源信明 みなもとのさねあきら 延喜十〜天禄一(910-970)

光孝天皇の曾孫。公忠の子。母は不詳。大和守橘秘樹の娘との間に通理をもうける(尊卑分脈)。子はほかに国定・国盛・方国など。歌人の兼澄は甥、道済は孫、時綱は曾孫。
承平七年(937)、父に代わり蔵人となる。天慶二年(939)、式部少丞。同四年、大丞。同五年、若狭守従五位下。以後、地方の国司を転々とし、天暦元年(947)、備後守。同二年、治国の賞により従五位上。天徳二年(958)、越後守。同五年、正五位下。応和元年(961)、陸奥守。陸奥より帰京後は散位。安和元年(968)、治国の賞により従四位下。
村上天皇代、名所絵の屏風歌などを奉る。また中務との贈答が多く、夫婦だったともいう。中務との間には女児がいる(『中務集』『伊尹集』に「ゐとの」とある)。三十六歌仙の一人。家集『信明集』がある。後撰集初出。勅撰入集は二十三首。

  2首  1首  1首  6首 哀傷 2首 計12首

春の歌の中に

ふる雪の下ににほへる梅の花しのびに春の色ぞ見えける(玉葉63)

【通釈】降り積もる雪の下にほのぼの映える梅の花――ひっそりと春の色が見えるのだった。

【補記】『信明集』によれば雪の降るさまを描いた屏風絵に添えた歌。万代集・新後拾遺集にも採られている。

月のおもしろかりける夜、花をみて

あたら夜の月と花とをおなじくはあはれ知れらむ人に見せばや(後撰103)

【通釈】素晴らしい今宵の月と花とを、どうせなら物の情趣をよく理解している人に見せたいものだ。

【語釈】◇あはれ知れらむ人 もののあわれを知っているだろう人。仮想上の物言いであるため、「知れる」に未来推量の助動詞「む」を付して「知れらむ」と言っている。この「ら」は存続の助動詞「り」の未然形。

【補記】『中務集』(書陵部蔵本)には詞書「月あかく、花面白き夜、女」とあり、これによれば中務の作となる。

【他出】信明集、中務集、三十人選、三十六人撰、俊成三十六人歌合、古来風躰抄、定家八代抄、時代不同歌合

【主な派生歌】
をりふせてのちさへにほふ山桜あはれしれらむ人にみせばや(行尊)
おもふ事いはせの杜のよぶこ鳥あはれ知れらむ人のきけかし(藤原俊成)
おなじくはあはれしれらむ人もがな鹿とむしとの秋の夕暮(後鳥羽院)
心なき身にだにあかぬ花ゆゑにあはれしれらむ人ぞまたるる(中臣祐臣)
あくる夜の月と花とのあはれをもただおしこめて霞む春かな(正徹)

題しらず

待つ人にいかにつげまし雲の上にほのかに消ゆる初雁の声(新拾遺486)

【通釈】待っても来ない人に、どうやって告げ知らせようか。雲の上へとぼんやり消えてゆく初雁の、哀れ深い声を。

【補記】『信明集』では題「初雁」とし、「待つ人にいかつげまし雲の上にほのかにきこゆ初雁の声」とする。

題しらず

ほのぼのと有明の月の月影に紅葉吹きおろす山おろしの風(新古591)

【通釈】薄ぼんやりとした有明の月の光の中、紅葉を吹き下ろす山颪の風よ。

【補記】五・八・五・八・八と、三句も字余りのある珍しい作。『深窓秘抄』『近代秀歌』など多くの秀歌選に採られた、信明の代表作。「これも客観的の歌にて、けしきも淋しく艶なるに、語を畳みかけて調子取りたる処いとめづらかに覚え候」(正岡子規『歌よみに与ふる書』)。

【他出】信明集、深窓秘抄、和漢朗詠集、俊頼髄脳、和歌色葉、俊成三十六人歌合、梁塵秘抄、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、時代不同歌合、詠歌一体、三五記、愚見抄、愚問賢註、六華集、心敬私語、歌林良材

【主な派生歌】
思ふことなくてぞ見ましほのぼのと有明の月の志賀の浦波(*花山院師賢[新葉])
有明の月はくもらで山おろしに紅葉吹きおろす音ぞしぐるる(宗良親王)
枯れて立つ垣根のすすきほのぼのと有明の月の霜しろき庭(冷泉為村)

敦慶(あつよし)のみこの娘に

年ふれば忘れやせむと思ふこそ逢ひ見ぬよりも我はわびしき(信明集)

【通釈】何年か経てば、貴女は私を忘れてしまうでしょう――そう思うことの方が、逢えないことよりも切ない。

【補記】「敦慶のみこの娘」は中務をさす。中務の返歌は「ながらへむ命ぞ知らぬ忘れじと思ふ心は身にそはりつつ」。

二三日ばかりあはぬ女に

思ひきや逢ひ見ぬことをいつよりと数ふばかりになさむものとは(信明集)

【通釈】思いもしなかった。ほんの二三日逢っていないだけなのに、最後に逢ってから何日経っただろうと、指折り数えて過ごしている。それほどまで、あなたを恋しく思うようになるとは。

【補記】後撰集には詞書「久しう逢はざりける女につかはしける」として載り、これだと歌意が全く異なってしまう。

【参考歌】伊勢「拾遺集」
思ひきや逢ひ見ぬほどの年月をかぞふばかりにならむものとは

源信明、たのむことなくは死ぬべしといへりければ    中務

いたづらにたびたび死ぬと言ふめれば逢ふには何をかへむとすらむ

【通釈】あなたは無闇に幾度も「死んでしまいます」とおっしゃるようですので、いったい私と逢う時には何を引き換えになさるつもりなのでしょうか。

【語釈】◇たのむことなくは死ぬべし 色良いお返事がもらえなければ私はきっと死んでしまう、ほどの意。「たのむ」はあてにする、頼みにする意。

【参考歌】紀友則「古今集」
命やは何ぞはつゆのあだものを逢ふにしかへば惜しからなくに

返し

死ぬ死ぬと聞く聞くだにも逢ひ見ねば命をいつの世にか残さむ(後撰708)

【通釈】確かに私は死ぬ死ぬとばかり言い、あなたは何度もそれを聞き聞きしているわけですが、それでも逢って下さらないのですから、いったい私はこの命をいつの世にまで残せばよいのでしょうか。

【補記】上記古今集歌を踏まえての贈答。「逢うために命を引き換えにする」と言うが、そんなに何度も死ぬと言って、いざ逢う時は何を代償にするつもりかと揶揄した中務に対し、ではいつまで命を残せばあなたは逢ってくれるのか、と信明がやり返した。

男のもとにつかはしける     中務

はかなくて同じ心になりにしを思ふがごとは思ふらむやぞ

【通釈】頼りない気持のまま、あなたと心を一つにしたけれど、私が思っているほど、あなたは思ってくれているでしょうか。

返し

わびしさを同じ心ときくからに我が身をすてて君ぞかなしき(後撰595)

【通釈】切ない気持ちでいることは、貴方も私も「同じ心」なのですね。そう聞きましたからには、我が身など捨てて顧みません。ただ貴方のことが愛しくてなりません

【語釈】◇わびしさ 事が思うようにならない切なさ、やりきれなさといった心の状態を言う言葉。◇かなしき 切ないほどいとしい。

月のあかかりける夜、女のもとにつかはしける

恋しさはおなじ心にあらずとも今宵の月を君見ざらめや(拾遺787)

【通釈】恋しい気持は同じではないとしても、今夜の月をあなたも見ないわけはないでしょう。

【補記】中務の返し「さやかにも見るべきものを我はただ涙にくもるをりぞおほかる」。

こよひ寝てあふみへゆくと見し夢の悲しと袖にふるは涙か(信明集)

【通釈】ゆうべ、あなたに逢いに近江へ行く夢を見ました――なんて悲しい夢だと、袖に降るのは春雨でなく涙でしょうか。

【語釈】◇こよひ 夜が明けて以降、その夜を顧みて言った語で、すなわち「昨夜」の意。◇あふみ 「逢ふ」「近江」の掛詞。

【補記】詞書の「男」は信明自身を指す。中務の返し「程もなくやみぬる雨にたとふるはいかに悲しき涙なるらむ」。

【本歌】大伴黒主「古今集」
春雨のふるは涙か桜花散るを惜しまぬ人しなければ

哀傷

公忠朝臣身まかりにけるころよみ侍りける

物をのみ思ひねざめの枕には涙かからぬ暁ぞなき(新古810)

【通釈】夢の中でも物思いばかりして、寝覚の枕に涙を落とさない暁とてないことだ。

又の年御はてに

故郷の梢のもみぢ秋はてておのがちりぢりなるがわびしさ(信明集)

【通釈】荒れ古びた里の梢の紅葉――秋の終りを迎えて散り散りになることの侘びしさよ。そのように、法皇が崩ぜられて一周年の秋が果てて、かつての臣下たちが散り散りに別れてしまうのはやりきれないことだ。

【語釈】◇又の年御はて 宇多法皇崩御の翌年、一周忌の法会。承平二年(932)七月九日。


更新日:平成15年11月22日
最終更新日:平成21年08月31日