清水澄子 しみず・すみこ(1909—1925)


 

本名=清水澄子(しみず・すみこ) 
明治42年5月1日—大正14年1月7日 
享年15歳(浄心院澄順至清大姉) 
長野県長野市松代町東条3313 浄福寺(曹洞宗)
 



詩人。長野県生。上田高等女学校(現・上田染谷丘高等学校)。中学校教師の父と小学校教師の母のもとに生まれ、小学校五年生の頃から小説を書き始めた。〈文章家たらんと志し〉ていたが、上田高等女学校三年在学中に信越本線に飛び込み鉄道自殺を遂げる。のちに書き遺された詩や随筆などを父袈裟雄がまとめ、私家本の遺稿集『清水澄子』として刊行した。翌年『さゝやき』と題名を変えて出版社から刊行され、ベストセラーとなった。







死………それをひたすら神に祈つた
時もありました。今考へれば何と
恐ろしいことでしたらう。
音楽家………それになることをひたすら
思つたこともありました。
創作家………そんなことを願った時も
ありました。
人の顔を見ると、何でもかんでも癪にさわつて
たまらなかつた時もありました。
それは皆時代でした。
過ぎ去つた時代………そのものでした。
今は世の中のことが、皆馬鹿らしく見えます。
そんなことも過ぎ去つた後になると馬鹿らしい
ことだつたと思ふでせう。
要するに皆それ等のことは
時代………そのものが心にうみつけて
くれたものでした。
過ぎ去つた時代を非常になつかしく思ふ
のが今の私の心です。

(『さゝやき』第二號 七月・時代)


 

 多様な感性を持ち合わせた清水澄子は幼い頃から〈文章家たらんと志し〉ながら〈色々の驚きが小さな鍵穴から世の中といふものをのぞいて見た私にあります。最初は驚きます。次の瞬間にはしびれる様に頭がおののきます。そして怒りが胸を狂ひまわります。自分の豫想したことは現實にはないのです。どんどん惜しげもなく、ふみにじられて行きます。こんなことが此の頃よくあります。〉と書いているように、次第に理想と現実の違いに苦しめられ、大きな打撃を受けながらも理性の中で生きようともがき続けて、遂には大正14年1月7日午後7時5分、上田城本丸跡に建立された松平神社(のち真田神社と改称)南方の信越本線に飛び込み轢死する。上田高等女学校第三学年在学中。15年と8ヶ月の儚い命であった。



 

 信州松代・真田家の城下町にある尼厳山浄福寺、山門前左に林檎畑、箱棟を乗せた本堂前には神聖な樹といわれる白皮松が植わっている。尼厳山を背景にした本堂裏の墓地境に若い葉が伸び始めた蓮田が広がって、夏の到来を待ちわびているようだ。小雀がかしましく飛び跳ねる墓地奥の清水家塋域、左右に向き合って六基ほどの墓碑が並んでいる。左奥、澄子の弟龍郎夫妻の建てた「菩提塔」に〈お父様。お母様。なにも彼もさよなら。光を求めて永遠の世界に行きます。永遠の世界では、もっと優等な人間として暮したく思ひます。私の今………あまりにも劣等な人間です。〉と遺書にしたためた永遠の少女清水澄子が眠っているはずだが、正面の墓誌碑には父袈裟雄、母千代、弟龍郎等の名が刻まれてあるものの澄子の名はどこにも見当たらない。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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