津守国冬 つもりのくにふゆ 文永六〜元応二(1269-1320)

住吉社神官国助の子。妹は二条為世の室。弟(猶子)の国道、子の国夏も勅撰歌人。
弘安八年(1285)四月、権神主。正応元年(1288)九月、従五位下左近将監。正安元年(1299)、住吉社四十九代神主となる。翌年御祈の賞によって従四位下に叙せられる。正和元年(1312)五月、摂津守。後宇多院の上北面を勤めるなど、大覚寺統に親近した。元応二年(1320)六月十七日、卒去。五十二歳。
和歌の神を祀る住吉社の神官にして重代歌人の家柄ゆえ歌壇で重んじられ、また二条家・大覚寺統に近い立場にあったため、新後撰集・続千載集撰集の折、連署となる栄を得た。正和四年(1315)の花十首寄書、嘉元元年(1303)の嘉元百首、文保三年(1319)頃の文保百首、元亨年間(1321-1324)頃の覚助法親王家五十首などの作者に列なる。「国冬百首」「祈雨百首」「国冬五十首」などの定数歌が伝存する。新後撰集初出。勅撰入集は計五十六首。

題不知

苗代に心のたねを蒔きそへてなくやかはづのやまとことのは(新千載2153)

【通釈】苗代に稲の種だけでなく「心の種」を蒔き添えたので、蛙の鳴く声もやまとうたなのである。

【補記】新千載集巻十八、誹諧歌。名高い古今集仮名序の冒頭に言う「心を種として和歌が生まれる」「蛙も歌を詠む」由を踏まえた諧謔。なお「かはづ」は特にカジカガエルを指すが、蛙一般を言う歌語でもあった。

【参考】「古今集仮名序」
やまとうたは、人の心をたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。(中略)花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。
  「後鳥羽院御集」
いぐしたつるいほしろ小田の浮草になくや蛙の声もすみけり


最終更新日:平成15年03月14日