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瀬戸内海 大阪→東予→新居浜航路・黒島←→大島航路・新居浜→東予→大阪航路

写真 左:新居浜東港の<おれんじ7> 右:黒島港の新居浜市営渡海船フェリー<おおしま>

2002年 春 おなじみ航路、オレンジフェリーで新居浜へ・・・ 新居大島の春満喫

                      

●航海 往路・瀬戸内海 途次・新居浜市営渡海船・黒島←→大島航路 復路・瀬戸内海
@★★★★★ 往路 大阪→東予→新居浜 四国開発フェリー=オレンジフェリー<おれんじ7>特別室 夜行便

A
★★★★ 途次 黒島港→大島→黒島港 新居浜市営渡海船フェリー<おおしま>
 総トン数:115トン 主機関:300馬力 航海速力:7.6ノット 旅客定員:200名 積載可能車両数:トラック4台 就航年月日:1989.8

B★★★★★ 復路 新居浜→東予→大阪 四国開発フェリー=オレンジフェリー<おれんじ7>特別室 昼行便
 総トン数:9,917.00  主機関:27,000 馬力  航海速力:22.5ノット  旅客定 員:750名  積載可能車 両数:トラック139台  就航年月日:1994.3.28

●旅程 船中一泊 一泊二日
第一日目 大阪南港22:50(オレンジフェリー<おれんじ7>)→
第二日目 →06:10東予港06:40→07:50新居浜東港 新居浜東港(タクシー)→黒島 黒島港08:45(新居浜市営渡海船<おおしま>)→09:00大島港 吉祥寺&大島探訪 大島港11:15→11:30黒島港 黒島港(タクシー)→途中黒島から対岸の<おれんじ7>撮影→新居浜東港12:40(オレンジフェリー<おれんじ7>)→13:50東予14:30→22:00大阪南港

 

三度目の大島、春の花咲き誇るこの世の極楽を見た・・・

 相も変わらず思い立っての船旅は瀬戸の海を巡っている。今回もまた、ふと思い立ったのはオレンジフェリー<おれんじ7>で例によって新居浜へ。新居浜上陸四時間五十分と五時間を切ることとなった新ダイヤでの半日ミニエキスカーション。季候がいいのでちょっと大島へ新居浜市営渡海船でと思い立った。
 と言うのも四月から新船就航との情報を得ていたからであった。が、結論から言えば新居浜市営渡海船新船乗船は叶わなかった。確かに「四月からの新船就航」と言う情報は小生の早とちりだったようで確かに四月からには違いないようではあったが来年平成十五年四月就航の予定らしい。ちなみに新船は19.00トンのようである。
 ま、いずれにして<もおれんじ7>で新居浜へ、そして大島へ行って来た。

 

●第一日目 またまたまたオレンジフェリーで

 22:10大阪南港フェリーターミナル駅に降り立ち連絡通路橋をターミナルビルへ向かう。連絡橋の窓から見える待合室には今夜もまた人影が多い。<おれんじ7>は南港から出港するフェリーの最終便であるから待合室を賑わせている人々は<おれんじ7>の乗船客である。USJ効果というのも確かなようだがどうも最近は間違いなく乗船客が何時も多いのには驚きである。
 小生は思い立った昼下がりに予約を入れて特別室をゲットしてあるので急ぐこともなく、のんびり発券窓口へ向かい乗船申込書に必要事項を記入して人の列に並んだ。程なく特別室の乗船券を手にした。今回は往路復路共に左舷側420号室。お気に入りの部屋である。
 既に乗船は開始されていて二階の連絡橋入口に上がると、既にそこには殆ど待つ人々の姿はなかった。連絡橋を進むと岸壁への出口で係員が待ち受けていて乗船券をもぎる。夜風を爽やかに受けながら岸壁を進みタラップを上る。見覚えのある若いクルーが笑顔で出迎えてくれる。
 エスカレーターを上るとそこは案内所のある三階フロア。
「毎度・・・。」
 笑顔で出迎えてくれた顔見知りの年輩のパーサーはにこやかに一言。(笑)
 最早、近頃は乗船券を見て、手に取って案内所へ案内してもらえることは殆どない。案内が悪いとオレンジフェリーの掲示板に苦言を呈していた人も居られたようだが小生の場合は、その臨機応変で親しみあるオレンジフェリーのクルーのみなさんの対応には常に大いに気に入っているところである。
 案内所で部屋のルームキーを受け取りレストランへ直行。乗船客が多い様子であったから直行したのだが意外にも殆ど人影はなかった。注文を済ませ席で待つ頃には程なく満席に活況を呈していたが。夕食は一応終えていたので今宵は「ラーメン」を食べることにした。
 「ラーメン」と定番「じゃこ天」を注文し、並べられていた「イカの唐揚げ」を夜食にすべくゲット。尾道風?の小魚で出汁を取ったような
コクのあるスープの「ラーメン」を食べながら、ちょっと口にした「イカの唐揚げ」が旨かったのでついつい食ってしまい部屋での夜食は「じゃこ天」のみになってしまった。
 売店で石槌のナチュラルウォーター(ミネラルウォーターではない)と愛媛みかんのポンジュースの小さなペットボトルを買い求めじゃこ天と共に部屋へ。
 室内デッキのテーブルに夜食をセットしてまどろみ始める頃には、我が<おれんじ7>は離岸出港していて静かに南港フェリーターミナルを後にしていた。程なくかもめ埠頭の前方に差し掛かる。かもめ埠頭には11:00に名古屋港金城埠頭を出港した沖縄航路の<飛龍>接岸していた。
 大阪南港港湾入口灯台の赤い光が船窓の間近で煌めいている。港を後にした<おれんじ7>は船足を上げ一路西へ。左舷側の部屋からの眺めは港を出ると直ぐに視界が左右に広がる。左前方には泉南沿岸の街灯りがオレンジ色に輝いているが遙か彼方の眺めである。行き交う船はさすがに大阪湾、次々と視界から消えることがない。
 午前0時をちょっと過ぎると、前方にはオレンジ色に輝く淡路島のインターチェンジが見える。間もなく点滅する照明を散りばめた明石海峡大橋の橋脚が目に入ってくる。橋梁をつり上げている逆アーチ型のワイヤーのイルミネーションは既に消灯されている。
 00:10明石海峡大橋を通過した<おれんじ7>は程なく左舷側には神戸へ向かう<おれんじエース>と反航するのだが、この日は週末で<おれんじエース>は運行されていないからその姿を見ることは出来ない。一風呂浴びてさっぱり就寝。

●第二日目 三度目の大島

 四月の新ダイヤで東予入港は従来より二十分遅くなり06:10となった。東予入港を知らせる船内アナウンスは三十分前に開始される。この二十分の差は大きい。従来は05:20になると三巡分前を告げるあんない放送が響きわたっていたのだが05:40となった。つまりはそれまでの熟睡が保証されるわけである。
 あんない放送で目覚める新居浜へ向かう<おれんじ7>船室での朝。徐にベッドから船窓の窓に視線を巡らせると四国沿岸の景色が朝靄の中にゆっくりと巡っている。
 目覚めのシャワーを浴び石槌の美味しい水でたてたコーヒーにゆで卵の販売を案内所でやっているとの船内放送に釣られてそれを買いに行く。今朝のコーヒーはマンデリンだった。ゆで卵に着けてくれる小袋の塩は伯方の塩。昨夜飲んでしまって無くなった愛媛みかんのポンジュースも売店で買い求め部屋でゆったりモーニング。
 程なく前方に黒島、大島が視界に入ってくると<おれんじ7>新居浜東港内に入る。ここでは何時ものように岸壁の前で旋回し舳先を百八十度ひるがえし微速後進でにじり寄るかのように静かに接岸する。定刻07:50ぴったりに新居浜東港の岸壁に接岸した。
 徐に部屋を出て案内所に立ち寄り不要の荷物を預けて身軽になる。元より身軽なのだが旅先での不要の荷物は少ないに越したことはない。

●新居浜東港から黒島港へ、そして大島へ。

写真 左:新居浜東港接岸中の<おれんじ7>のファンネル 右:瀬戸バス新居浜東港バス停
 ターミナルビルを出ると右手直ぐに路線バスのバス停がある。新居浜駅に行くには都合のいいバスで少々船が遅れていても待ってくれている幾度もお世話になっているバスである。が、今日はバスのお世話にはならない。大島の吉祥寺へお伺いしようと思っていたからである。大島へは新居浜東港から約2km程度、歩いても小一時間の距離なので適度な散歩を兼ねて徒歩で行くのも悪くはない。
 けれども客待ちをしていたタクシーが待ちぼうけを食らっていた。乗り込む。
「黒島へ・・・。」
「まだ船に時間には早いですよ。大島へ行くのでしょ。」
「ええ、そうですよ。」
 たわいない運転手さんとの会話。運転手さんにしてみればきっと不思議なのだろう。一応旅行者らしき出で立ちで船を降り立った客が新居浜駅とかではなく黒島港というのがどうも怪訝そうな雰囲気であった。あるいは前回に多喜浜駅まで送ってもらった運転手さんだったのかも知れない。親しげに話してくれていた。
 タクシーではものの十分もかからない。八時過ぎには黒島の港に到着していた。待合所の中を覗くと片隅の机に向かって手持ちぶさたの地上係員のおじさんが一人居るだけだ。日曜日なので売店もシャッターが閉ざされていた。まだ船の時刻08:45には充分に早く乗船待ちをする人影もない。乗船券を売るおばさんの姿もない。雲一つない快晴模様の
澄み切った空気は爽やか。
 港を後に界隈をちょっと散歩。確か大島行きは今回で三度目、そのたびにちょっと界隈を巡っても居たので人家の家並みやその間を巡る道の様子も少々は分かる。石垣に囲まれた盛り土に植わった確か立て札のあった桜の木があるお寺があったと、そちらへ向かう。
 人家の間の細い道を行き左折右折でものの五分程度、正面に山門が見えた。結構立派なお寺なのだ。

写真 左:黒島・明正寺 中:漁船が群がる黒島港
 明正寺と言うお寺で神亀五年(728)、伊予の豪族越智氏の創建と伝えられる。本尊:聖観音菩薩、宗派:真言宗、元々、西方寺と称していたが、寛永20年(1643)、明正天皇の勅令により寺号を改めた古刹だという。境内にはいると正面に荘厳な本堂があり左手に鐘楼がある。
 鐘楼へ上り鐘を観賞、彫刻された文字は「弘法大師生誕千二百年・昭和四十八年」と刻まれ寄進した人々の名が回りにぎっしりと刻まれていた。四国はさすがに何処へ行っても弘法大師様が目に付くところである。
 一巡りしてまた人家の間の道を通り海辺に出ると港の東端に出る。フェリー乗り場の岸壁まで100mほどの間には整然と漁船が係留されている。まだフェリーは入港していない。待合所までゆっくり戻ると入口で、やってきた乗船券売りのおばさんに出会った。手にしていた丸い缶に見覚えがあった。後に続いて待合所へ入り往復の乗船券を買い求める。<大人片道40円
 程なく大島からやってきた<おおしま>が入港してきた。一番乗り場に船首から直角に接岸してブリッジを兼ねた扉を岸壁に降ろす。数十人の人と八台ほどの車が降りてきた。下船が完了すると同時に乗船が始まる。まずは人が先に、そして一段落すると車が乗船する。と言っても、この時刻に大島に渡る人の数は大島からの乗船客の比ではない。十人弱の乗船が一段落すると。
「車が乗ります。車載甲板にお出でになる人は船室にお入り下さい。」
 と案内アナウンスが響く。以前には気づかなかったアナウンスだ。
 何か問題でもあったのだろうか、それとも安全第一の徹底と言ったところなのだろうか。


写真 左・中:黒島港から大島を見る 右:<おおしま>船上から見る大島
 乗船すると間もなく08:15、のどかな黒島港を後にして<おおしま>は大島へ向かう。この船はこのような近距離航路ではよく見かける前後いずれもが船首であり船尾である形状の双頭型のフェリーであるから舳先をひるがえし旋回する必要はない。一筋の航跡を描き速やかに出港して行く。海は穏やかに凪いでいる。港を出ると左手に標識灯を見ながら前方に大島が全景をあらわす。
 そんなに大きな島ではない。周囲9km余りである。けれども黒島の港を出たばかりでも近すぎてカメラを向けてもその全景がファインダーには収まらない。それでもこの僅かな距離の海に隔てられた島への交通手段は唯一この新居浜市営渡海船の他に公的な交通機関は存在しない。
 「大島」と名の付く島は日本全国何処へ行ってもあるようだ。瀬戸内海にも幾つも「大島」と称する島はある。この大島は新居浜市の東海上にに位置する通称「新居大島」とも呼ばれている島である。古来以来燧灘(ひうちなだ)唯一の良港として知られていた。伊予水軍の統領・村上義弘の生誕の地としても知られ中世には水軍の根拠地となっていた島である。
 水軍にまつわる遺跡が島内には点在していてその歴史を物語っている。近世以降には長崎から上方を繋ぐ航路の寄港地として栄え元禄年間には「金島」とも称されるほどに栄えていたと伝えられている。
 観光地としては殆ど知られていない。海水浴や魚釣り、潮干狩りなどになどに訪れる人々はいるようだが多くはないであろうと思われる。昨年秋に初めて訪れたときの印象では、古びた看板を掲げている食堂や衣料品店の面影を残す家屋もあるが店先に置かれた自動販売機には電源も通じていないような感じで営業している気配もない。確か米や、酒屋はあったようには思うが食料品など日常的な調達はどうするのかと人ごとながら気がかりであった。
 人家や集落は島の南部(新居浜側)に集中している。周囲は9.1km、最高地点は神田山の頂で147mで思いの外大きい島である。傾斜地が多く耕地は狭い反面、周囲は好漁場に恵まれているので小規模多漁種の漁業に従事している人たちが多いようだ。

●大島にで毘沙門天さまを拝み、春満喫!

写真 左:吉祥寺 中:シロイモ 右:シロイモ畑の苗
 大島には毘沙門天を本尊とした真言宗の古刹吉祥寺がある。(
新居浜大島の毘沙門天 陽向山吉祥寺 真言宗善通寺派 新居浜新四国霊場八十八番札所)
 吉祥寺のHPでは・・・
 歴史は古く、僧行教により宇佐から大島に八幡神が勧請されたといわれる貞観元年(859)にさかのぼり、古くは大島八幡神社の別当所として「神宮寺」と号しました。寛文年間(1661〜72)に仏教と神道を分けることとなり、初代住職龍雲阿闍梨の代に現在の滅罪寺としての寺号を「吉祥寺」と改めました。
 以降火災などにより数カ所を転地したといわれますが、延享5年(1748)第十代住職宜長大和尚の代に現本堂が現在地に建立されました。以来代々の住職のもとで宗祖弘法大師の教えは大島に脈々と受け継がれ、明治初年の廃仏毀釈の法難、先の大戦の混乱も乗り越え現在に至ります。
 と紹介されている。
 島の人家の密集する界隈の細い道を行くと山を背にして閑静な佇まい。ちょっと変わった経歴をお持ちの住職が居られるようで公開されているHPも楽しくも意見できる。<吉祥寺のHP
 何かのご縁で大島を訪れるようになった小生としては毘沙門天様のご慈悲かとの思いも微かに抱きながら初めて大島を訪れたときにお参りしたことがあった。今回は思い立ったその時に毘沙門天様の御利益にあやかろうと思ったわけである。山門を潜ると左手にある薬師如来様にも初回の時に健康を祈っていたのだ近頃はすこぶる健勝に過ごさせていただいていることも嬉しい思いがしていた。
 ご住職にお目にかかれるかもと期待していたのだが、葬儀があって多忙を極められていたご様子で小大黒さまがお迎え下さった。まずは本堂で御本尊毘沙門天様の御姿を拝み心ばかりの志を供えた。
 庫裡でお茶を頂きながら、お大黒さまからは日々の買い物などには商店が少なく新居浜辺りへ買い出しに出かけまとめ買いをしているそうだが、お年寄りが多く不便を感じている人たちが多いなど島の生活に関する興味深いお話を伺った。小生のようにたまに訪れる輩にとってはのどかで和やかな島と映るとしても、そこでの生活を営む人々にとっては確かに何かと島の生活には不便さも伴うのが常なのであろう。
 めぼしい産業もなく精々狭い耕地での畑作と小規模な漁業程度では島内には職場も少なく、勢い新居浜辺りで職に就く人たちが多くなるのもやむを得ないこと。渡海船も黒島発の最終便が21:30となっているから新居浜辺りで就業する人たちにとっては残業することも思うにままならないので若い人たちは島を出ていってしまうとのお話でもあった。
 ご住職との体面はまたの機会を期することにしてお参りを終えさせていただいた。帰り際に、ご住職からのお心遣いと大黒さまから手渡されたレジ袋には大島名産の「シロイモ」がずっしりと入れられていた。ありがたく頂戴して場を辞した。
 まだ時刻は午前九時半頃であった。<おれんじ7>の出港に間に合う戻る船は10:15または11:15の二本がある。爽やかな春の風が心地いい。行くアテもなく急ぐこともないから11:15で戻ることとして、ひとまず海岸線を東側へ巡ることにした。吉祥寺門前から細い人家の間の道を行くと郵便局や小学校の前を通り五分もすれば島のと東岸を巡る海岸沿いの道路に出る。右折すれば港へ戻る。左折すれば島を巡る。左折して歩き出すと道端の野小屋に老夫婦が野良仕事の準備をしているのか何やらちょっとした道具を自転車のカゴに入れていた。
 傍らには僅かばかりの平地に幾種類かの野菜が植わっていた。
「こんにちわ、エンドウ豆ですか・・・。今、吉祥寺へお参りしてシロイモもらってきましたよ。」
「そうだよ、これはエンドウ豆、シロイモは今は苗作りでね。」
 吉祥寺で頂戴してきたシロイモをぶら下げたまま声を掛けると気楽に答えてくれる。やはりこのようなひとときには心の和む思いがする。島の人の暖かい心が伝わってくる。
 道を行くと老夫婦もどうやら同じ方向へ向かっている。途中で海岸沿いの道に鬱蒼とした竹藪が覆い被さるようなところに差し掛かると老夫婦は自転車を道の傍らに寄せていた。カマを手に路傍の竹を眺めていた。見定めていて居るようであった。徐にその竹を切り始めていた。
「竹ですね、何にするんですか?」
「あはは、竹だよ。トマトの添え木にするんだよ。真っ直ぐ延びているのが丁度いいからね。」
 なるほど、畑の器材も自然の中で調達できる豊かな自然なのかと言葉無く感心しきり。
 それから暫くは一通りのない海岸沿いの道をいくこと暫し、最早人家は全く視界には入ってこない。海の水が透き通っていて美しい。行く手に岬が見える。その手前がちょっとした入り江になっていた。前方の海は瀬戸内海なのだが凪いでいて静かな雄大な光景は充分に新鮮な印象に満ちている。道端に腰を下ろし暫しひとときを過ごす。
 岬の向こうに小型漁船が航行している。二隻一緒に併走する航行は曳き網漁の操業中なのであろうか。目前の海には定置網が仕掛けられている。足下の浜は砂浜に石ころの多い海岸で波打ち際を覗いてみるが魚などの姿はない。けれどもきっと岩礁があるとか、潮の流れに恵まれているとかで目の前の海は好漁場となっているのであろう。
 凪いだ海は静かに小さな波をゆったりと浜に寄せている。振り向いて腰掛けていた道端を見ると、そこには海草が打ち上げられている。時化の時には大きな波が打ち寄せて海辺の道までへも覆い被さるのであろう。
 道端に腰を下ろし、海辺に降りて波打ち際を覗き込み、また再び道端に腰を下ろして煙草を一服。そんなに長い時間ではない。精々モノの十分か十五分程度であったと思う。その僅かな時間の間に大自然に抱かれすっかりと和みの時の流れを体感させられていた。
 今し方まで、ここまで歩いてきて充分だ。まだ引き返せば一本早い10:15の船で戻れる。そんな思いを抱いていたのだが僅かな間に抱く思いは海岸沿いに歩いて島を一周してみようかとさえ思うほどに百八十度旋回してしまっていた。そんな気持ちにも駆られたがそれほどの時間はない、と思われたので途中でショートカットして山越えをして港へ戻ろうと立ち上がり歩き出した。入り江の辺りに差し掛かると山手へはいる道があった。左折してふと前方を眺めるとそこはまるでお花畑。
 色とりどりのお花が咲き誇っていた。

写真 峠から見下ろす大島港
 みかんの木も結構あるのだが実はない。既に時期は過ぎているからではあるのあろう。遅咲きの桜も咲き誇っている。桃の木もあったようだ。ラナンキュラス、パンジー、チューリップなどなどが赤、黄、桃、紫と色々に満開。綺麗な薄紫の藤棚の側にあった野小屋の陰に人の気配、微かに話し声も確かに聞こえる。そこは数人のお年寄りが集まっていた。
 野良仕事の合間の語らいなのであろうか、それとも井戸端会議の類なのか。こういう光景の中では不思議なモノで気軽に声を掛けることに躊躇することもなくなる。
 島の様子をちょっと尋ねてみた気持ちもあった。
「こんにちわ、海岸沿いの道を一周したら遠いですかねぇ?」
「うん、そうだな8kmくらいかなぁ・・・。」
「そうですか、じゃ、この道は港へ通じていますか?」
「うんうん、直ぐだよ。峠の上から港は見えるから。」
「一時間もあれば充分でしょうかね?」
「あはは、三十分もかからんなぁ。」
 気楽に親しげに答えてくれる。が、峠は結構見上げるほどの坂の上にある。田舎で道を尋ねると「直ぐそこだ。」と答えられることは多い。でもその時には結構注意を要する。距離感覚の隔たりがある場合が多い。けれども歩くことに決めた。峠を越えて港へ歩いていきことに決めた。
 曲がりくねる坂道を歩く。路傍にはアザミが咲いている。狭い畑もあちこちに多く点在している。季候も良く天気もいいからだろうか、あちこちの畑には人が居る。みな老人だ。しかも農機具が見あたらない。手仕事で畑を耕し作物の手入れをしている様子である。のどかと言う言葉はこのような情景を形容するためにあるのであろうと思われた。ここは正に島の裏側に回り見つけた極楽浄土だった。(^^)
 お礼の一言を述べてお年寄りたちに別れを告げようとすると
「私も行くよ・・・。」
 と老婆が自転車を押して道端へ出てきた。一緒に峠を目指す道を行く。歩きながら花が四季折々に綺麗なこと。この大島のみかんは甘くて美味しいこと。けれども手入れが大変なので最近ではみかんの木も放置されっぱなしになっているのが多いこと。シロイモは今が苗を育てる時期で自分も苗を作っていることなど色々と話してくれる。暫く行くと坂の途中で老婆は道端の畑が自分の畑だと言い、そこで畑仕事をこれからするのだと別れを告げた。
 それからまだ暫くは坂道が曲がりくねって峠に続いている。子供の頃に田端の間で遊んだときに見覚えのある懐かしい草花が色々と咲き誇っている。手にとって食べることも出来そうなイタドリやヨモギなどもある。何故かところどころにはビワの木もあった。竹藪もあるし雑木林もある。
 道すがらも狭く小さな畑は何処もかも綺麗に耕されていたり手入れされていて美しい。きっとお年寄りたちが日毎心を込めて世話をしているのであろう。かなり傾斜のある坂道を上りきると峠に辿り着いた。振り向くと確かに瀬戸の見晴らしが広がっていた。先ほどのお年寄りが教えてくれた道はここで左へ行けと言うことであった。右へ行くと島の反対側へ至るから戻って来れなくなる。
 左へ曲がり少し歩くと左手に急な細い下り坂の道があった。その先に港が見える。丁度のその角にあった畑にもお年寄りが畑仕事をしていた。
「おじさん、この道は港へ出らえますか?」
「うん、直ぐだよ。」
 道標も何もない。迷うほどのことはないだろうがやはり知らない土地での初めての道には不安は伴うモノである。こんな時の地元の人の一言はありがたい。安心して坂道を下る。途中で道端の畑へ入るあぜ道をちょっと上ってみると前方下方に訪れた吉祥寺の本堂の屋根が見えた。その向こうに大島港が見えている。
 かなり急な坂道が続いている。人がようやくすれ違える程度の細い道だ。下ると墓地の中に出て程なくやがて吉祥寺の横手の道に出た。三十分は既に経過していたが、時刻は十時四十五分。船の出港11:15までにはまだ三十分ある。のんびり歩き人家の合間の道を辿り港の前の通りに辿り着いた。
 港にはターミナルビルがある。発券窓口というか乗船券を売る地上係員のデスクがある待合室、トイレ、ちょっと洒落た作りの直販所と看板の掲げられている建て屋が平屋作りで連なっている。その向こうには立派な漁協のビルがある。港前の道路に面してはゆったり回りに庭を巡らせた住宅があるだけで商店などは何もない。
 待合室の中を覗くと、まだ乗船客の姿はない。地上職員のおじさんがひとり机に向かってTVを見ている。けれども爽やかな気候なのに何故か出入り口や窓の総てが閉じられていた。
 とりあえず中へ入ってみる。
「こんにちわ。」
「どうぞ、どうぞ。戸は閉めておいて下さい。」
「は、はい・・・。」
「ツバメが巣を作りに入ってくるので困るんだよ。」
「え、そうなんですか? 巣を作られると何か困ります?」
「そうだよ、いんだけどね。ここは夜は全部戸を閉め切るので出入りできないから可哀相だろ。」
 屈託のない表情で淡々と語ってくれる。代船の<大島丸>も桟橋に係留しておくとツバメが巣作りをするので困るからツバメを避けて場所を移動していたらしい。そう言えば桟橋に船影はなく往路に大島が近づくと黒島寄りの防波堤に囲まれた船溜まりに<大島丸>の姿があった。
 ツバメの会話を始まりに、この大島港界隈は埋め立てによって造成されたこと。昔は浜辺となっていてウナギがよく捕れたこと。エサは漁船が漁をしてきて水揚げするときにまき散らした小魚であったこと。夜にはカーバイトの光を磨き上げたフライパンで反射させウナギをモリで一突きにしたことなど喜々として揚々と語ってくれるおじさんの表情は輝いていた。
 その間に黒島へ渡る車や乗船客が集まってきていた。顔見知りの人たちが多いようでおじさんも気軽に声を掛けている。待合室にも可愛い子供達が入ってきた。島に住むおじいさんやおばあさんの家に遊びに来ていた子供のようであった。
 おじさんの話に寄れば小学校は総児童数が現在八名だそうである。昨年までは七名であったそうだがIターンの家族の子供が一人増えたとのことであった。しかし驚きである。あの小学校は結構広いグランドに鉄筋コンクリート造りの多分児童数より教室の数の方が多いであろう校舎、立派な体育館もあった。その上、海辺には児童専用の近代設備の整ったプールもあった。その小学校に全校児童が八名とは驚きである。
「来年には新しい船もできるそうですね。黒島の港で伺いましたけど・・・。」
「そうだよ、小さいけどね。俺もそうしたら失業になる。」
「そうなのですか?」
「新しい船になると人手がかからなくなるからなぁ。」
 屈託無く語るがちょっと寂しそうな表情も浮かんでいたようだ。
 そんな興味深い話を思いがけず楽しく伺いながらあっと言う間に時間が過ぎると黒島から折り返してきた<おおしま>は桟橋に近づいていた。
 黒島の港は固定式の岸壁なのだが、こちら大島の港は浮き桟橋である。
「来ましたよ、どうぞ。」
 おじさんはそう言いながら<おおしま>の入港を出迎えに行った。後に続き桟橋へ。おじさんの丁重な見送りに送られながら乗船した。

●大島を後に

写真 大島港 左:巡ってきた峠が港の背後の山間に見える 右:波消しブロックの先端の標識灯
 僅かに二時間余りの上陸であったが、ゆったりとした時の流れ、和やかで暖かな島の人々とのふれあいとともに豊かな自然を満喫して過ごした心和む心安らぐ心地よいひとときであった。非日常体験というモノは人それぞれに色々と思いもあって感じ方にもそれぞれの個性があるとは思うが、これこそ正にそのひとつであろうと思う。
 確かに水軍の歴史もあり史跡もある。しかしそのような見るべきモノの有無云々よりも穏やかな大自然に抱かれた人々の営みがある生きた島の中にこの身をひととき委ねることの出来た歓びにの満足感と充実感は例えようがない。きっとまた何時かそう遠くないときに訪れるであろう予感に満ちて大島に別れを告げた。

 大島の港を後にした<おおしま>の船上から振り返ると吉祥寺の大屋根の向こうに越えてきた峠の道が見えていた。のどかな島、ゆったりとした時の流れの中に心温まる人々との出会いと語らいに恵まれて大島は船尾に遠のいていく。波消しブロックの先端の標識灯の向こうには瀬戸の海が広がっていた。
 僅かに二時間余りの上陸でしかなかったのにすっかり気分はリフレッシュされていた。海を渡り頬を撫でる風も爽やかだ。船室は車両積載デッキの両側に細長い部屋があり二人掛けのシート椅子が並んでいるのだが、こんなに穏やかな日の最上級船席は階上の両サイドのデッキに設えられたベンチ席であろう。側には灰皿?(ドラム缶)も置かれた喫煙できる席なのだ。
 港の出入口の標識灯の側を通過すると右へ旋回し一路黒島へ向かう。僅かに十五分の航路である。しかし、この航路、新居浜市営の渡海船。橋を渡す変わりに航路を設けているわけだが、乗船料40円には恐れ入る。言うまでもなく日本一安い乗船料の航路であろう。ちなみ運行管理は新居浜市道路局である。
 島の生活感が漂うのどかな船である。後方に大島を遠ざけて行きながら前方には黒島が迫ってくる。四国側を見渡せば穏やかに凪いだ海面には重なる山並みが映り込んでいた。

写真 <おおしま>の 左:黒島側舳先 中:操舵室 右:舳先の向こうに黒島が見える
 ベンチから見上げると前後両方に窓がある操舵室が見える。見下ろすと車載甲板には数台の軽自動車が積載されていた。乗船客は十名余り。人口密度は極めて低く思い思いにまばらに散らばっている。左舷側のベンチで煙草を燻らせながら移りゆく四国沿岸をぼんやり眺めること暫し程なく早くも<おおしま>は黒島港の直前に差し掛かっていた。
 港に入ると大きく右へ旋回して船首を岸壁に直角に向ける。速度を落としゆっくりと接岸していく。甲板員が係留ロープを岸壁に投げ降ろすとそれを引き上げ係留杭にワッパを掛ける地上係員。それを見届けた甲板員がウィンチを操作すると船は岸壁にぴったりと接岸する。
 船首ゲートが開き降ろされ車も人も一緒に下船していく。

 今までは気づかなかったのだが、この黒島港の岸壁には一番乗り場と二番乗り場があった。入港したときに正面に待合所が見える位置に直進して接岸し正面の光景が往路に乗船した正面の光景とは異なることに気づいた次第である。岸壁に降り立って地上係員に尋ねてその謎が解けた。往路では干潮あったために一段低くなっている一番乗り場からで、今は満潮なので高い方の二番乗り場に接岸しているとのことであった。

写真 黒島港の<おおしま>
 歩いて戻ろうか、それともタクシーで戻ろうか・・・。行きがけには帰路は歩いて戻ろうと思っていたのだが大島では思いの外に歩いてしまっていた。ちょっと心地よい疲れも感じていた。で、お得意の行き当たりばったりでタクシーで戻ることにした。待合所の公衆電話の前にはちゃんとタクシーの電話番号シールが貼られていることは既に承知していた。
 十円玉を入れてダイヤルする。
「もしもし・・・。」
「はい。」
「黒島の港にいるのですが・・・。」
「はい、桟橋ですね。」
 いとも簡単に伝わる。待つこと五分余り、迎えに来てくれた。港から広いとおりへ出て左折し直ぐに右折して程なく前方に<おれんじ7>が遠望できる。港湾を迂回して港までは五分もかからない。

 が、またここで思い立った。そうだ<おれんじ7>の真横からの写真を撮ろう。
「運転手さん、船の写真を撮りたいので向かいの沿岸へ回ってくれませんか?」
「はい、いいですよ・・・。」
 物好きに微笑みながらも快く了解してくれてUターンした。

写真 新居浜東港の向かいの沿岸、絶好の撮影ポイントで釣り糸を垂れていた釣り人
 タクシーは黒島の中を迂回して<おれんじ7>を真正面に見る絶好のポイントに行き止まった。穏やかな陽射しに<おれんじ7>は悠然とした姿を横たえていた。カメラを構え右往左往する小生の姿に怪訝そうな表情を浮かべながらのんびり釣り糸を垂れている人が居た。運転手さんも車から降り微笑みながら煙草を燻らせ<おれんじ8>を見ていた。滅多にこのアングルで見る機会はないと結構楽しそうだった。
 撮影のアングルも距離も丁度いい。問題はカメラに収める小生の技。しかるに技は言うまでもなく問題である。ま、何とか様になるだろうとシャッターを押す。しめしめ絶好のアングルの写真が撮れた。

写真 新居浜東港の<おれんじ7>
 ぼんやり霞のかかったような光景だが、晴れているのに霞んでいる実際にそのような光景なのであった。
 <おれんじ8>の出港までには、まだ小一時間の時を余していた。タクシーでマリンパークまで送ってもらった。マリーナを眼前に見下ろす階上のレストランで昼食を取るのも悪くはないのだが、それには少々時間が不足気味。急いで食事をするよりは立てたてのエスプレッソコーヒーでコーヒーブレイクのひとときに止めることにした。
 古のリゾート構想の頃のモノなのか、ここマリンパークは驚くほどに近代的な設備の整った洒落た趣の施設である。ローカル色を期待しがちな小生にとっては決して大いにお気に入りとは程遠い存在で都会的な雰囲気が漂っているのだが、まぁ、それも悪くはない。時々は結婚式やその披露宴、宴会などにも使用されているようだが普段は訪れる人も少ないようだ。一階のロビーなどはちょっとした時間つぶしにソファで寝そべることも出きる。TVもあって居心地のいいラウンジがある。出入り自由の場でもある。売店もなくなった港のターミナルビルの中で時間待ちするよりは遙かに楽である。
 コーヒーを飲み干すと既に十二時を十分余り過ぎていた。丁度いい時刻だ。ぶらぶらのんびり歩いて精々十分もあれば充分に乗船できる。

写真 新居浜東港前のマリンパーク入口に鎮座する懐かしい灯台
 レストランから港に向かう途中、マリンパークの入口には紅白の灯台が鎮座している。新居浜港は元禄四年、住友家の別子鉱山の開坑により海運中継港として利用されるようになった。その後、住友家の築港計画により昭和十三年三月に本築港が開港した。今、新居浜東港前のマリンパーク入口に永久保存されるべく復元されたものらしい。
 ターミナルビルに入ると既に乗船は開始されていて待合室には人影はなかった。

●復路の瀬戸内海航路昼行
 新居浜東港12:40に出港する。乗船はその二十分前から開始されるが乗船時からレストランは営業しているので昼食には丁度都合がいい。新居浜からの乗船客はこの便は何時も非常に少ない。この日も数十名も居なかった。車もなく徒歩での乗船客は精々数名に過ぎなかったと思う。下船時に不要な荷物を預かってもらっていたので、案内所でそれを受け取り部屋の鍵を受け取ると殆ど貸し切り状態のレストランで「豚カツ定食」を食う。右舷側のレストランの船窓からは間近の対岸に黒島が迫っている。先ほど本船を撮影したポイントは目の前である。釣り糸を垂れた人たちは今なお止まっていた。
 定刻12:40出港すると間もなく港の出入口に差し掛かり黒島越しに大島の島影が重なる。
 大阪行き<おれんじ7>の左舷側の部屋の船窓からは新居浜、伊予西条沿岸を巡る四国北岸沿いの景色がゆっくりと流れて行く。伊予西条沿岸には朱色の巨大なクレーが遠望できる。日本一大きいと言われている高さ90m巾160mの今治造船のクレーンである。このクレーンを後方に見送ると前方にはしまなみ海道で結ばれた島々と来島海峡大橋が遠望できる頃、本船は緩やかに左へ旋回をはじめる。
 東予への入港を知らせる船内アナウンスも始まっている。船室を後に後部展望ラウンジへ向かう。五階デッキにとなる後部の展望ラウンジは船尾方向、左舷、右舷の三方向が大きな透明ガラスとなっていて見晴らしがいい。ゆったりとした肘付きの大きな椅子がてーぶを囲み配されていて快適な空間を形成している右舷側は喫煙可、左舷側は禁煙となっている。
 この時期は外気との温度差も少なくガラスに水滴が結露したりすることも無いので一巡できる眺めは誠に美しい。

写真 東予港 左:港の入口越しに<おれんじエース>が見える 中・右:近づく<おれんじエース>
 やがて左舷前方に東予港が見えてくる。<おれんじエース>は神戸発は日・月・祝日休航、土・祝日の前日は東予止、新居浜発は土・日・祝日の前日は休航となっている。今日は日曜日、従って<おれんじエース>は東予港に停泊している。港の入口の両側から延びる防波堤越しに<おれんじエース>の船影が認められる。<おれんじ7>は速度を落としゆっくりと直進して進入して行くと左舷間近に<おれんじエース>が迫ってくる。カメラのファインダーにぴったり収まる好都合な距離を保つこと暫し。幾度もシャッターを押す。
 ここ東予港はオレンジフェリーの母港となっている。岸壁には給油施設なども見受けられターミナルビルも立派なビルで乗降する船客も新居浜に比してかなり多い。とは言うものの新居浜から乗船してここ東予で下船客は先ず希であろうが・・・。
 駐車場にも車が多い。ターミナルビルの回りにはバスなども駐車している。


写真 東予港の<おれんじエース>
 この東予港に停泊する<おれんじエース>とは過去幾度も対面していながら、どういうわけかカメラに収めるチャンスを逃していた。今回はそのチャンスをばっちりと手中にすることが出来た。
 接岸する岸壁を間近にして<おれんじ7>は右へ百八十度旋回して船尾を岸壁に向けるとゆっくりと後進する。微速後進を続けながら岸壁に待機する地上係員に向かって係留ロープの先導ロープが発射される。その先端をたぐり寄せ係留ロープを引き上げると先端の輪が岸壁のもやい柱に掛けられる。本船側のウインチが作動して係船ロープが巻き上げられとぴったりと着岸する。直進し右へ旋回し一旦停船すると微速直進で後進する小文字のSを逆さにしたような航跡を描く。
 幾度も乗船していてこの東予港への入港を体験してはいるのだが船室の中にいると何とも不思議な動きをして接岸する不思議さに満ちていたが、この日、初めて始終をじっくりと眺めてその動きの実態が納得ができた。
 間近に見た<おれんじエース>をカメラに収め、展望ラウンジから外部デッキへ出て手摺から身を乗り出して入港の不思議に納得し着岸を見届けると部屋へ戻った。
 部屋に落ち着きシャワーで汗を流す。浴衣でくつろぎまどろみながらのコーヒーブレイクを楽しむ頃には東予港を後にして本船は一路大阪へ向かっていた。船尾方向に遠ざかる今治方面の遠景が遠のいて行くと暫くの間、左舷側には島影は少なくなって瀬戸の海が広がってくる。
 昼下がりのひとときは昼寝のひととき。(^^) ベタ凪の海の航行する<おれんじ7>は静かに滑るように東進する。

写真 <おれんじ7>デッキから遠望する本島の向こうに瀬戸大橋
 うたた寝のひとときから目覚める頃には船窓には再び島影が多くなってくる。左舷側では真鍋島、佐柳島を後方に見送る頃には前方に広島、手島、小手島、そしてやがて牛島、本島などが遠望できるようにあってくる。間もなく瀬戸大橋に至る。再び着替えて部屋を出る。展望ラウンジから両舷の外部デッキへ行ったり来たり結構忙しい。(笑)
 腕に「巡視」と記された腕章を着けたクルーが船内を巡っていた。安全航海を保つためのひとつの日常的な業務なのであろうが電車の車掌さんとは異なり広い船内を一巡するとなれば結構大変な業務のひとつなのであろうと思う。快適な船旅を楽しませてくれるクルーの人々のご苦労の一端を垣間見る思いであった。
 そう言えば東予入港前にはラウンジを通り抜けていったレストランや売店の女性たち。食材や商品の積み込み作業に向かっていたのであろうと思うが、これもまた大切な業務に違いない。
 本船は瀬戸大橋を通過して東進を続ける。

写真 墨絵の如き瀬戸大橋
 自然の営みは凄い。同じ情景でも刻々と表情を変える。この日は天空は一面に霞のような靄のような乳白色のうっすらとしたベールに覆われていた。春霞とでも言うものだろうか。黄昏が近く太陽がかなり西の空に傾いている。銀幕のモノクロ映画のような光景が遠のく瀬戸大橋の背景に広がっている。真っ赤に焼ける夕焼けは美しい。黄金に輝く黄昏も素晴らしい。けれどもこの墨絵の如きベールに覆われたようなモノトーンの黄昏も鮮烈な印象を伴って脳裏に焼き付く思いがする。
 ここに掲載している画像はその光景をカメラに収めたモノであるが正に墨絵に等しい。銀色の鈍い輝きをしっとりと凪いだ海面一面に散りばめて静寂の海を象徴している。
 大自然の営みの偉大さを思い知らせる瞬間でもあった。

写真 左:本島航路の高速船<ブルーオーシャン>か? 中:新岡山・高松航路の船ではないかと思うのだが・・・不審船ではないが船名不詳。(笑) 右:タグボート三隻に曳かれる巨大クレーン
 瀬戸内海を行き交う船舶は多い。オレンジフェリーの航路は瀬戸内海を東西を行くメイン航路であるが瀬戸大橋界隈は島々を結ぶ航路が縦横に巡っている。このメイン航路を横断している航路も多い。瀬戸大橋を直前にして航跡を大きく描きながら向かってきた高速船は、その時刻からして本島から丸亀に向かう<ブルーオーシャン>のようであった。瀬戸大橋を通過して間もなく大槌島を背に向かってきたフェリーは航路を横切り高松か土庄へ向かうのであろう。他にも縦横に行き交う船の船影が視野から消えることはない。
 瀬戸大橋を通過して暫くすると程なく昼過ぎに大阪を出港した<おれんじ8>との反航になるはずである。行く手前方を双眼鏡で見つめていると巨大なオレンジと白の構造体が直島の右手に見える柏島を背にこちらに向かっている。近づいてくるほどにその正体がようやく判明した。それは巨大なクレーンであった。先導するタグボートと左右から曳航しているのか押しているのかタグボートがそれぞれに一隻、計三隻のタグボートに曳航されている。瀬戸大橋へ向かい西進しているのだが行った何処へ向かうのだろう。
 一体どんな役割を担ってのことなのであろうか、定かではない。

 

写真 <おれんじ7>は瀬戸大橋を通過して間もなく<おれんじ8>と反航する。
 巨大なクレーンと反航して間もなく、展望ラウンジ横の外部デッキから開け放たれていた操舵室のドア越しブリッジ前方遙か彼方に<おれんじ8>がその姿を現した。既に全景が見えているから多分その距離は10km程度ではないかと思われる。互いに20ノット余りの速度で行き交うわけであるから近づいてくるのは意外に早い。接近してくる<おれんじ8>の姿をカメラに収め、行き交い後方にその姿を小さくしていく光景を見つめながら重ね重ねシャッターを押していた。
 後方に<おれんじ8>を見送りラウンジで一服すると時計の針は午後六時を指していた。夕方のレストラン営業は午後六時からの一時間。直島を見送り豊島を眺め前方彼方に小豆島を長めながらの夕食には丁度お時刻である。
 階下へ降りてレストランへ行くとお客の姿は殆どなく窓際のテーブルも総てが空いていた。中程の船窓に接しての席に座して夕食を取ることにした。東予では食材を積み込んでいるはずなのでアラカルト料理にも大いに期待していたのだがアラカルト料理の皿の姿はなく僅かに昼食の売れ残りと思われる作り置きのハムサラダなどが少々カウンターの中の冷蔵庫に入れられていた。食指は動かない。
 唯一料理と小鉢がセットされたトレイが幾つか並べられていた。<「オレンジ定食」700円。中ぶりのアジ一匹が丸ごとの塩焼きにされて皿に乗せられている。活きが良く旨そうだ。それに大根とサンド豆と豚肉の炊き合わせの小鉢もいかにも手作り料理と言った感じでこれには食指が動く。他にも定食メニューは例によって豚カツ、エビフライ、鶏の唐揚げ、魚フライ、それに数種類のパスタやオムカレーなどもメニューにはあるのだが「オレンジ定食」にして注文すると、たくあん二切れが乗せられた丼に山盛りのご飯と味噌汁をトレーに乗せてくれた。
「そちらに電子レンジがありますから温めて食べて下さい。」
 例のにこやかなお嬢さんが微笑みながら教えてくれた。ドアを開きアジの皿を入れると全自動で待つこと一分、焼きたてのアジの塩焼きが再生されていた。窓際の席にテーブルに運びゆっくりと食事を楽しむ。相変わらず味噌汁の味がかなり甘いのはシェフのお好みなのだろうか、どの料理も何時も満足しきりなのだがどうもこの甘さだけは絶賛するにはちと気が引ける。しかしアジはやはり旨かった。関アジの漁場には遠いから関アジとまでは行かないにしてもかなり活きが良く旨いアジであると思う。小鉢の煮物も少々甘めの味付けは否めないが温もりの伝わる手作りの味は満足に値する。
 やっぱり絶賛!(^^)<オレンジのレストラン
 やがて小豆島沿岸が視界に入ってくる。旨いアジも平らげた。部屋に戻りアフターコーヒーのひとときを室内デッキでまどろむ。
 この航路は新居浜を12:40に出港して22:00に大阪に到着するから正味九時間二十分、少し早めに乗船するから実質的にはおよそ十時間弱の乗船時間となるのだがいつものことながら退屈しない。昼行きの瀬戸の海は船窓に流れ行く景色も素晴らしいのだが何より行き交う船舶の姿に見とれてしまうことも少ないからなのだろうか。
 移動手段として航路を利用する人々にとっては十時間の船旅は決して短いモノではないと思うが船旅好きの小生にとっては決して長い時間ではない。
 もっともっとあってもいい、続いていてもいい快適で心地のいい時の流れなのである。

写真 明石海峡大橋
 明石海峡大橋の直前で明石と岩屋を結ぶ航路の<タコフェリー>と行き交い程なく橋を潜る。後部デッキから見送る明石海峡大橋が遠ざかると左舷側には阪神間の街灯りの輝きが凪いだ海面に煌めいている。煌々とした街並みの灯りの列はこの辺りからは大阪南港に入港するまでの間にとぎれることはない。旅の終わりの間近を告げる明石海峡大橋通過の後は船窓を巡る街並みの夜景を眺めながらゆったりとしたまどろみのコーヒーブレイクをまたもや楽しめるときである。
 反航してゆく大きな幾つかの船影とも行き交う。多分、大阪から、神戸からの九州航路のフェリーであろうと思われる。弓なりに特徴的な船形をした名門太陽カーフェリーの船舶はおよそ識別できるがその他の船舶はどうも識別しがたい。やや小ぶりの船舶とも行き交った。これは神戸から高松へ向かうジャンボフェリーかも知れないと思ったが定かではない。
 船内放送は大阪南港フェリーターミナル入港三十分前を告げていた。かなり速い船足で反航していったフェリーは時刻からして今し方南港を出港した高知へ向かう大阪高知特急フェリーの<フェリーこうち>ではないかと思われた。
 左舷前方、天空に輝く天保山の大観覧車を近づけながら本船は大阪南港入口の青い光の標識灯の側を通過した。

 微速前進、間もなく接岸。昨夜この岸壁を離れて以来二十三時間、またしても、あっと言う間に巡った思い立っての船旅であった。
 オレンジフェリー各便の中でも新居浜発大阪行き昼行の<おれんじ7>は特に絶賛に値する。新居浜を出航後暫く四国沿岸沿いに西進して東予港へ向かう。あの不思議な東予港入港の光景も白日の下に克明に観賞することもできる。東予港出航後は暫くしまなみ海道沿いの島々や、それらを繋いで渡る橋も遠望できる。それから暫く間は瀬戸内海、されど海、広々と視界が広がる瀬戸の海も満喫できる。
 瀬戸大橋界隈では視界から行き交う船の姿が消えることのない瀬戸銀座を行き交う様々な船たちにも出会えるし眼前に迫る小島も数えるに余りある。とりわけ黄昏時の瀬戸大橋の光景は幾度見ても飽きることはない。その時々に四季折々豊かな自然の営みを象徴して趣の異なる黄昏の情景を満喫させてくれる。
 何より昼行便の常として乗船客が著しく少ないことが多い。運行会社にとっては決して嬉しいことではあるまいが乗船客の側にしてみればゆったり船旅を満喫できる望ましい環境である。それに新居浜出港前後、東予出港前後、瀬戸大橋通過後と三度もレストランが営業してくれていること嬉しいモノである。

 

■ORANGE ROOM■

@Bオレンジフェリー  A新居浜市営渡海船

 

2001 H13
■FR−015■  ■FR−016■  ■FR−017■  ■FR−018■  ■FR−019■  ■FR−020■  ■FR−021■  ■BANGAI-2001■
2002 H14
■FR−022■  
■FR−023■  ■BAGAI-2002A■  ■BANGAI-2002B■ 
■ORANGE ROOM■
■FR−024■  ■FR−025■  ■FR−026■  ■FR−027■    next02.gif (38489 バイト)■FR−028■

思い立っての船旅 今世紀・2001-200X