11万人(1月末時点)に止まっていた。」
 と報じられている。

 

●大阪港天保山岸壁に<Regal Princess>見物

 天保山海遊館前の岸壁に接岸した<ハリウッド>から降り立つと左前方には<Regal Princess>の後ろ姿が間近に迫っているが今日はそのまま岸壁には立ち入ることは出来ない。外国航路の船舶入港時には接岸中に見物客は埠頭へは立ち入ることが出来ない。埠頭への出入りが禁止されている。天保山マーケットプレイスのギャラリーから見物することになる。

写真 大阪港天保山岸壁に停泊中の<Regal Princess>
 入港して既に一時間あまりは経過しているはずであるがタラップからは未だに続々と乗船客が下船してくる。微かに聞こえてくる人々の会話は英語、中国語、タガログ語などが入り交じっている。何となく異国情緒の漂う雰囲気である。
 一通り後ろから前、前から後ろへとギャラリーを行き来して白い巨大な船体を見入ることしきり。いるかをモチーフとした船体のデザインは関西空港のターミナルビルをデザインしたイタリア人建築家に寄ると聞くのだが、どうもいるかと言うよりは巨大な穴あきだらけの白壁と言った印象である。大阪港への入港は今回で四回目を数えているらしい。舷のプロムナード上に吊されたテンダーボートや救命艇はちょっとした旅客船並の趣である。
 一巡二巡して見物の後、マーケットプレイス内のテラスで再び朝のコーヒーブレイクをして後、さようなら
<Regal Princess>と大阪港天保山岸壁を後にした。

 思いの外、塩飽(しわく)諸島の広島・本島・牛島を巡る各航路、南港からUSJ、USJから天保山に至る航路、付録の<Regal Princess>ご対面と盛りだくさんの行き当たりばったりに恵まれた。何と合計四航路で<おれんじ7><はつひろ><びさん2><まるがめ><ブルーオーシャン><おれんじ8><ベイユニバース><ハリウッド>の八隻の船舶乗船が叶った。相変わらず思い立っての行き当たりばったりの旅であったが、本島からの帰路に丸亀港から丸亀駅までちょっと急ぎ足で歩いたのが気ぜわしい思いをしたものの、その他はのんびり気楽な今回の船旅であった。
 が、振り返り、こうして乗船記を記してみるとなんとも賑やかな今回の船旅も、こうして終わりを告げた。

 

●余談 オレンジフェリーの予約
 最近はUSJ効果なのだろうか、それもとオレンジフェリーの企業努力の成果なのだろうか、結構旅客も多いことがある。この日も祝日を中日の二泊三日となったので前々日に空席状況を問い合わせたところ残余席が少ない様子であった。で、ためらわずにそのまま特別室を予約したのであったが一応の希望の右舷側の部屋は既に予約済みとなっていて左舷側の部屋を確保した。
 大阪の窓口は繁忙期には結構混雑していることが多く自動応答で暫く待たされた挙げ句に
「・・・後ほど、もう一度改めて電話して下さい。」
 とアナウンスされる場合が多い。が、くじけることはない。このような時は小生は何時も東予の予約センターへ電話することにしている。こちらは案外繁忙期でも繋がりやすい。
 【オレンジフェリー予約センター電話番号】
東予 0898-64-4121 大阪 06-6612-1811 共に09:00から17:00迄
時間外は予約は出来ないが予約状況は港の窓口では問い合わせることが出きる
 【運行状況の問い合わせ先】
大阪南港フェリーターミナルのオレンジフェリー 大阪 06-6612-3400
 なお、余談の余談になるがオレンジフェリーの運賃は通常は往復で購入すると復路は三割引となる。さらに誰でも入会できる「オレンジ会」というのがあってこちらに入会すると繁忙期の一時期を除き全航路&全等級が二割引となる。この会員資格の特典はオレンジフェリーと提携している名門大洋カーフェリーにも通用し同じく二割引特典の得られる印籠となる。

 

■後日追記 2002年 初夏 6月初旬
 USJ・天保山航路を運行されていた<ハリウッド>は上記中にも記していますが、本年三月末を持って航路は廃止されました。現在は運行されていません。

 

■ORANGE ROOM■

@Eオレンジフェリー  AB広島航路  CD本島航路  Fドリームシャトル

 

2001 H13
■FR−015■  ■FR−016■  ■FR−017■  ■FR−018■  ■FR−019■  ■FR−020■  ■FR−021■  ■BANGAI-2001■
2002 H14
■FR−022■  
■FR−023■  ■BAGAI-2002A■  ■BANGAI-2002B■
■ORANGE ROOM■
■FR−024■    next02.gif (38489 バイト)■FR−025■  ■FR−026■  ■FR−027■  ■FR−028■

思い立っての船旅 今世紀・2001-200X