光厳院 こうごんいん 正和二〜貞治三(1313-1364) 諱:量仁(かずひと)

後伏見院の第一皇子。母は広義門院(西園寺公衡女、寧子)。光明天皇の同母兄。興仁親王(崇光天皇)彌仁親王(後光厳天皇)・尊朝親王・義仁親王・光子内親王・恵厳の父。大覚寺統・持明院統系図
文保元年(1317)、五歳のとき祖父伏見院が崩じ、翌年、叔父の花園天皇後醍醐天皇に譲位を余儀なくされる。かくして持明院統雌伏の時に幼少期を過ごしたが、嘉暦元年(1326)三月、春宮邦良親王が夭折した後をうけ、同年七月、後醍醐天皇の皇太子となる。元徳元年(1329)十二月、十七歳で元服。
元徳三年(1331)九月、討幕計画が漏れて笠置に逃れた後醍醐天皇に代り践祚。十一月、邦良親王の遺児康仁親王を皇太子に立てる。同二年三月二十二日、即位。しかし翌年の正慶二年(1333)、討幕の兵が次々に蜂起し、三月、赤松円心勢が京を襲うに及んで、後伏見院・花園院と共に六波羅に避難。同年四月、足利高氏により六波羅は陥落し、光厳天皇は東国への脱出をはかるが、近江国番場宿で守良親王(亀山院皇子)を擁する兵に襲われ、捕えられて都に連行された。後醍醐天皇によって廃位されたのち、同年十二月、太上天皇の尊号を贈られる。
後醍醐天皇の新政は足利尊氏らの蜂起によって瓦解し、建武三年(1336)、光厳院は尊氏の請いにより新田義貞追討の院宣を与える。同年八月、豊仁親王(光明天皇)践祚の儀を行い、後醍醐第七皇子成良親王を春宮に立てた(翌年廃太子)。以後、観応二年(1351)まで院政を行う。建武五年(1338)、尊氏を征夷大将軍に補し、興仁親王を春宮に立てる。暦応二年(1339)、後醍醐天皇が崩ずると、菩提を弔うため寺院の建立を命じ(のちの天龍寺)、夢窓疎石を開山とした。貞和四年(1348)十月、興仁親王践祚(崇光天皇)。皇太子には花園院の皇子直仁親王を立てた(実父は光厳院であろうという)。
やがて足利尊氏・直義兄弟の対立に南北朝が巻き込まれる形となり、観応二年(1351)十月、南朝後村上天皇は尊氏の和議を入れて直義追討の綸旨を与え、十一月、崇光天皇は廃された。翌年、京都を占拠した南朝方によって光厳院は光明院・崇光院・直仁親王と共に捕えられ、南朝の拠点である山城八幡、さらには大和国賀名生へ移された。同年六月、足利義詮に擁せられ第三皇子彌仁が践祚(後光厳天皇)。八月、幽閉先の賀名生で落飾、法名は勝光智。延文二年(1357)、帰京して小倉山麓に庵を結ぶ。晩年は丹波山国(京都府北桑田郡京北町)の常照寺(現在の名は常照皇寺)に一僧侶として隠棲。貞治三年(1364)七月七日、崩御。五十二歳。陵墓は同寺に隣接する山国陵である。
花園院の厳格な教育のもとに育ち、和漢儒仏の学問に通暁したが、また祖母永福門院の薫陶を受けて和歌にもすぐれた。花園院と共に後期京極派の中心人物として、康永元年(1342)十一月四日・二十一日の持明院殿歌合、同二年の五十四番詩歌合、同年冬頃の院六首歌合、貞和五年八月九日の三十六番歌合などの歌合を催行。貞和二年(1346)には、勅撰集撰定のため当代歌人に百首歌を詠進させた(貞和百首)。花園院監修のもと、自ら風雅集の撰者の任にあたり、貞和四年までに同集をほぼ完成。風雅集成立以前の自撰『光厳院御集』(「花園院御集」の名で誤伝)がある。風雅集初出。勅撰入集計七十九首。

『光厳天皇』中村直勝(淡交新社)……評伝
『光厳天皇御遺芳』国枝利久編(常照皇寺)……御製全首(頭注付き)を含む。
『光厳院』西野妙子(国文社)……評伝
『光厳院御集全注釈』岩佐美代子(風間書房)……私家集全釈叢書の一

常照皇寺 京都府北桑田郡京北町
光厳院が晩年を過ごした寺。

  9首  2首  6首  17首  6首  14首 計54首

題しらず

春の夜のおどろく夢は跡もなし(ねや)もる月に梅が香ぞする(新千載54)

百首歌中に

つばくらめ(すだれ)(ほか)にあまたみえて春日(はるひ)のどけみ人影もせず(風雅129)

春雨(五首)

浅緑みじかき草の色ぬれてふるとしもなき庭の春雨(御集)

 

長閑(のどか)なるむつきの今日の雨のおとに春の心ぞ深くなりぬる(御集)

 

花も見ず鳥をもきかぬ雨のうちのこよひの心何ぞ春なる(御集)

 

夕霞かすみまさるとみるままに雨になりゆく入あひの空(御集)

 

何事をうれふとなしにのどかなる春の雨夜(あまよ)は物ぞ佗しき(御集)

軒ふかき花のかをりにかすまれてしらみもやらぬ宿の曙(御集)

三十首歌よませ給うける中に

くれはてて色もわかれぬ花の上にほのかに月のかげぞうつろふ(新拾遺126)

題しらず

鶯のわすれがたみの声はあれど花は跡なき夏木立かな(新拾遺198)

夕立

吹きすぐる梢の風のひとはらひここまで涼しよその夕立(御集)

初秋 三首

花もまだき草の(まがき)のあさぼらけ露のけしきに秋は来にけり(御集)

 

世の色のあはれはふかくなりゆくよ秋はいくかもいまだあらなくに(御集)

 

夕日さす梢の色に秋見えてそともの森にひぐらしの声(御集)

【通釈】夕日が射す梢のさまに秋らしい趣が見えて、家の外の森に蜩の声がしている。

秋の御歌の中に

忘れずよ萩の戸ぐちのあけたてはながめし花のいにしへの秋(新拾遺351)

百首歌の中に

更けぬなり星合の空に月は入りて秋風うごく庭のともし火(風雅471)

百首歌の中に

草むらの虫の声よりくれそめて真砂(まさご)のうへぞ月になりぬる(風雅579)

時雨を

夕日さす落葉がうへに時雨過ぎて庭にみだるる浮雲のかげ(風雅730)

冬歌の中に

さむからし民のわらやを思ふにはふすまの中の我もはづかし(風雅880)

(二首)

()はさむみ嵐の音はせぬにしもかくてや雪のふらんとすらん(御集)

 

冬枯の草木の時をあはれとや花をあまねくふれる白雪(御集)

冬曙

ひびき残るとほちの鐘はかすかにて霜にうすぎる曙の空(御集)

冬朝(二首)

おきてみねど霜ふかからし人の声の寒してふ聞くもさむき朝明(御集)

 

夜もすがら雪やとおもふ風の音に霜だにふらぬ今朝のさむけさ(御集)

冬夜

星きよき木ずゑの嵐雲晴れて軒のみ白きうす雪の夜半(よは)(御集)

雲のゆふべ嵐のこよひふりそめぬ明けなば雪のいくへかも見む(御集)

朝雪

うつりにほふ雪の梢の朝日影今こそ花の春はおぼゆれ(御集)

夜雪

軒の上はうす雪しろしふりはるる空には星のかげきよくして(御集)

浦雪

浪の上はあまぎる雪にかきくれて松のみしろき浦の遠方(をちかた)(御集)

松雪

ときは木のその色となき雪の中も松は松なるすがたぞみゆる(御集)

雪中鳥

降りつもる雪の梢にゐる鳥の羽かぜもをしき庭の朝明(御集)

雪中獣

起きいでぬ(ねや)ながらきく犬のこゑのゆきにおぼゆる雪の朝明(御集)

【通釈】まだ起き出さない寝室に居ながら聞く犬の声――その声が雪の中で鳴いていると感じられる、雪の朝明けよ。

【語釈】◇犬のこゑの 犬の声が。◇ゆきにおぼゆる 雪だと感じられる。静けさの中、歓ぶ犬の声だけが聞こえる、その響きが、いかにも雪が積もったのだなと感じられる、ということ。

除夜

年くると世はいそぎたつ今夜(こよひ)しものどかにもののあはれなるかな(御集)

待恋

あすのうさも我が心からかなしきに今夜(こよひ)今夜(こよひ)とへやとぞ思ふ(御集)

恋歌とてよませ給ひける

言ふきははおよばぬうさの底ふかみあまる涙をことのはにして(風雅1252)

百首歌に

恋しともなにか今はと思へどもただこの暮をしらせてしがな(風雅1328)

恋獣

里の犬のこゑをきくにも人しれずつつみし道のよはぞ恋しき(御集)

寄朝恋

如何になるけさのながめぞこよひ我みるとしもなき夢のなごりに(御集)

寄風恋

なにぞこのうはの空より吹く風の身にあたるさへ物のかなしき(御集)

雑歌の中に

夜がらすはたかき梢に鳴きおちて月しづかなる暁の山(風雅1629)

雲の色星のひかりも同じ空の長閑になるやあかつきになる(御集)

雑御歌に

夕日かげ田のもはるかにとぶ鷺のつばさのほかに山ぞくれぬる(風雅1645)

ももしきや庭に見馴れし呉竹のみじかきよこそ猶あはれなれ(御集)

川を

よどみしも又たちかへるいすず川ながれのすゑは神のまにまに(風雅2112)

たびにして妹を恋しみながめをれば都の方に雲たなびけり(御集)

(六首)

さ夜ふくる窓の灯つくづくとかげもしづけし我もしづけし(御集)

 

心とてよもにうつるよ何ぞこれただ此れむかふともし火のかげ(御集)

 

むかひなす心に物やあはれなるあはれにもあらじ灯のかげ(御集)

 

ふくる夜の灯のかげをおのづから物のあはれにむかひなしぬる(御集)

 

過ぎにし世いまゆくさきと思ひうつる心よいづらともし火の本(御集)

 

ともし火に我もむかはず灯も我にむかはずおのがまにまに(御集)

懐旧

しのぶべき昔はさりな何となく過ぎにし事のなぞあはれなる(御集)

述懐

ただしきをうけつたふべき跡にしもうたてもまよふ敷島の道(御集)


最終更新日:平成14年12月01日