新千載和歌集 秀歌選

【勅宣】後光厳天皇

【成立】延文元年(1356)六月十一日、将軍足利尊氏の執奏により、後光厳天皇が勅撰集撰進の綸旨を下す。延文四年(1359)四月二十八日、四季部奏覧。同年十二月二十五日、全巻返納。

【撰者】二条為定

【書名】歌道家御子左家の祖俊成の撰になる千載集に敬意を表すると共に、撰者為定の祖父にあたる為世撰の続千載集に追随する意図を以ての命名であろう。

【主な歌人】二条為世(42首)・二条為定(36首)・伏見院(27首)・後宇多院(25首)・藤原為氏(25首)・後醍醐院(24首)・花園院(23首)・足利尊氏(22首)・二条為藤(22首)・二条為道(20首)・光厳院(20首)・藤原為子(17首)・京極為兼(16首)

【構成】全二〇巻二三六五首(1春上・2春下・3夏・4秋上・5秋下・6冬・7離別・8羇旅・9釈教・10神祇・11恋一・12恋二・13恋三・14恋四・15恋五・16雑上・17雑中・18雑下・19哀傷・20慶賀)

【特徴】(一)構成 総歌数2365首は玉葉集に次ぎ勅撰集第二位の規模。巻十五までの構成は祖父為世撰の新後撰集に同じ。しかし恋を五巻とし、哀傷・慶賀で締めくくる点は、同じく為世撰の続千載集を踏襲する。前代の風雅集と比べると、離別・哀傷の部立を復活するなど、復古的な姿勢が見える。
(二)取材 万葉集の時代から当代まで、幅広く取材している。主な撰歌資料は、延文百首・文保百首・嘉元百首・宝治百首・貞和百首・弘安百首などの応製百首。ほかに千五百番歌合・徳治二年三月仙洞歌合など。
(三)歌人 二条家歌人と近代の天皇を重んじる。伏見院・花園院など持明院統の天皇御製を多く採っているが、入撰歌は伝統的な詠風にほぼ限定される。尊氏(22首)・義詮(11首)・直義(5首)など足利家を中心とする北朝方の武家歌人が多く採られている一方、宗良親王をはじめ南朝方の歌人は入集していない。当代歌人では撰者為定が最多であるが、むしろ藤原為子(為世女)の優婉な秀詠が目立つ。
(四)歌風 風雅集からわずか十年後の撰進であったが、風雅集に主導的役割を果たした花園院はすでに亡く、光厳院は南朝に囚われの身であったため、後光厳天皇は二条派の歌風を受け入れることを決断し、為定を撰者に指名した。かくして持明院統の天皇の勅宣の下、二条家主導の勅撰集が編まれることとなったのである。二条家としては三十余年ぶりの勅撰集撰進となり、時を蓄積しただけの充実感が感じられる。四季詠を中心として、優艶温雅な佳詠が散見される。保守本流の自信と余裕を漂わせるかのような、堂々たる勅撰集である。

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『新千載和歌集(正保四年版本)』


     離別 羇旅 釈教 神祇   哀傷 慶賀


 上

文保三年、後宇多院に百首の歌奉りける時、春のはじめの歌
                 後照念院関白太政大臣

いとはやも春きにけらし天の原ふりさけみれば霞たなびく(5)


文保三年百首歌奉りける時、春歌      前中納言為相

玉もかるかたやいづくぞ霞たつあさかの浦の春の明ぼの(13)


題しらず           光明峰寺入道前摂政左大臣

和田の原霞もいくへたつ浪のゆたのたゆたに浦風ぞ吹く(14)


前大納言為家々に三首歌よみ侍りける時、梅花混雪といへることをよめる
                      源兼氏朝臣

咲きそむる花はさながらうづもれて雪のみにほふ梅の下風(47)


題しらず                   法皇御製

春の夜のおどろく夢は跡もなし閨もる月に梅が香ぞする(54)


前大納言経房家歌合に            二条院讃岐

風かをる花のあたりにきてみれば雲もまがはずみよし野の山(95)


 下

建保二年二月廿四日、南殿にいでさせ給うて、翫花といへることをよませたまうける
                       順徳院御製

ももしきや花もむかしの香をとめてふるき梢に春風ぞ吹く(102)


題しらず                     平貞文

風吹けば花さくかたへ思ひやる心をさへもちらしつるかな(122)


文保百首歌奉りける時              法印定為

匂ひくる風のたよりをしほりにて花にこえ行く志賀の山道(133)


六百番歌合に                前中納言定家

木のもとは日数ばかりを匂ひにて花も残らぬ春のふる郷(170)




題しらず                 中務卿宗尊親王

明けぬとも猶かげ残せ白妙の卯の花山のみじか夜の月(201)


元亨四年正月、後宇多院に十首歌講ぜられけるついでに、人々題をさぐりて百首歌つかうまつりける時、雲間郭公を
                       民部卿為藤

郭公雲のいづくに忍びきて空よりもらす初音なるらん(224)


嘉元百首歌奉りける時、盧橘         贈従三位為子

袖の香は花たちばなにかへりきぬ面かげみせようたたねの夢(246)


題しらず                      中務

下くぐる水に秋こそかよふらしむすぶ泉の手さへ涼しき(302)


宝治二年百首歌奉りける時、六月祓   皇太后宮大夫俊成女

御祓するあさの葉末のなびくより人の心にかよふ秋かぜ(308)



 上

貞和二年百首歌めされし時          左兵衛督直義

露ながら千種(ちぐさ)吹きしく秋風にみだれてまさる花の色かな(370)


月前竹風を                後鳥羽院宮内卿

色かへぬ竹の葉しろく月さえてつもらぬ雪をはらふ秋風(416)


暦応三年八月十五夜、仙洞にて三首歌講ぜられける時、野月明といへることをつかうまつりける
                      前大納言公蔭

ながめやるいく野の末のはてもなし月と露とのおなじ光に(429)


                         法皇御製

末遠き千種(ちぐさ)の露に影みちて野べこそ月は照りまさりけれ(430)


 下

百首歌奉りし時、秋田            前大納言為定

打ちなびく田面(たのも)のほなみほのぼのと露吹きたててわたる秋風(476)


長月やといふ事をはじめの句におきて、暮秋二十首歌よませ給うける
                      後宇多院御製

長月や雲ゐの秋のこととはん昔にめぐれ菊のさかづき(534)


題しらず                    永福門院

秋霧のむらむらはるる絶えまよりぬれて色こき山の紅葉ば(550)


建武二年、人々題をさぐりて千首歌つかうまつりけるついでに、秋植物といへる事をよませ給うける
                      後醍醐院御製

夕月夜をぐらのみねは名のみして山の下てる秋の紅葉ば(565)


題しらず                    惟喬親王

入る月にてりかはるべき紅葉さへかねてあらしの山ぞさびしき(567)




題しらず                  徽安門院一条

むら時雨もるや板まのときのまも思ひさだめぬ月の影かな(610)


元亨三年、亀山殿にて、雨後落葉といふことをつかうまつりける
                      藤原為冬朝臣

むら時雨はれつる跡の山風に露よりもろき嶺の紅葉ば(612)


承保三年十月、大井川の逍遙につかうまつりて詠みてたてまつりける
                       大納言経信

いにしへの跡をたづねて大井川もみぢの御船ふなよそひせり(623)


建武二年内裏千首歌の折しもあづまに侍りけるに、題をたまはりてよみてたてまつりける歌に、氷
                     等持院贈左大臣

ながれゆく落葉ながらや氷るらむ風よりのちの冬の山川(626)


離別

もろともに契りける人の、ゐ中へ行くを聞きてつかはしける
                        和泉式部

ある程はうきを見つつもなぐさめつかげはなれなばいかが忍ばん(738)


思ひの外の事によりて、東のかたへ下りける時に、逢坂を越ゆとて思ひつづけ侍りける
                      権中納言具行

帰るべき身にしあらねば是や此の行くをかぎりの相坂の関(756)


羇旅

建仁元年五十首歌奉りける時、野径月     前中納言定家

めぐりあはん空行く月のゆく末もまだ遥かなる武蔵野の原(781)


正治二年百首歌奉りける時、旅        前大納言忠良

嵐ふく高嶺の雲をかたしきて夢路も遠しうつの山ごえ(818)


弘長元年百首歌奉りける時、同じ心を     前大納言為家

都いでし日数思へば富士の嶺もふもとよりこそ立ちのぼりけれ(819)


釈教

題しらず                    徽安門院

たのむぞよ五つのさはりふかくとも捨てぬ仏のちかひひとつを(895)


題しらず                 中務卿宗尊親王

鐘の音は明ぬときけど高野山猶はるかなるあかつきの空(937)


神祇


 一

嘉元百首歌奉りける時、初恋         贈従三位為子

いつしかと初山藍の色に出でて思ひそめつる程をみせばや(1022)


題しらず                   式子内親王

君ゆゑや始めもはても限りなきうき世をめぐる身ともなりけん(1034))


建仁元年五十首歌奉りける時、寄風恋
                   皇太后宮大夫俊成女

いかなりし風のたよりに聞きそめて身にしむ恋のつまとなるらん(1036)


 二

題しらず                    素性法師

恋しさに思ひみだれてねぬる夜のふかき夢ぢをうつつともがな(1154)


題しらず                      小町

思ひわびしばしもねばや夢の内にみゆればあひぬ見ねば忘れぬ(1156)


寄夢恋といへることを            前大納言公蔭

おきもせずねもせであかす床の上に夢ともなしの人の俤(1176)


題しらず                  今出河院近衛

我が涙かかれとてしも黒髪のながくや人にみだれそめにし(1215)


中納言家持にをくりける歌の中に          笠女郎

みちのくのま野のかや原遠けれど面影にしてみゆといふ物を(1236)


 三

別恋の心を                 前大納言為兼

いかがせんまだ夜ぞふかき鐘の音に名残つきせぬ暁の空(1407)


 四

鏡女王に給はせける             天智天皇御製

妹があたりつぎてもみんと大和なる大島の嶺に家ゐせましを(1446)


題しらず                      赤人

飛鳥川かは淀さらず立つ霧の思ひすぐべき恋ならなくに(1517)



 上

貞和百首歌めされし時          入道二品親王尊円

今もなほ我が立つ杣の朝霞世におほふべき袖かとぞみる(1664)


題しらず                 二品法親王覚助

とどめえぬよはひを花にたぐへても今年やかぎり春の山風(1712)


題しらず                    夢窓国師

ちればとて花はなげきの色もなし我がためにうき春の山風(1713)


民部卿為藤三月比東山の庵室に尋ねまかりて花見侍りて後、山里の梢はいかがなりぬらん、都の花は春風ぞふくと申つかはして侍りける返しに
                        頓阿法師

山里はとはれし庭も跡たえてちりしく花に春風ぞ吹く(1718)


題しらず                皇太后宮大夫俊成

此の世には又なぐさめもなき物を我をばしるや秋の夜の月(1772)


 中

遍照寺にて月をみてよめる           従三位頼政

いにしへの人は汀にかげたえて月のみすめる広沢の池(1850)


なげく事侍りける比よみ侍りける     建礼門院右京大夫

いざさらば行くへもしらずあくがれん跡とどむればかなしかりけり(1888)


貞和百首歌めされし時            左兵衛督直義

うきながら人のためぞと思はずは何を世にふるなぐさめにせん(2003)


建武二年、人々題をさぐりて千首歌つかうまつりけるついでに、述懐歌とて読ませ給ひける
                      後醍醐院御製

身にかへて思ふとだにもしらせばや民の心の治めがたさを(2006)


 下

題しらず                   花園院御製

今は我むなしき船のつながれぬ心にのする一こともなし(2011)


明暮木のもとにのみすぐし侍りければ、身をかへたる心ちして、思ひつづけ侍りける
                       大僧正行尊

()のもとは(つひ)の住家と聞きしかど生きてはよもと思ひし物を(2029)


世をのがれての比、よみ侍りける         兼好法師

すめば又うき世なりけりよそながら思ひしままの山里もがな(2106)


 誹諧歌

題しらず                    津守国冬

苗代に心のたねをまきそへてなくや(かはづ)のやまと言の葉(2153)


哀傷

後深草院かくれさせ給うける比、深草へ御幸侍りけるに、霧のふかく立ちて侍りければ
                       伏見院御製

消えはてし煙の末の面かげも立ちそふ霧のふかくさの山(2244)


慶賀

建仁三年、和歌所にて、釈阿に九十賀給はせける時よませ給ひける
                      後鳥羽院御製

百年(ももとせ)の近づく杖の代々の跡にこえてもみゆる老の坂かな(2296)


建保二年八月十六日内裏秋十五首歌合に、秋祝
                      前中納言定家

山水に老いせぬ千代をせきとめておのれうつろふ白菊の花(2329)


貞和百首御歌中に               花園院御製

芦原やただしき国の風としてやまと言の葉末もみだれず(2356)




最終更新日:平成15年6月29日

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