大伴家持略年譜


  1. 年号の勝宝・宝字・神護・景雲は、正しくはそれぞれ天平勝宝・天平宝字・天平神護・神護景雲。
  2. 家持の生年及び年齢は、公卿補任記載の年齢より算出。いわゆる数え歳。
  3. 表中の太字の算用数字は当時の暦法に基づく月日を表わす。

家持及び周辺の出来事 
歴史上の主要な事件
718
養老2
(1歳)
大伴家持生まれる。 阿倍内親王(後の孝謙天皇)生まれる。
720
養老4
(3歳)
大伴旅人、征隼人持節大将軍として九州に赴任。 5.21舎人親王ら、『日本書紀』奏上。
8.3右大臣藤原不比等、薨ず。太政大臣を贈位。
721
養老5
(4歳)
1.5旅人、従三位に叙せられる。
1.5長屋王、右大臣就任。
12.7元明太上天皇、崩ず。
724
神亀1
(7歳)

旅人、吉野行幸に従駕し、勅を奉じて吉野讃歌を作る。
2.4首皇子、即位(聖武天皇)。長屋王、左大臣就任。
727
神亀4
(10歳)

この年冬か翌年春 旅人、大宰帥として大宰府に赴任。家持らも同行。
閏9.29聖武の夫人藤原光明子、故不比等邸で基親王を出産。生後1カ月にして立太子。
728
神亀5
(11歳)
夏 旅人の正妻大伴郎女、大宰府にて死去。旅人、この頃から筑前守山上憶良と親交、万葉巻五収録の歌が制作される。
9.13皇太子基親王(2歳)、薨ず。
この年、天皇と県犬養夫人の間に安積親王が生まれる。
729
天平1
(12歳)


10.7旅人、藤原房前に梧桐日本琴の歌を贈る。
長屋王の変。
8.5天平に改元。
8.10光明子、立后。

730
天平2
(13歳)
1.13大宰府の旅人邸で梅花宴が開かれる。
12旅人、大納言を拝命し、家持らと共に帰京。
  
731
天平3
(14歳)
7.25旅人、薨ず。時に67歳、従二位大納言。 山上憶良、筑前より帰京。
732
天平4
(15歳)
この頃から坂上大嬢・笠女郎らとの交渉始まる。   
733
天平5
(16歳)
11坂上郎女、神を祭る歌(巻三)。  この年、山上憶良、卒す。時に74歳、散位従五位下。
734
天平6
(17歳)
  1.17藤原武智麻呂(不比等の長男)、右大臣。
735
天平7
(18歳)
この年、佐保に寄寓していた新羅の尼理願が死去。坂上郎女、挽歌を詠む(巻三)。 遣唐使、下道真備玄ム(げんぼう)らを伴い帰国。
736
天平8
(19歳)
「秋歌四首」(巻八)を作る。制作年の明らかな家持最初の歌。 11葛城王、臣籍に降り橘宿禰諸兄と改名。
737
天平9
(20歳)
坂上郎女、賀茂神社奉拝時の歌(巻六)。  春〜夏 天然痘が諸国で大流行。武智麻呂・房前・宇合・麻呂の藤原四卿が相次ぎ死去。
玄ム(げんぼう)、僧正に就任。
山部赤人、この頃死去か。
738
天平10
(21歳)
7.7「独り天漢を仰ぎ述懐の歌」を詠む(巻十七)。 1.13阿倍内親王、立太子。諸兄、右大臣。
7.10大伴子虫、中臣宮処東人を斬殺。
739
天平11
(22歳)
6〜7「亡妾悲傷歌」を作る(巻三)。
竹田庄に坂上郎女・大嬢母子を訪ねる(巻八)。大嬢との交渉、再び始まる。
 
740
天平12
(23歳)
この年初め頃、正式に内舎人に任官か。


10関東行幸に従駕。各行宮で歌を詠む(巻六)。

12.9弟の書持、大宰府の梅花宴の歌に追和6首(巻十七)。
聖武天皇、大仏造立を発願。

藤原広嗣の乱、起こる。

11広嗣、斬刑に処せられる。

12.15恭仁京遷都
 
741
天平13
(24歳)
奈良の書持とほととぎすの歌を贈答(巻十七)。
この頃、紀女郎との交渉(巻四・八)。
藤原仲麻呂、民部卿に任じられ恭仁京の建設に活躍。
742
天平14
(25歳)
 
10.17(この年?)奈良の諸兄旧宅で奈良麻呂主催の宴に出席(巻八)。
紫香楽宮の造営を始める。
10塩焼王と女嬬ら、流罪に処せられる。
743
天平15
(26歳)


恭仁京讃歌を作る(巻六)。
秋頃 安積親王が藤原八束邸で宴を開く。家持参席し、歌を詠む(巻六)。
春〜夏 畿内で旱害。
5.5皇太子、内裏で五節を舞う。諸兄、左大臣。
5.27墾田永年私財法、発布。

10天皇、紫香楽宮で大仏造立の詔を発布。甲賀寺の建設を始める。行基らが参加。
744
天平16
(27歳)
1.11市原王と活道岡で宴歌(巻六)。


2〜3安積皇子の挽歌を作る(巻三)。
この年、内舎人の任期が終わる。
閏1天皇、難波行幸へ発つ。途中、安積皇子が発病し恭仁京で薨去。
難波京に遷都
745
天平17
(28歳)
1.7従五位下に叙せられる。




1.1紫香楽宮を新京とする
1.21行基、大僧正に任じられる。
夏〜秋 山火事・地震が頻発する。
5.11天皇、平城京に帰還。再遷都
天皇、行幸先の難波で危篤に陥る。
11玄ム(げんぼう)、筑紫観世音寺に左遷される。
746
天平18
(29歳)
元正上皇の御在所で肆宴。家持ら、歌を奏上する(巻十七)。
3.10宮内少輔を拝命。
7.7国守として越中に赴任する
弟書持、平城で死去。家持、哀傷歌を作る(巻十七)。
6.18玄ム(げんぼう)、筑紫で死去。広嗣の怨霊に殺されたと噂される。
747
天平19
(30歳)

翌月にかけて病臥。この頃から越中掾大伴池主との間で活発に歌の贈答がなされる。
3〜4「越中三賦」を作る。
この頃、税帳使として帰京。
以後 池主、越前国掾に転任。
9.2越中の豪族利波臣志留志、大仏智識に米3000碩を献上し、外従五位下を授けられる。
天皇、重態に陥る。

 

 

 
9.29金鐘寺(後の東大寺)で大仏鋳造を始める。

748
天平20
(31歳)
春 出挙のため越中国内を巡行する。
田辺福麻呂、諸兄の使者として来越(以下巻十八)。
4?入京する僧清見を送別する宴で歌を詠む。以後翌年3月まで作歌なし。

10この頃、越中掾久米広縄、朝集使として上京する。
3.22藤原豊成、大納言。藤原八束、参議。
4.21元正太上天皇、崩ず。
秋 市原王、造東大寺司の長官となる。

749
勝宝1
(32歳)

越前の池主と書簡を贈答。
4.1従五位上に昇叙される。
東大寺占墾地使の僧平栄、来越。
「陸奥国より黄金出せる詔書を賀す歌」他を作る。翌月にかけて多作。

7.7七夕の歌を詠む。
この頃、大帳使として一時帰京する。


冬 越中へ戻る。一説にこの時、妻の大嬢を越中に伴う。
11越前の池主より書簡と戯歌。
12秦石竹の家で宴、歌を詠む。
大僧正行基、遷化。
4.1天皇、大仏に黄金産出を報告する。天平感宝に改元。豊成、右大臣就任。

7.2阿倍内親王、即位(孝謙天皇)。天平勝宝に改元。仲麻呂、大納言となる。

光明皇太后、紫微中台を設置し実権を握る。仲麻呂、紫微令を兼ね、皇太后のもとで権力をふるう。

 

 

750
勝宝2
(33歳)

墾田の検察に従事。礪波郡に宿る。
3.1「春苑桃李の歌」を作る(以下巻十九)。
3.9出挙のため旧江村に出張。途中、「世間無常を悲しむ歌」などを作る。
5.27婿の藤原二郎の母の死を知り、挽歌を作る。
坂上郎女、越中の大嬢に歌を贈る(坂上郎女最後の歌)。
10河辺東人、来越。
12「雪日作歌」を詠む(この年、家持最も多作の一年)。
1.10吉備真備、筑前守に左遷される。







中納言石上乙麻呂薨ず。


751
勝宝3
(34歳)
1.2国守館で宴、雪の歌を詠む。
1.3内蔵縄麻呂宅で宴。
2.2正税帳使として入京する越中掾久米広縄を送別する宴。
4.16霍公鳥の歌を詠む。

7.17少納言に任じられる。
8.5京へ発つ。途中、越前の池主宅に寄り、京から帰還途上の広縄に遭う。
10.22紀飯麻呂宅の宴に参席し歌を詠む。






6.3市原王、歌林七巻を写経所で書写させる。



10.23聖武上皇、再び病臥。翌年春まで癒えず。
11『懐風藻』編纂される。
752
勝宝4
(35歳)




秋頃 応詔の為の予作歌を作る(新嘗会の宴に向けた作か)。
11.8諸兄邸に聖武上皇を招き宴。八束・家持、これに参席。
11.25新嘗会の肆宴で巨勢奈弖麻呂・石川年足・八束・家持らの応詔歌が披露される。
藤原清河・大伴古麻呂らの遣唐使船が出航。鑑真を迎える使。
4.9東大寺大仏開眼供養会
新羅使入京。

渤海使来日。



753
勝宝5
(36歳)
2.19諸兄邸の宴に参席、柳の歌を詠む。
2.23〜25「春愁三首」を作る。
仲麻呂邸で故元正上皇・舎人親王の歌を伝え聞く(以下巻二十)。
8.12池主・中臣清麻呂と高円山に登り歌を詠む。






文屋智努、仏足石及び歌碑を造立。
遣新羅使、新羅に入国。新羅との関係悪化。
12遣唐副使大伴古麻呂、鑑真を伴い帰国。
754
勝宝6
(37歳)
1.4大伴氏族が家持宅に集まり宴。
3.19置始長谷と自領の田荘で宴。
3.25諸兄、山田御母の宅で宴。家持、参席して歌作するが奏上に至らず。
4.5兵部少輔を拝命。
7.7七夕歌の連作を詠む。

11.1山陰道巡察使に任命される。







7.19太皇太后藤原宮子、崩ず。
11.24薬師寺僧行信と八幡神宮の主神大神多麻呂・杜女、厭魅の罪で配流される。
755
勝宝7
(38歳)
防人検校のため難波に赴く。この際各国司に防人歌を進上させる。
2.8〜23防人を主題とする連作を詠む。
2.13難波を誉め讃え、「私の拙懐を陳ぶる」長短歌を詠む。
3.3防人検校の使の集宴に参席、歌を詠む。
5.9自邸に大原今城を招き宴。
5.18橘奈良麻呂宅の宴で船王の作に追和する。










10聖武上皇、不豫。
11唐で安禄山の乱起こる。 
756
勝宝8
(39歳)
大原今城、兵部大丞。家持の部下となる。

3.7聖武上皇の河内・難波行幸に従駕し、馬国人宅で歌を詠む。
3.20ほととぎすの歌2首を詠む。




6.17「族を喩す歌」他6首を作る。

11.5夜、雷が鳴り雪が降る。これに感憐を抱き、短歌を詠む。
11.8安宿王ら、安宿奈杼麻呂の家に集宴。ここで披露された山背王の歌に、後日、家持追和。
11.23大伴池主宅の宴で今城が歌を詠む。家持は出席せず。
2.2諸兄、上皇誹謗の責を負って官を退く。
2.24天皇・上皇、難波行幸に発つ。


4.14聖武上皇、危篤。橘奈良麻呂、謀反を計画。
5.2聖武太上天皇、崩ず(56歳)。遺詔により道祖王が立太子。
5.10大伴古慈斐・淡海三船、朝廷誹謗の罪で禁固刑に処せられる。







757
宝字1
(40歳)

3.4大原今城宅で宴。歌を詠む。



6.16兵部大輔に昇進。
6.23三形王宅で宴。歌を詠む。

秋頃か 「物色変化を悲しむ歌」を詠む。


12.18三形王宅で宴、歌を詠む。この時家持、右中弁
12.23大原今城宅で宴、歌を詠む。
1.6橘諸兄、薨ず(74歳)

4.4孝謙天皇、道祖王に代えて大炊王を皇太子とする。
5.20仲麻呂、紫微内相となり兵事を掌握する。

橘奈良麻呂の乱。大伴・佐伯・丹比氏などの多数が連座。黄文王・道祖王・大伴古麻呂ら、拷問死。
8.18天平宝字に改元。
閏8.21東国防人を停止。



758
宝字2
(41歳)
1.3内裏で玉箒の肆宴。詔に応じて歌を作るが、大蔵の政により奏上する能わず。
1.6内裏の庭で肆宴。家持の作歌、奏上されず。
中臣清麻呂邸で宴、聖武天皇追想の歌を詠む。
2.10仲麻呂宅で渤海大使小野田守を餞する宴に参席、歌を詠むが奏上されず。

6.16因幡守に左遷される。
7.5大原今城宅で家持を送別する宴。









2.20祭祀・医療以外の飲酒、無断の集会を禁ずる詔。


8.1孝謙天皇、大炊王に譲位。大炊王、即位 (淳仁天皇)。
8.25仲麻呂、大保(右大臣)となり恵美押勝の名を賜る。同日、官号改易。
759
宝字3
(42歳)
1.1因幡国庁で万葉集巻末の歌を詠む 押勝、新羅征討を計画。
760
宝字4
(43歳)
  1.4恵美押勝、従一位大師(太政大臣)となる。
6.7光明皇太后、崩ず(60歳)
761
宝字5
(44歳)
  10孝謙上皇、保良宮で禅師道鏡の看病を受け、以後道鏡を寵愛する。
762
宝字6
(45歳)
1.9信部大輔に任じられる。この後、因幡より帰京。
この頃、仲麻呂の息子久須麻呂と歌を贈答か(巻四)。

9.30佐伯今毛人と共に石川年足の弔問に派遣される。

6.3孝謙上皇、淳仁天皇の非礼を非難、政務の二分と出家を宣言。
763
宝字7
(46歳)
3〜4頃 藤原宿奈麻呂・石上宅嗣・佐伯今毛人・家持による恵美押勝暗殺計画が発覚する。宿奈麻呂は官位を剥奪され、家持らは現職解任のうえ京外に追放される。
4.14
市原王、今毛人に代わり造東大寺長官となる。
この年以後、市原王、史料に見えず。
764
宝字8
(47歳)
1.12薩摩守に左遷される。



12大隅・薩摩の境の海底火山が大噴火(後の桜島)。

恵美押勝の乱。押勝は琵琶湖上で斬殺される。
10大炊王、天皇を廃され淡路に配流される。孝謙上皇再祚(称徳天皇)。

765
神護1
(48歳)
薩摩守を解任され帰京。以後2年間散位か。


10大炊王、淡路で変死。
閏10道鏡、太政大臣禅師に就く。
766
神護2
(49歳)
  3.12大納言藤原真楯、薨ず(52歳)
10道鏡、法王となる
767
景雲1
(50歳)
8.29淡海三船と共に大宰少弐に任じられる。  
768
景雲2
(51歳)
  道鏡の弟弓削清人、大納言に就任。
769
景雲3
(52歳)
  氷上志計志麻呂の変。
宇佐神宮神託事件。道鏡の皇位継承、挫折する。
770
宝亀1
(53歳)
6.16民部少輔に任じられ大宰府より帰京。

9.16左中弁兼中務大輔に昇進。


10.1正五位下に昇叙される。

8.4称徳天皇、崩ず(53歳)。天武直系の皇統は女帝の死により断絶する。道鏡は下野国に左遷される。

10.1白壁王、即位(光仁天皇)。
771
宝亀2
(54歳)




11.25従四位下
に昇叙される。
一説に、この頃までに万葉集の編纂がほぼ終わる。
1.13他戸親王、立太子。
2.22左大臣藤原永手、薨ず。
3.13大中臣清麻呂、引退した吉備真備の後任として右大臣に就任。
11.21光仁天皇即位大嘗祭。


772
宝亀3
(55歳)
左中弁兼式部員外大輔に任じられる。





3.2巫蠱の罪により井上内親王、皇后を廃される。
5.27母の罪により、他戸親王、皇太子を廃される。
藤原浜成、光仁天皇に「歌経標式」を撰上。
773
宝亀4
(56歳)
  1.2山部親王(後の桓武天皇)、立太子。
774
宝亀5
(57歳)
3.5相模守に任じられる。
9.4左京大夫兼上総守に任じられる。
この年、空海生まれる。 
775
宝亀6
(58歳)

11.27衛門督を拝命。
4.25幽閉中の井上内親王・他戸王、変死。
夏〜秋 地震・疫病・飢饉など異変が続発する。
776
宝亀7
(59歳)
3.6伊勢守を拝命。 この年、流星・日食・飢饉・台風・地震など異変が頻発。
777
宝亀8
(60歳)
1.7従四位上に昇叙。  
778
宝亀9
(61歳)
1.16正四位下に昇叙。

10山部親王、病平癒を祈願するため伊勢神宮に参拝する。
779
宝亀10
(62歳)
  7.9参議藤原百川、薨ず。光仁天皇の腹心として権力をふるった。
780
宝亀11
(63歳)
2.1参議を拝命。右大弁を兼ねる。

蝦夷が叛乱を起こす。陸奥按察使紀広純殺される。
781
天応1
(64歳)
2.17能登内親王(市原王の妻)の葬儀司に派遣される。
4.14
右京大夫春宮大夫を兼ねる。
4.15正四位上に昇叙。
5.7左大弁を兼ねる。
8.8左大弁兼春宮大夫に復任(母の喪により解任されていた為)。
11.15従三位に叙せられ公卿に列する。
12光仁陵の山作司を務める。
4.3山部親王、即位(桓武天皇)。早良親王、立太子。



冬 地震頻発。

12.23光仁上皇、崩ず。
782
延暦1
(65歳)
閏1.19氷上川継の乱に連座し、坂上苅田麻呂らと共に現職を解任される。
5.17春宮大夫に復任。
6.17陸奥按察使鎮守将軍を兼ねる。この後、陸奥に赴任。
閏1.11氷上川継、謀反を密告され逃亡(氷上川継の乱)。三日後捕縛され、伊豆配流。母の不破内親王らは淡路に移配。



783
延暦2
(66歳)
7.19中納言に就任。太政官としてナンバー3の政治的地位につく。 7.19藤原是公(南家乙麻呂の子)、右大臣。藤原継縄(南家豊成の子、家持の妹婿)、大納言。
784
延暦3
(67歳)
1.7息子の永主、従五位下に叙せられる。
持節征東将軍に任じられる。



11.11
長岡京遷都。造宮使藤原種継(宇合の孫)が率先する。
785
延暦4
(68歳)
4.7東北防衛について建言し天皇に容れられる。
8.28陸奥国にて死去。時に中納言従三位春宮大夫兼持節征東将軍。
9.24種継暗殺の首謀者として官位を剥奪される。息子の永主らと共にその遺骨は隠岐に流される。





9.23藤原種継、暗殺される。
10謀反を計った罪で皇太子を廃された早良親王、淡路に移配される途次憤死。
11安殿親王(後の平城天皇)、立太子。
800
延暦19
  早良親王の怨霊鎮魂のため崇道天皇と追称。また井上内親王を皇后と追称。
806
大同1
3.17家持、従三位に復位。永主ら、隠岐より帰京を許される。 3.17病床の桓武天皇、種継暗殺事件の連座者を本位に復す。この直後、桓武天皇崩ず。
5.18安殿親王、践祚(平城天皇)。
810
大同5 
  平城上皇、平城遷都を命じるが失敗(薬子の乱)。

参考:『万葉集』『続日本紀』『日本後紀』『日本紀略』『公卿補任』『大日本古文書』『寧樂遺文』『東大寺要録』
関連年表:天平外交史略年表対蝦夷政策史略年表

表紙伝記 大伴氏略史 系図 略年譜 資料集 アルバム 人物辞典