源融 みなもとのとおる 弘仁一三〜寛平七(822-895) 号:河原左大臣

嵯峨天皇の皇子。母は大原全子。子に大納言昇ほか。子孫に安法法師がいる。系図
臣籍に下って侍従・右衛門督などを歴任、貞観十四年(872)、五十一歳で左大臣にのぼった。元慶八年(884)、陽成天皇譲位の際には、新帝擁立をめぐって藤原基経と争い、自らを皇位継承候補に擬した(『大鏡』)。仁和三年(887)、従一位。寛平七年(895)八月二十五日、薨去。七十四歳。贈正一位。河原院と呼ばれた邸宅は庭園に海水を運び入れて陸奥の名所塩釜を模すなど、その暮らしぶりは豪奢を極めたという。また宇治に有した別荘は、その後変遷を経て現在の平等院となる。古今集・後撰集に各二首の歌を残す。

源融公墓所 京都市右京区 清涼寺境内

貞観御時、弓のわざつかうまつりけるに

けふ桜しづくに我が身いざ濡れむ香ごめにさそふ風の来ぬまに(後撰56)

【通釈】今日、桜よ、雫に我が身はさあ濡れよう。香もろとも誘い去ってゆく風が来ないうちに。

【語釈】◇香ごめにさそふ風 (雫ばかりか)香もろとも誘い去ってゆく風。

【補記】貞観御時、すなわち清和天皇の御代(西暦859年〜876年)に、弓の行事をお務めした時に詠んだ歌。

【他出】新撰和歌、色葉和難集

【主な派生歌】
咲きにけり風の来ぬ間にけふ桜こころのほどに手折りつつ見む(後鳥羽院)
けふ桜折らば折らなむ風吹かば夜のまもしらぬ花の梢に(*安嘉門院高倉)
けふ桜めがれせぬまもそふ老を思ひも出でぬ花の陰かな(正徹)

題しらず

陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり(たれ)ゆゑに乱れむと思ふ我ならなくに(古今724)

【通釈】陸奥の「しのぶもぢ摺り」の乱れ模様のように、私の忍ぶ心は誰のせいで乱れようというのか。あなた以外に誰がいよう。ほかの誰のためにも、心を乱そうなどと思わぬ私なのに。

【語釈】◇しのぶもぢずり 陸奥国信夫郡特産の摺り染め布。「しのぶ」は忍ぶ草を用いたゆえとも言う。「もぢずり」は後世「文字摺り」と書かれたが、もとは「捩(も)ぢ摺り」、すなわち「よじれた模様の摺り染め」の意。乱れた模様なので、恋に乱れる心の象徴となる。なお「しのぶ」には「恋を忍ぶ」意が掛かると見ることもできる。◇ならなくに …ではないのに。

【補記】百人一首では普通第四句が「乱れそめにし」となっている。この場合、「そめ」は「染め」「初め」の両義を兼ねることになる。(古今集の非定家系諸本の多くも「乱れそめにし」。百人秀歌は「乱れむと思ふ」。)

【他出】業平集、伊勢物語、古今和歌六帖、俊頼髄脳、綺語抄、和歌童蒙抄、五代集歌枕、和歌初学抄、袖中抄、古来風躰抄、五代簡要、定家八代抄百人一首、色葉和難集、歌枕名寄、歌林良材

【主な派生歌】
みちのくの忍ぶもぢずり忍びつつ色には出でじ乱れもぞする(寂然[千載])
君にかく乱れそめぬとしらせばや心のうちに忍ぶもぢずり(藤原兼実[続拾遺])
いかにせむ都はるかにながむればしのぶもぢずり心みだれて(慈円)
露のをはり玉の衣にみだるなよ浮世の秋のしのぶもぢずり(藤原家隆)
下にのみ忍ずもぢずりくるしきは心のうちのみだれなりけり(藤原忠良[続古今])
春日野の霞の衣山風にしのぶもぢずりみだれてぞゆく(藤原定家[新拾遺])
袖ぬらすしのぶもぢずり誰が為に乱れてもろき宮城野の露(藤原定家)
逢ふことはしのぶの衣あはれなど稀なる色に乱れそめけむ(〃)
みちのくのしのぶもぢずり乱れつつ色にを恋ひむ思ひそめてき(〃)
ふみしだく浅香の沼の夏草にかつみだれそふしのぶもぢずり(〃)
春の色のしのぶもぢずりたが袖にみだれて落つる春のあは雪(順徳院)
誰ゆゑに思ふとか知る初瀬めの手にひく糸のおのれ乱れて(藤原為家[続後拾遺])
まなくちる袖の白玉たれゆゑにみだれそめぬる涙とかしる(一条実経[続拾遺])
心のみかぎりしられぬ乱れにていく年月を忍ずもぢずり(後嵯峨院[新後撰])
我が涙かかれとてしも黒髪のながくや人にみだれそめにし(*今出川院近衛[新千載])
いつの間に乱るる色の見えつらむ忍ぶもぢずりころもへずして(後醍醐院[続後拾遺])
心こそたへぬ思ひにみだるとも色にな出でそ忍ずもぢずり(藤原藤経[新後拾遺])
宮城野の朝露分けて秋萩の色にみだるる忍ぶもぢずり(頓阿[新続古今])
霞たつしのぶもぢずり衣手にみだれて帰る春の雁が音(正徹)
袖の色のまづたが方にみだれましおなじ涙をしのぶもぢずり(飛鳥井雅親)
みちのくのしのぶもぢずり五月雨は都の雲につづく比かな(正広)
いはぬ色をしのぶの里の花になどみだれ初めにし山吹の露(烏丸光広)

五節の(あした)に、(かんざし)の玉の落ちたりけるを見て、誰がならむととぶらひてよめる

ぬしやたれ問へどしら玉いはなくにさらばなべてやあはれと思はむ(古今873)

【通釈】この真珠の持ち主は誰か。尋ねても相手は白玉だから、「しら」ぬふりをして、(誰も自分のものだとは)言わない。それなら私は舞姫を皆いとしいと思うことにしようよ。

【語釈】◇ぬしやたれ 白玉に対して問いかけている。◇いはなくに 言わないのに。「でも、それなら私はこう思おう」と続く文脈。

【補記】五節の舞のあった翌朝、五節の舞姫の髪飾りに付いていた真珠が落ちていたのを見て、誰の物だろうと、聞いて廻って詠んだという歌。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、定家八代抄

【主な派生歌】
山吹の花色衣ぬしやたれとへどこたへずくちなしにして(素性[古今])
夏か秋か問へどしら玉いはねよりはなれておつる滝川の水(藤原定家)
かひもなし問へど白玉みだれつつ答へぬ袖の露の形見は(民部卿典侍[続拾遺])
ぬしやたれいさしら露のふぢばかま忘れがたみに秋風ぞふく(藤原為家)
もれぬべき袖の涙にしらせばやとへど白玉いはぬならひを(二条為定)
ぬしや誰とへど白波春たてば霞にそむる布引の滝(長慶天皇)

家に行平朝臣まうで来たりけるに、月のおもしろかりけるに、酒などたうべて、まかりたたむとしけるほどに

照る月をまさ木のつなによりかけてあかず別るる人をつながむ(後撰1081)

【通釈】輝く月を「まさ木の綱」に縒って懸けて、心残りのまま別れて行く人を繋ぎ止めよう。

【語釈】◇まさ木のつな 不詳。「まさきのかづら」(蔓性植物の一種)で作った綱か。◇よりかけて (綱に)撚って、(月をその綱に)つなぎかけて。

【補記】行平の返しは「限りなき思ひの綱の無くはこそまさきのかづら撚りも悩まめ」

【他出】業平集、古今和歌六帖、俊頼髄脳、奥義抄、和歌色葉、定家八代抄

【主な派生歌】
人心なににつながむ色かはるまさきのつなのよるもたまらず(藤原家隆)
山にてもとどめぬ月の恨みをもまさきのつなのよるよるの風(後柏原院)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成18年09月28日