中務 なかつかさ 延喜十二頃〜正暦二頃(912?-991?)

敦慶(あつよし)親王(宇多天皇の皇子)と伊勢の間の子。「中務」の名は、父が中務卿であったことに因る。
藤原実頼・同師輔・元長親王(陽成院の皇子で元良親王の弟)・常明親王(醍醐天皇の皇子)ほかとの恋を経て、源信明(さねあきら)と結婚か。延長七年(929)頃、女児(『中務集』『伊尹集』に「ゐとの」とある)を生む。延長八年、父が薨去。「ゐとの」はその後太政大臣にまで至る藤原伊尹に嫁し、また「大納言の君」と呼ばれた孫娘は村上天皇皇女保子内親王に仕えた。中務は八十に及ぶ長寿を保つが、晩年は娘と孫に先立たれる不幸に遭った。
後撰集時代の代表的女流歌人。天暦十年(956)二月の麗景殿女御歌合、天徳四年(960)三月の内裏歌合などに出詠し、屏風歌なども多く詠進した。晩年の紀貫之や、源順恵慶法師清原元輔ら歌人との交流が知られる。三十六歌仙女房三十六歌仙後撰集初出。勅撰入集計六十六首(金葉集三奏本を除く)。家集『中務集』がある。

  4首  2首  4首  1首  10首 2首 計24首

如月まで梅の花咲き侍らざりける年よみ侍りける

知るらめや霞の空をながめつつ花もにほはぬ春をなげくと(新古39)

【通釈】梅よ、おまえは知っているだろうか。霞の立ち込める空を眺めつつ、まだ花が咲き匂わない春を私が嘆いていることを。

【補記】仲春になるまで梅の花が咲かなかった年に詠んだという歌。梅の匂わない春を嘆く思いを、花に対する呼びかけの形で詠んだ。新古今集では作者を中務とするが、この歌は中務の家集に見えず、『公任集』に作者名不明記で載っている。同集の詞書は「二月まで梅の咲かざりける年、まへの梅にむすびつけたる」とあり、公任邸の前庭の梅に誰かがこの歌を書いた紙を結びつけたのだという。この場合、「知る」の主語は公任を指すことにもなる。新古今集に中務の作としたことにつき岩波新大系『平安私家集』所収の『公任集』の注には「前田家本中務集に竄入した公任歌稿から中務詠と速断しての作者表記か(森本元子)」とある。

村上先帝御時、御屏風の絵に、国々の名ある所々をかかせたまひて召ししに 石上

いそのかみ古きみやこを来てみれば昔かざしし花咲きにけり(中務集)

【通釈】石上――古い神宮のあるこの場所に来てみると、昔の人が髪に挿したのと同じ桜の花が咲いていたのだった。

石上神宮
石上神宮 奈良県天理市

【語釈】◇いそのかみ 石上神宮のある布留(ふる)の地。現奈良県天理市布留町。◇みやこ 宮処。神宮や宮殿のある場所。

【補記】村上天皇に奉った名所屏風歌のうち、石上神宮のある布留の地を描いた絵に添えた一首である。「昔かざしし」は自身の記憶とも取れるが、遍昭の歌(下記参考歌)のように石上は古くから桜の名所とされたので、古人の行為と解される。由緒ある土地を訪ね、古人の風雅を偲ぶという趣向の歌であろう。

【補記】新古今集では「題しらず」「よみ人しらず」として載せており、その場合「いそのかみ」は単に「古き」の枕詞となって「古き都」は奈良古京を指すことになる。

【他出】深窓秘抄、和漢朗詠集、三十六人撰、新古今集(よみ人しらず)、歌枕名寄
(西本願寺本『中務集』など第二句を「ふるきわたりに」とする本もある。)

【参考歌】人麻呂歌集歌「万葉集」巻七
いにしへにありけむ人も我がごとか三輪の檜原にかざし折りけむ
  遍昭「後撰集」
いそのかみ布留の山べの桜花うゑけむ時をしる人ぞなき
  藤原季方「亭子院歌合」
いそのかみ布留の山べの桜花こぞ見し花の色や残れる

【主な派生歌】
いそのかみ布留野の里を来て見ればひとりすみれの花咲きにけり(小侍従)
ももしきや昔かざしし桜花わが身ふりてもなほぞ忘れぬ(藤原為家)
たきの上の御舟の山に宮人の昔かざしし花咲きにけり(加藤千蔭)

伏見

桜花散りかふ空は暮れにけり伏見の里に宿や借らまし(中務集)

【通釈】桜の花が散り乱れる空は暮れてしまった。伏見の里に宿を借りようか。

【語釈】◇伏見 大和国の歌枕。花の名所とされた初瀬に近い。「臥し見」の意が掛かり、「この里に野宿して、寝ながらも桜の花の散るのを眺めたい」という心を込める。

【補記】これも前歌と同じく名所を主題とした屏風歌。初句を「梅の花」とする本もある。

【他出】雲葉集、歌枕名寄、夫木和歌抄

子にまかりおくれて侍りけるころ、東山にこもりて

咲けば散る咲かねば恋し山桜思ひたえせぬ花のうへかな(拾遺37)

【通釈】咲けばいつかは散ってしまう。咲かなければいつ咲くかと恋しい。山桜――花のことで、物思いが絶えないことよ。

【補記】子に先立たれた頃、東山の寺に籠って詠んだという歌。詞書によって哀傷の響きが添うが、歌そのものは花に対する感慨のみに抑えている。書陵部本『中務集』では「正月、山ざとにて十二首」の詞書のもとにまとめられた歌群にあり、「山桜」の題で詠まれた一首。

郭公

ほととぎす一声にこそ五月雨のよはあはれとも思ひそめしか(中務集)

【通釈】時鳥――その一声を聞いた時から、五月雨の夜も哀れ深いものだと思い始めたのだ。

【補記】「よ」には「世」の意が響くので、「あはれ」には男女の仲に対する感慨を聞き取ることもできよう。

題しらず

下くぐる水に秋こそかよふらし(むす)ぶ泉の手さへ涼しき(新千載302)

【通釈】地面の下を潜って流れる水には、ひっそりともう秋が入り込んでいるらしい。泉の水をすくい取る掌にまで、秋の涼しさが伝わるよ。

【補記】「下くぐる水」は地下水。家集には題「いづみ」と見え、屏風歌であろう。『和漢朗詠集』などに見え、早くから秀歌と認められていたが、勅撰集には漏れ続け、南北朝時代の新千載集にようやく掬われた。

【他出】三十人撰、麗花集、和漢朗詠集、三十六人撰、秋風集

天禄四年五月二十一日、円融院のみかど、一品宮にわたらせ給ひて、乱碁とらせ給ひける負けわざを、七月七日に、かの宮より内の大盤所に奉られける扇に張られて侍りける薄物に、織りつけて侍りける

天の川かは辺すずしきたなばたに扇の風をなほや貸さまし(拾遺1088)

【通釈】天の川の川辺に涼しい風が吹く七夕の夜、織女に扇の風をそれでもやはり貸してあげましょうか。

【語釈】◇たなばたに 「七夕の夜に」「織女に」の両義を兼ねる。◇なほや貸さまし 天の川の河辺は秋風ですでに涼しいが、さらに扇の風を貸してあげたほうが良いでしょうか。「や…まし」で逡巡の気持ちをあらわす。

【補記】天禄四年(973)五月二十一日、円融天皇が姉の一品宮(資子内親王)のもとに出御し、乱碁(碁石を用いた遊戯)をした。一品宮はその負けわざ(敗者が勝者を饗応する宴)を七月七日に催し、内裏の台盤所に扇を奉った。その扇に張られていた薄布に織り付けたという歌。拾遺集巻十七、雑秋。

【他出】円融院扇合、中務集、拾遺抄、三十人撰、深窓秘抄、和漢朗詠集、三十六人撰、撰集抄

旅にて雁の鳴くを聞きて

初雁の旅の空なる声きけば我が身をおきてあはれとぞ思ふ(玉葉1157)

【通釈】この秋初めての雁の、旅の空にある鳴き声を聞けば、旅中にある私も寂しい身であるが、それはおいて、やはりしみじみと感じられることよ。

【補記】家集によれば朱雀院の若宮の御裳着(女子の成人式)の時の屏風歌で、題は「初雁を旅人聞く」。旅人の身になって雁の声を聞く感慨を詠んだ。

【他出】中務集、万代集

遣り水に紅葉うきて流る

もみぢ葉もおちつもりぬる谷水は秋のふかさぞそこに見えける(中務集)

【通釈】紅葉が散り積もった谷川の水は、秋のすっかり深まったことがその底に見えることだ。

【語釈】◇谷水 遣り水に引いた谷川の水。◇秋のふかさ 秋が深まったこと。「ふかさ」は水の縁語。◇そこにみえける 水の「底」と「其処」を掛けるか。

【補記】前歌と同じ時の屏風歌。

九月つごもりの夜、風の吹くに

うちすてて別るる秋のつらきよりいとど吹きそふ木枯しの風(中務集)

【通釈】私を捨てて去ってゆく秋の薄情さよりも、冬になって吹きつのる木枯しの風の方がつらい。(飽きられて別れるつらさよりも、その後ますます募る恋心の方がずっと苦しい。)

【語釈】◇うちすてて 我が身を置き去りにして。◇秋 飽きを掛ける。◇いとど吹きそふ ますます吹き募る。◇木枯し 恋に身を焦がす意を掛ける。

【補記】詞書は西本願寺本に拠る。書陵部本では「ためもとしぼちのもとへ、十二首」とある内の一首で、出家した大江為基に贈った歌らしい。為基の出家は永祚元年(989)以後であるから、中務最晩年の作である。

【他出】麗花集、万代集

高き山に雪ふれる所

滝の糸はみなとぢつらむ吉野山雪のたかさに音をかへつつ(中務集)

【通釈】滝の白糸は、みな閉じ籠もってしまったのだろう。吉野山では、降り積もる雪が高くなるにつれ、水流の音がだんだん低くなってゆく。

【語釈】◇滝の糸 白糸のように流れる滝川を言う。◇とぢ 雪に塞がれ、閉じ込められる。「綴ぢ」(縫い合わせる意)で糸の縁語になる。

天徳四年内裏歌合によめる

君恋ふる心はそらに天の原かひなくてゆく月日なりけり(金葉三奏本)

【通釈】あなたを恋しく思う心はうわのそらで、頼りない心持で過ぎてゆく月日ですことよ。

【補記】「あまのはら」「月」「日」は「そら」の縁語。天徳四年(960)、村上天皇の内裏歌合、十七番右負。左は大中臣能宣「恋しきをなににつけてか慰めむ夢にも見えず寝る夜なければ」。

天徳四年内裏歌合によめる

むばたまの夜の夢だにまさしくは我が思ふことを人に見せばや(金葉三奏本)

【通釈】あの人とは夜の夢でしか逢えないが、せめてその夢が正夢ならば、私の思いをあの人に打ち明けたいものだ。

【補記】前歌と同じ歌合、十六番右負。左は藤原朝忠「人づてに知らせてしかな隠れ沼のみごもりにのみ恋ひやわたらむ」。

【他出】和歌童蒙抄、袋草紙、袖中抄、続千載集

平かねきがやうやう()れがたになりにければ、つかはしける

秋風の吹くにつけてもとはぬかな荻の葉ならば音はしてまし(後撰846)

【通釈】私に「飽き」たというのか。秋風が吹くにつけても、あなたは気配さえ見せない。荻の葉ならば音を立てるだろうに。

風に靡く荻の葉
風に靡く荻の葉

【語釈】◇平かねき 不詳。中納言平時望の子で大宰大弐となった真材(さねき)の誤かという(後撰和歌集標註)。◇秋風 「飽き」を掛ける。◇荻(をぎ)の葉 荻はイネ科の多年草。夏から秋にかけて上葉を高く伸ばし、秋風にいちはやく反応する葉擦れの音は、秋の到来を告げる風物とされた。◇音はしてまし 音くらいは立てるだろう。「音」は訪問や消息を暗示している。

【補記】次第に心が離れつつあった恋人に宛てた歌。

【他出】中務集、古今和歌六帖、三十人選、和漢朗詠集、俊成三十六人歌合、時代不同歌合、女房三十六歌合

【主な派生歌】
吹き過ぐる行へもとはぬ荻の葉に待つ宵ふけし秋風の声(俊成女)
吹きしをる荻の葉ならばいかにぞとかたしく袖に思ふ秋風(後柏原天皇)

左大臣につかはしける

ありしだに憂かりしものを飽かずとて何処(いづこ)にそふるつらさなるらむ(後撰952)

【通釈】今までもあなたはつれなかったのに、それでもまだ足りないとて、どこに辛さを加えようというのでしょうか。もう私の心は辛さでいっぱいなのに。

【補記】詞書の「左大臣」は藤原実頼。若き日の恋人であった。

【他出】中務集、女房三十六人歌合

「昨夜(よべ)の月は見けむや」と人のいへるに

いつとてもあはれと思ふを寝ぬる夜の月はおぼろげなくなくぞ見し(中務集)

【通釈】いつでもしみじみと感じますけれども、あなたと共に寝た夜の月は特別で、涙で朧に霞んで、よく見えませんでしたねえ。

【補記】「昨夜の月は見ましたか」と人が言ったのに対する返事としての歌。共に一夜を過ごした男が翌朝に贈った歌であろう。新古今集1258に詞書「題しらず」として載る。また藤原師輔の家集『九条右大臣集』にも同じ歌が見え、この「人」は師輔とみられる。

【他出】九条右大臣集、新古今集、定家八代抄

【主な派生歌】
さえかへる月はおぼろげなくなくも雁ぞわかるる如月の空(下河辺長流)

男のもとにつかはしける

はかなくて同じ心になりにしを思ふがごとは思ふらむやぞ(後撰594)

【通釈】たよりない気持のまま、あなたと心を一つにしたけれど、私が思っているほど、あなたは私を思ってくれているでしょうか。

【補記】この歌は『中務集』では男から贈られた歌となっているが、『源信明集』には中務との一連の贈答に「はじめてのつとめて、かへりたる女」の詞書で載っている。信明の返歌は「わびしさを同じ心ときくからに我が身をすてて君ぞ悲しき」。なお信明は三十六歌仙の一人で、中務の夫となった人物。

また人に

うつつには心もこころ寝ぬる夜の夢とも夢と人にかたるな(中務集)

【通釈】目が醒めた現実にあっては、心は変わらぬ心です。(お逢いしたことが)たとえ夜の夢であったとしても、そんな夢を見たと他人に話さないで下さい。

【補記】共に夜を過ごした男から「うつつとも夢とも判らないうちに夜が明けてしまった」と言ってきたのに対する返し。

月あかかりける夜、女の許につかはしける  源信明

恋しさはおなじ心にあらずとも今宵の月を君見ざらめや

【通釈】恋しい気持は同じではないとしても、今夜の月をあなたも見ないわけはないでしょう。

返し

さやかにも見るべき月を我はただ涙にくもる折ぞおほかる(拾遺788)

【通釈】くっきりと見るはずの月を、私はもっぱら涙のために曇って見る折が多いのです。

【補記】明月の夜、源信明から贈られた歌への返し。同じ月を見ていることをせめてもの慰めにしたいと言って来た相手に対し、恋しさゆえに明月も涙で曇ると言い返し、恋の思いは自分の方が強いことを切々と訴えた。

【他出】信明集、中務集、拾遺抄、三十人撰、三十六人撰、俊頼髄脳、和歌色葉、定家八代抄

【主な派生歌】
さやかにも人は見るらむ我が目には涙にくもる宵の月かげ(和泉式部)
うき雲のはるればくもる涙かな月見るままの物悲しさに(*藤原定家)
しのぶらむ涙にくもる影ながらさやかにてらせ有明の月(藤原定家)

男のよみておこせて侍りける

あはれとも思はじものを白雪の下に消えつつなほもふるかな

【通釈】あなたは情けもかけまいに、それでも私は心の底でなお恋情を燃やし続けているのですよ。雪が、表面ではそれと分からずに融けてゆきながら、なおも降り積もるように。

【語釈】◇なほもふるかな 「ふる」には「(雪が)降る」「経る(恋に身を焦がしつつ過ごす)」両義を掛ける。

返し

ほどもなく消えぬる雪はかひもなし身をつみてこそあはれと思はめ(拾遺654)

【通釈】すぐに消えてしまう雪は、いくら「積む」としても頼りになりません。あなたが身を「抓(つ)む」ような思いをしてこそ、情けもかけましょう。

【補記】「身をつみ」は、自分の体を抓(つね)ることで、人の痛みを知るということ。あなたより私の方が辛い思いをしているのだ、と言外に匂わせている。

題しらず

わびつつもこの世は経なむ渡り河のちの淵瀬を誰にとはまし(続後撰897)

【通釈】嘆きながらも、あの人との仲を続けてゆくのだろう。将来、淵となるか瀬となるか――この恋が深くなるか浅くなるか、誰が知っていよう。

【語釈】◇この世 恋愛関係を言う。◇のちの淵瀬 将来、淵となるか瀬となるか。深く結ばれるか、浅い関係で終わるか。

【補記】初句「わびつつは」とする本もある。『信明集』には詞書「行平が三君をたえたるころ、女」として出ており、『万代集』には「中納言行平女」の作として載せる。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
世の中はなにかつねなるあすか川きのふの淵ぞけふは瀬になる

むすめにおくれ侍りて

忘られてしばしまどろむ程もがないつかは君を夢ならで見む(拾遺1312)

【通釈】眠りに落ちれば、必ずあなたの夢を見る。忘れてしまえて、しばらくまどろむ時間がほしい。いつになったら、あなたと夢ではなしに会えるのだろうか。

【語釈】◇むすめ 太政大臣藤原伊尹の妻で、伊尹集に「ゐとの(井殿)」とある人か。◇忘られて 亡き娘のことを忘れることができて。◇夢ならで見む 夢ではなしに逢うことができるだろうか(私が死なぬ限り逢えないだろう)。

【補記】娘に先立たれた時に詠んだ歌。「夢ならで見む」とは、自分の死後、冥土でしか逢えまい、ということであろう。淡々とした調子が、かえって悲しみの深さを伝える。

【他出】中務集、拾遺抄、金玉集、三十人撰、深窓秘抄、三十六人撰、宝物集、俊成三十六人歌合

【主な派生歌】
逢ふことも今はなきねの夢ならでいつかは君をまたは見るべき(*藤原彰子[新古今])

久しくわづらふころ

たくなはの夏の日ぐらし苦しくてなどかく長き命なるらむ(中務集)

【通釈】夏の日は一日中苦しくて、どうしてこのように長い命なのだろう。

【語釈】◇たくなはの 栲縄の。本来「長き」にかかる枕詞。この場合、第二句にかかり、夏の一日の長さを言うために使われている。◇くるしくて 「くる」は「繰る」と掛詞になり、「栲縄」の縁語になる。「長き」も同じく縁語である。

【補記】初句を「たなばたの」とする本もあるが、意が通らない。娘にも孫にも先立たれた晩年の作であろう。


公開日:平成12年09月13日
最終更新日:平成21年02月27日