藤原朝臣継縄
ふじわらのあそみつぐただ
- 生没年 727(神亀4)〜796(延暦15)
- 系譜など 南家藤原豊成の次男。母は路真人虫麻呂の女。大伴家持の妹婿(留女之女郎参照)。正妻は百済王(くだらのこにきし)明信(敬福の孫)。同母兄に良因、同母弟に乙縄、異母弟に縄麻呂がいる。子としては乙叡(たかとし)(母は百済王明信)・真葛(母は大伴旅人の女)が知られる。桃園右大臣の称号がある。
万葉19/4216左注に聟南右大臣家藤原二郎(なかちこ)とあるのは継縄を指す。これを久須麻呂とする説もあるが、『尊卑分脉』『公卿補任』ともに久須麻呂の母は藤原房前の女(袁比良おひら)と伝え、「藤原二郎の慈母」とは没年が異なる。
- 略伝 750(天平勝宝2)年以前、大伴家持の妹留女之女郎を娶る。天平勝宝2年夏頃、母を失い、越中でその報に接した家持より亡母を弔う挽歌を贈られる(19/4214〜4216)。763(天平宝字7)年1.9、正六位上より従五位下に昇叙される。この時37歳。(注)
764(天平宝字8)年1.21、信濃守に任ぜられる。同年9月、藤原仲麻呂の乱の際、急遽越前守に任命され、仲麻呂らの越前入りを防ぐ。765(天平神護1)年1.7、従五位上。同年11.23、従四位下に越階昇叙。これは称徳天皇の大嘗祭に際し任国越前が須伎国となったため。同年11.27、父の右大臣豊成が薨じ(62歳)、以後は南家の代表として政界に重きを置く。766(天平神護2)年7.22、文屋大市・藤原田麻呂と共に参議となる。768(神護景雲2)年11.13、外衛大将。
770(宝亀1)年10.1、白壁王の即位(光仁天皇)に際し、従四位上。同年10.25には妻の百済王明信も正五位下に昇叙されている。以後の優遇は著しく、771(宝亀2)年1.28、正四位上。同年11.27、従三位。772(宝亀3)年2月、大蔵卿。同年11.1、宮内卿。774(宝亀5)年9.4、左兵衛督に兵部卿を兼ねる。775(宝亀6)年8.10妻の明信は正五位上に昇叙。780(宝亀11)年2.1、藤原田麻呂と共に中納言に昇進。この時兼兵部卿・左兵衛督。同年3.22、陸奥国伊治郡で伊治呰麻呂の乱が勃発し、3.28、継縄は征東大使に任命される。しかしわずか半年後の9.23、解任され、藤原小黒麻呂に代えられている。
781(天応1)年、桓武天皇即位ののち、5.7中務卿を兼ねる。同年7.10、左京大夫を兼ねる。9.3、正三位。783(延暦2)年7.19、大納言に昇進(中務卿留任)。785(延暦4)年7.6、大宰帥を兼ねる。11.25、安殿親王が立太子すると、皇太子傳を兼ねる。786(延暦5)年4.11、従二位。787(延暦6)年8.24、高椅津行幸の帰途、桓武天皇は大納言継縄邸に立ち寄り、妻百済王明信に従三位を授く。「母尚侍百済王明信、帝(桓武)の寵渥を被る」(『日本後紀』乙叡薨伝)。10.17、交野行幸の際、天皇は継縄の別荘を行宮とする。この時、自ら百済王氏を率い、種々の楽を奏す。以後もしばしば継縄の別荘が行宮とされた。11.5、天神を交野に祀る際、継縄は同地に派遣されて祭文を奉る。788(延暦7)年1.15、皇太子元服のとき、皇太子傳として冠を被せる役を仰せ付かる。789(延暦8)年9.19、陸奥に派遣され、征東軍の将校らに対し敗戦の状況を取り調べる。790(延暦9)年2.27、右大臣。791(延暦10)年頃、菅野真道・秋篠安人らと共に国史編纂に従事し、3年後の794(延暦13)年8月、十四巻(続日本紀の後半、巻二十一以降)を撰進(『類聚国史』)。同年10月には平安京への遷都がなされるが、継縄を遷都の有力な推進者の一人と見る説がある(佐伯有清)。796(延暦15)年7.16、薨ず。従一位を追贈される。この時の肩書は右大臣正二位兼皇太子傳中衛大将。年七十。薨伝には「謙恭にして自守。政迹聞かず、才識無しと雖も、世の譏りを免るるを得たり」とある。
(注)兄の武良士(良因)が754(天平勝宝6)年に従五位下を授かっているのに比べ、継縄の従五位昇進の遅れは著しい。継縄の祖父武智麻呂は正一位であったから、蔭位制により嫡孫なら21歳で正六位上に叙されたはず(庶孫なら正六位下)で、その後従五位下まで16年もかかったのは異常である。これは父豊成とともに橘奈良麻呂の乱(天平勝宝9年)に連座したためと思われる。このとき弟の乙縄は日向員外掾に左遷され、後復権して764(天平宝字8)年10月に至り従五位下に叙されている。続紀に継縄が変に関与したとの記載はないが、継縄は続紀編纂の総帥であったから、自己についての不名誉な記事を削除したのかもしれない。藤原仲麻呂の乱の直後に参議となっていることからも、反仲麻呂派の一員だったことは明らかである。
関連サイト:芝山仁王尊・観音教寺(池田レンタカー、千葉県芝山町の観光案内)
安養寺石造露盤(大阪府枚方市の紹介)
系図へ