後撰和歌集 ―『定家八代抄』による抜萃 105首―

【巻数】二十巻

【歌数】1425首(新編国歌大観による)

【勅宣】村上天皇

【成立】不明。天暦五年(951)十月、編纂開始。

【撰者】大中臣能宣源順清原元輔・紀時文・坂上望城

【主な歌人と収録歌数】紀貫之(92首) 伊勢(72首) 凡河内躬恒(27首) 藤原兼輔(24首)

【性格】第二勅撰和歌集。
「後撰和歌集」という名は、文字通り古今集の「後」に「撰」ばれた歌集を意味する。すなわち古今集を補完する目的を以て編纂された集であると言える。
入集数の多い作者が貫之・伊勢・躬恒ら前代の歌人によって占められているのも、古今集を尊重する編集方針に拠る。撰者たちは黒子に徹し、自らの歌は一首として採用していない。
古今集にくらべ、恋歌と雑歌の比重が高い。また、贈答歌が多く、これと関連して長い詞書をもつ作が多い。屏風歌や歌合歌など、晴の歌を主として精撰した古今集のあとで、後撰集は必然的に歌人たちの日常生活により密着した、褻(け)の歌を集めることになったのである。
古今歌風を主導した貫之の言う、和歌の「男女の仲をもやはらげ」るという効用・実用性、また「心に思ふことを、見るもの、聞くものにつけて、いひいだせる」即興性が活発に発揮された歌集である、とも言える。こうして後撰集は、いわば当時の「歌社会」の様相を広く、生き生きと描き出す歌集となり、古今集を追完する役割をみごとに果たしたのである。

【定家八代抄に漏れた名歌】
くやくやと待つ夕暮と今はとて帰るあしたといづれまされり(元良親王)
直き木にまがれる枝もあるものを毛をふき疵をいふがわりなさ(高津内親王)

【底本】『八代集 一』(奥村恒哉校注 東洋文庫)

【参照】『後撰和歌集』(片桐洋一校注 岩波新日本古典文學大系) 以下、新大系本と略称。

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『後撰和歌集 正保四年版本』
水垣久『新訳 後撰和歌集』



―目次―

巻一(春上) 巻二(春中) 巻三(春下) 巻四(夏) 巻五(秋上) 巻六(秋中) 巻七(秋下) 巻八(冬) 巻九(恋一) 巻十(恋二) 巻十一(恋三) 巻十二(恋四) 巻十三(恋五) 巻十四(恋六) 巻十五(雑一) 巻十六(雑二) 巻十七(雑三) 巻十八(雑四) 巻十九(離別・羇旅) 巻二十(賀歌・哀傷)



巻第一(春歌上)6首

元日に二条の后宮(きさいのみや)にて白き大袿(おほうちぎ)を賜はりて
                   藤原敏行朝臣

0001 ふる雪の蓑代衣(みのしろごろも)うち着つつ春来にけりとおどろかれぬる (0008)

春立日よめる              凡河内躬恒

0002 春立つと聞きつるからに春日山きえあへぬ雪の花と見ゆらん (0006)

                      兼盛王

0003 今日よりは荻の焼原かきわけて若菜つみにと誰をさそはん (0015)

題しらず                読人しらず

0022 我がせこに見せんと思ひし梅の花それとも見えず雪の降れれば (0042)

0033 かきくらし雪は降りつつしかすがに我家(わぎへ)の苑に鴬ぞ鳴く (0034)

0035 鴬の鳴きつる声にさそはれて花のもとにぞ我は来にける (0045)

巻第二(春歌中)6首

年老いてのち梅の花植ゑて、明くる年の春、思ふ所ありて
               藤原扶幹(すけもと)朝臣

0047 植ゑし時花見むとしも思はぬに咲き散る見ればよはひ老いにけり (0041)

大和の布留(ふる)の山をまかるとて      僧正遍昭

0049 いそのかみ布留の山辺の桜花植ゑけむ時を知る人ぞなき (0092)

花山にて道俗酒たうべける折に       素性法師

0050 山守はいはばいはなむ高砂の尾上の桜折りてかざさん (0093)

朱雀院の桜のおもしろき事と延光朝臣のかたり侍りければ、見るやうもあらましものをなど、昔を思ひ出でて
                    大将御息所

0061 咲き咲かず我にな告げそ桜花人づてにやは聞かむと思ひし (0150)

題しらず                読人しらず

0064 大空におほふばかりの袖もがな春咲く花を風にまかせじ (0155)

題しらず                 宮道高風

0072 春の池の玉藻にあそぶ鳰鳥(にほどり)の足の(いと)なき恋もするかな (0989)

巻第三(春歌下)6首

贈太政大臣相別れてのち、ある所にてその声を聞きてつかはしける
                   藤原顕忠朝臣母

0081 鴬の鳴くなる声は昔にて我が身ひとつのあらずもあるかな (0036)

元良親王、兼茂朝臣のむすめに住み侍りけるを、法皇の召して、かの院にさぶらひければ、え逢ふことも侍らざりければあくる年の春、桜の枝にさして、かの曹司に挿し置かせける
                      元良親王

0102 花の色は昔ながらに見し人の心のみこそうつろひにけれ (0166)

月のおもしろかりける夜、花を見て       源信明

0103 あたらよの月と花とを同じくは心知れらん人に見せばや (0167)

註:新大系本、第四句「あはれ知れらん」。

助信が母身まかりてのち、もどきもどきかの家に敦忠朝臣のまかりかよひけるに、桜の花の散りける折にまかりて、木のもとに侍りければ、家の人の言ひ出だしける
                      読人しらず

0105 今よりは風にまかせん桜花散る()のもとに君とまりけり (0164)

返し                     敦忠朝臣

0106 風にしも何かまかせん桜花匂ひあかぬに散るは憂かりき (0165)

題しらず                  読人しらず

0141 惜しめども春の限りの今日の又夕暮にさへなりにけるかな (0194)

註:『定家八代抄』は作者を「業平朝臣」とする。

巻第四(夏歌)7首

卯の花の垣根のある家にて          読人しらず

0153 時わかず降れる雪かと見るまでに垣根もたわに咲ける卯の花 (0200)

賀茂の祭の物見侍りける女の車に言ひ入れて侍りける

0161 行きかへる八十(やそ)氏人(うぢびと)の玉葛かけてぞたのむあふひてふ名に (0204)

註:新大系本、第五句「葵(あふひ)てふ名を」。

夏夜、深養父が琴ひくを聞きて       藤原兼輔朝臣

0167 みじか夜の更けゆくままに高砂の峰の松風吹くかとぞ聞く (0258)

題しらず                  読人しらず

0187 旅寝して妻恋ひすらし時鳥神なび山に小夜更けて鳴く (0240)

0192 うちはへて音をなきくらす空蝉の空しき恋も我はするかな (0997)

0199 我が宿の垣根に植ゑし撫子は花に咲かなむよそへつつ見ん (0247)

桂の皇女(みこ)の「蛍をとらへて」と言ひ侍りければ、(わらは)汗衫(かざみ)の袖につつみて

0209 つつめども隠れぬものは夏虫の身より余れる思ひなりけり (0994)

巻第五(秋歌上)2首

題しらず                  読人しらず

0218 うちつけに物ぞ悲しき木の葉散る秋の初めを今日ぞと思へば (0270)

七日の日

0238 七夕の(あま)のと渡る今宵さへ遠方人(をちかたびと)のつれなかるらむ(0296)

巻第六(秋歌中)3首

題しらず                  読人しらず

0295 秋の田のかりほの庵の匂ふまで咲ける秋萩見れどあかぬかも (0331)

註:新大系本、第二句「かりほのやどの」。

                     天智天皇御製

0302 秋の田のかりほの庵のとまを荒み我が衣手は露に濡れつつ (0332)

延喜御時、歌めしければ            文屋朝康

0308 白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける (0360)

巻第七(秋歌下)1首

題しらず                  読人しらず

0360 秋風にさそはれ渡る雁がねは物思ふ人の宿をよかなん (0378)

巻第八(冬歌)4首

題しらず                  読人しらず

0445 神無月降りみ降らずみさだめなき時雨ぞ冬のはじめなりける (0476)

0451 神無月時雨とともに神なびの杜の()の葉は降りにこそ降れ (0479)

0457 ちはやぶる神垣山の榊葉は時雨に色もかはらざりけり (0493)

0481 思ひつつ寝なくに明くる冬の夜の袖の氷はとけずもあるかな (0543)

巻第九(恋歌一)3首

まかる所知らせず侍りける頃、又あひ知りて侍りける男のもとより、「日頃尋ねわびて、失せにたるとなん思ひつる」と言へりければ
                         伊勢

0515 思ひ川絶えず流るる水の泡のうたかた人に逢はで消えめや (0934)

いと忍びたる女にあひ語らひてのち、人目につつみて又逢ひがたく侍りければ
                        是忠親王

0550 逢ふことのかた糸ぞとは知りながら玉の緒ばかり何によりけん (1115)

註:底本は作者「これたかのみこ」。新大系本により改める。

人につかはしける                源等朝臣

0577 浅茅生(あさぢふ)の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき (0868)

巻第十(恋歌二)9首

人のもとにつかはしける             源等朝臣

0619 東路の佐野の舟橋かけてのみ思ひわたるを知る人のなき (0864)

註:新大系本、第五句「知る人のなさ」。

言ひかはしける女のもとより「なほざりに言ふにこそあめれ」と言へりければ
                          貫之

0631 色ならばうつるばかりも染めてまし思ふ心をえやは見せける (0882)

おほつぶねに物のたうび遣はしけるを、さらに聞き入れざりければ、つかはしける
                        貞元親王

0633 大方はなぞや我が名の惜しからむ昔の妻と人に語らん (0952)

註:底本は作者「元良のみこ」。新大系本により改める。

返し                     おほつぶね

0634 人はいさ我は無き名の惜しければ昔も今も知らずとを言はん (0953)

同じ所にて見かはしながら、え逢はざりける女に  読人しらず

0636 河と見て渡らぬ中に流るるはいはで物思ふ涙なりけり (0948)

年久しく通はし侍りける人に遣はしける        貫之

0646 玉の緒の絶えて短き命もて年月ながき恋もするかな (0965)

男のもとより「今は異人(ことひと)あんなれば」と言へりければ、女にかはりて
                       読人しらず

0662 思はんと頼めしこともあるものを無き名を立てでただに忘れね (1392)

しのびて通ひ侍りける女のもとより、狩装束(かりさうぞく)送りて侍りけるに、摺れる狩衣(かりごろも)侍りけるに
                        元良親王

0679 逢ふことは遠山鳥のかり(すり両説)衣きては甲斐なき音をのみぞなく (1120)

註:新大系本は第二句「遠山ずりの」。

「月をあはれといふは忌むなり」と言ふ人のありければ
                       読人しらず

0684 独り寝の侘しきままに起きゐつつ月をあはれと忌みぞかねつる (1359)

巻第十一(恋歌三)10首

女のもとにつかはしける             三条右大臣

0700 名にし負はば逢坂山(あふさかやま)のさねかづら人に知られでくる由もがな (1107)

                         在原元方

0701 恋しとはさらにも言はじ下紐の解けんを人はそれと知らなん (1034)

大納言国経朝臣の家に侍りける女に、平定文いとしのびて語らひ侍りて、ゆくすゑまで契り侍りける頃、この女、にはかに贈太政大臣に迎へられてわたり侍りにければ、文だにもかよはす方なくなりにければ、かの女の子の五つばかりなる、本院の西の対にあそび歩きけるをよびよせて、母に見せ奉れ、とて、(かひな)にかきつけ侍りける
                         平定文

0710 昔せし我がかねごとの悲しきはいかに契りし名残なるらん (1310)

返し                     読人しらず

0711 うつつにて誰契りけむ定めなき夢路に惑ふ我は我かは (1311)

おやある女に忍びてかよひけるを、男もしばしは人にしられじといひ侍りければ  読人しらず

0725 なき名ぞと人にはいひてありぬべし心のとはばいかがこたへん(1113)

題しらず                    壬生忠岑

0741 思ふてふことをぞねたく(ふる)しける君にのみこそ言ふべかりけれ (1167)

                        戒仙法師

0742 あな恋しゆきてや見まし津の国の今もありてふ浦の初島 (1114)

同じ所に宮仕へして侍りて、つねに見ならしける女につかはしける
                         躬恒

0744 伊勢の海に塩焼くあまの藤衣なるとはすれど逢はぬ君かな (0899)

こころざし侍りける女のつれなきに       読人しらず

0766 思ひ寝の夜な夜な夢に逢ふことをただ片時のうつつともがな (1219)

題しらず                    紀内親王

0769 津の国の難波たたまく惜しみこそすくも炊く火の下に焦がるれ (0904)

釣殿のみこに遣はしける            陽成院御製

0776 筑波嶺の峰より落つる男女川(みなのがは)恋ぞ積りて淵となりける (0963)

物言ひける女に、蝉のもぬけを包みて遣はすとて  源重光朝臣

0793 これを見よ人もすさめぬ恋すとて音をなく虫のなれる姿を (1000)

巻第十二(恋歌四)5首

返し                        伊勢

0809 我が宿とたのむ吉野に君し入らば同じ挿頭(かざし)をさしこそはせめ (1206)

註:「贈太政大臣」藤原時平の歌への返し。

心の内に思ふことやありけむ

0825 見し夢の思ひ出でらるる宵毎に言はぬを知るは涙なりけり (1071)

人のもとより帰りてつかはしける            貫之

0862 暁のなからましかば白露のおきてわびしき別れせましや (1047)

御匣殿(みくしげどの)にはじめて遣はしける       敦忠朝臣

0882 今日そゑに暮れざらめやはと思へども耐へぬは人の心なりけり (1055)

好古(よしふる)の朝臣、さらに逢はじと誓言(ちかごと)をして、又のあしたに遣はしける
                          蔵内侍

0886 誓ひてもなほ思ふには負けにけり()がため惜しき命ならねば (1245)

巻第十三(恋歌五)4首

桂の皇女(みこ)に住み始めける間に、かの皇女、相思はぬけしきなりければ
                         貞数親王

0901 人知れず物思ふ頃の我が袖は秋の草葉におとらざりけり (1005)

心にもあらで久しくとはざりける人のもとにつかはしける
                        源英明朝臣

0916 伊勢の海のあまのまてかた(いとま)なみ長らへにける身をぞ恨むる (1192)

事出で来てのちに、京極御息所(みやすんどころ)につかはしける
                        元良親王

0960 侘びぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はんとぞ思ふ (1204)

註:この歌は後撰・拾遺に重出。定家撰『八代集秀逸』では拾遺集の項に載る。

忍びて御匣殿(みくしげどの)別当(べたう)にあひ語らふと聞きて、父の左大臣の制し侍りければ
                        敦忠朝臣

0961 いかにしてかく思ふてふことをだに人伝ならで君に語らん (0880)

巻第十四(恋歌六)2首

菅原の大臣の家に侍りける女にかよひ侍りける男、中絶えて又とひて侍りければ
                       読人しらず

1024 菅原や伏見の里の荒れしより通ひし人の跡も絶えにき (1403)

甲斐に人の物言ふと聞きて            藤原守文

1028 松山に波高き(おと)ぞ聞こゆなる我より越ゆる人はあらじを (1349)

註:底本、詞書の頭に「又わかうち」あり。新大系本により改める。

巻第十五(雑歌一)15首

仁和の帝、嵯峨の御時の例にて、芹河に行幸し給ひける日
                      在原行平朝臣

1075 嵯峨の山みゆき絶えにし芹川の千代の古道跡はありけり (1448)

同じ日、鷹飼にて狩衣の袂に鶴の(かた)をぬひて書き付けたりける

1076 翁さび人な咎めそ狩衣今日ばかりとぞ(たづ)も鳴くなる (1449)

行幸の又の日なん致仕の表奉りける

家に行平朝臣まうで来たりけるに、月のおもしろかりける夜、酒などたうべて、まかりたたんとしけるほどに
                      河原左大臣

1081 照る月をまさきの綱によりかけて飽かず別るる人をつながん (1456)

返し                    行平朝臣

1082 限りなき思ひの綱の無くはこそまさきの葛よりも悩まめ (1457)

世の中を思ひ()じて侍りける頃       業平朝臣

1083 住み侘びぬ今は限りと山里に爪木こるべき宿求めてん (1695)

逢坂の関に庵室をつくりて住み侍りけるに、行き交ふ人を見て
                        蝉丸

1089 これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬもあふさかの関 (1652)

さだめたる男もなくて物思ひ侍る頃        小町

1090 あまの住む浦漕ぐ舟の舵を無み世をうみ渡る我ぞ悲しき (1671)

西院の后、御髪(おほんぐし)おろさせ給ひておこなはせ給ひける時、かの院の中島(なかのしま)の松を削りて書き付け侍りける
                       素性法師

1093 音に聞く松が浦島けふぞ見るむべも心あるあまは住みけり (1672)

五節の舞姫にて「もし召し(とど)めらるることやある」と思ひ侍りけるを、さもあらざりければ
                       藤原滋包女

1101 悔しくぞ天つ乙女となりにける雲路たづぬる人も無き世に (1473)

太政大臣の、左大将にて、相撲の還饗(かへりあるじ)し侍りける日、中将にてまかりて、こと終はりて、これかれまかりあかれけるに、やむごとなき人二三人ばかりとどめて、客人(まらうど)、主、酒あまたたびの後、()ひにのりて、子どもの上など申しけるついでに
                        兼輔朝臣

1102 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな (1481)

兼輔朝臣、宰相中将より中納言になりて又の年、賭弓(のりゆみ)の帰りだちの(あるじ)にまかりて、これかれ思ひをのぶるついでに

1106 ふるさとの三笠の山は遠けれど声は昔の疎からぬかな (1469)

淡路のまつりごと人の任果てて上りまうで来ての頃、兼輔朝臣の粟田の家にて
                          躬恒

1107 引き植ゑし人はむべこそ老いにけれ松のこだかくなりにけるかな (1689)

註:新大系本・『定家八代抄』、第一句は「引きて植ゑし」。

藤原さねきが蔵人よりかうぶり給はりて、あす殿上まかりおりなんとしける夜、酒たうべけるついでに
                        兼輔朝臣

1116 むば玉の今宵ばかりぞあけ衣明けなば人をよそにこそ見め (1465)

小野好古朝臣、西の国の討手(うて)の使ひにまかりて、二年といふ年、四位にはかならずまかりなるべかりけるを、さもあらずなりにければ、かかる事にしも指されにける事のやすからぬよしを愁へ送りて侍りける文の返り事のうらに、書きつけてつかはしける
                       源公忠朝臣

1123 玉くしげ二とせ逢はぬ君が身をあけながらやはあらんと思ひし (1466)

返し                    小野好古朝臣

1124 あけながら年ふることは玉くしげ身のいたづらになればなりけり (1467)

巻第十六(雑歌二)5首

思ふこころありて、前太政大臣によせて侍りける  在原業平朝臣

1125 たのまれぬ憂き世の中を歎きつつ日蔭におふる身をいかにせん (0637)

延喜御時、賀茂臨時祭の日、御前にて盃とりて    三条右大臣

1131 かくてのみやむべきものか千早ぶる賀茂の社の万代を見む (1766)

病して心細しとて、大輔に遣はしける         藤原敦敏

1145 万代と契りしことのいたづらに人わらへにもなりぬべきかな (0694)

註:新大系本、第一句「万世を」。

女のもとより、恨みおこせて侍りける返り事に    読人しらず

1171 忘るとは恨みざらなんはし鷹のとがへる山の椎はもみぢず (1423)

兼忠朝臣、母身まかりにければ、兼忠をば故枇杷左大臣の家にむすめをば后の宮にさぶらはせんとあひ定めて、二人ながらまづ枇杷の家に渡し送るとて、くはへ侍りける
                     兼忠朝臣母の乳母(めのと)

1187 むすび置きし形見の子だになかりせば何に忍ぶの草を摘ままし (0671)

巻第十七(雑歌三)4首

石上(いそのかみ)といふ寺にまうでて、日の暮れにければ、夜明けて、まかり帰らむとて、とどまりて、「この寺に遍昭侍り」と人の告げ侍りければ、物言ひこころみむとて言ひ侍りける
                        小野小町

1195 岩の上に旅寝をすればいとさむし苔の衣を我にかさなん (0803)

返し                      遍昭

1196 世をそむく苔の衣はただひとへかさねばうとしいざ二人ねん (0804)

初めてかしらおろし侍りける時、物に書き付け侍りける

1240 たらちめはかかれとてしもむば玉の我が黒髪を撫でずやありけん (0650)

伏見といふ所にて、その心をこれかれよみけるに  読人しらず

1242 菅原や伏見の暮に見渡せばかすみにまがふ小初瀬(をはつせ)の山 (1655)

巻第十八(雑歌四)2首

中将にて内にさぶらひける時にあひ知りける女蔵人の曹司に、壺やなぐひ、老懸(おいかけ)を宿し置きて侍りけるを、俄かに事ありて遠き所に罷りけり。この女のもとより、この老懸をおこせて、あはれなる事など言ひて侍りける返り事に
                         源善朝臣

1253 いづくとて尋ね来つらん玉かづら我は昔の我ならなくに (0768)

左大臣の家にてかれこれ題をさぐりて歌よみけるに、露といふ文字を得侍りて
                         藤原忠国

1281 我ならぬ草葉も物は思ひけり袖より外に置ける白露 (1282)

巻第十九(離別・羇旅)1首

羇旅歌

(あづま)へまかりけるに、過ぎぬる方恋しくおぼえけるほどに、川をわたりけるに波の立ちけるを見て
                         業平朝臣

1352 いとどしく過ぎ行く方の恋しきに羨ましくもかへる波かな (0793)

巻第二十(賀歌・哀傷) 8首

賀歌

左大臣家の男子(おのこご)女子(おんなご)(かうぶり)し、()着侍りけるに
                           貫之

1373 大原や小塩の山の小松原はや木高(こだか)かれ千代のかげ見ん (0602)

今上、(そち)親王(みこ)ときこえし時、太政大臣の家にわたりおはしまして、かへらせ給ふ御贈り物に御本たてまつるとて
                         太政大臣

1378 君がため祝ふ心の深ければひじりの御代の跡ならへとぞ (0632)

註:作者「太政大臣」は貞信公藤原忠平。

御返し                      今上御製

1379 教へおくこと違はずは行末の道遠くとも跡はまどはじ (0633)

註:作者「今上」は村上天皇。

哀傷歌

敦敏が身まかりにけるを、まだ聞かで、(あづま)より馬を送りて侍りければ
                          左大臣

1386 まだ知らぬ人もありけり東路に我も行きてぞ住むべかりける (0675)

註:新大系本、第二句「人も有ける」。作者「左大臣」は藤原実頼。

兄の(ぶく)にて、一条にまかりて         太政大臣

1387 春の夜の夢のうちにも思ひきや君なき宿を行きて見んとは (0670)

先帝おはしまさで、世の中思ひ嘆きて、つかはしける
                        三条右大臣

1389 儚くて世にふるよりは山科の宮の草木とならましものを (0652)

同じ年の秋                  玄上朝臣の女

1408 もろともになきゐし秋の露ばかりかからん物と思ひかけきや (0695)

註:詞書の「同じ年」とは、「前坊」保明親王が亡くなった年の秋を意味する。新大系本、第二句「を(お)きゐし秋の」。

題しらず                      伊勢

1419 程もなく誰も遅れぬ世なれどもとまるは行くを悲しとぞ見る (0693)



更新日:平成17年03月03日
最終更新日:平成22年02月28日


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