新村 出 しんむら・いずる(1876—1967)


 

本名=新村 出(しんむら・いずる)
明治9年10月4日—昭和42年8月17日 
享年90歳(文紹院殿徳豊南浦日出大居士) 
京都府京都市中京区寺町通御池下る下本能寺前町522 本能寺(法華宗)
東京都新宿区若葉2丁目3 日宗寺(日蓮宗)




言語学者。山口県生。東京帝国大学卒。ヨーロッパ留学後、明治42年京都帝国大学教授。上田萬年の後継者として西洋言語学の理論を移入し、日本の言語学・国語学の基礎を築く。昭和31年文化勲章受章。『広辞苑』の編集でも知られた。著書に『言語学概論』『東亜語源志』『南蛮記』などがある。




 京都・本能寺の墓

 東京・日宗寺の墓



 先生にお目にかかった最終の時は、本年の六月中旬ではなかったか、先生はそのころ既に床に横臥せられたが、私を引見せられ、多分あの御臨終のお室、あの告別式のお室、あそこで、ほんの数分間お話しをすることが出来た。それが一生のお別れとなった。七・八・九・の三ヶ月は、不幸にもお目にかかられず、十月に入ってからはもはや拝顔の機は得られなかった。わずかに応接室や玄関で重らせたまう御容態をうかがい、人々と共に憂慮するばかりであった。十月二十六日、まさかその日とも知られず、午後一時に離京して、午後九時帰宅して老妻に聞けば、今しがた佐佐木さんからの長距離のお電話で、夜七時五十五分におかくれにおなりとのこと。自分はただ呆然自失するばかりであった。虫が知らせたか、帰途の夕刻、カモメの車内にて、『ヘルンに宛てたチエンバレン教授外山博士坪内博士の手紙』(英文)の末の方の挿画写真に、一八九七(明治三十年)文科大学卒業式の際の記念写真を見ていたらば、前列の右端のが、どうも上田先生らしく、つくづくと見つめて、一しきり懐旧の念に打たれたのであった。その時こそは、御臨終が刻々と迫りつつあったのだとは、全く知るよしもなかった。
 告別式の日は、どんよりと曇った静かな日であった。式もすみ、一般の告別式も終ったころ、今まで持ちこたえていた空合は、ぱらぱらと時雨をおとして来たが、幸にして大した本ぶりにもならずにしまった。御出棺まぎわ、最後のお別れとて人々菊の花をおんひつぎのうちに入れ参らするに、私も黄菊白菊一ひらずつを手折りて、お胸の辺に捧げて、ほのかに安らかに眠りませる先生を拝することが出来た。門下の若き人々、掛りの人々、お棺を運び出づるとき、わずかにほんの一瞬間ばかり、我が手をも添え得たのであった。かくてひつぎの車は茶毘のにわへと、タしぐれのうちさびしくすべりゆいたのであった。私たちは唯ぼんやり立ちつくしてお見送りしたのであった。明治二十七年十一月から数えると、満四十三年間に亙るその間の事どもが一時に胸にこみあげてくるのをおぼえるばかりである。

(恩師を懐う)

 



 

 昭和30年に岩波書店から刊行された新村出編著の『広辞苑』は現在なお国語辞典界に不動の位置を占めており、新村出の代名詞のように思われているが、明治27年、第一高等学校本科に進んだばかりの時にヨーロッパ留学から帰国した上田萬年の講演「言語学者としての新井白石」を聴きにいったことによって運命づけられた言語学者への道。日本語音韻史や近隣諸言語と国語の比較研究など、我が国の言語学、国語学の基礎を築いた人物として評価されている新村出。明治42年に入洛して以来五十数年、京都・鴨川の流れを愛してきた。金婚式も迎え、米寿は新日吉神社で祝われたが、昭和32年に良妻賢母の妻豊子が死去。41年1月より臥床、戸外への散策も思うにまかせずほとんど寝たきりのまま、42年8月17日午後7時40分、老衰のため北区小山中溝町の自宅で眠るように亡くなった。


 

 新村出の葬儀は、昭和42年8月20日、寺町通り沿いの法華宗本門流の大本山である本能寺で行われたが、京都名誉市民だった新村出は10月7日に京都会館で市公葬が営まれ、自邸の草花を題材に詠んだ歌〈たまきはる命なりともこの春の花をしめでむ連翹の花〉〈空の青草木のみどり尚のこるさにはに匂ふ白扶養の花〉〈嵯峨野ひとむら咲きてわが庭のうらがるる秋をよそほいにけり〉に曲をつけたものが演奏されたという。今にも雨が降り出しそうなほど暗鬱とした空模様の晩秋の一日、鴨川べり散策の帰途に訪れた本能寺、織田信長の墓もある境内奥の少し手前、塔頭奥の墓地に「新村出之墓」はある。本来の新村家の墓は東京の日宗寺にあるのだが、人生の多くを京都で過ごした新村出と妻豊子夫妻の墓として昭和四四年に長男の秀一が建てた墓、手を合わせていると一粒の雨滴が碑面に染みをつくった。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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