■BANGAI-2001■
大阪港天保山岸壁にてニューイヤークルーズの<ぱしふぃっくびーなす>を送迎・天保山→USJ航路


写真 左:天保山の大観覧車  右:天保山から桜島へ向かう大阪市営渡船

2001年 師走 大阪港天保山岸壁

 大阪市営地下鉄中央線で大阪港駅に降り立ったのは十一時二十分頃であった。この時期にしては寒さもそれほどではなく穏やかで爽やかな外気の中を真っ直ぐに徒歩で行くこと五分あまり、目前に大観覧車の偉容が迫る。大阪港天保山埠頭のシンボル的存在である大観覧車は大空に向かってそびえていた。
 その大観覧車の側を通り過ぎると大阪港天保山岸壁に出る。左手に広い岸壁が広がりその先端向こうに大阪湾が広がっている。右手には天保山公園があり、その前が高松や徳島へ向かう高速船の上船場となっている。

 

ニューイヤークルーズの<ぱしふぃっくびーなす>

12月29日 大阪港天保山岸壁で出迎え&見送り

写真 大阪港天保山岸壁に接岸間近の<ぱしふぃっくびーなす>
 2001年12月28日(金)〜2002年1月6日(日) 9泊10日 寒い日本列島を離れて温暖な地で新しい年を迎える船旅。
東京(12/28 14:00)〜大阪(12/29 14:00)〜那覇〜基隆(台湾)〜鹿児島〜東京(1/6 10:00)
 前日2001年12月28日、東京を出港した<ぱしふぃっくびーなす>は、同29日、大阪港に寄港し多くの乗船客を乗せ沖縄から台湾を巡るニューイヤークルーへと旅立って行った。


写真 天保山岸壁に置かれた乗船客の荷物の向こうに船形が小さく見えてきた。
 岸壁に到着すると、まばらな人影の中に大きなトランクが並んでいた。その彼方に微かに小さな船影が認められた。接岸予定時刻12:00にはまだ三十分弱の時間がある。日本一低い山、標高4m? の天保山を一巡りしてくることにして、その場を一旦後にする。岸壁に立つと左手が港の出入り口、右手に奥まって高松や徳島に向かう高速船の乗船場があり、さらにその向こうに大阪市営渡船乗り場がある。その側の公園の中に天保山はある。天保山を一回りして戻ってくると白い華麗な船影を次第に近づけながら<ぱしふぃっくびーなす>は港内に入ってきていた。

写真 岸壁に近づくいてくる<ぱしふぃっくびーなす>
 
写真 左:岸壁真近の<ぱしふぃっくびーなす>船腹中央部の縦長開口部は乗船口、その後方のやや小さな開口部は荷物積降用

右:接岸間近間近のデッキに身を乗り出す東京からの乗船客たち。定刻12:00をやや過ぎ12:10に接岸した。
 次第に接近してくる<ぱしふぃっくびーなす>さすがに客船である。見慣れた定期航路のフェリーとは趣が大いに異なり船腹には窓が多い。甲板から下の船腹に並ぶ丸窓の列も何故か懐かしい。東京から乗船していた乗船客達もデッキに出てきていて手を振るすがたが認められる。間もなく接岸だ。入港定刻12:00を少々過ぎて12:10静かに接岸した。何故か救急車も出迎えていた。関係者の話し声が漏れ聞こえ、どうやら、昨夜階段で転んで怪我をした人が居るらしい。
 中程前寄りの天地5mくらいはあろうかと思われる縦長の開口部が乗船口のようで既に扉は開かれていている。やや後方にも天地が少し低い開口部が開いている。どちらの開口部も出入口らしく岸壁からタラップが渡された。前方の出入口から車椅子に乗せられた老婦人が娘さんであろうと思われる女性に付き添われ船医とクルーに介助されまずは下船してくる。船医と救急車の係員がなにやら話している間に車椅子は手際よく救急車に乗せられ船医との引継を終えたらしい係員が戻ると救急車はその場を後にしていった。
 それから間もなく後寄りの出入口から数人のクルーと共に乗船客が降り立ってきた。上着の手首に四本の金線入りの見覚えのあるダンディーなクルー。ゼネラルマネージャーのT氏である。小生は彼の制服姿を初めて目にした。なかなかよくお似合いだ。
 近づくと小生の姿を認め微笑む。
「こんにちわ。」
「ようこそ。」
「さすが制服姿はお似合いですね・・・。」
「・・・。」
「帽子は?」
「部屋に置いてきました。」(笑)
 屈託のない彼は照れ笑いを浮かべながら愛想がいい。仕事の邪魔をしては悪いので長居は無用とその場を後にして、一緒に来たここから乗船する人や見送る仲間と一緒に昼食を取ることにした。天保山埠頭のビルの中は多くの店で賑わいを見せている。三階の杵屋といううどんが美味いと言うことなので、そこでの昼食となった。
 昼食を済ませると丁度午後一時、小生は送迎に来ただけのことで乗船するわけではないが、一緒に昼食をしていたうちのおふたりはここから乗船する。乗船手続きに同行して客船の出発気分を少々味わいながらタラップまでおふたりをお見送りした。出港小一時間前であった。
 居残り組は見送り準備を兼ねて再びビルの中へ入りコーヒーブレイク&晴れやか見送り準備となった。コーヒーを飲みながら秘密に用意してきた見送りの旗を組み立てる。見送られる側の乗り込んでいる彼もきっと今頃秘密の準備を整えているに違いない。彼の送迎ポスターはその筋では有名である。(笑)
 準備を整えコーヒーを飲み干した我々は再び岸壁へ。出港定刻14:00の二十分あまり前のことであった。既に船腹には五色のテープが飛び交い始めていた。


写真 間もなく出港、五色のテープが舞う。 左:乗船口 中:救命ボート下のデッキで柵に大きなポスターを掲示して手を振る旅立つ乗船客 右:強風になびくテープを束ねて握りしめ見送り旗をかざして見送る人

写真 出港直前、テープが飛び交う。昨夜船内で負傷して一旦下船、救急車で運ばれ応急手当を受けた乗船客はゼネラルマネージャー氏自らが押す車椅子に乗せられ無事再び乗船。良かった、良かった・・・。
 飛び交うテープを拾い集め握りしめながら見送り組は旗を振る。見送られ組の彼のポスターもちゃんと救命ボートの下のデッキで柵の外に掲示されていた。彼もテープを握りしめながら手を振っている。
「行って来まーす! ○○○さん、一緒にクルーズしよう!」
 と大きな模造紙? に色とりどりに大書きされている。風が強くテープはなびく。幾条ものテープを握りしめているとこれが以外に重い。欲張って余計に寄せ集めようものなら引きずられて行ってしまいそうな勢いである。
 後寄りの乗船口からは既に乗船予定客が総て乗り込んだようでタラップがしまい込まれ始めていた。前寄りの乗船口のタラップはまだ架かっている。そこへ、先ほど救急車で運ばれていった老夫人がゼネラルマネージャー氏自らの押す車椅子に乗せられて戻ってきた。良かった、良かった。察するに応急処置&治療で航海を続けられることになったのであろう。老婦人が車椅子で乗り込むのを最後にタラップは外され扉が閉じられた。
 賑やかな楽団の演奏が聞こえる。生演奏なのか録音再生なのか定かでないが雰囲気は充分に漂う。やがて汽笛一声、静かに離岸した。


写真 汽笛一声、出港、離岸を始めた。
 デッキで手を振る乗船客、岸壁から旗を振り手を振る見送りの人々。客船の出港風景は華やいだ賑わいがある。三十五年ほど前のこと、横浜港から外国航路の大型客船で愛用のギター片手にスケッチブックを小脇にかかえ旅立っていった友の姿が脳裏を過ぎる。あの見送りの光景以来の客船見送り体験であった。
 
常々定期航路の船旅ばかりを楽しんでいる小生にとっては何とも新鮮な印象である。移動手段としての定期航路にはお盆や年末年始など繁忙期の賑わう喧騒があったとしても晴れやかな華やかさはない。やはり客船クルーズならではの光景なのであろう。
 そんな思いを巡らせているうちに<ぱしふぃっくびーなす>の華麗な白い船体はゆっくりと岸壁から離れて行く。あちこちでテープが手放され岸壁を這う。今時のテープは昔の紙テープとは大違いで今のテープはビニールコーティングされていてちぎれ散ることはない。岸壁添いの海面に色とりどりのテープが浮遊していた昔の光景とは大違いで、岸壁を這う長いままのテープは係員の手で手際よく回収されていく。多分、船上でも同様の回収作業が行われているのであろう。海上に散るテープは見かけない。海を汚さない配慮と智恵なのであろうが、時代の移ろいを思い知らされる光景でもあった。


写真 タグボートに引かれ離岸、旋回して方向転換を始める。

写真 方向転換を終えるとタグボートと離れ、舳先を大阪湾に向けた<ぱしふぃくびーなす>はゆっくりと大阪港を後にした。
 タグボートに曳かれ静かに離岸すると、やがて狭い水路で旋回を始めた<ぱしふぃっくびーなす>はゆっくりと舳先をひるがえし百八十度方向を転換する。やがてタグボートの曳き綱が解かれ港を後にして旅立っていった。この日、大阪港天保山岸壁を14:00に出港した<ぱしふぃっくびーなす>は那覇を経由し台湾で元旦を迎える。このニューイヤークルーズの乗船客は約500名とのこと。

 みなさん、良い旅を!!!  初日の出は沖縄沖太平洋上ですね・・・。(^^)

 

●出港見送り後、キャプテンライン<きゃぷてんしるばー>でUSJ港まで新航路制覇

●航路 天保山ハーバービレッジ→ユニバーサルシティ キャプテンライン<きゃぷてんしるばー>

写真 大阪港天保山岸壁海遊館前の浮き桟橋に係留中の<きゃぷてんしるばー> (同社リーフレットより転載)

 <ぱしふぃっくびーなす>の出港を見送って後、静けさの戻った岸壁の前をUSJに向かう連絡船が通過した。そうだ、思い立った・・・。乗船してみよう。一昨日の<おれんじ7>での瀬戸内海航路が今年最後の航海と思っていたが、おまけの番外編航路をひとつとなったわけである。
 と言うことで岸壁を海側に向かって進み先端を左折するとUSJへ向かう航路の乗船場があった。手前にハリウッドの乗船場、奥まってキャプテンラインの乗船場が並んでいる。何気なくキャプテンラインのチケットを買ってしまったのでとりあえず船は停泊していて直ぐに乗船できたので乗り込む。船窓から見える<ハリウッド>が先に出港した。遅れること五分、こちらも出港。


写真 左:CL社のアマゾネス軍団美女クルーたち 右:手前<きゃぷてんしるばー>奥:<きゃぷてんくっく> (同社リーフレットより転載)
 浜村純の紹介アナウンスによると美人揃いのアマゾネス軍団によって運行されているという噂のキャプテンラインで天保山からUSJまで十分間の航海。これこそが正に本年最後の思い立っての船旅となった。(^^) 所要時間十分、乗船料片道:大人400円・小人200円
 一時間に三本程度が運行されている。乗船した<きゃぷてんしるばー>は14:40発であった。数組の家族連れが共に乗船したが総勢は精々十名余りの乗船客数。アマゾネス軍団の美女キャプテンと客室係であろう美女の二名のクルーが最後に乗り込みタラップが外されると岸壁の美女係員がもやい綱を解き離岸。徐に旋回し舳先の向きをひるがえすとスムーズに前進を始めた。
 船室からは階上デッキに通じる階段があって自由に出入りできる。デッキに上がってみると前部に操舵室があって確かに先ほど乗り込んだアマゾネス軍団の一員美女キャプテンが舵を手にしていた。船は天保山岸壁沿いに東進。頬をなでる風はこの時期にしては穏やかで心地がいい。

 

 本年最後の定期航路乗船は僅かに十分の航海であった。が、アマゾネス軍団の美女キャプテンが操船する優しい船であった・・・。結構スピードのあるままにきゅっと旋回してUSJ港に入港する操船の様は女性の技とは信じがたいほどにお見事であった。女性キャプテンの定期航路船乗船を初体験した期せずして恵まれた貴重な体験となった。
 USJ港で再び<ハリウッド>を見かけたがどうやら船室は吹きさらしの様子。船のデザインも何だかやぼったい。今、乗せてもらった身であり身びいきかも知れないがキャプテンラインの方が何だか心地よさそうな気になっていた。ちなみに料金はどちらも同額、ひとそれぞれの好みでどちらがどちらとも言い難いように思うが小生はまたの乗船機会に恵まれたときには次回もキャプテンラインにしようと思った。

 

2001 H13
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2002 H14
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