紀内親王 きのひめみこ 延暦十八〜仁和二(799-886)

桓武天皇の皇女。母は藤原朝臣河子。仲野親王と同腹。『日本三代実録』に仁和二年六月二十九日薨去の記事があり、三品で桓武天皇第十五女、八十八歳とある。後撰集に一首のみ。

題しらず

津の国のなには立たまく惜しみこそすくも焚く火の下に焦がるれ(後撰769)

【通釈】津の国の難波ではありませんが、名に立つ――すなわち評判に立つことを惜しむからこそ、藻屑を燃やす火のように、内心ひそかに思い焦がれているのです。

【語釈】◇津の国 摂津国。◇なには 「難波」「名には」を懸ける。◇なには立たまく 名に立つだろうこと。恋で評判を立てられること。◇すくも焚く火の 藻屑を燃やす火のように。「すくも」は葦などの枯れたもの、葦の根、籾殻(もみがら)などとする説もある。

【補記】「津の国の」は「難波」から同音の「名には」を呼び出す序詞である。難波には海人の村があったので、「すくも焚く火」のイメージとも通うところがある。作者は六歌仙より一世代ほど前の人であるが、既に古今集的な技巧を駆使している点、注目される一首である。

【補記2】後撰集の古写本に作者名を「三のみこ」とするものもあるが、誰を指すか不明。

【他出】古今和歌六帖(作者名不明記)、奥義抄、和歌初学抄、和歌色葉、定家八代抄、色葉和難集、和歌口伝、歌枕名寄

【主な派生歌】
難波めのすくもたく火の下焦れ上はつれなき我が身なりけり(藤原清輔[千載])
難波めがすくもたく火の深き江に上にもえてもゆく蛍かな(藤原雅経[新勅撰])
津の国のなにはたたまく鴛鴦ぞなく下の思ひにこがれわびつつ(後鳥羽院)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成20年10月21日