正親町公蔭 おおぎまちきんかげ 永仁五〜延文五(1297-1360) 法号:空静

もとの名は忠兼。太政大臣洞院公守の孫。権大納言正親町実明の息子。母は従三位藤原兼嗣女。京極為兼の猶子となり京極派の後継者と目されたが、為兼配流後、小倉公雄の猶子となり、さらに正親町家に復して、京極家を断絶に至らせた。建武四年(1337)二月三十日、公蔭に改名。花園院后宣光門院ほか、姉妹の多くは持明院統に嫁ぐ。風雅集の「前大納言実明女」は妹。鎌倉幕府の重臣北条(赤橋)久時の娘種子を室とする。子に忠季・実文・光厳院妾徽安門院一条がいる。
左中将・蔵人頭などを歴任するが、為兼失脚後の正和五年(1316)、官職を止められ辺土に籠居する。その後復権し元徳二年(1330)正月、従三位。建武四年(1337)七月、参議に就任。暦応二年(1339)八月、権中納言。貞和二年(1346)二月、権大納言に転ずるが、翌年九月、同職を辞した。同年十二月、正二位に叙せられる。観応三年(1352)八月、光厳院の出家に殉じて剃髪、法号を空静と称す。延文五年十月十七日、六十四歳で薨去。
後期京極派の代表的歌人の一人。康永二年(1343)の五十四番詩歌合・院六首歌合、貞和二年(1346)の貞和百首、貞和五年(1349)の光厳院三十六番歌合、延文元年(1356)の延文百首などに出詠。康永元年(1342)十一月の持明院殿御歌合(前番・後番)では判者を務めた。風雅集撰進に際しては寄人をつとめる。藤原忠兼の名で玉葉集に初出。勅撰入集は計四十四首。

  2首  1首  3首  2首  5首  1首 計14首

百首歌たてまつりしに、春歌

咲きそめて春をおそしと待ちけらし雪のうちよりにほふ梅が()(風雅68)

【通釈】いちはやく咲き始めて、春を遅いと待っているようだなあ。雪の降るうちから香り高く匂う梅が枝よ。

【補記】貞和百首。光厳院が風雅集撰進のため、貞和二年(1346)に召した百首歌。

【参考歌】藤原為家「続古今集」
年のうちの雪を木ごとの花と見て春をおそしときゐるうぐひす
  衣笠家良「新撰和歌六帖」
日かず待つ春をおそしとしら雪の下よりにほふ梅の初花

春雨を

かきくれて降りだにまされつくづくと(しづく)さびしき軒の春雨(風雅113)

【通釈】あたり一面暗くなって、いっそもっと強く降ってくれ。ぼんやりと眺めていると、何とも寂しい感じがする、軒からぽたぽたと雫の落ちる春雨よ。

【補記】閑寂な境地を好む京極風の特色があらわれた作。作者は為兼の猶子となり、一時は京極派の後継者と見なされた歌人である。

【参考歌】行慶「新古今集」
つくづくと春のながめのさびしきはしのぶにつたふ軒の玉水
  伏見院「御集」
つくづくと見ぬ空までもかなしきはひとりきく夜の軒のはるさめ

百首歌たてまつりし時

時鳥さやかにを鳴け夕づくよ雲間のかげはほのかなりとも(風雅320)

【通釈】ほととぎすよ、はっきりと鳴いてくれ。雲間の夕月の光はほのかであっても。

【語釈】◇夕づくよ 夕月。

【補記】時鳥の「さやか」な鳴き声と、夕月の「ほのか」な光という対照の妙を狙う。貞和百首。

【本歌】凡河内躬恒「躬恒集」「玉葉集」
五月雨の月のほのかにみゆる夜は時鳥だにさやかにを鳴け

早秋

今よりの秋とは風にききそめつ目にはさやかにみか月のかげ(延文百首)

【通釈】これから始まる秋とは、風の音に初めて聞き知った。目にはと言えば、さやかに見える三日月の影よ。

【補記】「みか月」に「見」を言い掛ける。耳によって秋の到来を鮮やかに捉えた本歌に、目によって知る初秋の情趣を付加してみせた、洒落た本歌取り。延文元年(1356)、新千載集撰進の資料とするため後光厳天皇が召した百首歌。公蔭最晩年のまとまった作で、この歌のように古風温雅な詠み口が多い。

【本歌】藤原敏行「古今集」
秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

暦応三年八月十五夜仙洞にて三首歌講ぜられける時、野月明といへることをつかうまつりける

ながめやるいく野の末のはてもなし月と露とのおなじ光に(新千載429)

【通釈】生野の末を眺めやれば、野は果てしもなく見渡せる。月明りとそれを宿す草の露と、同じ光にきらめいて。

【補記】「いく野」は百人一首にも「大江山生野の道の…」と詠まれた丹波国の歌枕で、広々とした野を旅して行くという状況設定で詠むのが普通。「行く野」「幾野」といった意が響く。暦応三年(1340)中秋明月の晩、光厳院仙洞での歌会。

【参考歌】藤原定家「拾遺愚草」
あはれのみいや年のはに色まさる月と露との野べのささ原
  後鳥羽院「詠五百首和歌」
おほえ山いくののみちの長き夜に露をつくしてやどる月かな

【主な派生歌】
たれか又こよひも友をたづぬらん月と雪とのおなじ光に(後村上院[新葉])

明くるかと見えつる空のさらにまた霧に夜ぶかき秋のしののめ(延文百首)

【通釈】明るくなるかと見えた空が、再びさらに濃くなった霧によって夜深く感じる、秋の東雲(しののめ)よ。

【語釈】◇しののめ 東の空がほのかに白む頃。

【参考歌】大江茂重「茂重集」
あけぬれどなほはれやらずたちこめて霧に夜ぶかきしののめの山

題しらず

神な月雲の行くての村時雨はれもくもりも風のまにまに(風雅740)

【通釈】初冬十月、雲の行く手に降る一団の時雨――晴れるのも曇るのも、風次第である。

【語釈】◇村時雨(むらしぐれ) 叢時雨。ひとしきり降ってやむ時雨。時雨は晩秋から初冬に見られる、降ったり止んだりする雨。

【参考歌】大伴池主「万葉集」「新勅撰集」
神な月しぐれにあへるもみぢ葉のふかばちりなむ風のまにまに

冬の歌の中に

吹きとほす梢の風は身にしみてさゆる霜夜の星きよき空(風雅763)

【通釈】梢を通り抜けて吹きつける風は冷たく身にしみて、冴え渡る霜夜の星が澄明に輝く空よ。

【補記】康永二年(1343)の院六首歌合、二十八番右勝。霜夜の体感を鋭く把握し、京極派の特徴を顕著に見せる。公蔭の代表作としてよく挙げられる歌。

【参考歌】伏見院「玉葉集」
星きよき夜はのうす雪空はれて吹きとほす風を梢にぞ聞く
星きよき霜夜の木ずゑ風こしてくち葉のおとぞ庭にきこゆる

恋の歌の中に

ちぎりありてかかる思ひやつくばねのみねども人のやがて恋しき(風雅960)

【通釈】前世からの宿縁があって、このような思いの火がついたのだろうか。「つくばねのみね」と言うが、見もしないのに噂を聞いただけであの人がたちまち恋しくなったことよ。

【補記】「思ひ」のヒに火を掛け、「火やつく」とつながる。「つくばね」は筑波山。「峰」に「見ねども」を言い掛ける。風雅集巻第十、恋歌一巻頭を飾る歌。

【本歌】よみ人しらず「拾遺集」
音にきく人に心をつくばねのみねどこひしき君にもあるかな

院六首歌合に、恋始を

しらせねばあはれも憂さもまだ見ぬに涙までにはなにかこぼるる(風雅980)

【通釈】この思いをまだ知らせていないので、嬉しい目も辛い目もまだ見ていないのに、涙までもが何故こぼれるのだろうか。

【補記】この「あはれ」は恋人の優しい態度などによって味わう喜ばしい感情を言う。「憂さ」はその対語で、恋人の冷たい態度によって味わう辛い思い。康永二年院六首歌合、三十三番右勝。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
あはれとも憂しとも物を思ふ時などか涙のいとながるらむ

寄風恋

恋しさをすすむる暮の風の色よつれなき人の身にもしまなむ(延文百首)

【通釈】恋しい思いを盛んに誘う、夕暮の風のけしきよ。つれない人の身にも染み渡ってほしい。

【参考歌】伏見院「風雅集」
それをだにおもひさまさじ恋しさのすすむままなる夕暮の空

寄夢恋

起きもせず寝もせで明かす床の上に夢ともなしの人の面影(新千載1176)

【通釈】起きるわけでもなく、寝るわけでもなく、明かし暮らす床の上に、夢かどうかもはっきりしない人の面影が立って消えないことよ。

【本歌】在原業平「古今集」
起きもせず寝もせで夜をあかしては春の物とてながめくらしつ

百首歌たてまつりし時、寄藻恋

しられじな水底ふかきなびき()のなびかぬ人に我みだるとは(新千載1208)

【通釈】決して知られはすまいよ。水底深くに生えている靡き藻のように靡いてはくれない人に、これほど私が思い乱れているとは。

【補記】「なびく」「みだる」は藻の縁語。延文百首。延文元年(1356)、新千載集撰進の資料とするため後光厳天皇が召した百首歌。公蔭最晩年の作で、保守的な歌風。

【参考歌】作者不明「万葉集」「新千載集」
紫のなだかの浦のなびきもの心は妹によりにしものを

貞和百首歌に

秋の月こたへばいかにかたらまし心にうかぶ代々のあはれを(新後拾遺1380)

【通釈】秋のさやかな月よ、もしおまえが答えてくれるなら、どんなふうに話して聞かせようか。心に次々と浮かぶ、長の年月の哀れ深い思い出を。

【補記】この「あはれ」は「深い感興」「しみじみとした思い」程の意。悲哀に限定できるわけではない。


最終更新日:平成15年04月12日